第118話 耐え難きを耐えられません
「良い茶葉ですね。自国産ですか?」
「えへへ、そうなんです! とはいえ王国内の茶葉生産はごく一部でしか行われていないので、世間に出回っているのは殆どが輸入品なのですけどね」
「流石の王国も茶葉までは全て自給出来ないという訳ですか」
「お茶自体が嗜好品ですし、王国は商人の国なので輸入した方が結果的に安く済む……って商家の人が言っていました」
「よく知っているのですね。それに、この紅茶の香りと味も素晴らしい。私も紅茶は淹れる方を含めて嗜んでいますが、素晴らしい腕前です。時間があればご教示願いたいくらいですよ」
「そんな、私なんかに……でも嬉しいです。私の紅茶でアマンダさんの笑顔を見られると、私も前に進んでるなーって……へ、変でしょうか?」
「変じゃないわ。努力家なのね。いいことだと思う」
賞賛の言葉を受けて心底嬉しそうにえへへ、とはにかむ彼女の純真さは、見ているこちらが面映ゆくなる。
紅茶の腕に関しては確かに少々大げさだが、それでもアマンダはノマの紅茶の腕が自分より一枚上手であると感じていた。流石は世界三大メイド激戦区と呼ばれる王都で王宮メイドに命ぜられただけの事はあるらしい。
体の不調も見抜かれて完敗といったところだ。
彼女の双子の姉だというロマニーは、顔の形はそっくりだが垢ぬけないノマと違って淑女として完成された気配や雰囲気を纏っていた。実際、その言動は余裕を感じさせつつ淀みや無駄がない。何度か確認のために会話したが、モルガーニ家に彼女レベルのメイドがいたら自分は余程楽が出来るだろうと思う程にそつがなかった。
しかし、ロマニーと対極的なノマと会話すると、ロマニーが齎すのは安心感ではなく安定感なのだという事にアマンダは気付かされる。例えばロマニーが仕事をすると言えば、アマンダは「それなら自分は別の仕事に取り掛かれる」と思うだろう。それは自分の目の届かない部分を処理するロマニーの手際を信用できるからだ。
だが、ノマが仕事をすると言えば、アマンダはそれを手伝うか、彼女の厚意に甘えて少し休みを取るだろう。それは自分を思いやってくれているという献身が、嘘をつけなそうな彼女の性根から出たものだと思えるからだ。
ロマニーがすべてをフォローできる援護のプロだとすれば、ノマは共に寄り添って支えてくれる人。上手く言葉に出来ないが、根本的にメイドとしての有難みが異なっている。
「貴方の」
「え?」
「貴方のそういう所があるから、アストラエ王子は貴方を抜擢したのかもしれない。ふと、そう思いました」
「うーん? 私には判別が付きかねますけど、それはどうなのでしょう? おに……お姉ちゃんとセット扱いというか、何かと都合がいいというか……それにアストラエ様が今本当に必要としているのはきっとヴァルナ様ですし」
「騎士ヴァルナ――そういえば、彼の事はあまり知らないのですが、休憩ついでに少し教えてもらえますか?」
そうだ、あの男の事を知らなければ。
情報源として扱うようで内心快くはないが、あの謎めいた騎士についてアマンダもフロレンティーナも全く知らない。王子の腹心らしく実力が確かなようだったから余り追及しなかったが、結局彼は何者なのだろうか。
「今朝がた、彼が屋敷の庭で演武をしているのを見ました。私も立場上、騎士や武術についてはそれなりに目にしてきましたが、あれほど実戦を意識した演武というのは初めてお目にかかります。あれは恐ろしいまでの実戦能力に裏打ちされた動きでした」
騎士ヴァルナの極まった集中力と大胆ながら精緻極まる太刀筋は、まるで大勢の敵に囲まれながら本当に戦っているかのようだった。その足運び一つ、剣の動き一つに気迫が憑依し、ひとたび見入れば彼の周囲を囲む敵を幻視し、自分が戦乱の最中にいる錯覚に囚われそうなほどであった。
「それどころか、あれほど集中していたにも拘わらず私の視線を看破し、演武終了後も呼吸の一つさえ乱さなかった。挙句、あれで自分の演武を『未熟』だというのですから驚きを通り越して呆れそうになりましたよ……一体何者なのです。ヴァルナとは?」
一体どれだけ途方もない死線を潜り抜ければ、あの若さであれほどの剣技が身に着くのか。アマンダにはあの青年がただ護衛の為の騎士とは到底思えない。むしろこの平和な国の騎士だと言われるよりは大陸の高名な冒険者を護衛役にでっち上げたと言われた方が頷けるくらいだ。
しかし、事実とは時に小説を超える飛躍を見せるのが世の常と言うもので。
「へぇぇ、ヴァルナ様って演武なんて出来たんですね! 私も初めて知りました! あ、でも王国攻性抜剣術の免許皆伝だし、やろうと思えば出来たのかな?」
「――ちょっと待ちなさい」
今、非常に聞き捨てならない言葉が飛び出したのを不幸にもアマンダは聞いてしまった。
「王国攻性抜剣術の免許皆伝? それはつまり、あの若さで『剣神』クシュー・ド・ヴェンデルに次ぐ実力者という事ですかッ!?」
「え、あの団長さんって海外でもそんなに有名なんですか!?」
「……いえ、大陸での強さの基準である魔物の討伐歴がほとんどないため一般ではそれほど認知されていませんが、それでも剣術界隈では未だに根強くその突出した強さが印象に残っています」
『剣神』クシュー・ド・ヴェンデル。
その界隈では知らねばもぐりと呼ばれる、生ける伝説だ。
周辺各国を以てして練度がおかしいと畏怖される王国聖靴騎士団の団長にして、相手が騎馬兵だろうが帝国の戦車だろうが真正面から切り伏せ、
「そうなんだぁ……団長さん、海外に出奔とかしなきゃいいけど」
「……? クシュー卿は国内でも名のある貴族の出でしょう? 騎士団長もお務めとなれば出奔する理由はないのでは?」
「いえ、実はクシュー団長さん去年と今年の御前試合でヴァルナ様にコテンパンに負けちゃってまして……」
再度、アマンダは不幸にも聞き捨てならない事実を聞いてフリーズした。
「負け、た……? 彼に? あの『剣神』が……?」
歴史上、帝国の有する戦車を一対一で、剣で破壊したのはクシューだけである。また、彼は騎士団代表として多くの大会や試合を大衆の前で演じてきたが、その中で一度も膝をついたことはなく、公式記録は全て白星で飾られている。
しかし――残念ながら、その記録には二つほど真っ黒な染みが出来ていることは、まだ王国の外に多く出回っている情報ではなかったのである。海外にとって衝撃的な、しかしそれを知らなかったのは全国を探してもクリフィア自警団のナギくらいなものの周知の事実を、ノマは何でもないように説明した。
「はい。一回目は先鋒で出てきたヴァルナ様に選りすぐりの部下四名を瞬殺された挙句にご自身も一撃で打ちのめされ、二回目は究極奥義を究極奥義でカウンターされて剣まで折られたらしいですよ?」
「考えうる限り最も悲惨なぐうの音も出ない完敗ッ!? 一体全体本当に何なのですか彼は!? 勇者か何かの家系ッ!?」
「いえ、いたって普通の家庭から生まれた平民です。強くなった本人が一番不思議に思って家系図から人間関係まで王宮の人間と一緒に調べたそうですが、悲しいくらいに何一つとして特別な要素が見当たらなかったって残念がってました」
何者なのかはよく分かったのに、何者なのか余計に分からないという意味不明具合。特に理由もなく誕生した突然変異最強珍獣の存在に、アマンダの頭痛は加速する一方である。
(私は……トンでもない珍獣をフロルの傍に行かせてしまったのかもしれない)
ちなみにヴァルナの自己申告によると師匠が四名いるらしいが、その内容が「子供の頃に追い回してきた謎の犬」だの「エロ本を後生大事に抱えた放浪のおっさん」だのと自国民じゃない上に眉唾ものばかりで詳しい確認は取れなかったという。
大陸の人々の与り知らない所で、歴戦の勇士がやめてあげて欲しい程にボロボロにされている。その事実が海外に伝わるまでにもう少々の時間を要したというのは、全くの余談である。
◇ ◆
アマンダが衝撃の事実を現実として受け入れられないでいる、その頃。
「あの子には悪いけれど、調べない訳にもいかないから……ね」
皇国側の護衛は全滅し、実質的な責任者であるアマンダはノマが――当人にそんなつもりはないのにバッチリ成功している――注意を引きつけている間は部屋から当分出てくる事はない。そう判断したロマニーは、ある場所へと足を踏み入れていた。
さて、本来ならば海外から訪れる人間に対して王国は荷物検査を義務付けている。大陸でもそういった事をしている国はあるが、それは一部の重要な施設や人物のいる街など限定的な事。対して王国は外界を海に囲まれている上に嘗て「オーク」という最大級の異物が大陸内に侵入したことで、海外から運び込まれる物品に対してかなり過敏になっている。
実際、経済的に安定している王国は一時期、大陸ではリスキーな裏取引の現場として都合のいい場所だった時代もあるが、それも百年以上昔の話だ。聖艇騎士団の主導の下、デッドホーネットのような例外中の例外を除いて公の船舶の荷物は個人レベルまで聖艇騎士団と入国管理課が調べ尽くしている。
しかし、例外もある。
それが、荷物の持ち主が社会的、或いは王国にとって重要で失礼の許されない地位にある場合だ。その場合のみ、国王の名の下に荷物検査は免除される。王子の婚約者であるフロレンティーナには当然これが適用。更に彼女の秘書であるアマンダも、責任者の立場から荷物検査を免除されている。
「当然と言えば当然だけど、護衛を全滅させる立場として一番都合がいいのは責任者のアマンダ。まぁ相手がプロならば不用意に証拠を残さず綺麗に隠滅しているでしょうけれど……」
仮に証拠の隠滅を図ったとしても、全てを隠滅する事は難しいだろう。
理由は二つ。一つは、単純にアマンダの行動の自由度が低く、工作をする時間が極めて限られていた事。もう一つは、この屋敷では来客時限定で部屋内で発生した塵を時間・部屋別に一時保存しているので、それを知っていればむしろ荷物として持っている方が怪しまれない。フロレンティーナ様の荷物にそれとなく混ぜておいてはぐらかす、というのもあり得る話だ。
とはいえ、前に推測した通り王国側に下手人がいる可能性が高い事を考えれば、やはり彼女の荷物に事故を装った事件の証拠がある可能性は低い。だが、だからこそ探ることに意味がある。
現状で彼女が接触した屋敷の人間のリストアップは済んでいるロマニーだが、絞り込みに情報が足りないのだ。それに屋敷内には聖盾騎士団がそれとなく混ざり全体を監視している為、その隙を突いて証拠隠滅を図るのは危険すぎる。
つまり、証拠はそう遠い場所には行っていないのだ。
「何か一つ、証拠があれば……」
「稀代の悪女フロレンティーナの鼻を明かす事が出来る……僕の睡眠不足と胃の痛みも解決するのだ!!」
「……王子、御静かに。周りに知られては面倒です」
「う、すまなんだ。いやしかしホラ、僕って聖艇騎士団の人間でもある訳だから荷物検めとかは一日の長があるんだよ」
「はいはい。全く、潜入だ調べ事だと言い出すとすっかりお元気になられるのですから。男の子ですね」
「当ぉ然。こういうのって冒険だろ?」
呆れたように額に手を当てたロマニーの視線の先――そこには、さっきまで自室で震えていたくせに、護衛全滅に加えて当人不在と秘書の封じ込めを聞きつけて水を得た魚の方に奇跡の大復活を遂げた
「さあ、永きに渡る宿命の戦いに終止符を打つために! 第二王子アストラエ、いざ参る!!」
(自分で恨み買うような事をしておいてよくもまぁいけしゃあしゃあと……ヴァルナ様の頭痛の種が何なのか、身に沁みる思いですわ)
「ところでロマニー。野郎二人で麗しき乙女二人の荷物を漁るというのは色々とインモラルな気配がしないか?」
「公務中は女です。お忘れなきよう。それにノマに汚れ仕事はさせられませんしね?」
「ああ、それに関しては同感だ。僕としても、彼女には穢れを知らないままでいて欲しいからね……さぁて、覚悟しろよ! 荷物チェックのお時間だッ!!」
ここに来て、士官学校で今なお語り継がれる『ハチャメチャ大三角』の一角が遂に動き出すのであった。
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