断章 ダブルスタンダード

第94話 とある一日です

 ヴァルナが北の大地に体力やらなんやらを試されていた頃にも、当然ながら世界は同じ時を刻み続けている。王都で勉学と剣術に励みながら激しく衝突を続けていたロザリンドとアマルテアもそうだ。

 これは、そんな彼女たちが再び先輩騎士に出会い、答えを出すまでの小さな物語。


 地面に踏み込んだ運動エネルギーを全て足先に集中させるかのように踏み込み、風を切って体が加速。構えた腕を突き出す瞬間、それまでの距離、態勢。極まったヒット&アウェイという戦法に必要なのは、必要な時に必要な技をどれだけ正確に繰り出せるか――そしていつ繰り出すかを判断する事。

 その事実に気付くまでにアマルは随分な時間をかけた。当初はこのペースで大丈夫かと散々ロザリンドに呆れられたが、今や彼女はアマルに対してそのような愚痴は言わない。ただ真剣な眼差しで、アマルの一挙手一投足余すことなく見切ると言わんばかりに静かにこちらの動きを見つめ――。


「ちぇやぁぁぁーーーーッ!!」

「はッ!!」


 今のアマルが放てる最高の刺突を、真正面から綺麗に受け止めた。鍔が競り合い、足が止まる。咄嗟に剣を弾きながら後退したアマルは剣を持つ手を引いて構え直す。しばしの沈黙。やや間を置いて、ロザリンドの口が開く。


「技の発動から構え直しまでの一連の流れ……及第点には、届きましたわね」

「という事は……?」

「六の型・紅雀。習得ですわ」

「ぃやったぁぁぁぁ~~~~~~っ!!!」


 瞬間、はちきれんばかりの歓喜の声を上げたアマルは諸手を挙げて万歳した。苦節数か月、もう無理かと諦めかけていた王国攻性抜剣術の奥義を、ついにアマルは習得したのである。なお、嬉しさのあまり手に持った木刀も万歳の拍子に投げ飛ばされており、天高く吹き飛んだ木刀は士官学校練習場の外にまで飛んで行って見えなくなった。


「あぁ、木刀が……貴方、いい加減に自分の獲物を投げ飛ばす癖を直しなさいな。以前ヴァルナ様の顔面に飛ばしてしまった事をお忘れ?」

「うぇへへ、ごめん。嬉しくってつい……」


 やや間を置いて木刀の消えた方角から「あだぁッ!?」と男性の悲鳴が聞こえたが、二人とも気付いていないようだ。やれやれ、と呆れたように腰に手を当てて首を横に振るロザリンドだったが、こんなこともあろうかと用意しておいた予備の練習用木刀を拾ってアマルに渡す。


「喜ぶのは分かりますが、あまり時間に余裕もありません。完成した技をもっと馴染ませる為にすぐ訓練を再開しましょう」

「えぇぇ~! 奥義習得パーティーとかで一回休もうよぉぉ~~~! お腹減ったしもう疲れたー! 休んだ方がもっといい奥義出せるようになるよー!」


 清々しいほどに自分に甘い女ことアマルに、少し前のロザリンドなら却下、もしくは否定、或いは説教をかましただろう。或いは、ある意味確かに記念パーティーを開いて然るべき偉業と言えなくもない。しかし、この短い間でロザリンドは彼女に対して有効なもう一つの手札を手に入れていた。


「そうですか、残念ですわね……先ほど紅雀を放った際のアマルさんはとても凛々しく、格好良かったのですが。ああー、もっと見たかったですわ~アマルさんの騎士らしい所」

「……ぅえ? え? あたし格好よかった?」

「ええ、とても。いかにも騎士の女といった風格がありましたわ?奥義を放つ瞬間などそれはもう……」

「へ、へー。そうなんだー……よっし! そんなに言うならあたしのもっと格好いい所をロザリンドさんにご披露しちゃおっかなぁ~!」

「あら、本当ですの? では早速参りましょう!」


 そう、これがロザリンドが対アマル用に開発した最終兵器、「適当に煽ててその気にさせる」である。良くも悪くも子供っぽくてコロコロ感情の変わるアマルは、煽ててやるとあっさり乗ってくる。この革命的な方法を思いついて以来、ロザリンドは毎日の指導の節々でこれを使って彼女をマインドコントロールしているのである。

 褒められたいからもっと頑張る。指導者のさじ加減によっては毒にも薬にもなるこの誘導は、幸いにしてアマルに対しては極めて有効な手段だった。時々調子に乗りすぎるので増長しないよう頭を叩く必要もあるが。


 正直なところ、当初のロザリンドはヴァルナからの課題をかなりの無理難題だと思っていた。不真面目でやる気があるのかないのか分からない気まぐれ娘のアマルが相手では、いくら指導したところで馬の耳に念仏ではないかという不安が胸中を渦巻いていた。


 しかし、彼女は不真面目で文句も多いが、一度課した課題を決して諦めないガッツがあった。目先の事しか見ていないが、目先の事なら頑張れる。練習時間を過ぎても訓練用の案山子に刺突の練習を繰り返す彼女の局所的な集中力に、ロザリンドは可能性を見た。


 勿論その間何度も衝突を繰り返しはしたが、きっとそれは互いに互いの事を知らなかったからなのだろう。アマルの嫌いなところは今も嫌いだが、同時に彼女の魅力と呼べるものにも段々と気付かされてきた。


 木刀同士が衝突し、カコンッ! と小気味のいい音が周囲に響く。


「そう、その動きです! 後は狙った場所を見極めて放てれば完成ですわ!」

「よーし、そんじゃ鳩尾、脇腹、喉のどれがいい!?」

「何故そんなに殺意に溢れた狙い所なのかは分かりませんが、それでは的の小さい喉を狙ってみてくださいまし!!」


 二人の熱が入った訓練は、その日の夕方まで続いた。




 ◇ ◆




 アマルとロザリンドの歩み寄りの切っ掛けを思い返すと、ロザリンドは一つの場面を思い出す。


 その日、アマルは休憩時間に珍しく居眠りせず、図書館の席に座って何やら一枚の紙――今時珍しい羊皮紙だ――を眺めて嬉しそうにニヤニヤと笑っていた。まさか娯楽小説を読んでいる訳でも無かろうに、何をそんなに笑っているのか気になったロザリンドは声をかけた。


「相変わらず能天気そうですが、何を読んでいらっしゃるので? 随分と楽しそうですが」

「あ、分かる? 分かっちゃうかーロザリンドさんには! そう、今の私は随分楽しいので笑っているのです! なんせ実家の家族から届いた手紙を読み返しているんだもんねー!」


 にぃ、と心底嬉しそうに笑ったアマルは食い入るように手紙を見つめている。軽い嫌味も今の上機嫌な彼女の耳にはどうでもよく聞こえるようで、珍しく普段の突っかかる態度ではない。


 不躾と思いながらも手紙をちらりと盗み見ると、お世辞にも上手とは言えない文字がつらつらと並んでいた。所々文法が間違い、前後の言葉なしにはイマイチなんと書いているか不明な崩れた文字もある。ロザリンドとしては、こんなに汚い文字は初めて見るな、と思った。

 もしかしたらアマルの家族というのは、年の離れた兄弟なのかもしれない。幼い子供ならああいった文字も書くだろう。尤も、ロザリンドがもし同じ年頃の時にあんな字を書こうものなら、家庭教師の首が挿げ替えられた後に1週間は文字の矯正と文法の徹底を押し付けられるだろうが。


「弟さんか、妹さんですの?」

「どっちもかなー。手紙が一枚しか出せなかったから皆でちょっとずつ書いたみたい……お、この辺からはジーニョの字だ。相変わらず汚ったないなー! 全家族中ブッチギリで汚いなー!」

「……はぁ」


 先ほどこちらが気を遣って言わなかった事をまさかの連呼。

 家族だからというのもあるかもしれないが、当人が聞いたら傷つくのではないだろうか。いや、この姉がいる家系ならそうでもない可能性もあるが。手紙をよく見てみると、確かに数行ずつ字体が変化し、手紙の下の方はそれなりに達筆な文章もあるようだ。

 しかし、どっちも、と彼女は言った。皆で、とも言った。

 となると、実は彼女はそれなりの数の兄弟姉妹がいるのではないだろうか。


「うちって子沢山なんだ~。私が長女で、そっから下が弟三人に妹四人。両親含めて十人?」

「まぁ、貴方長女でしたの? わたくしは末っ子ですわ」

「へー、ロザリンドさんって末っ子なんだ! いいなー末っ子……うちの末っ子は弟のサンタナって言うんだけどさー。もー久しぶりの男の子だし一番ちっこいしでチヤホヤされ放題のウハウハなのよ。わたし長女だから、後から生まれた子たちの面倒も見なくちゃいけないしあんまり構ってもらえないんだよねー」

「……わたくしの思い描く末っ子のイメージとはだいぶ異なりますね」

「え、末っ子あるあるだと思ったんだけど……やっぱアレ? お家の格の違い?」


 口に出すのは憚られるが、それはあるだろう。そもそもにおいて特権階級の中でも貴族という位は、子供という存在の意義と価値観が平民とは異なる。


 例えばだが、ロザリンドには三名の兄弟姉妹がいる。そのうち長男は既に家督を継ぐことを前提にした教育が施され、社交界デビューも果たしている。長女は御家の体制を盤石にする為に二十歳年上の海外の名家と婚姻を結び、次女は治世を学ぶために海外に留学中だ。


 すべてはバウベルグ家の長きにわたる栄華の為に。

 学力は家の為、地位は家の為、婚姻は家の為。

 言うならば家族とはバウベルグ家という巨大な組織であり、子供はその尖兵なのだ。地位を高める為に使えるものは全て捧げて家の礎となり、いずれは一族に名を連ねる者として歴史に刻まれる。そこに愛はあってもいいが、必要不可欠なものでは決してないのだ。


「確かにわたくしは他の兄弟姉妹よりは甘やかされているのかもしれませんが……わたくしが騎士になることが許されたのは、騎士の子がいることで騎士団とのパイプが出来るから許可したという側面が大きいですわ。それにもしもわたくしが長女か次女であったならば、選択権は殆どなかったでしょう。全てはバウベルグ家の利益の為に、わたくしの婚約者もそのうち父上に決められるのでしょう」

「感じ悪い話。わたし大人のそういうトコロ嫌いだな」

「貴方もいずれは大人にな……れたらいいですわね」

「え? ちょっと何で今一瞬口ごもったの? ねぇ今のそれどういう意味?」


 いずれ否応なく大人になると言いかけたのだが、至極残念なことにロザリンドには大人になったアマルの姿が一片たりとも想像できなかった。なりたくてもなれないという残酷な現実から目を背けて、話題をすり替える。


「まぁ、話を戻しまして……わたくしにとってはお兄様もお姉様も優しくはありましたが、あくまでそれはかくあるべしという客観的な意識が前に出たもの。他の面倒はお世話係などの周囲がやり、それ以外は自分でする生活ですわ。深く踏み込んだりはせず、背中だけ見せて行動の仕方を学ばせていたのかもしれません」

「自立、って事? そんな子供の頃から?」

「恐らく。一刻も早く自分で考えてものを言えるようにならなければ、子供とて貴族社会では足元を見られますので甘やかす気はないでしょう。ただ、人前では手助けの数は増えましたわ。末の子はどうしても年長よりは未熟な側面が目立ちますから、それを助けることで己の見栄をより強く出来る」

「よく分かんないけど、それって私が下の子の面倒を見るのと何が違うか分からないよ?」

「貴方のそれは他の家族の為、わたくしがされたのは助けた本人が脚光を浴びる為……アマルさんが思う程美しい関係ではなくてよ」


 まずは自分の面子と見栄ありき。拾える利益だけ拾う。社交界では尚更だ。


「……ロザリンドさんの話が難しくてあんまりついていけないんだけどさ。ちょっと考えすぎなんじゃないかな?」

「え?」


 いつの間にか手紙から手を離したアマルが首を傾げていた。

 考えすぎと言われても、ロザリンドからすれば別段おかしくもない当然の帰結なのだが、この学力は低いが時々鋭い事を言う少女は全く別の事を思い浮かべていた。


「全ては家の為に、って言ってたよね?」

「まぁ、おおよそは」

「じゃあ自分を良く見せるのも家の為だよね?」

「まぁ、どちらかと言えば自分のせいで家名に泥を塗るのが嫌なだけでは……」

「家名に泥を塗ったら、困るのはその人じゃなくて家の全員じゃない? 逆にいい所を見せて守られるのも家の名誉だよね? ほら、全部家族の為になってるじゃん」


 それは理屈での話だ、とロザリンドは思った。

 結果的にそうなる事と、心からそうする事では込められた感情が違う。陳腐な言い方をすれば、気持ち、或いは愛だ。少なくともロザリンドは、家族からの手助けにそんな温かい感情を覚えた事は殆どない。

 その胡乱気な考えが伝わったのか、アマルは大仰にやれやれと首を振った。


「もう、疑い深いというかヒネくれてるというか。しょーがないな~! このわたしが貴重な経験談を聞かせてあげるから、ありがたーく聞くんだよ!」


 ロザリンドはこの日、期せずしてアマルテアという女性の本質的な部分を少しだけ垣間見ることになる。

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