第115話 正されるべき過ちです

 ヴェネタイルの町は洗練されている。

 建物や塀、手すりからベンチに至るまで、全てのデザインにどこか高級な統一感がある。王都はその活気と多様性が大きな特徴だが、ここはそんな王都の中でも高級住宅街に近い。人間の活力に溢れた王都と違って、この町は道行くだけで背筋が伸びる洗練された空気が完成されていた。


 そんな町の中を、ドレスを着こなす貴婦人と礼服に着られた護衛が一人。


(この礼服、一応実戦を想定して作られてんだな。関節回りが意外なくらいよく動く。いいなこれ、給料キャンセルしてこっち貰おうかな?)


 俺が思うにこの礼服、値段は十万ステーラを軽く超えているのではないかと思う。ひげジジイにも礼服を一通り貰っているが、この礼服は多分一般販売されていない一部騎士団の特別仕様だ。剣はいつも通りのものを持つことを許されたが、他の騎士たちが持つ剣に比べてシンプルな俺の剣は少し浮いている。


 しかし、それに対して無遠慮な視線が向けられることはないし、それどころかフロレンティーナ嬢に向けられる好奇の視線もそれほどなく、行き交う人々に笑顔で一礼を受けながらもスムーズに町を回れている。彼女が来たときの様子とは大違いだが、これもヴェネタイルという町の特異性らしい。


「馬車から外を見た際には皇国の首都と少し雰囲気が似ていると感じましたが……あそこと違い、空まで覆うような圧迫感や威圧感は感じない。洗練されていながら、どこか外に比べて時間の流れが緩やかな気がします」


 町の景観を視線だけ向けて観察するフロレンティーナ嬢は、思い出すようにぽつりと呟く。

 この町は高級リゾート地のようなものだ。ある意味でそれは当たり前な話でもあるが、骨を休めて疲れを癒す地として、ここはいいのだろう。今こうして町を歩いているだけでも、視界には眺めるだけで退屈しない屋敷や庭園が映りこんでゆく。


 ヴェネタイルに住まう人々は、特権階級か、広義で特権階級に従事する人間で九割以上を占めている。要するに、町の殆どが一定以上の教養と背負う物があり、察しがいい。故にこれからやってくる賓客がどのような反応を望むかというものを予め調べるか知らされており、恐らくはそれによって得られた情報が「フロレンティーナ嬢は騒がしいのはお嫌い」となっていたのだろう。


 だから騒がしい集まりは最低限だし、観光である今日は周囲を付いて回ったり話しかけたりはせずに歓迎の意だけを示す。護衛をしているのが俺一人であることは流石に聞いていなかったのか少し驚く人もいたが、以前の議会みたいにサイン会を開きそうな空気は欠片もない。


 ……煩わしさがなくて嬉しい反面、以前のサイン会という名の執筆練習で洗練された俺のサインの腕を振るう機会がないのは若干残念な気もする。

 俺にも自己顕示欲というものが少しは残っているのだ。


 ともかく、この町は品のないことはしないが、型に嵌めようともしてこない。

 すべてはヴェネタイルという町の品格と、町に訪れた客人に不快感を与えない為。

 町の人々の立ち振る舞いさえもヴェネタイルの一部なのだろう。

 彼らは一つの価値観で統一され、慰安という綺麗な物語に沿う劇団員のようなものだ。


「不思議な町ですね。慎ましやかですが、肩肘を張った堅苦しさは感じません」

「左様ですね。この町は格式高いですが、相手を不快にさせない気遣いというのが骨身に染みているのでしょう」

「貴方はそうではないようですが……?」


 ぎくり。


「……もしや、ご気分を害してしまいましたか?」

「いえ、貴方に不満があるという話ではないのですよ? ただ、貴方はどこか他の王国の騎士たちとも現地の人間とも違う空気を纏っている気がしまして……」


 最大限こちらを気遣って言葉を選んでいるフロレンティーナ嬢だが、一瞬心臓が飛び上がるかと思う程びっくりした。もしここで「無礼な人! 気分が悪くなったので観光はここまでです!」などと言われてしまえばタダでさえメンタルぐずぐずのアストラエの休息時間が更に減るばかりか、目的である本音聞き出し作戦も頓挫してしまうからだ。


 今のところそこまで高飛車感のないフロレンティーナ嬢だか、よく考えれば彼女にとってこの状況はかなり不信感を抱いていておかしくない。せっかく連れてきた護衛は一夜で全滅し、自分を守るのは余所者感がある上に過去に悪逆非道を尽くした鬼畜王子の遣わした騎士。

 これで安心しろと言う方が本来は無茶だ。


「お恥ずかしながら、自分は高貴な家の出ではないのです。このヴェネタイルも任務がない限り訪れる機会のない町と言えます」

「まぁ、そうでしたの? 見知った場所でない町でいきなり護衛任務でしかも一人きりだなんて、大変なお仕事ですね?」

「いえいえ、騎士として重要な役目を任されるのは誉れですよ。特に麗しき女性の護衛など、まさに騎士冥利に尽きるではないですか」

「うふふ、面白い人……護衛対象を口説いたりして、王子様に言いつけてしまいますよ?」


 冗談めかしてくすくすと笑うフロレンティーナ嬢の仕草は、それ一つをとっても可憐だ。大抵の男であれば、彼女を守りたいと護衛任務に対する使命感が高まっていくことだろう。俺も少しくらっとしかけたが、これぐらいならセドナで耐性がある。


 庇護欲を掻き立てるという意味ではセドナも彼女に負けていない。

 それが証拠にセドナはとにかく周囲の男に好かれている。

 だがセドナのそれは半ば天然で、フロレンティーナ嬢のそれは高貴な家に生まれた人間として立ち振る舞いを徹底した結果だと思う。だって普段のセドナはあんなのだし。うっかりみゅんみゅんの喉を締めちゃう系女子だし。


 しかし、騎士に憧れて騎士になった俺にとって、こういった如何にも騎士らしい任務が少し嬉しいというのは偽りのない事実だし、部屋でガタガタ震えている第二王子に伝える分には俺は全く困らない。あいつからしたらむしろ待ってましたの展開だろう。こんな別嬪さんを他人に押し付けて喜ぶとか世界の半分を敵に回すぞお前。


 と、それはさておき彼女からはアストラエへの印象を聞き出すためにもっと話をする必要がある。二人きりで会話なしというのも気まずい話だし、婚約者との関係の健全化という非常に馬鹿らしい問題を解決するために、少し探りを入れようと大仰に驚いて見せる。


「おお、それは怖いですな。第二王子はあれで幼少期はなかなかにやんちゃだったと聞き及んでおりますから、どんな悪戯をされるやら……」

「あら? 王子の事をよくご存じなのかしら?」

「王宮には多少なりとも知り合いがおりますので、王子についての小話は些か聞き及んでおります」

「それなら今日は貴方とのお喋りで退屈することはなさそうね」


 フロレンティーナ嬢はむしろ観光よりこちらの方が嬉しいとばかりに笑顔の花を咲かせる。それがビジネス笑顔か素の笑顔かまでは判別できないが、俺はなんとなく、彼女は何かそれとは別の事を頭のどこかで考えている気がした。


 参ったな、もしや腹芸の出来るタイプなのか。

 俺はそういうのは出来ないので持ち前の嗅覚で探っていくしかなさそうだ。果たしてこの王子トークがお茶を濁して終わるのか、それとも不満陰口ぶっちゃけトークになるのかは神のみぞ知る、といった所だ。




 ◆ ◇




 王宮メイド長。

 それはすなわち、この王国に於いてのメイド界の頂点に君臨する存在。

 メイド学校を卒業して正式なメイド資格を持つ全国2万名のメイドの上の上。接客、掃除、料理等の個人技能に留まらず、メイド長ともなれば人を使い、人に任せる判断力と指揮能力をも求められ、有事とあらば戦闘や護衛にも参加する戦闘メイド資格も必須となる。


 剣であり盾、手であり頭脳。

 ……ついでに女であり男。

 これは約一名限定だが。


「このわたくしの目が黒いうちは、王家に対する狼藉など決して許しません」


 ヴァルナとフロレンティーナ嬢の会話という名の情報収集が始まったのと時を同じくして、ロマニーは既に屋敷内の様々な場所を仕事の合間に調査を始めた。


 ノマとの報告も併せて考えうる予測に従えば、護衛を全滅させた下手人がいるのはほぼ確実だ。しかも、それは屋敷内にいなければ実行できず、かつ屋敷の構造を熟知した人間でなければありえない。そうと理解してしまえば、事故に見せかけた事件の痕跡を見つけるのはそう難しいことではない。

 ロマニーは屋敷のとある部屋のドアをノックし、丁寧にドアノブを回した。


「失礼します」

「メイド長? どうかされましたか?」

「こちらの部屋はシーツ替えの最中にございますが……」


 片付けをしていた三名の現地メイドたちが唐突なロマニーの出現に少々困惑する。彼女たちは個室の掃除などを担当しているメイドだが、王宮メイドには一歩劣るものの作業の手を止めないのは良い心がけだとロマニーは感じた。

 故に、怪しまれないよう誘導するのも容易い。


「掃除はわたくしが引き継ぎます。あなた方は臨時医務室での包帯の交換を手伝い、そのまま医務室の夜番組と交代してください。あちらは人数が必要ですので」

「了解しました」

「シーツ替えの他、ごみの回収と窓拭きが終了していませんのでお願いします」

「では失礼します!」


 三名のメイドは素早く部屋の外に出る。

 メイドでは上下関係は非常に重んじられるために多少の無茶ぶりでも大抵のメイドはロマニーの言うことを聞くが、尤もな理由を与えてから次の仕事に向かわせるのとそうでないのでは情報の漏洩度に大きな違いが出る。


 メイドとて人間。

 プライベートな会話では本音や愚痴を漏らすこともある。

 そして愚痴の中に含まれる情報は、人によっては思わぬ朗報や秘密が内包されている。そういった視点から自分が何をしているのか「敵」に悟られたくないロマニーは尤もらしい理由をこじつけた。


 ちなみに夜番組の疲労度が高いのは事実であり、彼女たちには交代の人間が来たら三十分ほど仮眠を取るように伝えてある。そういた根回しに加え、ここで掃除をしていた三人のアリバイから襲撃者である可能性まで全て考えたうえでの、先ほどの誘導なのだ。


「さて――片付けますか」


 ロマニーの優美なまでの表情が、仕事人の鋭い表情に切り替わる。

 シーツを片付けながら周囲を調べ、ごみをチェックし、素早く窓拭きを行う。メイドとして極めて洗練された無駄のない挙動によって、部屋の隅々までもに丁寧かつ迅速な手入れが施され、花瓶の角度から灰皿の位置までもが美しく整えられる。

 三人がかりで行っていた作業を五分足らずで終了させたロマニーは、シーツを部屋の外の運搬ワゴンに乗せて、ワゴンの下の台に回収したごみを入れ、てきぱきとした動きでその場を離れる。


 さて、彼女は果たして部屋の掃除などをする為だけにそこに行ったのだろうか。

 それは否。決して皆無という訳ではないが、否である。

 では、彼女は部屋の中で掃除以外の事にうつつを抜かしていたのか。

 それも否。完璧に限りなく近いメイドの長として断じて否である。


 では、彼女はいったい何をしに来たのか――それは呆れる程に簡単な理屈だ。


(窓際に何かをひっかけた痕跡がありましたね。恐らくフック付きのロープのようなものであの部屋から下の階に侵入し、干し肉に一服盛ったのでしょう。廊下の階段には誤魔化していましたが微かに傷の痕がありましたし、彫像も同様でした。おおむねのトリックは割れましたわね)


 そもそも大前提として――メイドとは屋敷内を美しく維持することが仕事なのだから、その現場で仕事をすれば変化に必ず気付く。気合を入れての捜査などという迂遠な真似をせずとも、仕事をすればその中で全てに気付き悟ってしまうのがメイドなのだ。


 すべては奉仕の精神の下に、行動するだけであまねく情報を収集する。

 既にロマニーの中では犯人捜しのための数多の情報が束ねられ、ロジックに基づいて整理され、犯人の絞り込みが始まっている。

 探偵や内偵など不要。

 真のメイドはメイドであるだけで万物を把握する。


(我が国の王子を脅かす無礼者も、その婚約者に手を出す不埒者も……このわたくしから逃れられ、目的を達せるなどという思い上がりを正してあげましょう)


 女装でメイドしてるお前が一番正されるべきというツッコミは無粋だろうか。

 趣味ではなくてシスコンを拗らせた結果と言うあたり、更に歪みを正されるべきである。

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