第98話 バレないようにやりましょう

 蝶のように舞い、蜂のように刺す。

 言葉で言い表すのは簡単な事だが、それを剣の世界で実際にやるのは極めて困難だ。剣術に於いては攻めるも苦、迎え撃つも苦。さりとて勝負は早く決着をつけなければならない。だからこそ相手の動きを読み合うし、様々な攻め手が必要になる。

 しかし防御を視野にいれないのならば、究極的には相手の攻撃を全て避けて隙あらば斬ればいいというのは無駄のない結論でもある。他にある数多の手札を切り捨てて、たった二枚、相手に通じるかどうかも分からない札で勝負するのだ。


 つまるところ、そんな博打のような戦術を勧めた上に即興で実践したヴァルナという男は控えめに言っても化け物の領域に足を踏み込んでいる。そして、その剣技を模倣した動きで見事に同級生を剣術訓練で打ちのめせるロザリンドという女も、割と頭のおかしい領域にいる。


 さりとてそんな人外二名から剣術を押し付けられている少女ことアマルは、才能があるとは言い難い人物である。当然と言うか、一朝一夕どころか一週間にも及ぶ練習でもやっとまともに突きが出来るようになったぐらいであり、回避に関してはかなり滅茶苦茶だった。


「うひゃあああーーーっ!!」


 横っ飛びから体を転がして立ち上がったと思ったらウサギのように跳ねて追撃を避け、次に放たれる連撃をミミズのようにくねくねしながら辛うじて躱したかと思ったら態勢を崩して背中から地面に落下。「ぐえー!」と情けない悲鳴が訓練場に響いた。

 余りに滑稽すぎる姿に、攻撃を避けるよう指示したロザリンドは久しぶりに天を仰いで呻いた。


「何をどうしたらそんな回避方法になった上にひっくり返るのですか……」

「えー、だって避けろって言ったじゃん! ……けほっ!」

「あのですね、目の前でフラフラ変な動きしてる対戦相手がいれば、大抵の騎士は好機と思って攻撃してくるでしょう? だから、ただ避けるのではなく避けた後の態勢というものを考えなければならないのです」

「むぅ~~……考えろって言われただけじゃ分かんないもん! 具体的には?」

「さっきの動きの中でも特に横っ飛びとジャンプは悪手。ついでに背中から落ちたアレは論外ですわ。剣術の見直しの時に使ったステップを思い出して避けてみなさいな」

「忘れた!」

「では今から復習です。思い出せば少しはマシになる筈ですわ」

「はーい」


 なんだか最近は随分素直に言う事を聞くなぁ、と思いつつ、ロザリンドは緊張感に欠けるへらっとした笑顔で後ろ頭を掻く出来の悪い生徒の手を取る。昨日までマメで潰れていた彼女の手は、少しばかり皮の厚さが増しているが綺麗だった。

 爪の手入れまで綺麗にされている。

 というか、ロザリンドが口を酸っぱくして言い聞かせたのだが。


「……なんか、最近のロザリンドさん優しいね」

「わたくしは元々慈愛に満ち溢れた人間ですわよ、アマル」

「あ、呼び捨てにしたー! ロザリーの癖にー! えへ、ロザリーって渾名可愛いね? 使っていい?」

「使いたいならお好きにどうぞ? わたくし、器量のよい女ですのよ?」

「ハライタロザリー!」

「ぶん殴りますわよ」

「全然優しくなぁい……」


 行動を共にし始めた頃のいがみ合う二人からは想像もできない程の軽口。

 残り一日しか猶予のない中で、二人は自分たちでも驚くほどに気楽だった。

 だが、アマルは最初と変わってはいない。

 本当に変わったのはロザリンドだった。


(今のロザリンドさん……ううん、ロザリーの方が、なんか前より可愛いなー)

「ほら、呆けてないで構えなさいな。最悪、水薙は習得できなくとも避けられれば問題ありません」

「おぉ、カンペキ主義者のロザリーらしからぬダキョー発言!」

「勝てばよいのです。それが効率というものですわ」


 あっという間に通り過ぎた、しかし他のどの時間よりも充実した訓練の日々は、交わらなかった二人の心の距離をいつの間にか「友達」と呼べる域まで近づけていた。


 貴族に媚びる平民、というイメージはアマルには当てはまらない。

 すぐ文句、すぐ口答え、すぐ巫山戯ると全く媚びてないからだ。

 そしてロザリンドも平民に餌付けしているイメージは当て嵌まらない。

 面倒は見ているが、甘やかしてはいないからだ。


 二人の関係は隷属でも寄生でも搾取でもない。

 ただ対等に物を言い、同じ方向に向かっているだけだ。

 その関係を何と呼ぶのかを、彼女たちは気付きながらも敢えて口にはしない。


 二人は、そういう関係になった。




 ◆ ◇




 ところで、士官学校の入試は選択問題が多くなっているが、学校内での筆記試験に選択問題は余りない。


 これは、選択問題のない時代の入試試験で平民枠の点数が余りにも酷すぎた為に敢えて入試だけ選択問題を増やしているのと、単純に採点の時間を短縮する為でもある。仮にも国内で最も倍率の高い学校だ。そこに入学しようとする人間の数は、特権階級は勿論平民は恐ろしいまでの数になる。


 で、そんな環境に於いてほぼ一夜漬けとヤマカンでテストに挑んでいたアマルの平均点は百点満点で平均二十点前後という悲惨な内容になっている。むしろ普段一切勉強していないのに二十点取れる事を褒めてやるべきなのかもしれないが、やっぱりヒドイものはヒドイ。


「どうでしたの、筆記試験は?」

「私、頑張ったよ……でもねぇ! 必死こいて頑張って終了のチャイムが鳴ってぇ! それでも解答欄の半分近くが真っ白になるって! それが結果なのよッ!!」

「何ですかその妙な台詞回しは……まぁつまり、奇跡が起きても最高五十点という訳ですわね。想定の範囲内なので問題ありませんわ」


 剣術の合間を縫って基礎の基礎からアマルに勉強も教えてきたロザリンドだったが、まぁ無理だろうなとは思っていた。勉強とは予習と復習なしにはなかなか身に付かないものだ。ましてこの時期の試験となると一夜漬けとヤマカンを使うにしても中々難しい問題がより取り見取りだ。正直ロザリンドも分からない問題が数問あった。


 ちなみにハチャメチャ大三角の一角であるセドナ氏は毎回満点を取っていたそうだ。ヴァルナとも親友だったという話を聞き及んでいるロザリンドは、一体どんな素敵で凛とした令嬢なのだろうかと少々美化された想像を膨らませている。

 ……いや、セドナは親友たちの前では少しはっちゃけるが、普段は凛としたご令嬢である。ご令嬢ではあるのだが、きっとアストラエとヴァルナがこの想像の内容を知ったら途轍もなく微妙な顔をするであろう。


「いいですか? 問題なのは明日の剣術試験です。相手に評価を下す為に教官も最初から本気でかかってくる事はないでしょうが、余りにも隙だらけなら見込み無しとしてあっという間に終了でしょう。大半の士官候補生がこの試験では敗北を喫します。一種の通過儀礼となっていると言ってもよいです」


 これまでにも試験で教官が立ちはだかる事は多くあったが、それは決められた手順に基づいた型のようなものであり、相手の動きを読み合う試合はなかった。しかし冬季試験はいよいよ士官候補として大詰めであるために、かなり実戦に近い内容となっている。


「――対して、貴方はとうとう水薙を習得出来ませんでした。これによって貴方が使える奥義はたったの一つ。これだけを武器に勝負に挑ませばなりません」

「分かった! つまり――」

「つまり?」

「練習始める前よりは勝算上がってる筈だから大丈夫っ!!」

「ああ……そういえば貴方、ゼロからのスタートでしたものね……」


 危機感のなさそうなによりんとした笑みを浮かべるアマルに、ロザリンドはそれ以上何かを言うのを諦めた。どっちにしろ檄を飛ばす気ではあったのだし、本人が納得する方向ならそれでいいだろう。何も頭の中で思い描いた図面通りに話を進める必要など、今更ありもしない。


「……まぁとにかく、ヴァルナ様に直々に訓練を受け、このわたくしが指導を行ったのです。どうせなら全力で粘りまくって教官を困らせておしまいなさい?」

「リョーカイっと! はぁ~、そういえばセンパイもう直ぐ王都に戻ってくるんだよね~。やっぱりオークと戦って首とか狩ったのかなぁ?」

「この真冬の時期にオークが北に出るとは思えませんが……?」


 なお、ロザリンドの予想は大いに外れているのであった。

 ちなみに首も狩らなかったのでアマルも仲良くハズレである。




 ◆ ◇




 全力を注いだ試験に挑んだものの、恐らく自分の成績は後ろから数えた方が早い所にあるだろう、とコーニアは思う。それが歯がゆくて、消灯時間になっても消えない劣等感に魘された頭を冷やしたい思いでコーニアは月光の照らす薄暗い廊下を歩いていた。

 学校と宿舎を繋ぐ長い廊下――夜の陰を包んだそれは、驚くほど寂しく、暗い。


 ふと、試験が終わって放心状態だったアマルの事を思い出す。

 相変わらず馬鹿丸出しだったが、その解答欄は以前よりは埋まるようになっていた気がする。これも貴族とのおつきあいの成果だろうか。コーニアとしては認めたくはなかったが、彼女とロザリンドは清き仲らしい。


「……あいつは、俺と同じだと思ってた」


 性格や心構えの話ではない。

 馬鹿にされるだけの側、という意味だ。

 周囲から軽んじられ、どうせすぐに沈む泥船だと人付き合いもおざなり。平民枠の上位三人は別の特権階級に付け入る事によってその恩恵を受け、代わりにへこへこと頭を下げて自分を安く見せるのが得意になった。誇りなどない。ただ、安直で安定して、なおかつ自分より下の存在を明確に認識できる立場が彼らは欲しかったのだ。


 コーニアはプライドが邪魔で出来なかった。

 アマルはそもそも当人の性格上、周囲の側が付き合いたがらなかった。

 除け者同士、才能に恵まれなかった者同士――あちらがどう思っていたかなど知る由もないが、そんな状況でも厚顔無恥な面でいられる彼女の神経の図太さに、コーニアは時々救われていた。


 しかし、今になって思えばそれはただ自分より下の存在がいる事への安心感だったのかもしれない。だから、アマルがロザリンドと共に行動を始めた時、コーニアは「裏切られた」と感じた。お前もあの卑怯で卑屈な平民士官と同じなのか、と。


 そして、彼女の訓練の様子を見て、着実に彼女が自分を追い越す日が近づいている事を知り、あの豆スープの場で遂に言いがかりをつけ、見事に打ち負かされた。彼女たちが身分に囚われた上下関係ではない事を知り、コーニアは更に打ちひしがれた気分になった。

 卑屈で卑怯なのはお前自身だと言い返された気分にさせられた。


「俺、このまま王立外来危険種対策騎士団に着任したとして……あいつの目ぇ見てやっていけるのかな」


 きっと彼の騎士団は、自分よりよほど優秀な人材の宝庫だ。

 仮にそうでなかったとしても、自分より豊富な経験が必ず差を生み出している。そんな集団の中で、自分は置いていかれ、アマルはトコトコ進んでいってしまう。そんな起こるかどうかも不明な想像を、どうしてもしてしまう。


 きっと呑気なアマルはふと後ろを振り返り、「大丈夫?」と自分に手を差し伸べる。それを握った瞬間、自分もあの卑怯で卑屈な連中と同じ、力に媚びる存在になって――いいや、それは余りに被害妄想が過ぎるというものだ。

 コーニアは馬鹿な考えを、頭を振って追い出した。


 未来は暗雲に覆われている。

 月明りが照らす夜の方が遥かに見通しがいい。

 と――。


『…………にしようと……………そこで、お前が……』

『……構わない…………すり替え…………必ず勝って……』

「……?」


 消灯時間を過ぎた筈の校舎に明かりがついている部屋を見つけ、コーニアは思わず眉を顰める。まさか、こんな時間に勝手に校舎に生徒が入り込めば流石に罰則は免れない筈だ。ならば教官で話しているのかとも思うが、興味本位で近づくにつれ、間違いなく片方は若い女の声であることを聴きとる。

 余計に状況が分からなくなり、コーニアはつい耳を欹てる。その刹那――。


『――だから、アマルテアを完膚無きにまで叩きのめすんだ』

『ええ、良いでしょう。私も常々、ロザリンド殿には目を覚ましてほしいと思っていましたし……何よりあの珍獣は煩くてかなわない。いっそ士官学校そのものから叩き出してやりますよ』

「……ッ!?」


 呼吸と足が、同時に止まった。

 たった一人の平民の娘を陥れるための、自分とは関わりのない愚かしい計画。それは数分程度続き、終了と同時に二人は部屋を後にした。このままでは盗み聞きが露呈すると思ったコーニアは咄嗟に物陰に滑り込みながら、僅かな月明りを頼りに計画実行者の顔をはっきりと見た。


(ロッソ教官と……あいつッ!!)


 その男は、奇しくもコーニアがこの学園で最も嫌いな特権階級だった。

 聖靴騎士団副団長ワルスキー伯爵の息子にして、平民士官候補三人を舎弟として扱う忌むべき存在。


(ゴート、あの野郎……ッ!)


 コーニアはこの時、見て見ぬふりをすることも出来た。

 自分に振る掛かる火の粉でないのなら、貴族の都合に口を挟めば後でどこから露呈し、何をされるか分かったものではない。しかし、コーニアの脳裏に浮かび上がったのは、不思議とあの豆スープを一度で飲み干したロザリンドの姿だった。


 あの女なら、密談の場に躊躇い無く踏み込めた。

 そうでなくとも、聞いた情報を余さずアマルに伝え、その上で見事な対応策を考えた筈だ。貴族で公爵家だから出来るのだ、と言ってしまえば事は簡単。しかし、密談の場から逃げてこそこそ隠れている自分を見つめ直したコーニアは、「負けている」とどうしても思ってしまった。

 だからこそ、愚かしくも意地の選択をする。


(これ以上――覚悟さえあいつに負けて堪るかッ!!)

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