第七章 激震の婚約者騒動
第111話 武者震いだそうです
西南の都、ヴェネタイル。
嘗て王家がこの大島の開拓を始めた頃、ヴェネタイルは暫定首都だったらしい。その理由は単純明快で、海が穏やかで年中気候が安定した『よい土地』だったからだ。今では開拓が進み、首都は所謂「王都」と名を変えて島のほぼ中央に移動したが、比較的大陸に近く過ごしやすいヴェネタイルは貴族の別荘地として発展を続けた。
今では避暑地、或いは避寒地として海外の貴族も屋敷を構えているここは、景観もよいことから観光業と不動産業の聖地とか、そうではないとか。事実、特権階級の中にはヴェネタイルで財を築いた人も多いとか。
ただ、競争が激しいということはイコール失敗も多いので離婚者の多い町ナンバーワンだとかいう噂も聞いたことがある。全部が清廉な町じゃない訳だ。
それはさておき、私用でヴェネタイルに行ってくる旨を皆に伝えると先輩から開口一番「くたばれブルジョワ」と言われる程度には金持ちイメージのあるヴェネタイルへ、俺はアストラエ他数名と共に向った。
ちなみに後輩たちにはお土産をせがまれ、料理班からは「お小遣いあげるからこの調味料買ってきてよ!」とナチュラルにお使いを頼まれ、ヤガラからは「もしも泥臭い貴方が泥臭さを卒業したいのでしたら、どうぞこちらを」と何故かお勧めのお屋敷リストを手渡された。
「何を見てるんだヴァルナ?」
ヴェネタイルに向かう王族専用馬車の恐ろしく揺れの少ない乗り心地に背中を委ねながら暇つぶしがてらリストを眺めていると、反対側で座っていたアストラエが物珍しそうに眺めてきた。
「なんだ、自前の屋敷を手に入れる予定でもあるのか」
「そんなんじゃねえよ。同僚の一人が俺がヴェネタイルに行くって聞いた途端いきなり押し付けてきたんだ」
あの全自動嫌がらせマシーンを同僚と称して見せた自分の仏張りの優しさはさて置き、多分ヤガラは俺に特権階級という平民の夢を叶えるつもりがあるのではないかと邪推したようだ。にしても恐ろしい値段の土地が並んでいる。この庭園とか噴水とか必要性あるのか? 一等地とはいえ無駄な部分を省けば桁数を三つは減らせると思うぞ。維持費も安くなるし。
そんな如何にも平民的な事を考えていると、今度はアストラエの付き人としてやってきた王宮のメイドも隣に寄ってくる。
「ヴァルナ様、いつかはこういうお屋敷に住みたいとか思われないんですか?」
「こら、ノマ。聞き方が下世話よ。そんな事だからメイドとして半人前なのよ?」
「うう、ロマ兄ちゃんなんてそもそもメイドの基準根本的に満たしてない癖に……」
「仕事中はロマニーお姉さまと呼びなさいといつも言っているでしょ? はい、復唱!」
「むー、今は別にいいじゃない。ここにいる人みんなお兄ちゃんのこと知ってるんだし」
メイド長のロマニーに叱られて不満げな表情をするもう一人のメイドは、その名をノマと言う。ロマニーに似た真っ赤な髪をサイドテールで纏めている。また、二人のよく似た顔立ちを見れば、彼女たちが姉妹であることを疑う人間はいないだろう。
ロマニーにはデキる女オーラが出ているが、ノマはそれに比べてどこか純朴で、洗練された都会の空気に染まれていない感じがある。メイドとしての能力もロマニーに比べると少々拙い所があるが、それでも一生懸命頑張っている所がなんとも微笑ましいと評判の子である。
「にしても、アストラエ守護の為の援軍が君らとはね。ま、セバス=チャンさんがいないなら妥当な所だけど」
「立場的にも妥当だから、君を追加人員にねじ込むよりは簡単に話が通せたよ」
「王宮メイド長として最善を尽くしますわ?」
「い、未だ精進の足りぬ身ではありますが! 頑張りますので!」
流麗な声で宣言するロマニーと、健気ながら力強く宣言するノマ。
二人は王宮でも人気なメイド兄妹である。
……間違いではない。ふたりは双子の兄妹である。
そう、メイド服でも何の違和感もないロマニーという女の子は、本名はロマであり女の子ではなく男の子である。それが証拠に化粧を落として地声で喋ると男と言われて納得できるレベルにはなる。目を塞ぐとどっちか区別できないカルメと違い、これは純然たる女装なのだ。
さて、何故こんな事になったのか順を追って説明しよう。
実はロマという男はかなり重度のシスコンで、ノマが王宮に奉公に行くことになった際に心配のあまり女装して「ロマニー」と名を偽ってメイド試験に突撃をかましたのである。
そりゃノマちゃんを心配する気持ちは分かる。彼女は今時珍しいくらいに素直で飾り気のない純朴な子だし、実際彼女は都会の男どもに結構モテる。そんな妹が都会に一人で出稼ぎとくれば心配しない方がおかしいぐらいだ。
でもな、女装はおかしいだろ。
いくらメイドの募集人員が多かったからって、女装メイドはおかしいだろ。
しかも合格してるんだからロマという男は本当に女の真似が上手い奴なのである。
ちなみに入試で目を光らせたのは王宮のパーペキ執事長と呼ばれるセバス=チャンさん。当然パーペキ執事なだけあってロマの女装には気付いていたそうだが、自分が男だという事を忘れているのではないかと思えるほど完璧な女装と立ち振る舞いで実技もすこぶる優秀だったため、ある意味凄い人材だと採用したらしい。
以来、彼は表向きはノマちゃんの双子の姉としてメイド長を務め、裏では兄としてノマちゃんを都会のケダモノたちの魔手から守り続けているのである。メイドとして妹より優秀で、王宮内で事情を知らぬ男たちの間では大人なロマニー派と純朴なノマ派でファンが真っ二つ。どうなってんだお前の人間スペックの高さは。
まったく、初見で性別を見破った自分を褒めてやりたい。
その俺の眼力を以てしてもカルメは初見でどっちか分からなかったが。
「……現場に着いた後の話だが」
不意に、アストラエが真剣な面持ちで全員を見回す。
「ロマニーは僕に付いてもらう。君の観察眼と戦闘能力は頼りにしているからね」
「光栄の至りに存じますわ、王子」
「ノマはロマニーの目の届かない所をカバーしてもらう。ノマは聞き上手だからな、思わぬ話を周囲から聞きだせるかもしれん」
「そ、そんな事ないですよ私なんか~……で、でも王子の期待にはお応えしたいです! ハイ!」
「ヴァルナ、君は言うまでもないかな?」
「フロレンティーナ嬢の警護、兼監視だろ? やるさ、真面目に。ただ俺は男だから、女の領域は無理だ。無理な所はロマニーかノマに手伝ってもらうけどいいか?」
「ああ。この三人が揃えば仮に父上が遣わした騎士や警備員が全員裏切っていても何とかなるだろう……何とか……ああ、そうだ。これだけ警戒すれば僕は大丈夫。大丈夫なはずなのに……クソッ、止まれ! 止まれよ僕の腕の震え!!」
「重篤な精神の病気に罹りかけてるぞお前……」
震える腕を震える腕で押さえて震える声でガタガタ震えるバイブレーションヒューマンの情けない姿に目頭を押さえつつ、俺は任務のついでにどうにかしてフロレンティーナ嬢から事の真相を聞き出してこの馬鹿王子を安心させてやろうと心に決めた。
願わくば彼女の返事で許しを得られ、更にそれをアストラエが疑って信じないなどという不毛な負の連鎖が起きませんように。
◇ ◆
海、それは巨大な塩水の塊。
一説によると、この世界に存在する生物はその全てが海より生まれ、陸へと上がってきたらしい。ちなみにこれは通説ではなく、一般には女神が土から生み出したという御伽噺が通説だ。どちらが正しいのか知りもしない癖に、皇国神学者たちは進化論者を勝手に見下している。
王国ではオークの血が土壌を汚染するという事実が浸透しつつあるが、皇国学会では『自然な存在ではない魔物のオークが作物を荒らす事で根源たる霊素が荒らされている』という如何とも言い難い説が定着していた。ちなみに自信満々に学者の提唱する霊素とは、現状では机上の空論でしかなく存在の証明すらされていない。その曖昧極まる説が推されている理由は失笑もので、そちらの説の方が古くからあるから、だそうだ。
この話を父に聞かされた時、フロレンティーナは初めて父が政敵を作ってまで改革を推し進めている理由を悟った。
「王国……足を踏み入れるのはともかく、長く滞在するのは何年ぶりになるのかしら」
船の甲板から揺れる水平線を眺め、彼女はウェーブのかかった長いブロンドの髪を揺らしてため息を漏らす。
嘗て、婚約者だと父に言われて初めて出会った「彼」との懐かしき過去を思い出し、フロレンティーナの美貌に微かな陰りが過った。あの頃の事を思い出すとどうしても彼の事が頭から離れなくなってしまうから、いつも努めて思い出すまいとしていた。
彼と再会する機会は幾度となくあったが、その思いを顔に出さずに上手く誤魔化せていただろうかと過去を振り返り、やめた。結論の出ない推論で余計に思考が混雑するのでは本末転倒だ。
「お嬢様、ここにおられましたか」
背後から聞きなれた声がして、フロレンティーナは振り返る。
そこには従者の一人としてこの船旅に同行する一人の女性がいた。
事実上は彼女の秘書として活動するその女性は、四角い縁の眼鏡を光らせる。
「余り潮風に当たられると
「その時はあなたが梳かしてくれる? アマンダ」
「それは勿論。仮にもこれから婚約者の殿方に会いに行かれるお嬢様の身なりに抜かりなど、例えお天道様が許してもこのアマンダが許しませんとも」
そう言ってくいっと眼鏡を上げるアマンダは、少し悪戯っぽく微笑んだ。フロレンティーナは、こうしたアマンダのただ規律に厳しいだけでない茶目っ気を気に入っている。もう付き合いも長い。彼女が気兼ねなく会話出来る数少ない人間とも言えるだろう。
だからこそ、彼女は胸中の不安をぽつりと漏らした。
「アストラエ様は、備えていると思う?」
「……私はアストラエ様の事を多くは知りませんが、彼のお方がお嬢様の思う通りの方であるならば、恐らくは。しかしご心配めされずに……こちらとて準備はしてあります」
「そう。そうよね……」
皇国内では見えない戦いが常に繰り広げられているが、王国に辿り着いたフロレンティーナ達には別の戦いが待っている。
父はきっと一時の安らぎをと思い王国へと娘を送ったのだろう。
しかし、
フロレンティーナは物憂げな視線を穏やかな海上から離し、瞬きし、踵を返したときには既に不安など感じられない自然な表情へと自分を塗り替えて船の中へと戻っていった。
風のない嵐が王国に上陸するまで、あと十数刻。
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