第97話 カマの話です

 それは、アマルにとって余りにも未知の存在だった。

 目の前のベッドで横たわり、すうすうと寝息を立てる無防備なロザリンドの姿――ではなく、その彼女を寝かしつけた治癒師が。


「……これは豆スープによる食あたりというより、単純にマズ過ぎて胃が受け付けなかっただけよぉ。お嬢が起きたらあんまり胃をビックリさせないように伝えといてねぇん?」

「は、はぁ……」

「生まれてこの方美味しくない食べ物なんて口にする機会もなかったでしょうし、次からはそこそこの料理で慣らすべきねぇ」


 曰く、「屋敷専属の治癒師だったこともあり、融通を利かせてくれる筈」とロザリンドの語った治癒師は、女口調の野太い男性の声でそう説明した。

 繰り返すが、女口調の野太い男性の声でそう説明した。


 今、アマルの目の前には治癒師がいる。

 アマルの勝手かつ偏見にまみれた想像によると、治癒師というのは美麗で大人なお姉さんみたいな感じでちちんぷいぷいと傷を治してくれる人だと思っていた。しかし、目の前の存在は治癒師の、いや、そもそもアマルのイメージする平均的な人間からは余りにもかけ離れていた。


(最初に見た時と治療受けてるとき、わたしよく気絶しなかったな……)


 まず、性別が男だ。

 それはまぁ、分かる。若い男性やおじいさんの医者なんかは見たことがあるし、治療行為にかかわる男性がいても何も可笑しいとは思わない。


 次に、肉体がムッキムキで身長が二メートルはある。

 これもまぁ、かなりびっくりはするが納得は出来る。健全な精神は健全な肉体に宿るというし、医者の不養生という言葉とは正反対に生命力に満ち溢れた筋肉は一種の頼もしささえ感じる。それに顔も厳つくはあるが目が優しいので怖くはない。


 だが、残りの三つが非常に辛い。

 一つ、身長二メートルのムッキムキ男が女性モノの治癒服を着ており、布がパッツンパツンだわ女性向けの薄紅色の服とモリモリの筋肉が絶望的に似合わないわでかなりの恐怖映像である。アマルとしては、桁外れの嫌悪感と悪寒を感じざるを得ない。


 一つ、似た目にたがわぬ野太い声を発しながらも、口調が女性。

 そんな口調で喋られても男性らしさも女性らしさも感じないというか、痛烈な違和感と言葉にできない忌避感がひどい。あのちょっと間延びした語尾などを聞く度にアマルは魂が吸い取られているのではないかと思う程気が遠くなる。


 そして最後の一つ……彼は女性もののケバい化粧を顔面に塗りたくっていた。

 化粧に疎いアマルでさえよく分かる。化粧とはあそこまで頬を赤くする必要はないし、口紅を血のように真っ赤にする必要もない。いや、いっそもしかしたらあれは血を啜り過ぎたいせいで赤くなったとかそういうものなのではないだろうかとさえ思った。この五つの要素が相乗効果を齎し、もう初見のアマルには目の前の存在がバケモノか魔物にしか見えないレベルで絶句した。


 ロザリンドから少し聞いたのだが、名前はジュドーらしい。

 肉体は男だが心は乙女という業を背負ってこの世に降り立った堕天使(自称)らしい。

 ぶっちゃけ「そういう」存在に対して無知かつ免疫のないアマルには全く理解できなかったが、とりあえず治癒師であるのは本当だったし思いのほか優しい人だったので何とか化け物扱いからヤバい人ランクにまで心の中で格上げされている。格上げしてねぇじゃねーかと思われるかもしれないが、人間扱いされているだけ格上げである。


「それにしても驚いたわぁ? まさかロザリーちゃんが私を頼ってくるなんて。この子と最後に会ったのはもう七年も前なのに、アタシの事覚えててくれたのねぇん♪」

「色々と忘れたくても忘れられないと思いますが……仲良かったんですか?」

「まぁねぇ、一時期貴族街で診療所やってた頃があったからその時にね。特にバウベルグ家は軍門だから、訓練での怪我を治療してってよく診療に行ったわぁ? ロザリーちゃん、アタシみたいな新人類は初めて見るのか興味津々だったわねぇん♪」

(流石ロザリンドさん。この人……人? を初対面から人間扱い出来たなんて器が違うねー)


 笑顔でウィンクする自称堕天使の顔から発せられる強烈なオーラに、アマルは椅子に座ったまま吹き飛ばされる自分を幻視した。志半ばで既に心が折れそうである。あとこの人とヴァルナを決して会わせてはいけないと本能が叫んでいる気がした。


 しかし、七年前となるとロザリンドはまだちびっ子だった頃だ。

 あの顔だから忘れられないのは分かるが、七年越しに「便宜を図ってくれる」と断言したロザリンドさんと、彼女をロザリーと愛称で呼ぶジュドーさんの関係も気にならないではない。


「あ、ロザリーとアタシの関係が気になってるでしょ~? そういう顔してるわぁん?」

「ハイ。キニナリマス」


 獲物を前にほくそ笑む悪鬼羅刹のような――恐らく本人は妖艶なつもりの――微笑みから発せられる膝が折れそうなまでのプレッシャーにアマルは辛うじて返答できた自分の健闘を褒め称えたくなった。


 決して悪い人だとは思わない。

 思わないのだが、どうしても生理的なストレスというか、覇気を感じざるを得ない。これを相手に何をどうすればロザリンドは気を許せたのだろうか。子供故の無謀か、或いは田舎者の自分が悪いのだろうか。

 しかし、余りにもあからさまに声が強張ったせいで「そんなに怖がらなくたって取って食べたりしないわよぉ」と苦笑された。本当に見た目と喋り方以外はマトモな人……人? である。


「ロザリンドちゃんはねぇ……多分、寂しかったんでしょうねぇん」




 ◇ ◆




 治癒師の治癒は、簡単な怪我でも最低十分はかかる。訓練で出来た傷を手っ取り早く癒せるなら金をいくらでも積む特権階級は、些細な怪我でもすぐにジュドーを頼ってきた。見た目のインパクトから二度と来ない人もいたが、傷痕を残さない治療の手際から人の足は絶えなかった。


 そのなかでもやってくる頻度が多かったのがロザリンド含むバウベルグ家の面々だ。彼らは体と心の性が違うジュドーにも深い敬意を払ってくれて、その頃のジュドーとしては、流石は大貴族だなぁ、と感心させられた。


 そんな中、治療中の退屈な時間にロザリンドはしばしばジュドーと世間話をしていた。

 ジュドーは心は乙女だし、子供も好きだ。ロザリンドの好奇心にあふれた質問にもジョークを交えながら丁寧に回答し、話を盛り上げた。大陸から来た治癒師という存在にロザリンドは興味があったから、物珍しかったのだろう。


『ありがとうございました、ジュドー様。またお話をお聞かせくださいな』


 付き合いは続く。

 ロザリンドはやがて、聞くだけでなく自分の話も少しずつするようになっていた。それなりの貴族の子弟などの治療を引き受けてきたジュドーだが、自分の話を聞かせてくるときは大体が自慢話だった。だから、ロザリンドの口から洩れる話が予想以上に些細な話が多い事に「なんて謙虚な子だろう」と内心で驚いていた。


 見張りの衛兵が着ている鎧をこっそり装着したら中が臭かったこと。ドジメイドに少しイタズラしたら大変な事になったので、可哀そうになって少しだけ後片づけを手伝ったこと。父親のお家自慢に内心食傷気味であること。剣の道に興味が湧いて来たこと。

 どれも可愛らしい内容だった。


『他の家族には内密にお願いしますわ、ジュドーさん? またお話しましょう?』


 次第にロザリンドも、ジュドー相手に砕けた口調で喋るようになってくる。

 曰く、バウベルグ家というお家柄が大きすぎるが故、どうしても他の同年代の子らと喋る時は上下関係を意識した内容になってしまうのだという。その反面、ジュドーは治癒師という特権階級とも違った特別な技能を持った存在であるが故、いい意味で曖昧な立場にあった。


 ジュドーもまた次第に、このロザリンドという少女を年の離れた友達のように感じるようになった。世間に疎いロザリンドにちょっとした小話をしたり、逆に王国特有の特権階級制度に疎いジュドーに彼女がまるで教師のような態度で教えてくれたり。時間にすれば十数分の、あっという間に通り過ぎてしまう時間。その短い時間の連続が二人の距離を近づけた。


『また会いましょう、ジュドー? 次はどんなお話かしら?』


 しかし、その時間は突如として終わりを告げる。

 七年前に起きた大災害――王都に最も近い場所にある王国最大の川、ギャラクシャス川の大雨による氾濫。この未曽有の危機から平民を救うべく編成された救助部隊に参加するよう、王立魔法研究院からお達しが来たのだ。

 当初、ジュドーはその容姿や言動から研究院でも微妙な立場にあり、またジュドー自身もこの危機を治癒師として放っておくことは出来なかったために診療所を長期休診して救助部隊に参加。これが大きな転機となる。


 体格では下手な兵士など鎧ごと投げ飛ばせる上に治療も出来るジュドーは被災地で八面六臂の活躍を見せた。しかし同時にジュドーは被災地での怪我人治療を通して自分の知識不足を痛感させられた。怪我人には対応できても病人の対応に後手に回ることや、補助してくれる人間への意思疎通が効率的でないこと。一人で診療所に籠っている分には困らない経験を多く要求される現場で、ある日ジュドーはとうとう患者の一人を死なせてしまう。


 当時のロザリンドと同じくらいの年頃の少女だった。

 元々重篤な心臓の病に侵され、長くはないと医者に匙を投げられていた彼女の死は、決してジュドーのせいという訳ではなかったのだろう。しかし、精神的に追い詰められていたジュドーにはその少女の亡骸がロザリンドに被って見えた。


 ――王都で同じ事が起きた時、自分はロザリンドを助ける事が本当に出来るだろうか。

 ――治癒師という特殊な技能に胡坐をかいていないか。


「……その子のお友達だった男の子がね。彼女のお葬式の時、『死ぬときも一緒にいるって約束したのに』って言って泣いてたわ。その子は川の氾濫のせいで被災地の病院まで来られなかったの。その時私は思ったわ……もっと自分が優秀な医者だったら、せめてあの少年が来るまで彼女を生かしてあげられたんじゃないかって」


 今頃、あの少年はどこで何をしているのだろう。

 約束を守れる男になると言っていたが、今もそう願っているのか。

 ともかく、ジュドーはこれを機に王立魔法研究院附属病院でもう一度医療を学び直す事を決意した。診療所はもちろん閉鎖。こうしてジュドーは、ロザリンドにその行先や理由を告げることもなく別れてしまった。


 話を終えて一息つくと、いつの間にかアマルは大量の涙と鼻水と涎を噴出して咽び泣いていた。どうやら何か、今の話が彼女の涙腺やら何やらを刺激してしまったらしい。乙女がしてはいけないでろでろな顔になったアマルは泣きながらジュドーに抱き着く。


「ジュドーざぁん゛……わだじ、ジュドーざん゛のごど誤解ごがいじでばじたぁぁぁ~~~~ッ!!!」

「あぁもう、女の子がそんなに色んなモノ垂らしちゃダメよぉん? ほら、こっち来なさい。ここまでくると拭くより先に洗った方がいいわねぇ……」


 治癒服からアマルの顔を離すと同時に服に付着した鼻水や涎が糸を引き、ジュドーは「後で洗っておこう」と引き攣った顔で決意した。

 泣き止まないアマルを隣の部屋に移して一息ついたジュドーはベッドの横の椅子に腰かけ、ロザリンドに向けて優しい笑みを浮かべる。


「起きてるんでしょ、お嬢?」

「……」


 反応はない。しかし規則的な呼吸が一瞬止まった。


「赤の他人に無防備なトコロ見せるだなんて珍しいわねぇん、診療所では他人には姿さえ見られたくないって細心の注意を払って来てたのに」

「……」

「それだけ、あの子に気を許してるんでしょ? 性格も涙腺もユルユルだけど、素直でいい子じゃない。大事にしなさいよ、認めてるんでしょ?」

「……」


 暫くの間を置き、ロザリンドは寝返りを打った。両手でかけられた布団を引っ張り、口元を隠すようなポーズでジュドーを見つめた彼女は、不満げに呟く。


「……あんな理由があったのなら、診療所を閉める前に一言言ってくれても良かったのではなくて? わたくし、別れの言葉が無かったのはショックでしたのよ?」

「ウフフ、ごめんなさい。お嬢なら分かってくれると思って横着しちゃった♪ ホラ、現に私のこと頼ってくれたじゃなぁい?」

「それとこれとは話が別です。もう、ジュドーは意地悪な友達ですわ。素直すぎておバカなあの子とは大違い……」

「そんな事言ってぇ、本当は嫌いじゃない癖にぃ♪」

「知りませんっ」


そう言ってそっぽを向く彼女の顔はしかし、ジュドーにはどこか満更でもなさそうに見えた。

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