第110話  要人警護です

 騎士たるもの、常に冷静沈着に物事を見つめて的確な判断を下すべし。

 瞬時に判断を下さなければいけない有事が多い騎士団に於いて、これは本当に生死を別つ重要なスキルだ。一瞬の判断の遅れやミスが自分を殺すし、或いは仲間や守るべき存在を殺す事にもなる。王国ではそこまで極端な事態は少ないが、対オーク戦に特化した王立外来危険種対策騎士団に限らず、どの騎士団でも臨機応変な判断力を持っていて損をする事はない。


 という訳でアホの俺は判断力を養うための修行をしようと思ったのだが、よく考えると俺は割と本能で即断してしまうタイプだったのでいい修業が思いつかずに頓挫した。両親はそんな俺にチェスの早打ちという妙に現実的な案を出してきたのだが、いざやってみると互いにチェスが下手なので泥試合にしかならなかった。

 最終的には若さの差なのか俺が毎回勝つようになり、両親はそれ以来不貞腐れてチェス勝負を封印している。子供かよ。


 その点、アストラエはチェスが達人級に上手い。

 座学の成績ではアストラエを上回りトップだったセドナどころか当時の同級生が束になっても一人としてアストラエには勝てなかったぐらいだ。


 ……そんな人並み外れた判断力を持つアストラエも、恥ずべき過去のせいでこんな姿になってしまうのだなぁ、と俺は哀愁さえ感じる親友のやせ細った顔を見つめた。


「落ち着いたか?」

「情けない所を見せてしまったな……さぁ、話を戻そう」


 虚勢を張るように陽気に言うが、吹けば消えそうな儚い笑みのアストラエからは陰気なオーラしか感じない。過去の自分が今の自分を殺しに来るという典型的な因果応報だが、アストラエが頼むというのでは見捨てるのも薄情だ。こう見えて本当はプライドが高い男なので、弱みを見せるのはそれだけ彼にとってこの問題が大きい事を示している。


「件の婚約者は、その名をフロレンティーナ・ド・モルガーニと言う。皇国の中では言わずもがな高貴な家柄の女性だが、彼女の父であるミカエル・ド・モルガーニ卿は皇国内でも古い枠組みを時代に沿って改変すべきという改革派の中心人物であるが故、宮廷内には政敵が多いのだ」

「フーン。何処の国のお偉いさんもやっぱり利権が惜しいんだな」

「それもあるが、皇国は女神信仰発祥の地とも呼ばれる程歴史が古い分、伝統に煩いんだ。いるだろ? 勝手な偏見を世界の常識だと思って平気な顔して押し付けてくる輩がさ」


 言外に宮廷内で散々言われましたと顔に書いてあるアストラエだが、正直こいつに同情すればいいのか若さゆえの猛反発の嵐に耐えて世話した宮廷の皆様に同情すればいいのか判断に困る所である。


 皇国の御国事情については少しばかり思い出す事はあった。

 以前皇国の学会に籍を置いていたノノカさんの話だったか、「古臭い年寄りが古臭いルールを押し付けてくる変化のない国」と愚痴っていた気がする。

 権威のある技術先進国ではあるが、やたらと制限が多くて肩肘張らなければいけない国。

 住めば都と言うが、歴史の割に変化に寛容な王国民としては聞いただけで窮屈になる。

 

「まぁ連中の話はどうでもいい。問題は――問題は……そのフロレンティーナが……く、来るらしいんだ」

「来る? 王国にか?」

「そうだよ! 僕に会いに来ると手紙を送ってきたんだッ!! 復讐の時が来たのだ……もう彼女は子供ではないし、今までは社交パーティの合間とかだから誤魔化せた話も今度はそうはいかない!! 国内のッ、王宮でッ、この僕を指名して会いに来るのだッ!!」


 この世の終わりの信託でも受けたかのように、アストラエは両腕を振り上げてヒステリックに喚く。俺は忙しい騎士なのであまり王都での催し事に参加する暇はないが、アストラエは王子という立場もあって参加しなければいけない催し物にはもれなく引っ張り出される。

 しかも相手は婚約者。

 これで逃げろという方が無理な話である。


 いや、自業自得なんだけどね。

 同情してやってる俺に感謝して欲しいくらいだけどね。

 親友にそんな風に見られていると知ってか知らずか、アストラエは膝を抱えて親指の爪をがりがりと齧りながら精神異常者のように血走った目でぶつぶつと呟く。


「しかもあちらは直属の護衛まで連れてきている。致死量寸前の毒を盛られたり護衛を利用して犯人特定不能なトラップを仕掛けたり、そりゃもう……凄いよ。でも、でもだヴァルナ!! 僕とて自分が悪いとは分かっていても黙って死ぬ訳にはいかんッ! そこでそう、君の出番なんだッ!!」

「あ、ようやく俺の出番なのね……」

 

 ズヴィシッ! と両手の人差し指を突き指され、途中から遺言でも聞かせる気で呼んだんだろうかと邪推しかけていた俺の意識が話に戻る。まぁ騎士ともなると遺言でなくとも遺書は書くこともあろうかと思うのだが、ひげジジイことルガー団長は「遺書なんぞ書いたら気分が負けるから書くな!」と禁止令を出している。

 最初に聞いた時はこのジジイもたまには感心させられることを言うなぁと思ったのだが直後に「用意する遺書に使う紙とインキ、経費なんだぞ? 勿体ねえだろ!」と続いて感心した少し前の自分を殴りたくなった。絶対後半が本音である。


「で、何すればいいんだ? 言っておくが、あんまり滅茶苦茶な事言うと流石の俺も断るからな?」

「そんなに無茶ではない。給金もたんまり出す。騎士団の方にも僕が話を通しておく。だから……頼む! フロレンティーナを護衛の名目で見張ってくれッ! 一生に一度のお願い! 一生に一度のお願いだから!!」

「そんなしょうもないことに使うなよ、一生に一度。というかそのお願い何度か聞いた気もするが」

「今回は本当に一生に一度だから! マジ度が違うから!!」


 本人にとってはそれほどに逼迫した話なのかもしれないが、仮にも第三位王位継承権者が盛大に頭を下げて頼む内容とは思えない。過去に嫌がらせがあったとしても、仮にももうすぐ結婚しようかという他国の王子にそんな国際問題スレスレな事をやらかす程にモルガーニの一族はデンジャーな方々なのだろうか。

 しかし、疑心暗鬼に陥ったアストラエの目は本気だ。

 本気で怯えている方の意味で。 


「……フロレンティーナは予定通りなら明後日にはヴェネタイルの港に到着し、観光も兼ねて三日間滞在する。その後王都にやってきて三日程滞在する事になっている」

「ヴェネタイルと言えば西南にある国内最大の高級リゾート地か。確か聖艇騎士団のでかい支部もあったな」

「そうだ。もちろん王国からも警備の人間は出る。しかし、王都には味方が多くいるがヴェネタイルではどうしても人数が少ない。つまり、仕掛けてくるならヴェネタイルでだ……! ヴァルナ! その三日間だけ、僕に雇われてくれぇッ!!」

「話は分かったけど、ぶっちゃけ護衛任務の類なら聖靴か聖盾の騎士を見繕った方が良くね? あいつらその手の任務に慣れてるだろ?」


 対外的な騎士団である聖靴騎士団は海外に赴く要人の警護には慣れっこだし、聖盾騎士団は盾の名に恥じない国内警備のプロだ。対して俺は泥に塗れながらオークを殺しまくる野武士アタッカーである。警護の任務など対オークの警戒ぐらいしかやったことがない。

 ……聖騎士団との落差が酷すぎないかこれ。

 して、アストラエの回答はというと。


「信用できるかそんな赤の他人共がァ!!」

「ぅおぉぉーいッ!? なに急に人間不信大爆発させてんの!? 仮にもテメーの父君に忠誠を誓った連中なんだが!?」

「そうだよ! だから選任するのは僕じゃない! じゃあ護衛役選任する役人同士が裏でつるんでたらどうする!? 意図的に警備に穴を空けてその隙に俺にあんなことやこんなことをしてきたらどうする!?」

「今日のお前は疑心暗鬼が止まることを知らねえなッ!?」


 とうとう王国内部の腐敗因子との裏取引にまで論理が飛躍した哀れなアホであるが、まぁ言いたいことは分かった。万が一に備えて相手にとって予定外の人間を入れることで少しでも安心したいのだろう。

 そして予定外の人間とは、絶対に自分を裏切らないとアストラエが思える人間しかありえない。となると、選べる人材はアストラエを幼少期から見守ってきた王宮の執事・メイド隊とほんの一握りの王宮騎士。そしてセドナと俺である。


 正直に言うと、信頼されているのは悪い気はしない。

 騎士の本分は困っている人に頼られる事だ。

 アストラエの自業自得が招いた事態とはいえ、そんなアホな友達を助けてやりたいと思うのも人の性分だろう。


 騎士団の任務も本格的に冬になった今ではそうそう来ないし、俺一人がいなくとも何とかなりはするだろう。王立外来危険種対策騎士団は集団の力だ。雪山の反省を生かして既に様々な対大型オーク戦略が練られている。その多くは、不測の事態をひっくり返す俺という役割を抜きにした場合のシミュレーションでもある。

 軽くため息が漏れた。

 その声にアストラエの肩が一瞬ぴくっと反応した。

 期待と不安が綯交ないまぜになった視線を敢えて無視して、俺は茶菓子を一つ食べた。


「……今回の茶会の費用くらいの給料ぐらいは出せよ? こちとら休日出勤なんだからな」

「は、はは。友達料金で報酬はいらないって言ってくれても良かったんだぞ?」

「ばぁか。無償の奉仕なんてのはな、対等じゃないですって言ってるようなものなんだよ。ま、俺はこの茶会にかけた代金なんて知らねぇから時給八百ステーラとかでも乗っちまうけどな」

「……ぷっ、ぶふはははははははは!! あーっはっはっはっはっは……!!」


 一瞬ハトが豆鉄砲を嘴でナイスキャッチしてしまい戸惑ったような顔をしたアストラエは、次の瞬間に腹を抱えて笑い転げた。こいつの笑いのツボはよく分からんが、そうやって笑ってないとこちらも調子が狂うというものである。一通り笑って未だにひぃひぃと小さく苦しんでいるアストラエは、やっと生気の戻った顔でこちらを向いた。


「ようし!! それでは騎士ヴァルナよ、明後日より三日間の間だけフロレンティーナ嬢の警護……兼監視を命ずる!!」

「仰せのままに、馬鹿王子。王国最強の騎士のご活躍に乞うご期待だ」


 まぁこんだけ盛り上がっておいて何だが、普通にアストラエの被害妄想で終わると思うだろう。そんな楽天的な事を考えながら、俺はアストラエと契約成立とばかりに手を握り合った。


 ちなみに。


「茶会の代金かぁ……ふーん、そうだな。ロマニー! 計算してくれ!」

「ザッハトルテが大よそ二万ステーラなり。クッキー、パイ、スコーンその他諸々が合わせて五万ステーラなり。使用した紅茶の茶葉とハーブ合わせて三十万ステーラなり。今回の茶会でお茶に使用した山脈の湧水を仕入れ代金込みで一万ステーラなり。茶会に割いた使用人の給料から逆算した労働量おおよそ二十万ステーラなり……」

「もう既に俺の月給超えてんじゃねえかッ!?」


 その後、諸々の費用を計算したロマニーによれば今回の仕事の報酬は百万ステーラらしい。三日で百万。俺の月給の三倍を超えるという平民からすれば夢のような金額だが、本業の要人警護に比べるとまだ安いそうだ。

 俺が一か月働いた代金と今日の茶葉の金額がイコールとかどう考えても理不尽だ。

 危険を冒した人間が報われないとかどーなってんだこの世界は。

 女神よ、さては仕事サボってるな? この給料泥棒めが。

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