第109話 リラックス効果に期待です
運動で汗をかいた後の風呂は、まさに至福の一時である。
王国は特別水の多い土地という訳ではないが、シャワーと風呂のどちらが主流なのかと言われれば半々といった所。しかし王族はどちらかというと、大きな風呂を好んでいる。
「疲れ切った後は浴場でのひと風呂に限るなぁ、ヴァルナ!」
「まぁ否定はせんがな……王室浴場使わせるかフツー? しかもここ海外の要人とかが使う場所だろ」
「構いやしないよ。数多くある浴場の一つだし、今は要人なんか来ちゃいない。掃除係も掃除のし甲斐がないんだから、僕たちで作るのさ」
「お前のそういう無神経な所、全然同意できん」
仏頂面で湯船に浸る親友の横で、アストラエは「変わらないなぁこいつは」と苦笑した。
アストラエにとってヴァルナは立場の垣根を超えた友達である。
王宮と言う一種閉鎖的な空間で過ごし、王族という立場にくるまれて人と接するアストラエが士官学校に半ば強引に突入した際に最初に出来た、家族に匹敵する程の得難い存在でもある。
「風呂が気持ちいいのは分かる。分かるけどな、これと同じ設備の風呂に入ると一体幾らの金が飛ぶのかと思うと素直に喜べないんだよ。普段の俺の生活って一体……」
「いや、素直に喜びなよ。こんな経験滅多に出来ないって事だろ? まったく、王国最強騎士は庶民の味方とはよく言うが、ちょっとは慣れたら?」
「これでも慣れた方だ! 最初に入った時は居心地悪くて体が温まったのに逆に疲れたわ!」
ため息を吐きながら湯船に肩まで浸かったヴァルナは、軽く伸びをする。それでも、堂々たる態度というには体が縮こまってる気がするが、昔からこの環境に慣れている自分の感覚というのもあるか、とアストラエは納得した。
士官学校の頃からヴァルナは贅沢や奢侈といった言葉とは程遠い存在だった。世間知らずのアストラエとしては変な奴だ、何でそんな細かい事を気にするんだと疑問に思ったものだ。また、友達のもう一人であるセドナも育ちが良かったため、大体の場合ヴァルナが多数決でおかしい側に回されて不平不満を垂れていたものである。
とはいえ、それもそれで凄い事だ。
なにせ平民が王族に向かって贅沢な待遇を受けることに不満を持って文句を突き付けている訳だ。普通の人は畏れ多くてそんな厚かましい態度は取れない。本人に自覚がないだけで、人を馬鹿馬鹿呼ぶこの男こそ一番の問題児である。
そんな愉快な奴だから友達になれたのは、今更言うまでもないことだ。
「どうせ風呂を上がったら王室レベルのお茶会なんだぞ」
「知ってるよ。取り合えず文句言ってみただけだって」
「こらー、不敬だぞー。というかねぇ、僕が呼んできたのを良い事に剣の訓練に付き合えって言ったのは君だろ。自業自得だぞ、そういうの」
「うるせー、いいだろ別にそれぐらいは。大体アレだ。この程度の不敬を気にする奴ならお前と友達なんて出来ねーよ」
「これまた不敬だ。でもそれ言えてる」
ヴァルナがもし、アストラエが王子だと思ってヘコヘコとへりくだった事を言う奴だったら、絶対そんな奴と友達になんかならない。こちらが正しいと言い張ったことに全部雷同する人間と時間を共有しても、そんなものは無駄の極みだ。
第三位王位継承者、第二王子アストラエの権威を以てしても、ヴァルナという男が目の前に傅く事はない。むしろ「なにを今更アホな事抜かしてんだお前。ほれ、とっとと行くぞ」と心底呆れた面をして面倒くさそうに手招きするに違いない。
王族に生まれた自分をぞんざいに扱う友達。
アストラエが王家に生まれた事で感謝しているのは、そんな男と出会って友達になれた事なのかもしれない。
◇ ◆
時に、アストラエに呼ばれてここに来た俺には少し気になる事があった。
「……アストラエ。セドナには声かけたのか?」
「一応かけたが駄目だな。聖盾騎士団は今、王国内の金持ち共の資金の流れの洗い出しに大忙しでそれどころじゃないみたいだ。間接的とはいえ君のせいだぞヴァルナ? これは恨まれるな」
「ふくれっ面でイジケるセドナの顔が脳裏に浮かぶ……」
「きっと両頬をハムスターのように膨らませて、ぷんすか怒りながら君の脇腹をつついてくるぞ。ご機嫌取りの方法を今のうちに考えておかねばな」
風呂から上がって茶会に洒落込みながら、今日は不在のセドナの事を思い浮かべる。
彼女が来れなくなったのはまさにノノカさんが国内の不穏な動きの可能性を提示したからであって、更にその暴露の場には俺が突っ立っていたのが議員諸君に目撃されている。これは間違いなく根に持たれる。俺には分かる。謝っても「何のことぉ?」と不機嫌そうに受け流し、俺に許す機会を与えずに一方的にツンツン脇腹をつついてくるに違いない。
いじけたセドナはだいたいそんな感じだ。
「まぁしかし、せっかくセドナがいないのだから偶にはセドナがいると喋りにくい話でもしないか?」
「なんだそりゃ。アレか、平民の男子学徒がよくやると噂の猥談か? 普通に嫌なんだけど」
「やらんわ! 仮にも王族がそんなこと王宮内でするかッ!!」
王宮の使者使うのは良くて猥談は駄目とか何言っているかよく分からない。きっと庶民の感覚では分からない事を言っているのだろう。俺としてはかつて傍若無人の限りを尽くしたというアストラエなら平気かと思ったのだが。
「あ、あのねぇ……上の地位にいる人間が下の地位の人間に命令するのは普通!! そして上に立つ人間が下に立つ人間の耳に届く場所で品位を疑う事言ってたら、そりゃ駄目でしょ!? というか僕のやんちゃ時代の事を何故知っている!?」
「そりゃあやんちゃ時代のお前の面倒見てた執事長のセバス=チャンさんが『坊ちゃまは今でこそああですが昔は……』ってな具合にちょくちょく教えてくれたもの」
「セヴァアアーーーーースッ!!!」
王座のある謁見の間まで響いてるんじゃないかと錯覚するほど物凄い気迫で叫ぶアストラエの必死さときたら、失笑を堪えるだけで精いっぱいである。過去の恥ずかしい秘密がバラされるのがそんなに嫌かね。俺は割と平気な方だからその気持ちは分からない。
さて、いつもならばセバス=チャン執事長は五秒と置かずにアストラエの声に応じるのだが、なぜか今日は代わりにメイド長のロマニーが出てきた。王宮メイド長の名に恥じぬ美貌と赤いツインテールの髪を揺らし、ロマニーはスカートの裾をつまんで丁寧にお辞儀した。メイドの鉄則である(と熱く語る先輩がいたが、俺には分からない)カーテシーという挨拶だ。
「ご機嫌麗しゅう、アストラエ様。申し訳ございませんが、セバス執事長は本日国王の命により出張中につき、このロマが代役を務めさせていただきます」
「ぐぬぬぬ……あいつめ戻ってきたら覚えてろよ! ロマニーはストレス解消に効果的な菓子でも持ってこい!!」
「では至急ザッハトルテとハーブティーをお持ちしますわ」
ロマニーさんは再び一礼すると、顔真っ赤のアストラエとは対照的に優雅な足取りで厨房へと向かった。ノノカさん曰くチョコにはリラックス効果があるらしいが、ザッハトルテってストレスに効くんだろうか。ううむ、ロマニー的には効くと判断したのだろうから追及はやめておこう。
「はぁ……ロマニーに当たってもしょうがないか。それにしてもロマニーは今日も女装がキマってるなぁ。女より美人じゃないか?」
「実際美人だから困るよなぁ。まぁそんな話は置いておいて……」
そう、メイド長のロマニーが実は女装男子である事など俺とアストラエにとっては息をするぐらい当たり前の事なのでどうでもいいとして、アストラエは手持ちのカップの紅茶を飲んで少しは気分が和らいだのか、本題に話を移していった。
「なぁヴァルナ。実のところ、君に相談があるんだ。さっき僕が子供の頃はヤンチャだったという話とも無関係じゃない」
「お前が俺に相談? なんだそりゃ、セドナがいるとマズイ話なのか?」
「マズイ。いや、別に僕らの関係が崩れるみたいな事ではなくて単に僕が気まずいというだけなんだが……まぁ聞いてくれ。実は僕には婚約者がいるんだ」
「へー、婚約者? 言われてみればいても可笑しくはないけど……そんな話、初めて聞いたぞ」
「当然だ。大昔に父上が決めて決定事項になっていた話だし、話す機会もなかったしな」
婚約者、か。
例に漏れず幼少期のアホの俺は憧れたが、今じゃ全く憧れはない。何故なら俺も作ろうと思えば作れるが、もれなく利権争い政略結婚、ついでにひげジジイのヒゲが絡み合ったキナ臭い婚約になってしまうから。多分無理だと思うけど、もっと初心な恋がしたい。
とまぁ俺の願望はさて置いて、婚約者を作れるのは俺が政略結婚に使えるだけのブランドを持っているからだ。そしてそのブランド度合いで言えば、そりゃもうアストラエは王子だから凄まじいだろう。相手は間違いなく大物貴族……下手をすれば他国の王族である。
「僕の婚約者はな、皇国のやんごとないご身分の方だ」
「うん、わかるわかる」
「そりゃもう、立てば芍薬座れば牡丹。歩く姿は百合の花といった具合に容姿も性格もバッチリだ」
「美人なんて見慣れてるお前がそう断言するなら、相当だな」
アストラエには外国に住む超美人の婚約者がいて、その人は器量もいい素晴らしい人らしい。めでたい事ではないか。結婚式に参加できるかは限りなく微妙だが、祝電くらいは送ってやりたい。
……いや、しかし待てよ? これ相談なんだよな?
ただ結婚しますで話が終わらないのではないか?
嫌な胸騒ぎを覚えつつ、俺は少し疑問を呈した。
「なんだ、お前その結婚に納得できない、って訳じゃないよな?」
「僕は王族だ。父上が決めた事にはいくら何でも逆らわんよ。真実の愛に飢えてる訳でもないしね」
「じゃあ、相談ってなんだ? その相手に嫌な所があるのか? 聞いた限りでは世間の男たちの理想の結婚相手ナンバーワンって感じだけど」
「そのナンバーワンの婚約者が七年ほど前に王国に赴いて、数日王宮に泊まったことがあってな」
「うん。それで?」
「当時王族に生まれたことが嫌で仕方なかった俺は、その婚約者に連日のように嫌がらせの嵐を浴びせたのだ。そうすれば婚約がご破算になるとありもしない希望を妄信して」
「……」
「……」
「……」
アストラエはその言葉を淡々と言い、そして顔を抑えて俯きながら大きくため息を吐いた。それは心底疲れているか、或いは一種の諦観さえ感じさせる、それはそれは深く重い吐息だった。俺の中で猛烈に嫌な予感が膨張し、本能のアラートがけたたましいまでに「これヤベェ話だ」と叫んでいる。
一度吐き出してつっかえが外れたように、アストラエはぽつぽつと話を続け始める。
「朝食を食べさせるふりをして顔面にパイ投げ。紅茶と偽ってカメムシの煮汁を飲ませる。すれ違いざまに針をひっかけてドレスを破く。一緒に遊ぶと称して庭園の池に突き落とす。ダンスと偽ってアルゼンチンバックブリーカーをかます。トイレに入ったのを確認してトイレの前で薪をして煙でいぶす。こっそり靴の先を踏んづける。髪の毛に芋虫を……」
「悪逆非道三昧にも程があるだろお前ッ!? セドナが聞いたら間違いなく『女の子になんてことしてるのッ!?』ってブチギレ確定だぞ!? 俺も心中穏やかでないわッ!!」
「分かってる!! 今なら言えるがあの頃の僕は悪魔に取り憑かれているレベルで酷かったし、それについては既に猛省している!!」
「はぁぁぁ~~~~~……つまり、その子に決定的に嫌われてるって話か?」
呆れ果てた下種野郎である。
とはいえ七年前という事はまさに子供時代のやんちゃ盛り。
良くも悪くも思慮が浅く、それがまた残酷な時期だ。
若気の至りはあり得る話だし、今のアストラエならそんな事をしないと信じられる。だけど相手は別だろう。仮にも王族がそれほどまでに屈辱的な仕打ちを受ければ、根に持たない方がおかしい。完全に自業自得だ。
しかし、アストラエはそうではないと首を横に振る。
「俺は本当に最低の行動を連発した……でもあの子はそれに苦しんだり涙ぐんだりしても、絶対に俺を責めたりせずに笑って許してくれたんだ。もう婚約は嫌だ、お前なんか嫌いだと吐き捨てても可笑しくないほどの仕打ちに、彼女はとうとう耐えきった」
(そんだけやられておいて許すとか、天使か何かかよ……)
「以来、何度か会ってるんだが……俺も流石にやらかした事の重大さくらいは察してるから、謝ったんだ」
「殊勝な心掛けだな。やらかしたこと最低だけど。で? 許してもらえたのか?」
いや、そのレベルの嫌がらせを受けて一切責めなかったのなら普通に許してくれたのでは……と俺は楽天的にも思っていた。しかしながら、それではやはりアストラエが『相談』という言葉を使う内容に繋がらない訳で。
「『あら、いつの話だか思い出せないわ?』って流されて、許してもらえたかどうか、分からないんだ……恨んでいるのか、俺を? 恨んでいるから許さなかったのか? そうなんだな? そうだよなぁ、普通許さないよなぁ。あんな笑顔で腹の底じゃあ何考えてるか分からないんだよ、女なんて……恐ろしくて……」
そう呟くアストラエの顔は、もしかして会話中にゾンビか何かと入れ替わりましたかと言いたくなるほど蒼白で一気に老け込んだような面をしている。いうならば幽霊屋敷に住み着いて一か月後に衰弱して発見された人みたいな感じだ。目は虚ろで手は小刻みに震え、美男子の面影など見る影もない。
「アストラエ様、ご注文の品をお持ちし……アストラエ様!? 何事にございますかヴァルナ様!?」
「あ、ロマニー丁度いいところに。おい、取り合えず食べて飲もうぜアストラエ。腹に食い物入れて気分転換だ。ハーブの香りとチョコの甘さで生気を取り戻さんとゾンビ化するぞ?」
「ハーブティー……緑……かおり……ハーブティーにはカメムシがぁぁぁぁーーーーッ!!」
「それはお前の過去の悪行だろうが。幻覚に苛まれてないでいい加減正気に戻れ」
とりあえず、ロマニーがハーブティーとザッハトルテを持って戻ってきたのでアストラエに食べるよう促し、少しでも精神を安定させることにした。
チョコとハーブの効能を信じよう。
この国の王子の未来は、茶色い塊と枯れた葉っぱのダシ汁に託された。
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