第120話 サンドイッチです
「一度、考え直してみましょう」
「……うむ」
アストラエは暴君タイプの人間ではあるが、気を許した者に対しては必ずしもそうではない。不承不承といった面を隠さずに、しかし信頼のおける部下の言葉に一応は頷いて見せた。
「まず、護衛を全滅させられて困るのは誰ですか?」
「順当に考えれば護衛対象であるフロレンティーナ……フロレンティーナの身辺を任された責任者のアマンダ……あとは護衛当人たちとその関係者、そしてモルガーニ卿だな。王国側としても、国内で国交ある国の要人の護衛が全滅したとなれば在らぬ疑いの目も向こう」
「その中でも特に困るのはフロレンティーナ様とモルガーニ卿だと愚考いたしますが?」
「当然の帰結だな。より絞るならば、やはり娘を通してモルガーニ卿に圧をかけたり脅迫する為という線が濃厚か……その線で行こう」
何度も言うが、アストラエ冷静になれば頭のいい男なのだ。いつもそうしてろよ。
「国内ではなく国外で事を起こす理由は、国外に娘を逃がしてもこちらの手は届くという脅迫。更にここで娘が害されるか暗殺されれば、今度は王国との国交も怪しくなる。モルガーニ卿にとって王国は大きな海外の伝手だ。王族との婚姻まで進めたのもある。それを娘ごと潰されれば、彼の皇国内での立場にも暗雲が垂れ込める。子煩悩らしいし、精神的にも堪えるだろう」
「だからこそ、王国も彼女の護衛を差し向けた」
「……今になって思えば、少し思うところがあるな」
顎に指を当てて思考に耽るアストラエが、ぼそりと漏らす。
「と、いいますと?」
「モルガーニ卿の側は父上手ずから選んだ護衛を一度突っぱねていた筈だ。己が姫君の身は己が国の人間で守る、といった具合にな。父上はそれに気分を害された風ではなかったが、考えてみれば失礼な話だ」
それはロマニーにとっては初耳の話であった。
如何にメイド長と言えど、メイドはあくまで普段は王宮の生活空間を快適なものとして維持する事が役割であるが故、流石に王のやりとりまでは把握しきれていなかった。
しかし、話が本当ならばそれは確かに不自然と言える。
「王族の気遣いを真っ向から拒否……確かにそれは、上に立つ人間としては礼を失していますね。せめて一部だけでも受け入れるのが礼。全面拒否は信頼の拒否とも取られかねない」
「父上は何か察していたのかもしれん。そんな折に僕が彼女の護衛にヴァルナをねじ込みたいと父上に頼んだら、皇国には伝えないまま受け入れた。父上はことさらに礼節を重んじる事を考えれば、もしかすればモルガーニ卿と父上の間で暗黙のやり取りがあったのかもしれん。或いは、察したとか」
何を察したのかは本人にしか分かり得ない。
通常の人間ならばそれに何かを感じたとて、いきなり根拠もない勘で無礼な行動に出たりはしないだろう。しかしそれは通常の人間の話であり、モルガーニ卿と国王イヴァールトはそれに当てはまらない。
「王侯貴族の世界とはそういうものだ。手紙一つとっても何気のない世間話に見せかけて相手だけは悟ってくれる単語を忍び込ませたりはする。ロマニーなら分かるだろう?」
「伊達にメイド長はしておりませんので。なれば、護衛全滅の件は予定調和だったという事ですか?」
「そうなるな。或いは、避け得なかった事だとか」
「避け得なかった……」
「避ける事によって不利益が生じる……例えばフロレンティーナを狙う悪党の刺客Aがいたとして、それが護衛を歯牙にもかけない存在であるならば、いるだけ無駄死にするから敢えて離脱させる……あるいは離脱させなければ強硬手段に出るとでも脅しをかけられる……もしくは、計画的すぎる犯行で防ぎようがないから放置した……?」
「だとすれば……アストラエ様!」
「ううむ、僕の勘は大外れだな。もしかして、ピンチなのはフロレンティーナの方なんじゃないか!?」
ここにきて、状況が逆転した。
「あ、でも彼女にはヴァルナがいるから急ぐほどでもないか」
「何故でしょう、ヴァルナ様がいるのなら刺客の方がピンチな気がしてきますね」
「いやしかし! そうなると結局フロレンティーナは刺客云々に関係なくやはり僕を恨んでいるのでは!? ぐ、ぐぐぐぐぐぅぅぅ……!!」
そして、華麗に一回転して元に戻った。
芸術的な着地と言えなくもないが、話が振り出しに戻ってアストラエは結局苦悩から抜け出せなかった。
「とにかく、答え合わせをしましょう。どのみちアマンダ女史が何らかの形で現状を知っているのはほぼ確実ですから」
「ぐぐぐ……いやしかし! ヴァルナが彼女を助ければその手柄はあいつを派遣した僕の手柄でもあるからして! ……え、何か言ったかロマニー?」
「アマンダ女史とノマの所に行きますよ。ほら、散らかした荷物をきれいに元に戻しますから手伝ってください
「今何か言いかけたか? 言いかけたよな?」
「バリバリ最高イケメンフェイス王子と言いかけました」
「未だ嘗てここまでバレバレな嘘を真顔で言う輩がいただろうか!?」
無論、その荷物の中から『偽造証拠』と思しきものだけは綺麗に抜き取って、ではあるが。
◇ ◆
ノマとアマンダの書類整理が終わる頃には、既に正午になろうとしていた。朝から作業をしてこの時間に終了したと言えばそこまで特別であるとは思えないが、アマンダの仕事量を考えれば十分に驚異的な速度と言えるだろう。
「ありがとう、ノマさん。あなたのお陰で滞りなく仕事が終わりましたよ。では次の仕事――」
「――の前に、簡単な軽食を用意してますので召し上がってくださいね! 昼食を抜いて仕事をせずに栄養を摂らないと駄目ですよっ!」
「それは、困りましたね。貴方には全部お見通しという訳ですか?」
「いえ、アマンダさんが分かり易過ぎるだけかと。私、無茶してる人ってどうしても放っておけなくて、いっつも口を出しちゃうんですよね。姉には呆れられますケド……」
小休止さえ全力拒否しようとした人が昼食抜きという安易な方法を簡単に放棄する訳がない。ノマは特別優秀ではないが、無茶している人を見抜く能力は人並み以上にある。息を抜けない人は誰かが抜いてあげなければいけなくて、それが自分のメイドとしての道だと思っている。
……実際の所、彼女自身は無自覚だがこれはかなり効く手である。
というのも、彼女の基本的な職場は王宮であり、接客する相手は王政に何らかの関りがあるそれなりの責任ある立場の人々。そんな役職に於いては自分より仕事と立場を優先しなければいけない人は大勢いる訳で、彼女はそんな人に健気にも休んでくださいと優しく囁いているのだ。
精神的に弱っている所に、純朴な可愛らしいメイドに心配そうな瞳で「休みましょう?」なんて言われたら、独り身なら堕ちるし勘違いする。彼女がそんな事をしても襲われたりテイクアウトされていないのは、ひとえに
なお、ノマのコレは男性程ではないが女性にも効果があるのはアマンダの様子を見れば言わずもがな。効くかどうかはその人の気質次第である。ヴァルナなんかは流されやすいようで根が果てしなく頑固なので意外と通じなかったりもする。
「私を頼ってくれる人は多いけれど、心配してくれるのはフロレンティーナ様くらいのものだから、不思議な気分だわ」
「つまり皇国でも無理してるんですか……?」
「ち、ちょっと。そんな悲しそうな目で見つめないで。今日みたいなのはそうそうないから」
「ならいいですけど……船旅の先の慣れない環境での無茶は体調を悪化させますから、皇国に戻った後も油断しないでくださいよ?」
「もう、綺麗に釘を刺してくるんだから! でも、そうね。戻れたら久しぶりに休暇を取るのもいいかもね」
「取れる時に取っておきましょう。はい、お食事の用意できましたよ!」
書類の片付いたテーブルに小さなテーブルクロスやおしぼりなどが整えられ、簡素ながら上質なスープとサンドイッチが置かれる。客人に対する礼として手は抜かず、さりとて腹に重くて食べるのに時間のかかるものは避けたコンパクトな昼食だ。
サンドイッチを手に取る。間に挟まっているのは薄くスライスされたチーズと見ただけで鮮度の良さが分かる瑞々しいレタスほんのり添える程度のソース。口に含んで咀嚼すると、期待通りの味に上乗せで、酵母の香しさが鼻腔に広がった。
(これは……お代わりが欲しくなるわね。美味しいのも考え物だわ)
「お気に召したようで良かったです♪ 私、美味しそうに食べてる人のお顔を見るのが好きで……って、ジッと見てたら失礼ですね! ごめんなさい!」
「強引なんだか謙虚なんだか……ふふ、不思議ね貴方」
もしも自分に妹がいたら、こんないじらしいようで強い子がいいかもしれない。こんな妹を持っているメイド長が、アマンダは少し羨ましくなった。そう思わせるだけの暖かさと気兼ねのなさをくれるこのメイドを呼んでいたのも、もしかしたらアストラエ王子の気遣いだったのかもしれない。
ふと、アマンダはフロレンティーナもそろそろ昼食をとっている頃だと思い立つ。
王国にたどり着くまでは悲壮感さえ感じられる表情をしていたが、彼女の横にあのイロモノ――もとい、王国最強の騎士がいるのならば『既に手は尽くしている』という事だ。後は彼と、『もう一人の彼』を信じるだけ。
と、和やかな雰囲気さえあった部屋に小気味のいいノックが響いた。
「失礼します、メイド長のロマニーにございます。お食事中大変失礼とは存じますが、少々確認したい事があるのですが、宜しいでしょうか?」
噂をすればメイドが差す。
王子が呼んだパーフェクトメイド、ロマニーが瀟洒に姿を現した。
癒し系のノマとは決定的に違う、職務中独特の気配を纏いながら。
「――と、その前にノマ。わたくしの分のサンドイッチは用意してあるのかしら?」
「あったとしてもお姉ちゃんにはあげないもん。ふんだ、食べさせろって言う癖して食べさせたらアレが甘いコレが甘いっていっぱい駄目出しした挙句、自分のサンドイッチの方が美味しいって食べさせてくるんだもん! 何なの? 嫌がらせなの? 縁切る?」
「んもう、それはただノマとサンドイッチ交換したいだけで他意はないって言ったじゃない! それにノマのサンドイッチはメイドとしては至らない所はあるけれど、愛情という大事な調味料が……」
「別にお姉ちゃんに向けたものじゃないしぃ。ふん、私にお姉ちゃんなんかいませんよーだ!」
「の、ノマぁ~~~!!」
顔を背ける妹にロマニーが先ほどと同一人物とは思えない情けない声をあげる。
その後少しの間、二人の微笑ましいやり取りをアマンダは生暖かい目で見守りながら、「昔フロルにもああいう時期があったから、ロマニーさんの気持ち分かるなぁ」などと見当外れな事を考えるのであった。
なお、「お姉ちゃんなんかいない」が言葉通りの意味であることは、幸いにして冗句の一種だと思って見落としてしまったようである。
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