第117話 庇護欲は罪ではありません

 ――彼の態度に思う事がなかったと言えば、それは嘘になる。


 明らかに場慣れしていない癖して、どこか呑気なまでの緊張のなさ。受け答えも真面目ではあるが、百点満点で言えば六十点そこそこ。これが本当にアストラエ王子が名指しで指名する必要のある男だったのだろうか、と幾度か疑った事は確かだ。


 なにせ『あの』アストラエ王子が、こちらに通告せずに護衛にねじ込んだ男なのだ。何も取り柄のない無能という事はあり得ない。何より観光に出る直前、アマンダが「只ならぬ男」だと伝えに来たのだ。時間がなかったので会話らしい会話も出来なかったが、彼女がそういうのであれば信じることが出来る。


 しかし、想像以上にこの男は不躾であり、しかし対照的に多くを知っていた。


「何故護衛である貴方がそんなことを質問なさるの!?」

「それはもちろん、お二方の未来を案じてです。過去に色々とあったことも聞き及んでいます」

「なっ、そこまで……?」


 信じられず、自分の耳がおかしくなったのかと思った。

 過去に何があったか聞き及んでいると――彼は確かにそう言ったのだ。誰に聞いたかと問えば、間違いなくそれはアストラエ王子だろう。であれば、もはや全てを知っていると見て間違いないだろう。


 なれば――なれば何故、そうも平然と目の前に立って未来を案じているなどと抜かすことが出来ようか。どうして隙だらけになる一人だけの護衛として任務を続けられようか。彼には危機感というものか、或いは現実味が欠如していると思わずにはいられなかった。


 何も起きないと高を括っているのなら、己が身が惜しければ最早この場から早々に立ち去るべきだと思った。アストラエ王子の目は曇っていたか、或いは彼は腑抜けてしまったのだと心のどこかで失望しながら、上に立つ者として警告する。

 

「貴方は今、重大な問題の中心に限りなく近い場所に居ます。ここでの失敗は貴方の立場を致命的なまでに危うくするかもしれません。そのことについて、思う事はないのですか?」


 返答は、思ったよりも早く来た。


「俺が失敗したらアストラエの責任だけど、俺は絶対に失敗しないだろうってアストラエは思っているから、こうして護衛してるんですよ。俺は」


 彼の声には、微塵の迷いも感じられなかった。

 カッと頭が熱を持ち、そうするつもりはなかったと後で後悔する程に攻撃的に、彼を責め立てた。しかし彼は意に介さぬとばかりにあっさり退けた。ここに来て、大きな思い違いに気付かされた。


 彼はアストラエ王子に近しい部下だと思っていた。

 しかし彼の言葉が語るアストラエという人間は、自分がまるで知らない人物であるかのように人間味に満ち満ちている。それほどに近く、深く、そして同じ目線で語られている。

 文字通り、彼はアストラエ王子との関係性が根本的に自分と違ったのだ。


「これから王子と寄り添っていくなら、貴方も今の認識とは違った理屈でアストラエと接していかなければいけない。断言しても構いません」


 最早、反論する気さえ起きなかった。

 それほどまでに、彼の心は――アストラエ王子との信頼関係は、自分が押し引きしたところでびくともしない程に確固たるものになっていると感じさせられた。


 彼は、自分がどれほど残酷な選択を迫っているか自覚があるのだろうか。

 彼は、自分がどれだけ危険な未来を選ぼうとしているのか理解しているのだろうか。


 頭の中でぐるぐると、肯定と否定が独楽のように回転する。

 答えが直ぐに出せなくて、でもそんな選択を迫ってきた男から目を逸らすのは悔しくて、意地になった私は目の前の騎士を睨みつけた。


 騎士ヴァルナ。

 生意気で、しかしその中に確かな正しさを垣間見せる男。その男はこちらのせめてもの抵抗と飛ばしていた視線を吟味するように顎を掻き、やがて懐から何やら小瓶を取り出した。


「では、これで」


 いや、何が「では」なのか。

 「これで」とは如何なることなのか。

 意味が分からないまま取り出した小瓶の中身を見ると、何やら茶色い虫をからからに乾燥させたようなものが入っている。というか、あれは絶対虫だ。足が六本はっきりと見えている。

 国賓レベルの客人に虫の死骸が入った小瓶を見せる。

 まるっきり意味不明である。


「……嫌がらせですか」

「はい」


 臆面もなく肯定した。

 どうしよう、面と向かって喧嘩を売られている。


「これをアストラエのお茶にそっと入れます」

「アストラエ様のお茶に入れるのですかッ!? 王家への忠義は何処にッ!?」

「これでチャラという事で」

「何がどうチャラなのですッ!? 不敬罪に不敬罪を重ねただけではないですかッ!!」

「アストラエの事はこれで勘弁してやってください。性格悪いけど根はいい奴なんです」

「文脈からして勘弁されるのは貴方ですからねッ!? 何を突然アストラエ様に罪を擦り付けているのですかッ!!」

「……?」

(不思議そうに小首を傾げている……ッ!!)


 成程、やっと理解した。

 この話の流れを要約して簡潔にまとめると、こうだ。


 フロレンティーナ・ド・モルガーニは王子の友達の変な騎士におちょくられている。

 この瞬間、フロレンティーナの中でこう、決定的な何某がキレた。



 ――数分後。



「あの、フロレンティーナ嬢……」

「フロルで結構。アマンダにも二人きりの時はそちらで呼ばせてますので」

「じゃあフロル様。次の観光名所に向かわなければいけない時間なのですが」

「行った事にしましょう。口裏合わせです。わたくしはわたくしの気が向くまでここでフルーツジュースを飲む事を止めませんわ」


 護衛対象をおちょくっている男の言う事を聞く必要などなし。

 そう思ったフロレンティーナは近くの高級カフェにて普段はまるで口にしないフルーツジュースをストローで飲んでいた。色々と考えるのが馬鹿らしくなったためかテーブルに肘をつき、時々ストローからジュースに空気をボコボコ送りこんだりと考えうる限りの行儀の悪い態度でいじけている。


 それにしても、このジュースは想像以上に美味である。

 複数のフルーツをミキサーでかき混ぜているらしいが、皇国にはこういった文化はないので新鮮だ。無論、フルーツの鮮度も含めて。比較的温暖な気候の王国ではフルーツ生産は盛んだと知っていたが、完熟した果実を使用しているらしく口当たりも非常にフレッシュだ。


「魔法技術の発展で傷みやすい果実の輸送も活発にはなってきましたが、現地ではこういったことも可能なのですね……ジュース追加で。次はこのトロピカルオレンジを所望します」

「店員さんトロピカルオレンジ二つー。王宮にツケでお願いします」

「……サラっと公費で自分の分まで確保して、それでも護衛騎士ですか?」

「俺の分は後でアストラエのポケットマネーで補填してもらうので問題ありません」

「もう貴方に何を言うのも何を隠すのも馬鹿らしくなってきました。学校の同級生か何かですか?」

「あれ、アストラエから聞いてません? 士官学校の同級生ですよ」

「王族が……士官学校……い、いえ。そういえばこの国の騎士は殆どが貴族や特権階級で占められているのでしたね。大丈夫、王族としてはセーフ。普通普通……」


 王国以外では、貴族などの高貴な階級に属する人間が騎士になることは珍しい。そう、これはこの国特有の構造に違いない。


「あの野郎ね、自分が初の王族騎士だってんで都合の悪い所はどんどん王族の権威振りかざしやがって、何度『わがまま言うな』ってシバき倒した事か……」

「今日はとても天気がいいわね。お昼寝したら心地よさそうだわ」


 もう深く考えることはやめよう。

 私の心と違い、空がとても綺麗だ。


 ……どうして話をすればするほど耳を疑う情報が飛び出してくるのだろうか。こちらが驚かされているのでは、隠し事をする自分が馬鹿みたいではないか。変な意地を張って悪い子になろうとしても微妙にみみっちい事しか出来ない自分にもほとほと呆れ果てた。皇国では随分と腹の探り合いに神経を減らしてきたが、自分を偽る気もないどころか平然と心臓に悪い情報を漏らすような人間相手では合わせる気にもならない。

 有体に言って、もう疲れてしまった。


 ――どちらにせよ既に手遅れなのだから、全て喋ってしまおうか。


「騎士ヴァルナ、少し話があります」

「ジュース飲んでからにしません?」

「話があるから聞きなさいと言っているんです。子供じゃあるまいし、ジュースは後です……そんな残念そうな顔してもダメですよ」


 お預けを受けて残念そうな本心が隠しきれていない騎士を目の前に、本当にこの人は護衛をする気があるのか果てしなく不安になってきた。この男はとんでもない大物か、そうでなければとんでもないお間抜けさんである。




 ◇ ◆




 第三位王位継承権者、第二王子アストラエ。

 王国筆頭、最強の平民騎士ヴァルナ。

 王家に忠誠を尽くして三十年、衰え知らずの中華服執事セバス=チャン

 そして男の癖にパーフェクトメイド、メイド長のロマニーことロマ


 単なる田舎出身で都会に憧れていただけのノマの周囲には、何故か常にやんごとなき人や超人が跋扈している。いや、兄が多才な人であることは知っていたし、若干兄に対する劣等感から都会に出てきた部分も否めないことではあるが、ともかくノマの周囲はそんな感じだ。


 都会暮らしでカフェのアルバイトをしてたら偶然貴族の子弟に気に入られ、そのまま王宮メイド学校に行く資金援助をしてもらい、特別に実力がある訳でもないのに王宮の男衆に気に入られて分不相応な速度で王宮メイドに抜擢され、それを上回る速度で兄に王宮メイド長になられ……。


 そうして分不相応なことばかりが身に降りかかっているノマに訪れた今度の分不相応な事は、なんと海外からの客人の秘書さんの補佐。しかもその秘書の仕えている人はアストラエ様に何かするかもしれない人で、その人の護衛は全滅しているというしっちゃかめっちゃかな状態だ。

 

(この状況でもヴァルナ様は平気な顔だし、お兄ちゃんはお兄ちゃんでやる気満々だし、凄い人たちって困ったときでも凄いよね……でも、凄くなくたって王子の為には私も頑張らないと!)


 非凡な才能は持っていない――そう言うと同僚に『モテる癖に』と言われる――が、秘書なら出来る。専門レベルではないけど。


「こちら、翌日の屋敷前の馬車に乗るまでの護衛の配置の見直し書類です」

「……はい、次を」

「こちら、今晩の晩餐会での毒見係の人員変更書類です」

「……はい、次を」


 秘書のアマンダさんはその書類に目を通してサインし、横に置く。そこには既に百枚に及ぶサイン済みの書類が積み重なり、その反対側――すなわち補佐する私の手渡しする書類はその三倍の紙が軒を連ねている。


 これらの書類はその九割が護衛全滅の余波であり、残り一割は心苦しいことに王子のごり押しでねじ込まれたノマ含む約三名の存在による人員見直しである。アマンダさんはその書類全てに鋭く目を通し、サインを書き込んでいく。


 ちなみにこの書類を用意させられた王宮の役人は自分の部屋でグロッキー中である。量としては多くない部類らしいが、昨日の今日で用意せねばならないという殺人的な納期だったため役人のスケジュールが一番厳しかったようだ。

 先ほど見舞いに軽食を持っていきねぎらうと涙を流して喜んでいた。

 途中「あの王宮の天使ノマちゃんに……」とか怪しい言葉が聞こえた気もするが、気のせいだろう。もしくは疲れているせいでよく分からない事を口走っていたのかもしれない。


 しかし、アマンダさんは見た目に反さず本当に仕事が出来る人らしく、仕事速度も半端ではない。サイン以外の記入が求められる場面においても書き込むペンの動きに遊びや迷いがない。こういうスマートな女性は……どちらかといえばどんくさいという自負がある身としては憧れる。

 何よりも女性だ。

 兄のようななんちゃって女性ではないのは好ポイントだ。


「……何を笑っているのですか?」

「へっ!? い、いえ……アマンダさんの仕事ぶりが凄くて、その……」

「お世辞でも嬉しいですよ。ですが今は仕事です。さぁ、次の書類をこちらに」


 一瞬怒られるか突き放されると思ったが、アマンダさんは優しく微笑んですぐに仕事モードに戻った。切り替えの早い所はヴァルナ様に似てるかも、と思いながらも言われるがままに作業を再開する。 

 しかし、いくら仕事が出来る人であっても物には限度というものがある。書類処理が残り半分を切ったあたりで、アマンダさんに微かな異変を感じたノマの行動は早かった。


「いったん中断してお茶にしましょう!」

「いえ、まだ半数書類が残って――」

「直ぐにお茶とお菓子をご用意しますので、少々お待ちください!」


 ノマが手伝わないならばとアマンダが未処理の書類に伸ばした手から素早く残りの紙束を奪い取り、ノマは部屋の隅でお茶の用意を始める。


「待ちなさいと言っています。私の作業の遅れは皇国のスケジュール全ての遅れに繋がるのですよ? 部下の大半が不甲斐なく寝込んでいる今、私が働かずして誰がフロレンティーナ様のバックアップを出来るというのです」

「なら、余計にアマンダさんは自分の体の負荷を考えてください!」


 先程まで大人しそうだったメイドの突然の豹変ともとれる態度にアマンダの顔が一瞬険しくなるが、それよりも先にノマの険しい声が飛んでくる。


「肘を庇った動きをしていましたね? 短期間に酷使しすぎて疲労感が襲ってきた証拠ですよ! それに首筋に少し汗をかいているのは疲労の証です。加えて、皇国の皆さまは到着当初から船旅の影響か既に疲労していました。それはアマンダさんも同じ筈です! ここで一度休憩を挟んでも十分間に合いますし、水分糖分カフェインを摂取することは後の活動から鑑みてもマイナスに働くものではありません! よって、ここでお茶です! 香りも良くて思考がスッキリしますよ!」

「いえ、しかしそれは書類作業が終わってからでも……」

「終わったらすぐに次の仕事に移るんでしょう? わたしメイドなので、そういうの分かるんです。でも王宮メイドはそれでウンって頷いて終わってはいけないので、ここはアマンダさんを休ませます。……ダメ、ですか?」


 精一杯の勇気を振り絞って、潤む涙腺を堪えてアマンダさんを見る。

 言葉巧みな誘導や説得に不慣れなノマには、言う事を言って後は相手の判断を祈るしかない。相手に不快感を与えずに仕事をするのがメイドの基本だと思われる事もあるが、王宮メイドとはその更に先、すなわち相手のコンディションを考えた対応によってより良い結果をプロデュースする能力も求められる。


 諾々と仕事をするだけでなく、真の献身の為には行動力も必要だ。

 その視点からして、アマンダさんにように仕事を始めると止まれない人は途中で強制的にでも止めるべきだとノマは判断した。とはいえその口調はどこか、誰かさんの言いつけを自分に言い聞かせているようでもあるのだが……アマンダさんは静かに目をつぶり「分かりました」と諦めたように椅子に身を投げ出した。

 よくは聞こえないが、何か呟いている。


「はぁ……王宮メイド長に比べると見劣りするなんて思ってたけど……『ダメ、ですか?』って。あんな風に首を傾げて綺麗な瞳で言われたらダメってすぐには言えないわよ、もう」

「お茶のご用意できましたよ~!」


 アマンダさんが何を考えているのかは分からないけど、これでもかなり上達したお茶を振る舞えばきっと笑顔になってくれるし、疲れも吹き飛ぶに違いない。ノマは今できる一番の笑顔を浮かべて、お茶とお菓子をテーブルへと運んだ。

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