第90話 鷹の爪は鋭いです

 話は遡り、コルカの魅力的な提案に乗った騎士たちに視点を戻す。


「――偽ヴァルナだよ! あの最低ペテン師、持っている剣だけは本当に上等な品なの。私に目をつけて酒場にやってきた時にね。俺の剣は凄いんだぞーっていうクッソつまんない退屈な自慢話を延々と聞かされたから!」

「あーん分かるー! 男の人って剣の質とかワインの味とか聞いてもないのに物凄く語りたがるよねー! しかも、こっちに聞かせたいというより自分が喋りたい感満載で!」


 聞き取れない程に小さく早口で「本物のオルクスくんとか」と聞こえた気がしたが空耳だろう。いや、想像できるけど気のせいであれ。でないと救いがない。


 語りたい系男子の気持ちは分からないでもない。

 俺も子供の頃は騎士物語の知識を親にやたらと披露して生暖かい目線を浴びたものだ。今になって思い返すと非常に恥ずかしい思い出である。一つの事に情熱を注いでますアピールというのは、やっても楽しいのは本人だけの場合が多い。

 せめて同好の士がいればよかったのだが、基本的に俺の地元の友達は「馬鹿な夢語ってねえで実家の稼業継げよ」とか夢のないことしか言わない連中ばかりだった。


「ここにおわすオルクスくんなんか、剣のこと聞かれたら『思い出の剣だ』、ワイン飲ませたら『良し悪しが判らん』ってどシンプルで分かりやすい話しかしないのにねー!」

「おいセドナ。それは褒めていない。決して褒めてはいないぞ……」

「んー? わたしとしてはそっちのタイプの方がいいんだけどなー?」

「わ、私もそういうの平気なタイプですよっ」


 不思議そうに首を傾げるセドナだが、こっちとしては遠回しにつまらない男呼ばわりされてる気しかしない。そしてコルカさんの何とも言えない微妙なフォローが逆に辛い。だって飲んだことも碌にないワインの味なんか判る訳ないだろ。そもそも酒に手ぇ出したのだって騎士団入ってからなんだぞ。

 何なんだ、この一緒にワイン飲んだだけで育ちの差が分かる社会システムは。ワインセラー全部潰れろ。


 ワインもワインで気に入らないが、偽の俺が本物より高級な剣を持っているというのも微妙に腹立たしい話ではある。曰く、海外のタタール・ブランドという切れ味に特化した剣らしく、上に髪の毛を置いたら刃に当たった途端に切れるという恐るべき切れ味だったのを見せつけてきたという。

 だが、そんな切れ味の剣ならばデッドホーネットの顎も問題なく貫ける筈だ。しかも偽の俺を追跡するのはプロがいれば容易い話。これでひとまずの方針は決まったな、と思った俺は懐から小瓶を一つ取り出す。


「あ、その瓶……ギアットくんから譲ってもらったロイヤルゼリーの瓶?」

「あの蜂、コイツが大好きなんだろ? だったら――こうだ」


 俺は瓶に指を突っ込んでロイヤルゼリーを掬い出し、剣の鞘にべったりと張り付けた。その瞬間――首筋を突き刺すような強烈な視線が押し寄せる。見物人か、或いは後ろにいる誰かが息を呑む音が聞こえた。


「ヒッ……!?」


 視線の主は、啜っていた蜜がいい加減に尽きたらしいデッドホーネット・クイーン。これ程に強烈で純粋な敵意を感じる事はそうそうない。経験上で言えば、ボスオークでもかなり上位か、それ以上。

 大陸でも中位に位置するというその戦闘力――これまでに出くわした外来危険種の中では間違いなく最上位。本気で殺害対象となった今、注がれる殺意は素人なら腰を抜かす程だろう。後ろで再び腰を抜かしたコルカも、一応殺意を受け流したセドナに支えられてやっと立っている状態だ。


 俺はそのまま前に出る。デッドホーネットは複眼でこちらの姿を捉えている為か微動だにしないが、注がれる殺意が確かにこちらに向いているのを感じた。ロイヤルゼリーはあれにとって極上の餌。ならばその匂いをぷんぷんに垂れ流している相手は、同じ餌を追う競争相手という認識になる。


「予想通り、俺に敵意が向いたな……よしプロ、案内頼んだ! セドナ、コルカさん含むこの場を任せるぞッ!!」

「ばう、ばうっ!!」

「……本当は着いていきたいんだけどなぁ。信じてるよ、『ヴァルナくん』っ!!」

「応よぉッ!!」

(え? 今、ヴァルナって……?)


 それは、セドナなりに俺の身を案じて敢えてそちらで呼んだのだろう。俺は言葉には振り返らずに返事だけをして、金縛りのように動けないでいた町人たちの合間を一気にすり抜けて建物と建物の間の路地に入る。

 町を普通に走ってはデッドホーネットの攻撃に誰かを巻き添えにする。

 だったら、人通りのある正規のルートを通らなければよい。

 習得して以来の使用になるが、建物同士の距離が近い都会ならばこういった真似も出来る。


「裏伝三の型――雷跳らいちょうッ!!」


 跳躍と同時に垂直な壁の側面を足で踏み、そのまま瞬発力と摩擦だけで更に高い場所へと体を蹴り上げる。平行する反対の壁を稲妻のようにジグザグに蹴り上げて宙を舞った俺は、そのまま建物の屋根の上まで上昇して身を翻しながら着地した。


 地上に置いて来たプロは「ガウゥッ!!」と普段の軽い返事とは明らかに違う勇ましい遠吠えを置いて、案内人として走り出す。同時に、樽から離れたデッドホーネットも喧しい羽音を立てて宙を舞い、こちらに向けて一気に加速した。


「ギギギギッ!!」

「っと、させるかっての!!」


 狭い足場を最大限に生かして身を翻し、隣の屋根の縁に立つと同時に蹴り出して一気に加速する。あらゆる地形でオークと戦ってきた中で培われたバランス感覚があれば、多少傾斜のきつい屋根であっても問題ない。むしろ不安定な岩場や足の滑る川場に比べれば、屋根の上を走るなど造作もないことだ。


「さあ、偽最強騎士と出会うまで俺と追いかけっこしようぜ!!」


 攻撃を避けられたデッドホーネットは急速旋回しながら弧を描いて次々に飛来するが、これまでオークに唯の一回も負傷を許したことのない俺の反射神経はそれらを丁寧に見切り、潜り抜けさせてくれた。

 非日常的な十メートル近くの高み――鳥の視点に立ちながら、俺は半ば楽しむようにカリプソーの町の屋根を跳ねまわった。



 ――のだが、ぶっちゃけ途中で偽の俺がロイヤルゼリーの樽を割ったせいで優先順位が変わり、ナチュラルに追い抜かれたというのが本音だ。

 俺の予定ではイイ感じに引きつけつつ先回りして剣を強奪レンタルするつもりだったのに。尋常じゃないくらい焦って変な汗出たよ。幸運なことに犠牲者は出ずに済んだけど、今日一日でどんだけ不要な博打をしてるんだろうか、俺は。


「逃げるなよ。下手に逃げられるとお前を守り切れない」

「お、お前あんなのと戦うつもりか!? 魔物だぞ、しかもオークみたいな雑魚じゃない!!」

「話は後にしろ! 剣を渡すならお前を助ける。三度目は言わないぞ!」


 偽の俺の顔には不安と葛藤が渦巻いていたが、それを逐一解消してやる暇など俺にはない。きっぱり言い切ってやると、男は動揺を隠せない面のまま、それでも手に持っていた剣を俺に突き付ける。

 ……こいつ、人にハサミ渡すときに刃の方突き付けるタイプかよ。柄の方を出してくれない辺り剣を使い慣れてない感がパない。

 武器を扱う仕事してると、こういう気を遣ってくれない奴が一番嫌だ。


「受け取りにく……ええいもう! 鞘に納めて寄越せ! もう蜂が攻めてきそうなんだよ!!」

「わ、分かった!!」


 後輩でもないのに無性に剣の指導をしてやりたい衝動に駆られながら剣を受け取ろうとするがそれより一瞬早くデッドホーネットの足が地面を離れる。来るか――そう思ったが、女王蜂は前に出るでもなくこちらに胴体を向けるように体を後ろに仰け反らせる。

 この動き、それに段々と激しくなる羽音。脳裏に先程の地下室での出来事が頭を過る。


(この大衆の中で超音波をぶつけてくる気か!? 耳を潰されたらパニックで住民が入り乱れてしまうぞ!?)

「お、おい……何がどうなってんだ? あの新しい騎士は何なんだよ?」

「そんな事より、なんかヤバそうじゃない? 俺らも見物決め込んでないで逃げた方が……」


 オーク狩りでは万が一にも国民を巻き込まないように徹底的に包囲しなければならない。何故ならば通常の国民はオークへの対抗手段を持たず、一撃で死ぬ可能性があるからだ。普段のオーク狩りとは根本的に異なり、今回の俺たち騎士団はあの蜂に対して『予定を外れた行動を一度たりとも許してはならない』のだ。


「こんのぉ!!」


 俺は咄嗟に懐に入っていたもの――通常の蜂蜜が入った瓶を投げ飛ばす。だが、周囲の町民に間違っても命中しないように角度を無理やりつけた投擲は冷静に回避され、再び超音波の態勢に戻る。これじゃ、いつまでも剣を受け取れないではないか。女王蜂の複数の目がまるでこちらを嘲笑っているかのようで、思わず歯ぎしりする。


 だが、驕れる女王蜂の余裕は長く続くことはなかった。

 なぜなら、ヒュパッ、と空気を切り裂いて飛来した矢が人々の頭上を吹き抜けて女王蜂に襲い掛かったからだ。矢そのものは避けたが、移動した瞬間には次の場所に矢が飛来し、それを避けてもまた次の矢が蜂を襲う。女王蜂はその文字通り矢継ぎ早の攻撃をうけて反撃の手を失う。


「先輩、今のうちに!!」


 そう叫んだのは、いつの間にか周囲の木箱を利用して高所に陣取ったカルメだった。鷹の目とでも形容すべき射抜く眼光を女王蜂に向けるカルメは矢の羽根の一部を歯で毟り、それをクロスボウに番えて発射する。

 羽が形を崩したことでクロスボウから発射された矢は突き上げるように斜め上向きの軌道を描く。一般人を決して巻き込まず、しかしその全てが蜂の胴体中心部を狙った攻撃。避けても羽根に命中する可能性が高い、恐ろしく正確で合理的な援護射撃だった。


「あいつ、俺が近くにいるとはいえあんな肝の据わった射撃を……」


 思わず一瞬そちらを呆けて眺めてしまう程、あの腰の引けた後輩の勇姿が頼もしかった。

 そして彼がいるという事は、別の騎士団もいるということだ。


「――王立外来危険種対策騎士団です!! 町民の皆さんは騎士団の誘導に従って下がってください!!」

「周りにいられると騎士が思うように戦えないぞぉ!!」

「ほぅれ、王国最強がカタつけてくれるんだから焦らずゆっくりねぃ! ここで転んで骨でも折った日には明日の笑いものだぞぅ!!」


 場慣れした騎士たちの誘導に、物見遊山気分だった町民や危機感を覚え始めた町民たちが移動していく。皆、俺が騒ぎを治めてくれることを確信しているように焦らず自然体だった。

 カルメはいつも以上に勇ましいが、やはり俺が一撃を決める瞬間を待っているんだろう。

 舞台は整った。俺は周囲の事態についていけず狼狽える偽の俺の剣を抜き放った。


 指触りが王国の剣と少し違う。刃を見れば、両刃ではあるが王国のそれとは比べ物にならない程に薄く、鋭い。手入れを少しさぼっていたのか僅かに錆が見えるが、それでも俺の剣より遥かによく切れるであろう輝きを放っている。


「成程、剣だけは上等で助かる……後でコルカさんに情報提供のお礼をしなきゃな」


 俺は改めて女王蜂を見た。

 カルメの猛攻撃によって上空高くに逃げるという選択肢を徹底的に絶たれた女王蜂には、もはや俺に反応する余裕などないらしい。一瞬、羽根だけ切って生け捕りにしようかとも思うが――今日一日の運勢を考えるとやめた方がいいな、と自嘲した。


 左手を前に、剣を後方に、全身に捻りを加えて俺は深く、重く、地面を踏み締めた。

 次々に飛来する矢が決して自分に当たることはないであろうと信頼し、この剣ならばあの蜂の甲殻を切り裂けるであろうと信用し、そして自分の技量ならば一撃で仕留められると信じる。三つの信を刃に重ね、俺は全身を回転させながら地面を蹴り飛ばし、一瞬で女王蜂に肉薄した。


「七の型、荒鷹ッ!!」

「ギ、ギギギギギギギギギィィィィッ!!?」


 回転一閃――矢の合間を縫う流水のように滑らかに刃が、すらん、と空間をなぞった。


 一瞬、世界が無音になる。

 遅れて着地した俺は、絶対的な確信を以て囁く。


「……悪いね、こっちの爪は蟲が防ぐには少々鋭いんだよ」


 デッドホーネットの腹部に切れ目が走り、ずるり、とその体が袈裟斬りに両断された。

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