第86話 刹那の判断が大事です
蜂蜜盗難の謎に首を傾げて数分、それは遂に俺たちの下にやってきた。
「わうっ」
「お、来た来た。ご苦労さん、プロ」
相も変わらず強面な狼のプロが現場に到着した。
相変わらずもふもふで、しかし顔面は強面だ。
俺もやっとプロに慣れてきたので軽く頭を撫でると、振り払って手に顎を近づけてきた。どうやら顎の下の方が撫でて欲しいらしい。お望み通り撫でてやるとプロは殺人的な恐ろしい形相で低く唸る。
「う゛るるるるる……」
「そうかそうか、そんなに気持ちいいか! 愛い奴だぜお前は」
「いや違うくない!? 滅茶苦茶不機嫌じゃない!?」
「やめてオルクスさん! それ以上は喉元を噛み千切られちゃうよ!?」
ほのぼのとした空気を醸し出す俺とプロとは対照的に、セドナとコルカさんは余りにも恐ろしいプロの形相に戦々恐々としている。まぁ当然の判断と言えるだろう。俺だって未だにちょっと怖いんだもの。
プロの体に括りつけられた小袋を開けると、中には件の鍵束が入っていた。既にこれの臭いはばっちり覚えているようなので、後は追い詰めるだけだ。と、よく見れば鍵束と一緒にメモのような紙が入っていることに気づいて引っ張り出す。
曰く、王立外来危険種対策騎士団は聖盾騎士団の行動をそれとなく阻害しつつ犯人確保に動くとのことだ。忘れがちになるが、これは早い者勝ちのレースである。先に聖盾騎士団に渡れば、平民騎士団であるこちらの請願など簡単に突っぱねられる。そうなると偽ヴァルナは我が国でずいぶん久しぶりの公開処刑に処されるかもしれない。
悪人で他人ではあるが、それでも避けられる死は避けたい。
尚、プロはコルカさんに対しては突然接近して「ひゃわぁ!?」と涙目で驚く様を見て楽しんでいた。やっぱりかなりのやんちゃ坊主である。逆にセドナからは只ならぬ力を感じ取ったのか、礼節正しくちょっかいはかけていない。その辺り、野生の本能なのだろう。
さて、プロは他のファミリヤと違って喋れない。これは、高度な知能と能力を持った動物ほどファミリヤ契約が難しいため敢えて
「じゃ、この鍵に染み付いた臭いを追っかけてくれ、プロ。頼んだぞ!」
「わうっ!!」
力強い返事を返し、プロは僅かな手掛かりである臭いを頼りに迷いなく町を歩きだした。
――この時、俺は早速ながらポカをやらかしていた。
鍵に沁みついた臭いを追いかけて動き出したプロだが、そもそもこの場合、追跡先には「二つの候補がある」事を想像もしなかったのだ。いくら知能が高いとはいえ、人間同士でも言葉による意思疎通には勘違いが付き纏う。
かくして俺たち一向は、限りなく正解に近いが、決して正解ではない場所に出発したのである。
◇ ◆
強面追跡者のプロの案内の元に足早に移動する一行だが、どうしてもプロの顔が怖すぎて女性陣二人は若干ながら先頭と距離を取っていた。なにせあの面構えを見れば、いっそ偽ヴァルナが発見された瞬間に喉笛を噛み千切るのではないかという別な不安さえ湧いて出る。
人間見た目が九割とは誰の談だったか定かではないが、どうやら動物の世界にもそれは当て嵌まる部分があるようだ。せめてもっとクリっとした瞳でヒョコヒョコ歩く可愛らしい追跡者を派遣して欲しかった、とプロに対して失礼千万な事を考える二人であった。
「……オルクスさん、狼使いだったんですね。もしかしてオルクスさんと一緒に暮らしたら、沢山の獣たちの世話とかしなくちゃいけないんでしょうか!」
「えー……? た、たぶんオルクスくん個人は動物飼ってないと思うんだけどなぁ。コルカさんってもしかしてオルクスくんにホの字なの? さっきから急接近したり一緒に暮らすとか言い出したりしてるけど」
「うぇええええッ!? ととと突然何をッ!? 今のはあれです、言葉の綾ですから! もしもの話ですから!」
後ろで上がった大声にヴァルナが何事かと振り返るが、距離が離れていたことと町のざわめきのせいで会話そのものは聞こえていなかったのか、「早くいくぞー」と手招きした。急いで彼の下に向かうコルカは分かりやすく顔が火照っており、恋愛に疎いセドナから見ても先ほどの反応が図星だったことを察する事が出来る。
ヴァルナの事を本気で好きになる女性。
それは何故か……面白くない。
新しい友達とか、ヴァルナの事を語らえるファンとかならば嬉しいと素直に思えるのに、ヴァルナの恋人と聞くと、何故かセドナにとって酷く面白くなかった。
(なんか、ヤだな。ヴァルナくんを取られるみたいで)
セドナにとってヴァルナは士官学校でも珍しくスクーディアの名や地位を気にしない人で、剣の師匠のような存在で、兄のように甘えることもあれば弟のように教えることもあった。いつもヴァルナの右にはアストラエがいて、左がセドナの特等席だった。
そのせいでヴァルナが一番暴れているような印象を教官たちに与えてしまったらしいけれど、それは違う。セドナにとってもアストラエにとっても、ヴァルナの隣が心地よかったのだ。でも、もしもコルカとヴァルナが相思相愛の関係になったら、セドナの居場所が取られてしまう気がした。
(今のヴァルナ君はオルクス君だし、コルカさんだっていい人なのに、こんなこと考えるのはおかしいよね。暫く……考えないようにしよう)
揺れる心を胸の内に押し込め、表情をペルソナで塗り潰し、セドナは走り出した。
彼女がその感情の正体を知るのは、まだまだ先の話。
◇ ◆
その頃、町はずれの喫茶店のテラスに二人の男と一人の女性が座っていた。
男性のうちの一人は肩を縮こまらせて俯き、女性も顔こそ上げているもののその顔色は悪い。二人の服装はペアルックであり、二人がカップルであることを連想させる。では、なぜそんな二人が何かを恐れるように身を縮こまらせているのか。
それは、二人の間に割って入り、女性の肩に手をかけた大柄で粗野な男のせいだった。
男は店員に差し出されたコーヒーを一気に喉に流し込み、碌に味も分かっていない様子で半目になってゲェェ、と汚らしいげっぷを吐きだした。
「ん~~~、安物のコーヒーだなぁ。苦ぇ。まずい。金払う価値もねえ。なぁ店員さんよ、払う価値もねえ泥水を態々飲んでやってんだから、むしろ店は俺に感謝しないといけねぇなぁ」
「ええっ! そんな……そのコーヒーは態々海外から仕入れた最高級の豆を使って……!」
「金払う必要、ねぇよな? 俺、王国最強だからさ。もっと美味いコーヒー毎日飲んでるわけよ。分かる?」
「ヒッ……! も、申し訳ございません!お代は結構です!!」
腰にちらつく半ば抜かれた剣を見てギョっとした店員がすぐさま引き下がったことで、その男の機嫌も少しは上向きになったのか「分かりゃイイんだよ」と許しの言葉を発する。尤も、この場合では許すも何も悪いのはこの大柄な男――偽のヴァルナに他ならないのだが。
ちなみに本物が愛飲しているのは激安のタンポポ&どんぐりのブレンドコーヒーである。アストラエに勧められた高級コーヒーの味の良さが分からなかったという点では本物の方が多少味覚が劣るかもしれない。
偽ヴァルナは少し前に突然カップルの前に現れ、女性の容姿が良かったことを理由に無理やり席に割り込んでコーヒーを啜っていた。コーヒーを口にする前は更に不機嫌を隠そうともしない顔をしていた上に、相手は剣を持った騎士と思われる男だ。周囲の誰もが彼を追い返す勇気はなかった。
「やっぱりコーヒーブレイクってのは大事だよなぁ。飲むと頭がスッキリするぜ……おい、なに黙ってんだお前ら。同意するところだろうが」
がつん、とテーブルを蹴った衝撃にびくんと肩が跳ねたカップルのうち、男がが「す、すみません!!」と頭を下げる。偽ヴァルナはその頭に、飲みかけのコーヒーを垂らした。まだ淹れて間もない高温の液体をかけられた男は余りの熱さに声にならないうめき声をあげたが、反撃は出来ずにコーヒーを滴らせながらその場で俯くしかない。
咄嗟に男性に駆け寄ろうとした女性の肩を、力を込めて握りこむ。
ぎりり、とした痛みに女性の表情が引き攣り、力なく椅子によりかかった。
やはり何をしても許されるというのは気分がいい、とほくそ笑む偽ヴァルナだったが、すぐにその感情が逃避から来ている事を思い出してしかめっ面に戻る。
(クソが……ここまで『ブツ』を運び込んだはいいが、肝心の鍵をパクられるとはツイてねぇ。幸いスペアキーはあったし、鍵を拾った奴が鍵穴を見つけられるとは思えねぇからそこは安心だが……どうにもツキが回ってこねぇな)
思い出すのは先日に出くわしたあの若い騎士だ。
迷惑な正義感を振り回して折角の機会を潰したああいう男が、偽ヴァルナは嫌いだった。他人のことなど知らずに自分の正義だけ信じていればいい自己満足野郎――騎士とはそういうものだと偽ヴァルナは常々思っている。
若くて向こう見ずなだけの男なら叩きのめして終わろうと思ったが、まさか本物のヴァルナを知り、王宮と繋がりのある騎士だとは本当に運がなかった。万が一あそこで剣を抜かれれば、それこそ言い訳のしようがない「騒ぎ」になるので逃げるしかない。
ツキの悪さはまだ続く。あの若い男以外にも酔っ払いの騎士に絡まれるし、その後も数人ほど町の中で騎士らしき人を見かけた。後で知ったことだが、どこぞの騎士団がこの町に滞在しているらしい。道理で騎士を何人も見かける筈だ、と内心で悪態をつく。
「全く、とっとと終わらせねぇと……」
「失礼、少しお時間よろしいか?」
「ああン? 何急に話しかけて来てん………っ!?」
不意に背後からかけられた声に振り返った偽ヴァルナは、そこでようやく自分の周囲の様子に気付き、愕然とする。
いつの間にか、席に座っていた自分とカップル以外の従業員と客が全員いなくなり、代わりに身なりの整った人間が四人、直立不動の姿勢で周囲を取り囲んでいた。全員が手を腰の後ろで組み、感情を感じさせない冷酷な視線で偽ヴァルナを監視している。
その無機質な、隙のない出で立ち。
曲がりなりにも一般人ではない偽ヴァルナは、瞬時に自分を囲む人間たちが何らかの『玄人』である事を感じ取る。周囲の人間もこの包囲者たちが人払いをかけたのだろう。
犯罪組織か、公的な組織か――どちらにせよ、かなり拙い。
平静を装う偽ヴァルナの背筋に一筋の冷や汗が垂れた。
「……貴公は四日前からこの町に現れた騎士なのだそうだな?」
「……」
「貴公の名は? 所属は? 騎士には剣を持ち歩く義務があるが、もし義務のない者がそれを行えば深刻な罰則が待っている事を知っているか?」
「……なに?」
「知らぬか。そうであろうな、海外から渡航した貴公には馴染みのない法律であろう。それが免罪符にはならんがな」
「てめ……それをどこで調べた!」
「教える必要はない」
その反応を見て、やられた、と偽ヴァルナは内心で悶絶する。
もし最初からこちらが本物の騎士でないと知っていたのならば隙を突いて捕まえれば良かったのだし、海外から来た事を知っているのならば取調室でそれを言えばいい。敢えてそれをこの場で口にしたのは、まだ確認が取れていなかったためにカマをかけたのだ。何処から足が着いたのかは分からないが、このままではマズいと直感的に感じた偽ヴァルナは肩をかけていた女性を一気に引き寄せて人質にしようとし――。
「平民に対する暴行罪。罪状が増えたな」
背面にいた男の後ろに組んでいた筈の手が信じられない速度で伸び、腕の関節に痛烈な痛みが奔る。痛みに手が痺れてうめいた瞬間に、別の人間が女性と偽ヴァルナとの距離を引きはがす。女性は共にその場に縛り付けられていた男性と合流して逃げていった。
(クソがぁ、ヘマこいたッ!!)
一瞬で盾が奪われたことで確信する。
この連中は王国直属の組織の人間だ。
最前線を知らぬ平和ボケした王国と高を括っていたが、それは勘違いだったらしい。表向きでも平和を維持するために、犯罪者を制圧する戦力がない訳がないのだから。
包囲網が狭まる。命の渡り綱がぐらつく。あと少し、もう一つのハードルを越えればすべて上手くいったのに――そう思ったその瞬間、状況が変わった。
「――そこの連中、何をしている! 俺は王立外来危険種対策騎士団の騎士ベビオンだ!」
「同じく、騎士キャリバン。『平民同士のゴタゴタを放っておくわけにはいかない』から、話を聞かせてもらおう」
「お、同じく騎士カルメ! 今、僕の目が正しければ平民に暴行を加えましたね!? は、話を聞かせていただきますっ!!」
タイミングを見計らったように雪崩れ込む三人の若い騎士。
余程予想外の事態だったのか、偽ヴァルナを囲む男たちが目を剥く。
「な!? ……我々は王国の人間だ! これは我等の管轄である!」
「証拠はあんのか? お前らが本物だって証拠はよぉ!」
最初に名乗り出た色黒な男――ベビオンの威勢のいい言葉に、包囲していた男が苦虫を噛み潰したような表情で応答した。
「グッ、豚狩り騎士団が……我等は聖盾騎士団所属騎士! 故あって身分を隠したまま任務を遂行中だ!」
「任務の内容を聞かせてもらえますかね? 口だけでは行動に正当性があるか、俺らとしても判別がつかんのですよ」
「……豚狩り騎士団などにそれを知らせる義務があると思うか? 平民共が!」
「であれば、貴方方が本当に聖盾騎士団で、本当に正当に任務を遂行しているかどうか判別がつきません! 我々王立外来危険種対策騎士団は事実確認のために貴方方を拘束します!」
「馬鹿を言うな! 騎士団の人間の拘束には騎士団長四名の合意が必要なのだぞ! 規則に背く気か!?」
「貴方方の立場と行動の正当性が証明されない限り、我々は騎士道に則り貴方方を止める義務がある。嫌なら洗いざらい話してもらわねば困るんですよ? 容疑者さん方!」
「そういう事だ!! さぁ、喋ってもらおうじゃねえか!!」
二つの勢力が激しい言葉を応酬する最中、ワザと時間稼ぎを行った騎士団若者組のうちのカルメはその眼でしっかりと見ていた。一瞬の隙をついて男が凄まじい逃げ足でこの場を逃げ出した、その瞬間を。
ターゲットに逃げられた男の一人が咄嗟に追おうとするが、カルメはそれに対して瞬時に自身の腰からクロスボウを抜き放つ。
「動くな!」
気弱な彼とは思えない程に迫真に迫った叫び声に聖盾騎士団は一瞬動きを止め――それどころではない偽ヴァルナはその場を離脱した。カルメからすれば、叶うなら偽ヴァルナの背中に刃を潰した矢の一本でも当ててやりたい気分だが、今回は作戦があるためにそうもいかない。
カルメのせいでターゲットを逃がした相手は怒りの余り額に血管を浮き出させて睨みつけてくる。
「貴様ぁ……武器を向けることの意味を理解していような! 名を覚えたぞ、騎士カルメ……!?」
「僕は動くなと言っただけです。平民に向かって本気で矢なんて撃つ訳ないでしょう?」
彼のクロスボウには、端から矢がセットされていなかった。
つまり、攻撃力のないクロスボウを突き付けたことは脅迫とも妨害とも呼べない。勝手に引っかかった聖盾騎士団の判断ミスが起きただけである。
こうして、王立外来危険種対策騎士団の「極めて合法的な妨害」によって、偽ヴァルナは逃げ出した。その逃走先が、ヴァルナ側の仕掛けた袋小路に続いている事も露と知らず――。
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