第93話 何かと陰がチラつきます

 幾度となく帰還した王都の景色も、今回ばかりは少し違って見える。

 騎道車の車窓から外を眺めながら、俺はそう思った。


 王都に着いて、任務に戻らなければならないからと千切れんばかりに手を振るセドナと別れ、そんなセドナと俺の関係を邪推する皆さんはリアクションも面倒になって無視し、今の俺は王立外来危険種対策騎士団本部の屋上にいる。


 嘗てはこれでもかとばかりのボロ小屋だったらしいこの本部も、段々と野戦技術に優れた騎士や引退騎士たちの手が加わって、きちんとした公の施設としての形を自力で手に入れるに至ったそうだ。昔の先達がどれだけ徹底的な嫌がらせを受けていたかはさて置いて、こうして屋上から数十メートル下を見下ろす程なのだから、後進としては有難く、そして少しばかり誇らしい話である。


「――先輩、こんなところに居たんですか?」

「珍しいっすね。先輩こういうところで黄昏るぐらいなら動く人っしょ?」

「……ああ、カルメにキャリバンか」


 ふと後ろを振り返ると、今回の事件で世話になりまくった二人の後輩の姿があった。


「今回の事件じゃ助かったよ。ファミリヤ優先的に回してくれたおかげで行動もあんまり滞りはなかったし」

「頑張ったのは主にプロっすけどね。ま、プロも魔物との久しぶりの接触でいい刺激を受けたみたいっす」


 ファミリヤは基本的に仮の主であるキャリバンに頼まれた仕事を優先する。つまり、キャリバンの対応がグダグダだとなし崩し的にその後のファミリヤの行動もすべてグダグダになってしまう。プロという、いわば上級のファミリヤを受け取ったことでその責任感が上がったのか、一丁前にブリーダーのようなことまで言うようになったのは、いい刺激だと俺は思う。


 と、視線を横に移すといかにも褒めてほしそうにもじもじしているカルメが目に映る。そういえばセドナがいる間、カルメは気を遣ってか俺と距離をとってたな。


「……カルメも頑張ったな」

「は、はい! ぼ、僕だってちょっとは成長してるんですよ!」

「いや、本当だよ。初見の魔物を目の前にあの精密な連続射撃とは……状況判断も見事だ。お前の援護がなければ空に逃げられてた。改めて、ありがとうな?」

「……正直、ちょっと怖かったです。でも、先輩が危ないって思ったら手の震えが止まってて……」

「人の為に戦えるのは騎士の最も大事な部分だ。また一歩、立派な戦士に近づいたな」


 頭を優しくなでてやると、カルメは目を細めて「えへへ……」と照れるようにはにかんだ。薄眼で見るとほぼ女の顔である。そういう反応されるとこっちもリアクションに困るのでもうちょっと男らしくなって欲しい。ファザコンのきらいがあるカルメだが、もしも兄が居たら同時にブラコンもこじらせていた気がしてきた。ちなみに俺の見立てでは、姉か妹がいた場合は高確率で女装させられたりして遊ばれたと思われる。


「……で、先輩は何で黄昏てたんっすか?」

「コイツだよ」


 俺はさっきまで手で弄っていた自分の剣を取り出す。それを見た二人が「あっ」と声を上げる。騎士となった時に王様から賜ったその刃は、いつの間にか中ほどが刃毀れを起こしていた。


「多分あの蜂の顎に挟まれた時に欠けたんだろうな。結局コイツでは斬れないから別の剣に頼っちまった」

「ああ、あのタタール・ブランドとかいう……外の魔物はおっかないっすね。まさか先輩の腕でも斬れない相手なんて。だってこれ、今までオークの首を狩りまくってクシュー団長の剣もへし折った剣でしょ?」

「まぁな。でも王国の剣は基本的に王国攻性抜剣術との兼ね合いで一定の重量と丈夫さを重視してるから、切れ味は特段優れてる訳じゃないんだ。この剣は直してもらうとして、問題は次に同じタイプの魔物が出てきたらどうするかだ」

「せっかくだし、あの偽の先輩が持っていた剣を使いましょうよ? それぐらいの迷惑料は貰ってもいいと思います!」


 珍しく眉を吊り上げて怒りを露にするカルメが口を尖らせる。確かに名案だし俺もひとまずそれで行こうかと思ったのだが、残念な事にそれは出来ない。


「いいアイデアだが問題が二つある。一つ、タタール・ブランドの剣は切れ味に特化しすぎて重さがないから、王国の剣術とイマイチ噛み合わない。しかもサビがやたら出やすくて手入れが面倒臭い。つまり総合すると、使いにくい」

「あー、それは確かに由々しき問題っすね。剣の為に戦術変えるなんて本末転倒もいいとこっすし」


 王国攻性抜剣術は基本的にガン攻めの戦闘方法だ。俺は殆ど一撃で決めてしまうが、本来は一撃でダメなら二撃三撃とぐいぐい間合いに食い込んでいくのが本懐。剣の切れ味は体技でカバーするのが基本なので、タタール・ブランドの剣だと切れ味に振り回される。

 使う技も限定される。二の型・水薙は鋭すぎる刃が欠けやすいだろうし、重量がないので八の型・白鶴のようなガード崩しにも向かない。手入れが面倒なのも時間を無駄に取られて厄介だ。


「で、もう一つの問題なんだが……逮捕された罪人の私物を勝手に持っていったら着服になるし、仮に本人に許可が取れても罪人からブツを受け取るのは賄賂になりかねないってんでな。結論からいうと、貰うにしても正式な手順に時間がかかるらしい」

「そこまで気にする必要ありますかね? どーせ罪人でしょ?」

「馬鹿、俺たちは公人なんだぞ? しかもこの手の問題は後々俺を攻撃する材料にもなるってんで、騎士団の頭いい組が全会一致でダメって結論が出たよ」


 具体的には副団長やセネガ先輩などの島流し組が盛大に異議を申し立てた。弱みを見せたら必ず追及される世界で生きてきた人達なだけに、誰もその意見を軽視できなかったのだろう。俺もあの男の剣は受け取らないのが吉だと思う。


 俺は自分の剣を空に掲げ、はぁ、とため息をついた。

 太陽を背に輝く俺にとっての聖剣には、直線的な美しさを損ねる傷が余計にはっきりと見える。今更ながら、鍛冶屋のゲノン爺さんがこの剣に対して言っていた「売り物としては上質でも、職人から言わせれば精々が中の下」という評価が身に染みてくる。なにせ今回、まさにそのせいでデッドホーネットの女王蜂を打倒しそこなった。


「予備の剣、買うなり作るなりするべきかな」

「買い替えはしないんっすね?」

「俺は過去の思い出は大切にする派なんだ。ガキの頃に騎士ごっこで使った木刀だって実家で大事に取っておいたんだぜ?」

「ふふ、先輩って意外とロマンチストですよね?」


 後輩二人は、なんとなく俺が剣を捨てないであろうことを予想していたのか笑っていた。

 ではそんな二人に一つ、貴重な人生経験を語っておこう。


「その木刀だが、この前帰ってみたら無くなっててな。母さんに聞いたら『薪がなくなったから代わりに……てへっ☆』って言われた」

「「……………」」

「自分が大事に思っている物は、自分で管理しろ」

「「……はい」」


 二人の「あの、なんて声をかければいいか……」と言わんばかりの微妙な顔が、この得も言われぬ話のオチを飾った。うちの親はどこかそういう所がある親なのだ。

 自分が大切にしているものに、他人が同じ価値を見出すことは余りない。幼少期の思い出を暖炉の炭にされた俺の慟哭をお前たちにも聞かせてやりたかった。俺はその日、家出のように泣きながら王都に戻り、以降数か月実家から正式な謝罪の手紙がくるまで親を無視した。


「そこで仲直りしちゃう所が先輩の家だなぁって思います」

「断じて違う。俺はあの二人ほどすっとぼけた性格じゃない! 何なら俺が士官学校の試験に受かったことを報告した時にあの二人が何を言ったか教えてやろうか!!」


 ――ともかく、世の中には信念だけでは変えられない事実がある。


 俺はこの日、名残を惜しみながらも愛剣を現役から退かせる覚悟をしたのであった。


 が、鍛冶屋に行くその前に、俺には大切な用事があった。

 後輩たちとの談笑を終えて町に足を運んだ俺は、鍛冶屋ではなく別の場所に向かう。相変わらず周囲には俺が王国最強騎士であることが笑える程にバレていない。今回の偽物騒動を受けてきちんと名前と顔を一致させてもらおうかとも思ったが、隠していた方が都合のいい事もあるか、と考え直す。現にこうしてお気楽に歩いていられるのもそのためなのだから。


「お、いたいた」


 士官学校の訓練場に、予想通り彼女たちはいた。実は王都に帰還する日時に合わせ、ロザリンド宛に再会する場所と時間をしたためて送っておいたのだ。アマルはずぼらで手紙を見ない可能性があるので送らなかったけど。

 二人の後輩、アマルとロザリンドはどうやら剣術の練習をしながら待っていたらしく、俺が近づいて来たのを見ると直ぐにこちらに駆け寄ってきた。


「ああ! センパーイ!!」

「ヴァルナ様、ご機嫌麗しゅう!」

「おう、何とか早めに王都に帰ってこられて良かったよ」


 二人には雪山任務の前にアドバイスと、それに伴う課題を突き付けていた。課題の内容は、水と油のように噛み合わない二人で協力し、ロザリンドがアマルに彼女の能力に沿った剣技を教える事。元は言い出しっぺの俺が面倒を見る時間がないゆえに言い出した課題ですらない内容は、ひとえに二人の仲の悪さ故に難題として膨れ上がった。

 相も変わらず能天気そうなアマルは何やらご機嫌斜めなのか、両手で駄々っ子のように人の胸をぽかぽかと叩いてくる。


「センパイ!! 何でロザリーにだけ手紙出すんですかぁ!! わたしにも出してくださいよ、フビョードーでしょ!?」

「いやぁ、お前に送っても読んでもらえない可能性があるからなぁ」

「つまるところ、信用度と日頃の行いの差ですわね。おほほほほほほ……」

「むぅぅ~~! その微妙に控えつつも鼻につく笑い方ムカツクっ!!」


 ノリノリのお嬢様笑いをかますロザリンドを恨めし気な視線で睨みながら拳を握りしめるアマル。そのやりとりには、以前に言葉の応酬をしていた頃にあった言葉の棘、あるいは険のようなものが抜け、どこか互いを知っているが故の気安さが見て取れた。

 相変わらずいがみ合ってはいるが、既に課題の成果が少しだけ見て取れた。これは成果など確かめるだけ野暮かな――そんな事を考えていると、いがみ合っていた二人が何かを思い出したように急にこちらを向く。


「あ……そういえばセンパイ、任務で遠くに行ってたんですよね?」

「ああ、北端の村イスバーグと、あとは帰りにカリプソーでひと悶着あったな」

「その間、王都に一度戻ったりしていませんわよね?」

「へ? 同僚の一部は先に戻ったりもしたけど、俺はずっと騎士団本隊と一緒だったぞ?」


 いったい何の確認なのだろう。思わず首を傾げる俺だったが、二人は俺の発言を聞きながら互いに目を合わせ、何故か同時に首を傾げていた。


「ウソじゃない、よね?」

「ええ、わたくしもそう思います。しかし――」

「じゃあ――」

「「あの人は一体誰だったのかなぁ(でしょうか)?」」

「……???」


 二人が何を言っているのか、その時の俺にはとうとう理解出来なかったのであった。

 俺がその疑問の意味を正しく理解できるのは、それからしばらく後の話――。




 ◇ ◆




 時に、デッドホーネットの女王蜂には周囲の蜂を従える能力があると言ったのを覚えているだろうか。

 それこそがデッドホーネットの女王蜂が莫大な蜂蜜を手に入れる方法であり、彼の魔物の危険度を釣り上げている要因なのだが、蜂の支配にはある特殊な条件が必要だとも説明したと思う。


 王立外来危険種対策騎士団の報告を受けたノノカは、デッドホーネットの名前を見るなり、人知れず自室に戻り、項垂れた。今回の一件、デッドホーネットを密輸入して受け取ろうとした人物は結局特定することが出来なかったと聖盾騎士団から報告があった。犯人も荷物を運ぶだけが仕事であり、依頼主に深入りはしていないらしい。


「決定的、ですね……」


 それは、ノノカの危惧していた予想が限りなく正解に近づいてしまった事を意味していた。


 デッドホーネットの女王蜂には、他の生物のフェロモンを体内で精製する力がある。この力を使ってデッドホーネットは他の蜂の巣にいる女王蜂を喰らえば、残された働き蜂たちはデッドホーネットが女王蜂だと思い込んで命令に従うようになるという訳だ。


 このフェロモンがまた厄介な性質を持っており、なんと複数の生物を同時に誘惑するフェロモンを使用できるのだ。その性質上、フェロモンに行動を左右されるような群体コロニーを形成する生物にしか使えないものの、逆を言えば群体で行動する生物ならば魔物でも支配下に置くことが出来るのである。


 例えば、大陸でデッドホーネットに操られる魔物の代表格――オーク、とか。

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