第113話 唐突な逆指名です

 神の意――すなわち託宣を賜った人間を、大昔は預言者とか救世主とか呼んだらしい。


 実際の所、そういう伝説というか伝承は世界のあちこちにある。

 アストラエから聞いたのだが、まさに王国の王家の血筋こそが遡ると託宣を受けた人の子孫らしい。王権神授説という奴だ。また、各国の王や首脳クラスの人は天界と魔界に通信する不思議なアーティファクトを持っていて、定期的に交信して人間界が安定してるかどうか確認するのだという。


 その話をするアストラエはそれなりに酒が入っていたのでどこまで信用していいかは判断に困るが、出鱈目にしては『何年かに一回、両方の世界の代表がサミットで顔だけ出す』とか『魔界代表は目のやり場に困る服着てる』とか『天界代表は相当な暇人で一緒にトランプしたら盛り上がった』とか妙にリアルな話をするので、嘘とも断言しがたい。


 それはまぁさておき、重要なのは神より言葉を賜るという話の方であって。


『あのねぇ、女神って基本的に無償労働なの。分かる?』

『はぁ』

『世界のあちこちから思い出したようにふわりと舞い込む羽毛のような女神への感謝を報酬に、永劫とも思える刻の中で、人々の運命が崩壊しないよう支え続けているのよ? 辛いとは思ったことはないけれど、それは大変な事なのよ? 話聞いてます?』

『聞いてます聞いてます』

『じゃあ!! わたくしが給料泥棒とは一体全体どういう意味で言ったのか、今から説明なさい!! 全く貴方は! そりゃあね、人間は生まれながらにして決して平等ではないし、貴方は部分的には恵まれた運命の持ち主ではないのかもしれませんけどね! 運命の画一化というのは人間が人間であるということを否定する神の支配に外ならず、不平等だからこそ人間の生が尊くなるのですよ!!』


 運命の女神は難しい言葉を知っている。

 うんめいのかくいつかってなんじゃろ。

 俺のような下々の人間にはイマイチよく分からないが、彼の神の説教は留まる事を知らずに俺に押し寄せてくる。


 俺としたことが何たる失態。

 魔除けの木鈴を騎道車に忘れてきてしまうとは。

 先輩にもう一個貰って財布にでも括りつけてもらおうか。金運アップ効果もあればなおいいな。……いや、霊感先輩は金欠組だから効果ないか。あったとしても雀の涙だろう。


『もうっ! 絶対聞いてないわこの子! 全力でどうでもいいこと考えて運命の女神の有難み100%の託宣聞いてないわ!! そんなに仕事が好きなの!? 仕事に生きて仕事に死ぬの!? そんな人生悲しくないの!?』

『あの、その言葉全部そのまんまそっくり女神さまにお返ししますけど?』


 ハッとした表情で運命の女神が仰け反った。

 仕事が好きで仕事に生きている張本人である女神として、その台詞はどうなのだろう。全力で狼狽えている女神は猛スピードで目を泳がせながら叫ぶ。


『ううう、煩いわね! わたくしの事なんていいから自分の事に答えなさい!!』

『じゃあ、多分俺の答えは女神様と一緒です』

『あっ、ズルッ! 男の人ってすぐそういう遠回しな言い方して格好付けたがるー!!』

『つーかですね。俺起きたら仕事で、女神さんも仕事っしょ? ぶっちゃけこの時間って女神さんのサボりタイムなんじゃないですか?』

『……………い、いいじゃない別に。偶には人間とお話しても。ふひゅー、ふひゅー♪』


 挙動不審だった眼球が揃って明後日の方角を向き、微妙に掠れた下手糞な口笛を吹き始めた。女神は俺が思っている以上に、万能な存在ではないのかもしれない。ペットの犬でももう少しマシなしらばっくれ方をするだろう。


『ま、偶には話にくらい付き合いますけど、今日はこの辺で失礼します。友人に不幸が襲い掛かってるんで』

『ああ、誰かは知らないけどあの子かしら。うんうん、確かにあのフロレンティーナって子は近年稀に見る――』




「……んぁ?」


 ふと周囲の景色が滲んだかと思うと、それは段々とピントが合うように修正され、見慣れない天井が視界に飛び込んできた。布団をずらすと少々冷たい外気に触れ、俺はそこでやっと自分が寝ていたことを思い出した。雄鶏の鳴き声が響かんとする朝焼けを窓の外に拝みながら、俺は欠伸を一つ吐き出す。


「なんか変な夢の中で凄く気になること聞いた気がするけど、何だっけ……ま、いいや。朝の鍛錬いこっと」


 屋敷の隅に丁度いいスペースがあったのを昨日のうちに見つけていた俺は、特訓にいつも使っている服に着替えて剣を担いだ。こんな忙しい日にまでやらなくてもいいだろうと思われるかもしれないが、時間があるならやらないという選択肢はなくなる。

 力を手に入れる事と同じくらいに、力を維持するのは大変なのだ。

 腕が鈍るほど訓練サボった事ないから断言はできないけど。




 ◇ ◆




 今日の歓待パーティーに向けて既に屋敷は騒がしく、それなりに早く起きた俺の近くを屋敷の人間が駆け抜けていく。フロレンティーナ嬢は王子の婚約者で要人の娘であるため、その扱いは公賓に近い。


 俺もそのもてなしの一助とはなるが、ぶっちゃけヴェネタイルに来たこともない俺は他の案内役や彼女の護衛と共にノコノコ一緒に観光する係に近い。案内は俺ではなくて王国側の別の人だが、

有事の際の単独行動とか色々とアストラエが権限をねじ込んでくれたので単なる護衛よりは動きやすくなっている。


 それから、俺は屋敷の噴水近くにある開けた場所で訓練をした。

 噴水といってもこの屋敷には三つも四つも噴水があるようで、正面玄関から見える立派な噴水より随分と小ぢんまりしたものだ。

 とはいえ腐っても王家の別荘地。

 その造形はプロの彫刻師が彫ったように精緻極まる洗練されたデザインだ。


 普段なら剣を振ると同時に軽く声を出しているが、流石にここではまずいかと思って無言の素振り。ついでに自分なりに考えた王国攻性抜剣術の演武をする。一つ一つの奥義や極意を組み込んで舞踊のような流れとした演武には色んな型があるのだが、残念なことに王国攻性抜剣術の演武は道場なんかで教えるものなので士官学校では習っていない。


 居合、刺突、ステップ、構え。

 それぞれバラバラな動きのように見える技を一つの流れに組み込むのは難しいが、試行錯誤すると意外にも上手く噛み合っていく。余り人に見せられるほど洗練されておらず実戦叩き上げの武骨な動きなので人前ではやらないが、たまにやると初心に帰ることが出来る。


 呼吸はどうだったか。

 動きに無駄はないか。

 敢えて緩急をつけることで、筋肉の収縮が体のどこで起きているかを強く意識できる。それが自分の体のコンディションまで教えてくれ、それが――まだ自分が『極まった』と呼ぶには程遠い事を知らせてくれる。


 薙ぎ払い、足摺り、静止、加速。 

 僅か2年に満たない間に数多のオークを屠った俺の太刀筋に自信がない訳ではないけれど、俺はまだ20歳にも満たない若造なのだ。抱える課題は多く、しかし手を伸ばしたい相手は多い。どこぞの英雄譚のように山に籠って達人と修行する時間はないのだ。ないなら自分で鍛えるしかない。


 三十分程訓練を続けただろうか。

 俺はふと訓練を止めて後ろを見る。


「……誰だ?」

「お気づきでしたか」


 淡々とした事務的な声が聞こえるのは、別荘の柱の陰。

 姿を現したのは、フロレンティーナ嬢の御付きをしていた四角い縁の眼鏡の女性だった。

 飾り気はなく色合いは暗いが直線的で洗練された服は、主より目立たず、さりとてみすぼらしい印象を与えない程度には上質だ。バリっと着こなしているところを見るに、仕事の出来る人なのだろう。


「いつからお気づきで?」

「失礼、貴方か。五分くらい前から視線には気付いていた。自分の未熟な演武を見られるのも恥じ入る気持ちだったが、自ら姿を隠していたので訓練を続けさせて貰った」

「未熟……成程」


 意味深に眼鏡を手首でくいっと上げたけど、何なのだろうか。

 最初は用事があると思ったのだが、あるなら声をかけてくるだろと思って普通に続けたら思いのほか長く居座られたというのが本音だ。なんだかその視線にはヤガラのような、何かを値踏みするものを感じる。


 ねっとりした顔面のヤガラと違って凛とした印象を受けるが、もしかして同類なのだろうか。きれいなヤガラなのか。そんな訝し気な空気感を何か勘違いしたのか、彼女は改まって礼をする。


「こうして言葉を交わすのは初めてですね。私はフロレンティーナ様の従者を務めるアマンダと申します」

「騎士ヴァルナだ。フロレンティーナ様の護衛を手伝うよう王子より仰せつかっている」

「左様ですか。フロレンティーナ様の警護総責任者を任され、名簿に全て目を通したのですが、そのような人物の名も役割も初耳ですね……?」


 その言葉は淡々としていたが、物言いからしてこちらを訝しがっているのは伝わってくる。昨日に見かけたときに俺やロマニー達を一瞬見てたし、メイド二人はともかく俺を疑うのは無理もないと思う。だって護衛の素人だもの。

 やっぱり見る人から見れば拙さが出てるんだろう。

 ついでに俺は王国内では有名だが海外だと多分そうでもないので、ひょっこり王国最強騎士が混じっているとは想像もしていないと思われる。


 だがしかし、警護の総責任者という事はアストラエの被害妄想視点からすれば注意すべき人物だ。あと二日間ずっと訝しがられるのも嫌だし。前に寒村にオーク退治に行った時にそんなことがあったけど、本当に気が滅入ってくるんだもの。最後の三日くらいには何とか一部と打ち解けられたけどね。


「自分の言葉に偽りのないことは、アストラエ王子の近辺に確認すればすぐにでも証明されるだろう」

「ふむ……王子の肝入りですか。失礼、余りこのような公の場には慣れていないようにお見受けしますが?」

「武芸以外には取り立てて芸のない男だ。王子が何を憂慮しているのかは与り知らないが……」


 いや、理由分かってても何ビビってんだお前と思っているが。


「騎士として職務は全うする。それだけだ」

「……」

「……」


 アマンダさんは瞬き一つせず、眉一つ動かさず、俺の言葉を吟味するかのように俺を見つめ続けた。

 ……気まずい。すこぶる気まずい。

 どうやらどこの馬の骨がフロレンティーナ嬢の護衛に就くのか品定めに余念がないらしいが、どうせ俺以外にも護衛はいるんだからその人たちを面接しに行って欲しいものである。


 一分か、もしかしたらもっと永く感じる時間の末、アマンダさんはすっと目を細めた。


「その言葉、信じますよ」


 それだけ言い残し、アマンダさんは去っていった。


 ……そういえばモルガーニ家って政敵が多いんだよな。

 それもあって彼女の補佐をしているアマンダさんとしては警戒心を強くしていないと安心できないのかもしれない。それにしたって過剰な心配だろうに。自国から連れてきた護衛だっているんだぞ? 有事が起きたとしても、俺の出番があるかどうかという話だ。


 ともかく、一度かいた汗を拭って体を洗おうと俺は屋敷に向かい――そこで、ロマニー&ノマから衝撃的な情報を耳に入れることになる。


「へ? ……町の観光の案内と護衛、俺だけなの?他のメンバーは?」

「いません。正真正銘、フロレンティーナ様とヴァルナ様の二人きりです」

「あうう……何でこんなことになっちゃったんでしょう……?」


 そんなもん俺が一番聞きたいのだが。

 ロマニーの深刻な表情と頭を抱えて涙目になるノマを前に、俺は自分の耳がおかしくなったのかと思った。オーク退治で聴覚異常は致命的なので定期的に検査してるぐらいなのだが、そりゃそう思うだろう。

 何をどうしたら王国騎士が初めて来た町で他国の要人と二人きりで観光案内と護衛を兼任せねばならなくなるのだ。俺は強烈な眩暈(めまい)に襲われながら、きっと更に眩暈がするであろう事の経緯を二人から聞くことになるのであった。


 どういうことだアストラエ。日給三十三万じゃ割に合わなくなって来たぞ。

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