第95話 家族が何かを考えます

 アマルは、地元でもおバカで通っている少女だった。

 それにムっとする事はあったが、三歩歩くと忘れるし、家に帰ったら兄弟姉妹の面倒を見なければいけずに忙しかったので気にしてはいられなかった。


 アマルがバカなのは本人の自堕落な性格が原因ではあるのだが、その一助を担っていたのが共働きの両親とたくさんの子供たち、そして貧困である。有体に言えば、アマルは学校に行くお金がなかったのである。時折暇があれば近所の教会の勉強会なんかに参加したり親に文字を習ったりはしていたのだが、彼女は八歳になっても文字が読めていなかった。


『お前、まだ字も読めねーの!? うわぁ、ありえねーわぁ!!』

『文字も読めないとかアマルはホントに馬鹿よね! 名前をバカルに変えた方がいいんじゃなーい!?』

『お前くらいの年で字が読めねぇとか、もう一生馬鹿のまんまだな! あははははは……』


 最初は教育費をケチっていた両親だが、自分の娘が文字も読めない馬鹿だと噂され始めると流石に焦りを感じたらしく、アマルは中途で学校に通い始めた。しかし学力的に遅れていて飲み込みも遅いアマルは教師にあまり快く思われておらず、次第に無視され始めた。


「分かんない所聞くんだけどね。私、人が一回で分かる事が三回くらいは聞かないと分からなかったの。でも分からないことには授業についていけないじゃん?」

「それは、まぁ……流石に三年分の差を埋めるのは難しいでしょうけど、その差は教師の側が埋めてくれるのでは?」

「わたしもそう思って聞きまくってたら、ある日『何でこんな簡単な事が分からないんだ!』って怒鳴られちゃって、もうそこからは無視だよ無視! そんな事言われたって分からないものは分からないんだもの!」

「なっ……何ですかそれは!? 教師の職務を放棄しているだけではないですか!」

「わたしもそう思ったんだけど、学校の先生の評価ってダメな子を普通にするよりも普通の子を優秀にした方がいい評価になるんだって。だから馬鹿な子はお金だけもらって切り捨てていくのが当たり前だったみたい」

「……平民の教育とは、それで許されるのですか? 教育とは子の将来を決める重要な事柄ですのよ?」


 ロザリンドは信じられないとばかりに頭を振る。しかし彼女に教えたという家庭教師とアマルの学校の教師では、責任は重大だがその方向性が全く違う。


「まぁ、田舎の学校だったし他に通える学校なかったし、文句あるなら転校すれば? って言われると貧乏のウチとしては文句は言えない訳ですよ」

「そんな……他の生徒の家と同じだけのお金を払っているのでしょう!?」

「うん。でもね、卒業した生徒が普通の職にありつくのは普通の事だけど、もしその中からお役人さんになるような優秀な子が一人でもいたら、その事を言いふらして学校の評判を高められるじゃん? やっぱり先生たちが期待してるのはソッチなんだよねー」


 ロザリンドの認識とアマルの認識の差は、端的に言えばお金と権力の差だ。ロザリンドの家の家庭教師はバウベルグ家という大きな権力の要求を満たす為に何が何でも受け持った生徒に優秀になってもらわねばならない。

 しかしアマルの学校の教師は環境的に来てもらう側であり、別に貧乏の家のアマルが馬鹿のまま卒業しようと特段損はない。そのマイナスを補うプラスが一つでもあればお釣りがくるのだ。


 己の常識を覆す世界にロザリンドは完全に閉口するが、アマルはそれでも優秀とまではいかないがある程度の学は身に着ける事が出来た。しかし問題はその後だった。


「わたしはいいよ? バカな自覚はちょっとあるし、言われると腹立つけどそのうち忘れるもん。でもさ、長女がバカだとその家の家族がみんなバカみたいに噂されて、いじめとか起きちゃうのよ」


 アマルにとって、それが初めて自分と家族の関係を知る機会だった。

 外の人間は家の中なんて知らないし、生活に余裕がないから両親が出稼ぎに出ている家で一番他人の目に着くのがアマルだ。だからアマルの家は、アマルを基準に想像される。


「いじめを受けた弟と妹がさ、『何でお姉ちゃんはバカなの!?』って。これホンット辛いのよ? 馬鹿でゴメンとしか言えないもん。流石にそれは時間が経っても忘れられなかったし、情けなかったし、悔しかった。全力で悔しかった。私は家族の長女として、もっともっと頑張らなきゃいけなかったんだって、その時感じたの」


 馬鹿の姉を持った不幸で同級生に虐められ、先生には見捨てられる。

 これでは駄目だと思ったアマルは、自分の使っていた教材を基に、自分に分かる範囲で全力で兄弟姉妹に勉強を教えた。いくら馬鹿なアマルと言っても入学から一年程度の簡単な学習要領なら教えられる。


 その頃のアマルは既に成績が悪すぎる事を理由に学校内でも放置されていたが、逆にそれを逆手に取って二、三歳年下の学年で行われている授業に参加して齧りついた。全ては、年下の家族たちに勉強を教える為に。散々後ろ指を指されて馬鹿だと笑われたし嫌がらせも散々受けたが、アマルは一つだけこれをひっくり返す方法を知っていた。


「成績優秀者にさえなれば先生は弟や妹を無視できない。中間試験でいい結果を出しさえすれば真面目に面倒を見てくれる。姉はバカだったけどお前たちは違うなって言って守ってくれる。それの為に……まぁ、高学年の授業は全部諦めたかな」

「それで、ご家族はどうなったのです? 成績は……?」

「嬉しい事に、わたしよりも頭の良かった弟妹たちは他の誰よりも頑張ったからね。作戦は成功して状況は逆転したよ。でもね、嬉しかったのはそっからだったよ」


 姉より頭がよくなった弟や妹たちを残し、アマルは学校を史上最低の成績で卒業した。もちろん、周囲から盛大に馬鹿にされた。しかし、そんな周囲からアマルを守ってくれたのは、頼ってくる側の筈の兄弟姉妹たちだった。


『アマル姉ちゃんを虐めんな!! おれたちの為に自分の勉強捨ててまで頑張ってたんだぞ!』

『家事に洗濯、お料理にお買い物! あたしたちの面倒を全部やりながら勉強も出来るほど、貴方たち苦労してる訳!? してないんだったらなんにも言う資格ないでしょッ!!』


 そのとき、アマルは初めて家族の在り方を知った。

 全力で家族を守り、守った家族に守られて、その家族を守る為に更に頑張る。そうして心ない連中の言葉を跳ねのけて助け合うから、自分みたいな駄目な人間でも生きていけるのだと。


『……まぁ確かにずぼらで文句が多くて時々勉強の答え間違ったりしてたけど』

『暇さえあれば寝てるしちょっと甘やかすと私たちに仕事どんどん押し付けようとするし、夜にパンツ一丁で寝てるのは正直やめて欲しいと思ってるけど』

『あれ!? 守りつつも文句!?』


 ……まぁ、兎にも角にもこうして苦難を乗り越えたアマルから言わせれば、ロザリンドの兄姉たちは決して打算の為だけに動いているとは思えないのだ。


「自分のせいで家族がバカにされるなんて、嫌だし許せないでしょ? 家の名前に泥を塗らないっていうのは、家族の評判を落とした時に最初に傷つくのが自分の家族だからとは考えられないかな? ロザリンドさんの家族は、恥をかかされた時に相手と家族とどっちに怒る?」


 ロザリンドは、その言葉を聞いて俯きながら黙り込んだ。




 ◇ ◆




 貴族は面子が命。

 だから身内の不祥事は許さないが、同時に仕掛けてきた相手を唯で済ませることもない。どこか、何らかの形で自分たちの威厳を落とさないようにしてから手打ちにする。相手に悪意がある場合は、必ず落とし前をつけるのがバウベルグ家のやり方だ。


 だから、ロザリンドはアマルの質問に「どちらも」と答えようとした。

 いい所を取ろうとするから、面子の為にどちらもするのだ、と。


 しかし、それもまた物の見方の一つでしかないと気付かされる。

 どちらか片方が真実なのではなく、どちらも真実であるという場合もこの世には存在する。面子は守りたい。しかし家族も守りたい。そんな風に家族が考えている可能性に気付いた時、ロザリンドは自分が驚くほどに家族の胸中に対して無知であることに気付かされる。


 同時に、頭が悪いが故のひたむきさを持つアマルが、初めて偉大な存在に見えた。


 もしも自分の頭がアマルと同程度の出来であった時、果たしてロザリンドはアマルのように周囲に見下されながらも家族の為に不断の努力が出来るだろうか。そこまで家族の未来を深く考え、その為に自分の学業を棒に振れるか。家を捨てずに居続けられるだろうか。


 アマルは頭が悪く、本質的にはどこまでもだらけた人間だ。

 それは間違いないと今でも思っている。

 しかし同時にロザリンドはどこか納得してしまった。

 彼女は普段がだらしない分だけ、家族の為に頑張れるのではないだろうかと。


「アマルさん、その手紙はいつ送られてきたものですか?」

「え? いつも質問に質問で返すなって言ってるロザリンドさんが質問返しとか珍しいね……ええとね、士官学校の入学が決まったことを伝えた後だから、半年より前かな?」


 彼女は手紙を「実家の家族から届いた」と言っていたが、「読み返している」とも言っていた。それに羊皮紙は丈夫だ。現在は主流となっている植物製の紙と違って、何度も読み返した後でもそこまでよれたり襤褸ぼろにはならない。


「もしかして、学業や剣術についていけなくて逃げ出そうと思った時、いつもその手紙に止められてきたのではなくて?」

「へぇ!? 何でそんな事分かるの!? そーなのよ、逃げる前にこれだけはって思って手紙を掴んだらさ、つい読んじゃって……読んでるとこう、口がニマーってなっちゃって、最終的にはもっぺん体当たりしようって思っちゃうんだよね~」


 要するに、これが甘えに甘え切ってとても騎士にはなれそうにない彼女が未だに厳しい指導の士官学校で踏ん張っている理由だ。単純故に、単純な事実を再確認すれば何度だって立ち直れてしまう。半年以上顔も見られていない相手の為に――家族の為に、落ちないギリギリのラインに身を留めているのだ。

 そう考えると、色々と見えてくるものもある、とロザリンドは苦笑した。


「成程成程。アマルさんが騎士になりたい理由も大分見えてきました」

「アレ!? さっきまでわたしのターンだった筈なのにいつの間にか立場が逆転してる!?」

「騎士にもなれば家族の人数に合わせて『扶養制度』の利用もできますものねぇ。七人もの兄弟姉妹を食べさせていくには十分な額になる筈です。それに王立外来危険種対策騎士団は、その家族が望むならば本部近くの物件を格安で提供する事もしている筈。まさにいい事づくめですものねぇ?」

「完璧に狙いバレてる~~~!?」


 ガビーンと大仰に仰け反ったアマルだが、そんな反応をするから余計にバレバレなのだと思う。相変わらず感情の起伏が激しい人だと思ったが、そんな彼女に対してロザリンドは少しだけ申し訳ない気持ちになった。


 彼女は底抜けの愚か者だ。

 しかし愚かであることは転じて愚直ともなり、方向さえ定めてしまえば正しい方角にも進む。良くも悪くも欲望に忠実な彼女には、どうしても一人では解決できない問題が多すぎるのだ。

 能天気で頭が悪そうなアマルテアという少女の内に秘められた、信じられない程の愚直なエネルギー。ヴァルナが見たというアマルの可能性とは、もしかすればこれの事だったのかもしれない。


「アマルさん」

「な、何よう! また騎士不適格だとか不純だとか言う気な訳?」

「いえ、少しだけ貴方を認めてもよいかと思っただけです。為になるお話、ありがとうございました」

「ど、どういたしまして? ……なんか嫌味言わないロザリンドさんって気持ち悪ぅ」


 ぴきり。


「言いますわね。明日の訓練は二割ほど厳しさ増しという事で宜しいかしら?」

「へ?」

「人が珍しく素直に認めたと思ったら二口目にその台詞……矢張り貴方は礼節というものをきっちりと覚えるべきですッ!!」


 翌日、いつも以上に大激突する二人の罵声が訓練場に響き渡ったという。

 ただし、その会話からは心なしか、普段より心をチクチクと突き刺す嫌味が減っていたそうだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る