第107話 レッスンです
騎士にだって骨を休める休日はあるが、そんな休日さえも騎士道の為に使ってしまうのが真の騎士……などという事はない。休める時に休むのが職務を全うする人間のやる事である。
しかしながら、その職務の為にやらなければいけない事が休日に発生すると、休日返上をしなければいけない時もある。ノノカさんの助手になって議会に出席したのはひげジジイの回した仕事だが、ここからは俺自身が必要としている事だ。
俺はボロボロになってしまった剣の修繕と、とうとう決意した『新しい剣の購入』という選択を胸にゲノン爺さんの工房に訪れた。
王国の剣の鋳造を一挙に引き受ける超ベテランのゲノンさん。
前に訪れた時はオーダーメイドなど百年早いなんて言われたが、オーダーメイド剣なんて幾ら代金がかかるか分かったものではないので普通に売り物の剣でおすすめを買うつもりである。
ゲノンさんの専用工房に足を運んだ俺は、いつものように名前を呼ぶ。
「ゲノン爺さ~ん、いるか~!」
しかし、今日のゲノン工房は普段と少し趣が違った。
「何奴だぁ! 偉大なるゲノン翁の名を軽々しく呼ぶ不届きものは!! 貴様のような礼節を弁えぬ剣士に翁は剣を打たぬ!!」
「あれ? 誰……? 見かけたことない顔だけど」
工房の入り口に、浅黒い肌の少年がどっかりと座っているのである。
顔つきは幼く、鼻の頭に絆創膏を張り付けているのがいかにもわんぱく坊主といった印象である。番犬の如くガルルル、と全く怖くない顔で俺を睨みつける彼は、もしやゲノンさんの新しいお弟子さんだろうか。
しかし。それにしては幼いのが気になる。
我らが騎士団と違ってゲノン工房は子供を雇う程仕事に困窮してはいない。
……自分で言ってて何なのだが、普通逆じゃない?
何で金持ちな国営組織の重要部署が困窮してるの?
原因知ってるけど。議会は一度滅べ。
「さあ、帰った帰った! ワシの目が黒いうちはここは通さぬぞ!!」
「いや、ゲノンさんが専属みたいなもんだからね、俺? ちょっと本人に確認してくれない?」
「ワシの名前はタタラ! 将来のゲノン工房の跡継ぎよ! しっかり頭に刻んで帰れ! 翁のいいつけにより、ここは何人たりともまかり通さぬぞ!」
「ああ、そうなの? 俺ヴァルナ。よろしく」
「ゲノン翁は今忙しい! お前みたいなへなちょこが声をかけて翁の気を散らす事はこのタタラが許さんぞ!!」
「ん? あれ? 会話が一テンポずれてる!?」
「……なぬっ! オヌシがヴァルナだと!? そそそ、それを早よ言わんかい!!」
「やっぱり一テンポずれてるよね!?」
尊大な態度を取ってワシとか言ってた少年は一テンポ遅れてわたわたと慌て始める。これからの会話でも一テンポ遅れるのかと思うと少々げんなりするが、ともかく俺の名前は一応知っていたらしい。名前は知られていても顔は知られていないのが反応の遅れた原因かもしれないが。
ともかく、わたわた慌てながらもたもた懐から何やらメモ紙と一本の剣を取り出した少年は立ち上がり、学校の朗読の如くメモの内容を読み始める。
「ウォッホン! えー、騎士ヴァルナへ! お前が剣のメンテを頼みに来ることも、おすすめの剣を求める事も大体は想像がついている! しかし、ワシは来年度に任命されるひよっこ騎士共の剣の鍛造に忙しくてそれどころではない!」
……そうか、言われてみればそんな時期だった。俺としたことがタイミングの悪い事だ。ロザリンドとアマルが卒業近いって事は、そのまんま任命式も近いんじゃないか。
というか、何故俺がもうすぐ来るのが分かったんだ?
「事のこ……こさ……」
「あ、これ
「事の仔細はお前の所のねん、ねんぎょ?」
「
「お前の所のナマズヒゲの団長から聞いている! 代金もヒゲから貰ったのでこの剣を……って、横から口出しすんなよー! 一人で読めるから馬鹿にすんなー!」
「だって読めてないじゃない。というかゲノンじいさんも子供相手に難しい言葉使ってんなぁ」
きーきー騒ぎながら俺を押しのけようとするタタラ少年に押されるがままに撤退。成程……あのじじい、こう言う時だけ妙に手回しがいいんだよな。俺の握手会でもぎ取った金もこれに使ったのか? ……いいや、使いはしても全額ではないな。これは剣の代金がいくらだったかしっかりと確認しなければ。
と言うか、今更ながら今のタタラはレスポンス良かったな。
喋り方もさっきの年より口調じゃなくて年相応だったし。
じじい口調になると処理落ちが発生する仕組みなのだろうか。
「もう、続けるぞ! えー……この剣をワシの孫に預けておく! お前の普段使っている剣と形状や重心の近いものを選んだが、性能は一段上がっているので早めに慣らしておくように! 前の剣は孫に預けたら後はワシが時間を見て研いでおく!!」
読み終えたタタラ少年――孫らしい――は無事読み終えた事に一瞬ほっこり顔をしたが、俺が慈しむような優しい視線を向けている事に気付くとハッとしたようにもたもたメモをしまい込み、仏頂面で鞘に収まった剣を突き出した。
「ほ、ほれ! これが例の剣じゃ!受け取れコゾー!」
小僧に小僧呼ばわりされた。
俺が筆頭騎士だと知っての狼藉だろうか。
多分おじいちゃんの口調を真似たくてしょうがないのだろうから苛立ちどころか微笑ましさすら感じるけど。
それにしても、今更ながらゲノンさんって孫いたのか。年齢考えればいてもおかしくないけど、いままで話を聞いたこともなかったから意外だ。今度会ったらその辺詳しく聞いてみよう。
「では、ちょいと剣を検めさせてもらうか……」
受け取った剣をすらりと鞘から抜き、刀身を確かめる。
俺の愛剣よりも少し先端が鋭く、リーチは僅か数センチだが長い。
店の既存品なだけあって装飾の彫りが鍔の辺りにあるが、刀身そのものは飾り気のない実用重視の直剣だ。
軽く二度、三度振る。
金属の配合が違うのか僅かに重いが、感触は以前の剣とよく似通っている。
これなら軽く慣らしただけで使いこなせそうだ。
流石は長年の目利き。遠慮なく受け取っておこう。
職人としてのジレンマを感じつつも与えられた仕事をこなすゲノンさん。
愛剣を使い続けたいと言う我儘を通せなくなった俺。
その苦悩の深さや立場の差はとても比べられるほど近しいものではないけれど、人の数だけ立場があり、立場の数だけ戦いが待っている。自身の戦いの中でも俺に気を遣ってくれたゲノンさんにいずれ直接感謝しようと心に決めた俺は、ゲノンさんの言伝通りに愛剣を少年に差し出した。
「ゲノン爺さんに代わりにお礼言っといてくれ。それと、こいつよろしくな、タタラくん」
「ゲノン翁の剣を検めるだとぉ!? ナマ言ってるんじゃないよ若造がぁ!!」
「ああ、また一テンポ遅れるのね……はい、この剣まかせるよ」
「ええっ!? わっ、ちょっ!」
一テンポ遅れてもたもたと手を差し出したタタラくんに剣を突き出し、ほんの一瞬だけ躊躇い、俺はゆっくりと彼の両手に剣を置いた。言葉は遅れ、行動ももたもたなタタラくんだが、受け取った剣はしっかりと受け取る。
「……んん、ゴホン! この剣はわしが責任をもってゲノン翁に預ける。だから翁の剣、壊すなよ!」
「肝に銘じておく。俺の相棒をよろしくな」
鍛冶屋の跡継ぎを自称するだけの事はあるのか、受け取った剣をしっかりした動きで預かり、彼は一礼した。彼になら暫く俺の愛剣を預けられそうだ。いずれ本当に代替わりしたら今度は彼に剣を打ってもらうかもしれないな、と予感のようなものを感じながら、俺は工房を去っていった。
◆ ◇
俺は確かに王国最強という事になっているが、最強というのは無敵や完璧とは違う。鍛錬しなければ俺の体は多分鈍るし、初めて扱う剣を完全に手に馴染ませるのにだって多分きっと時間がかかる筈だ。
いやお前カリプソーの任務で借りた剣を華麗に使いこなして魔物を一撃で殺してたやん? と思うかもしれないが、あれは斬る対象を殺すための剣だったから手加減なしでぶっ放せたのだ。相手を殺す事と手加減して殺さない事では、実際には後者の方が高い技量を求められる。
という訳で、俺は早速騎士団の訓練場で鍛錬してた先輩後輩を適当に捕まえて模擬戦していた。
「フンっ! たかが騎士歴二年の若造になぁ! 負けてやれるほど経験の差ってのは甘くなブヘゴッ!?」
「先輩、喋ってないで動いてください。次お願いしまーす!」
「け、経験値が死蔵しちまってたか……」
「フフフ、奴は我ら三人衆の中でも最弱……あ! あんなところにメスオークが!……と気を逸らしての俺の一撃をくらボヘーッ!?」
「一番注意力散漫なのは先輩っすからね? 次お願いしまーす!」
「明後日の方向に指さしてる、それ自体が隙だったのか……」
「ゆらり……ゆらり……水面に浮かぶ白き陰は常世の世界の御姿。これぞ触れ得ざる霊体を模した交霊幻技! この技の前に現世の者の刃は届かグブルゥエッ!?」
「トランス状態になっている所悪いですけど、先輩は生身の人間だから幽霊真似ても物理攻撃は有効のまんまっすよ?」
「も、盲点だった……がくっ」
騎士団再編の計画のせいで班長格を含む騎士団の
既に練習場内は死屍累々である。
「俺思うんだけどさぁ。これもう訓練とか必要ねーだろ。お前新しい剣の慣熟訓練とかいいつつものの見事に俺らの顔面を剣の腹でひっぱたきやがって……寸止めよりコントロール力高いじゃねーかこの化け物!!」
「剣を振るより前に撃破された俺たちはカカシですか?」
「まぁその点に関しては真正面からだと勝ち目のない俺たちが小細工を弄したせいと言えなくもない」
「言えなくもないも何も、まともにぶつかて来た奴殆どいなかったじゃないすか……」
いつもの三人衆こと三人の先輩の全力小細工に、何故か倒した俺の方がげんなりする。だがまぁ、実は彼らは王立外来危険種対策騎士団の騎士としては模範的である。
この騎士団は如何に楽に、少ないリスクで敵を倒すかアイデアを練り続けることがライフワーク。まともに戦って勝てないのならまともに戦わなければいいだけなのだ。
これは俺が悪かったと反省するしかないだろう。訓練の意味とは一体……。
「ところで、ヴァルナ先輩に一回聞きたい事があったんですけど」
俺にノされてダウンしてたメンバーの一人、いちばん真面目に戦ったベビオンが体を起こして手を挙げた。
「先輩って究極奥義の『八咫烏』使えるじゃないですか。でも使える割にはあんまり実戦で使ったの見たことないんですけど、何でですか?」
「んー、答え辛い質問だな……ほんと『八咫烏』はいろんな意味で難しい奥義なんだよ」
しかしまぁ、この騎士団で唯一『八咫烏』を取得している身としては説明くらいしておいた方がいいかもしれない。もしかしたら将来的にこのアドバイスが新たな剣豪を生み出すかもしれないし。
「そもそも八咫烏ってのは所謂『無我の境地』ってトコロに辿り着いて初めて使える奥義なんだよ。この時点ですごい抽象的で説明に困る。本当に感覚の世界だからな……王国内にいる『八咫烏』の使い手は両手の指よりは多い数いるけど、その殆どが六十歳も過ぎようかというじいさんばあさんばっかりだってんだから、こりゃもう『悟り』みたいなものなんだよ」
「その道に何十年も打ち込んで初めて使えるって訳ですね……あれ? でも聖靴騎士団クシューのクソ野郎は確か二十七歳の頃には使えたんじゃなかったですか?」
御年四十歳に迫ろうとするクシュー団長は有名な『八咫烏』の使い手だ。
それに関しては俺より詳しい先輩方が補足してくれた。
「うん。あのジジイぶっちゃけ化け物だぜ。当時あいつが出てきて剣術界はてんやわんやの大騒ぎ。聖靴騎士団の派閥が力を着けたのもその時期だからなぁ」
「二十代で究極奥義とか歴史上初の快挙だったもんなぁ。百年に一人の天才とか言われてたもん」
「今じゃ十代で奥義習得しちゃったどっかのバケモンのせいでその栄光にも陰りが見えるけどね」
「あー……うん。はい、納得しました」
四人が化け物を見るような目で俺の事を見ている。
そんな目で見られても、習得してしまったものはしょうがないじゃないか。
今更ポカンと頭を殴られたって忘れたり出来ないぞ。
実際、俺が『八咫烏』習得したせいでクシューへの注目度はガタ落ちだそうだ。
二十七歳だって凄いのだ。歴史的快挙なのだ。しかし、人間という生き物はもっと凄い記録が出ると、一つ前の記録など忘却してしまう罪な生き物なのである。
「えっと、話を戻すぞ。この『八咫烏』という奥義なんだが、不思議と使うべきだと思ったときには体が勝手に使ってるんだよ」
俺が初めて奥義を成功させたときもそうだった。
御前試合で無意識にぶっぱしたのもそうだし、クリフィアでガーモン班長の弟のナギとの模擬戦でも、使うべきだと自然と思ったから使った。
これがまた、この奥義のオカルティックな所だ。
「前に使うべきだって思わない時に訓練で無理やりぶっ放したんだが、なんか力が暴走したのか訓練用の案山子が斬れずに吹き飛んで大騒ぎになったよ。でも使うべきだと思って使った『八咫烏』はそういう暴発は起きない。つまるところ、コントロールしようとすると逆に使えなくなる奥義なんだ。無我の境地だから本能が決めてるんだろうな」
さあ、これが奥義『八咫烏』の全容だ。
拝聴者諸君には理解していただけただろうか。
「さっぱり意味が分からん」
「とりゃーず俺には一生習得できそうにないな……」
「ヴァルナは怪物。これ確定」
「理解は出来ても納得できないです……無理ゲーすぎる」
習得が無理ゲーなのは全面的に同意する。
何を隠そう俺自身、習得するのに何が必要だったのか全然理解してないから。逆にそういう理解を超えた領域に『八咫烏』という幻の鳥は羽ばたくのかもしれない。
奥義の話も終わり、周囲は各々の訓練に戻っていく。
仕方がないが、俺も訓練でダメなら素振りで手に馴染ませるしかないだろう。ある意味一番堅実な方法だしそれで行こう――そう思っていた矢先、訓練場に走り込んでくる影が現れる。
「ヴァ、ヴァルナ先輩! 先輩はいますかぁ~~~っ!!」
「ん? あれ、カルメじゃないか。どうしたお前……?」
「先輩大変です! 大変なんですってば~~ッ!! はぁ……はぁ……」
相当走ったのか肩で息をしながら俺の前に現れたカルメ。
うむ、潤んだ瞳に華奢な体の頬が紅潮した女顔が息切れする様に周囲の男衆が言葉にできない何かを感じているが、俺は敢えてスルーさせてもらう。何故ならこういうの慣れてきたから。
「騎士カルメ、報告を」
「は、はい!! あの……その……」
上手く言葉に出来ないカルメは一度目をつぶり、大きく深呼吸してから今一度口を開いた。
「王宮から先輩にお知らせがあるって、使者の方がいらっしゃってますッ!!」
王宮からの使者、それは基本的には王命を告げる宮廷の使者。これが騎士とは言え一個人の下に足を運んでくるなど、尋常な用事ではない事は世間から見れば明々白々。
今ここに、騎士団再編とは違った嵐が発生しようとしていた。
「……ちなみに要件は何か言ってた?」
「え、えっと……『いつもの』と伝えてくれと」
「あーハイハイいつものね。知らせてくれてありがとな、カルメ。ちょっと訓練しに出かけてくるわ」
「え? ……え!? それだけ!? 王国の使者が個人宛にですよ!?」
――ただし、嵐の発生地点は状況が読めずオロオロしているカルメの胸中だけだったようだが。
「あー、ヴァルナの『いつもの』ね……ま、最初は驚くわなぁ。カルメは初めてだったっけ?」
「んじゃ、行ってらっしゃーい! 土産に酒くれ!!」
「代金が給料から天引きでいいなら二千万ステーラぐらいの凄い酒買ってあげますよ~。王宮のワインセラーには桁外れの値段の酒がゴロゴロしてますもん」
「破産するッ!?」
なにせこれは『いつもの』だから、何も驚くことはない。いつもたかろうとする先輩をいつものように軽くあしらい、俺は王宮へ赴く準備のために自分の部屋へ向かう。
全く、あの馬鹿王子め――と、俺は内心ごちた。
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