第116話 罪には禊が必要です

 フロレンティーナ嬢は非常に高貴な――それこそロザリンドの家であるバウベルグ公爵家に匹敵する程の血を受け継いでいる。ともすれば必然、彼女は教養も人並み以上にある訳で。


「まぁ、では王国には貧民街スラムがありませんの!?」

「国内すべては把握していませんが、スラムだと名指しで呼べる規模のものはないですね。なにせ王国内は様々な文化の複合体なので、王都が合わなければ別の土地に行くというのが殆どです。明日の食べ物があるかどうか、といった程に追い詰められることはまずないです」


 最初はアストラエの話だったのだが、途中から王都の様子の事になりそこから二転三転しているうちにこんな話になってしまった。おかしいな、昨日の観光案内予定表では「こちらにあるのはヴェネタイル名物のアーケリアス大噴水でして、毎日十二時になると水を噴き上げて見事な水のアートに変わるのです」とか棒読みで言っている筈だったんだが。


 会話レベルが高くなっていく現状に内心勘弁してくれと頭を抱えながら、俺は自分の経済や社会知識を総動員して何とかフロレンティーナ嬢と会話を成立させていた。

 油断したら「そうだね、オークを殺すなら首だね」とか言っちゃいそう。


 しかし、彼女の話を聞いているとつくづく思うが、うちの王国は海外の事情とかと見比べると呆れるほどに平和だ。貧富の差や身分差は結構ある筈なのだが、それでも国内の完全失業者数の少なさは王の人徳によるものだと俺は思う。議会に勝手な事をされてはいるが、譲れない所だけはきっちり通すお人なのだ。


「福利厚生が行き届いているのですね。羨ましい限りですわ。我が国は理想と現実が少々乖離しておりますもの」

「王国特有の文化構造も関係していると思いますよ。この国は土地によって経済の回り方が違いますし、僻地や離島ではほぼ国の干渉しない自治体コミューンも多いのです」

「それを許されるイヴァールト王の懐の深さ、感銘しました。少しでも気に入らない相手にだけはかまびすしい我が国も見習いたいものです」


 今の話を噛みしめるように胸元に手を当ててはにかむフロレンティーナ嬢を見て、これは彼女の本音なんだろう、と何とはなしに思う。彼女の父親は国の将来を憂いているようだが、その思想はしっかりと娘に受け継がれているようだ。


 しかし、この人と俺って殆ど年齢違わないんだよな。

 それがスラムと経済の話で盛り上がるってどうよ?

 騎士やってなければ今頃実家の畑を耕して毎日を送っていたであろう自分と目の前の彼女が、比べ物にならないほど密度の違う生活を送ってきたのだと今更に思い知らされる。アストラエやセドナはその重さから解放されたいとばかりに俺の前では遠慮を放り捨てるが、もし放り捨てていなかったら今の彼女と同じような物言いをするのだろう。


 人生は生きている事と続いている事、すべてが奇跡の連続だと誰かが言った。そういう意味では、俺は人並み以上に数奇な運命を辿っている自覚がある。それこそ、将来を決められた世界で生きてきたアストラエや、周囲にちやほやしかしてもらえなかったセドナよりも。

 特別な生まれである事と特別な運命に恵まれる事は、似ているようで全く別のものだ。


「……」


 もしかすれば、フロレンティーナ嬢にとってこんな少人数の護衛での観光は人生最後なのかもしれない。それも、普通は護衛とは護衛対象とお喋りなどせずに案内役に会話を任せるものだ。

 俺は、日給三十三万だとか言いながら目の前の作業をこなすだけで、本当にいいのだろうか。


 少し考え、第二王子に名指しで選抜された今現在唯一の護衛として、少し羽目を外す事にした。友達の嫁になる人なのだ。俺とアストラエの関係などおのずと知れるのだし、隠してばかりは疲れるだけだ。

 黙りこくった俺の様子を不思議に思ったのか、フロレンティーナ嬢は少し気遣わし気に俺を呼ぶ。


「騎士ヴァルナ? どうかされましたか?」

「いえ、この街の景観は確かに素晴らしいのですが、やはり自分は王都の方が好きです。なにせ、ここはお高く留まった飲食店ばかりで屋台がちっともありません。王女は確か王都にも滞在予定でしたよね? ならば大通りにはぜひ一度足を運ぶべきです」

「ヤタイ……すみません、浅学の為かヤタイというものが分からないのですが、それは如何なるものなのです?」


 知らないのかという驚きと、まぁ知らないよねという納得の入り混じった感情。アストラエもセドナも当初は屋台と聞いて首を傾げ、説明が面倒だったので無理矢理連れて行ったりもしたものだ。あの時の二人は、立ち並ぶ香しき食べ物たちや年季の入った屋台を前に、初めての世界を見つけた子供の冒険者みたいな顔をしていた。

 このお嬢様もセドナのように屋台に魅了されるのかも、などと勝手な想像をする。


「庶民の胃を満たす魅惑のファストフード店というか……正直、貴族からすれば品のない食べ物の寄せ集めです。自分、そこでよく王子や友人と共に食べ歩きをしているのです」

「王子? アストラエ王子が……騎士ヴァルナと食べ歩き? 王家の王位継承権を持った人間がですか!?」

「そうなのです。困った王子でしょう? トラブルが起きれば率先して首を突っ込み、人の悩みを金と権力で吹き飛ばそうとし、何が面白いのか人が不幸な目に遭うたびに隣で大笑い。ま、あのお方はそんなお人ですよ」


 一瞬ぽかんとしたフロレンティーナ嬢は、やがて俺の迫真の真面目顔からそれが嘘ではないらしい事を悟って悲鳴に近い声を上げた。


「……ええッ!? 仮にも一国の王子がそんな軽薄な!? というか王族としての立ち振る舞いは一体何処に消え去ったのです!?」

(今更ながら、これが普通の反応だよなぁ……)


 まぁ確かに王子と言う立場の人間のイメージからは甚だかけ離れているかもしれないが、それも含めてのアストラエという男なのだ。あんたそういう男と結婚するんだよ。


「まぁ、貴方様の前では羽目を外さないままかもしれませんが、王子にはそういう側面もあるのです。フロレンティーナ嬢はどうです? 普段は表に出さない所、王子に見せられますか?」

「それは……その、なんと申し上げれば宜しいのか……というか、何故護衛である貴方がそんなことを質問なさるの!?」

「それはもちろん、お二方の未来を案じてです。過去に色々とあったことも聞き及んでいます」

「なっ、そこまで……?」


 迂遠な物言いは、やはり俺には向いていない。

 少し性急だった事は否めないが、この問いはある意味ど直球な質問だ。

 過去にあれだけ悪逆の限りを尽くし、今もいい子ちゃんの皮を被って裏では破天荒なアンポンタン王子とこれから共に暮らす人間として、貴方の心構えはどうなのだと俺は遠回しに聞いているのだ。


 ぶっちゃけ一介の平民騎士がこうもずけずけとプライバシーに踏み込むのは失礼というか不敬である。だがしかし、今の俺は第二王子の直接命令で護衛をしている身。そして部下の不始末は上司の責任。これすなわち、王子の権力を盾にすれば大抵の事は出来ちゃうという無敵モードにも繋がる。

 

 自分の胃と懐の痛まない会話とは実に素晴らしい。

 何かあったら全部アストラエの所為に出来るのが特にいい。

 割かし最低な事を言っているが、人の不幸を蜜にして舐りまくってご満悦のアストラエの方が最低だと俺は声を大にして言いたい。アイツ本当にそういうところだけは性格最悪だと思う。


 ただ、そう言えるのはアストラエと俺との関係があってこそであり、彼女はそれと同等かそれ以上の関係にならなければいけない人だ。玉虫色の回答だけでは不十分だ。この質問に対する回答が、そのままアストラエを許す、或いは許しているかどうかの答えそのものにもなる。


 歩き続けていたフロレンティーナ嬢の足が、ぴたりと止まった。

 町を行き交う人々の波が途切れ、気が付けば二人きりになっている。

 まるで演劇が終わった後のセットの上にいるような静かな空間の中で、彼女が口を開く。


「貴方は――」

「はい」

「貴方には、恐れはないのですか?」


 フロレンティーナ嬢の顔は、険しい、と言って差し支えない硬い表情だった。

 恐れ、恐れか。第二王子の悪口ともとれる発言をその婚約者の前でぶっ放した恐れ知らずの俺であるが、怖いものは探せば色々とある。

 ちなみにオバケとかは平気だ。

 犬もファミリヤのプロと過ごすうちに大分慣れてきた。

 ファミリヤのプロって言い方すると伝わりづらい上にあいつは狼だけど。


「貴方は今、重大な問題の中心に限りなく近い場所に居ます。ここでの失敗は貴方の立場を致命的なまでに危うくするかもしれません。そのことについて、思う事はないのですか?」


 彼女のその言葉には、挑戦的なまでの棘があった。

 俺の解釈が正しければ、これは脅迫か警告である。

 これ以上の無礼を許さぬという高貴なる威厳さえ感じられる。


 虎の尾を踏んだか――と、緊張感が高まる。

 今のこれは恐らく、お上品で誰にも好かれる玉虫色の心の仮面を取り払った彼女の真実の姿の一つだ。俺の無礼で不敬な態度が本来は何を意味するのか、その答えを威圧感にて知らせている。

 下手に取り繕って誤魔化せるものではないとはっきり理解出来る言葉の圧が、俺の全身に圧し掛かる。ここで言葉を誤れば、彼女との対話から本音という部分は完全に消え去るだろう。


 なればこそ、アストラエの安寧の為には退くべからず。


「俺が失敗したらアストラエの責任だけど、俺は絶対に失敗しないだろうってアストラエは思っているから、こうして護衛してるんですよ。俺は」

「―――ッ!?」

「勝手な奴です。でも友達なので、助けてやりたく思うじゃないですか。そうして問題を乗り切って、後で笑いながら『大変だったな』と軽口を叩き合いたいんですよ。それはおかしいことですか?」

「その言葉遣いも然ることながら、一国の王子を友達ですか。言葉は綺麗ですが、為政者と騎士という関係にある以上、貴方方は――」

「対等にはなり得ない、ですか?」

「利用される側から離れることは不可能です。政治と地位とはそういったものです」

「それは赤の他人の理屈で、俺とアストラエの間にはそれとは違った理屈があります。貴方はどうです? これから王子と寄り添っていくなら、貴方も今の認識とは違った理屈でアストラエと接していかなければいけない。断言しても構いません」

「……ッ」


 フロレンティーナ嬢が、言葉に詰まった。

 俺に言い負かされたのではなく、言葉の根底にある思想が全く異なっていることに気付いて何を伝えればいいか分からなくなったのだろう。

 俺はアストラエの狗でも小間使いでもないし、そうアストラエが扱ってくるなら調子乗ってんじゃねぇとぶん殴ってやる所存である。


「フロレンティーナ様。貴方はアストラエと正面から向き合ってみるべきだ。俺が言う事じゃないかもしれませんが、アストラエは軽薄な所があっても根っこの部分では優しい男です。貴方が過去にあいつのことをどう思い、今どんな思いを掲げてアストラエの謝罪を避けているのかは存じ上げませんが、あの器用なようで不器用な優男をもう少し信じてあげませんか?」


 いつもヘラヘラしていて王子の権力を濫用する事も吝かではなく、金遣いは荒いわ思い付きで子供みたいな悪戯やふざけた計画を立てて人を付き合わせるわ、不意打ち騙し討ち上等で困ったときはセバス=チャン執事を顎で使って、幼少期には婚約者にカメムシの煮汁を飲ませたような極めて下種な王子だが、あいつは俺が友達になっていいと思う奴なんだ。


 俺の問いにフロレンティーナ嬢は答えず、ただ何かを訴えるような目で暫く俺を睨みつけた。


 ……これ絶対アストラエの過去の悪行許してない奴だな。

 やむを得ない。こうなればセネガ先輩から貰った嫌がらせ専用漢方薬の「ゴキブリ茶」をあの男に飲ませることで禊としてもらうか。

 大丈夫大丈夫、カップの上にゴキブリ浮くけどこれは薬膳だと思ってパリっといっちゃえよ。生じゃないから健康に害はないって。

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