第85話 補填可能な損失です
ファミリヤによる情報伝達は本当に便利だ。簡単なメッセージならファミリヤ自身が覚えたうえで喋ってくれるため紙さえ必要ない。その日の朝も、偽オルクスこと俺は窓際からこっそりファミリヤによる報告を受けた。
そして、その報告曰く追跡のプロが俺のところに来るから屋外をウロチョロして欲しいとの事らしい。この投げっぱなしとも取れるアバウトな説明を聞くと、送り主のキャリバンも着実に王立外来危険種対策騎士団に順応し始めている事を実感できる。
追跡のプロ。より正確には追跡者のプロなのだが、初めて聞いた人には当然何のプロだよと言う疑問が湧くわけで。
「どんな人なんですか、プロって?」
「いぬ」
「いぬ!?」
厳密には狼である。コルカさんには説明不足で申し訳ないが、ファミリヤに関する情報は基本的に任務協力者でもない一般人には教えられない情報だ。まぁ、魔法に詳しい人は元からファミリヤ技術を知っているのでこの秘匿にあんまり意味があるとは思えないのだが……所謂、お役所仕事である。議会が決めた話なので俺たち平民騎士があーだこーだと文句を言っても改善されない。
国民からの騎士団に対しては電撃的なレスポンスの癖に身内の不満は無視するって冷静に考えると腐ってるな。
ファミリヤの運用をしてるのが俺たち騎士団だけな事を考えるに、もしや遠回しな嫌がらせなのではないだろうか。あり得なくはないが、単純に机の上で国を動かしてるつもりのジジイ共には無駄と有用の区別がつかないだけなのかもしれない。
「耄碌じじい共に付き従わなくちゃならん俺たちの身にもなってほしいね」
「オルクスくんって王国議会の人達に異様に辛辣だよね。わたしにとってはお屋敷にも遊びに来る気のいいおじいちゃん達なんだけどなー……毎度懲りずに持ってくるお見合いの話以外は」
「完全に政略結婚狙いじゃねーか! 絶対ご機嫌取りで優しくしてるだけだろ!」
「でもウチの一家は昔から決まってる家訓で恋愛に関してはほぼ個人の自由ってことになってるから全部無視だけどねー」
「か、変わった家訓だね、セドナちゃんの家……」
何故かそこはかとなく頬の引き攣った笑みを浮かべるコルカさんだが、俺もセドナの家――スクーディア一族に少し不思議な所があるというのは耳にしたことがある。金と商人の伝手を求めて縁談を持ち込む貴族は数多居るが、その縁談が実を結んだのは指で数える程しかなく、殆どが平民や商人との恋愛結婚だという。貴族の血が混じればそれだけ名実ともに王国議会などの権力に近づけるというのに、余り国政には興味がないらしい。
「家訓っていいよねぇ。家訓だからで大体通るし……その、家訓でなくても家訓だって誤魔化せるし」
ごにょごにょと言いにくそうに呟くセドナの姿はまるで悪いことをした罪悪感に苛まれる子供のようである。察するに、人のいい彼女が断れないときの最後の手段なのだろう。家訓に逆らう真似をさせるというのは彼女のパパ上に目を付けられるには十分な行為だし、ある意味強力な最終兵器にして抑止力ではある。
名づけてパパミックボム。その威力はある意味俺の奥の手であるアストラエ爆弾に匹敵するかもしれない。アストラエ爆弾は政治パワーだがパパミックボムはマネーパワー。その影響は下手をすると経済に大きな津波を引き起こすのでぜひとも死蔵してもらいたい。
閑話休題。
ともかく暇な時間のできた俺たちは町に繰り出していた。恐らく偽者の俺を捕まえた後は余りのんびりする時間が無くなると思われるので、観光である。とはいえ余り騎道車から離れすぎないよう注意は必要だが。
町の構造は大体把握しているが、流石にその中にある店の類は地元民であるコルカさんの協力なしには把握出来ない。という事で、町を一緒に歩いている。カリプソーは特別な観光名所はさほどないが、町そのものの経済規模が大きい。王都ほどではないが街並みも綺麗なものだし、よく見ると町のあちこちに花をあしらったエムブレムが掲げられていた。
ふと気になり、コルカさんに訊ねてみる。
「あのエムブレムってこの町のシンボルなんですか?」
「そうですよ? この町を治めているフロイーネ卿は庭園や花畑がお好きなんだそうで、街はずれの花畑のいくつかは観光やデートのスポットとして開放されてるんです。この町の蜂蜜が上質なのも、フロイーネ卿が『蜂は花の交配を手助けしてくれるから』って養蜂を推奨したからだったり! ね、ね。時間が出来たら一緒に行ってみませんか? オルクスさんっ!」
「んん……あの、まぁ時間があれば吝かではないかな……」
ぎゅっと俺の手を握ってうきうきとするコルカさんの温かな体温が伝わり、俺は「難しいかな」という言葉を咄嗟に飲み込んでしまった。コルカさんは年上なのにどこか少女のような無邪気さが似合い、なんとなく最初に抱き着かれた時の事を思い出してそわそわしてしまう。初めて会った時もそうだったが、コルカさんは男性とスキンシップを取るのにそんなに抵抗のない人なのだろうか。
俺はこれまでどちらかと言えば敬遠されるタイプだったので寄られるとちょっと弱い。迫られたら流石に抵抗するが。いつぞやひげジジイに売られて商人のマダムに迫られた時みたいに。まぁ、ファーストキスを奪われるのは辛うじて免れた程度の抵抗だったが。あれはオーク相手より苦しい戦いだった。
恐ろしい過去を懐古していると、隣から元気いっぱいな別の声が飛び込んできた。
「あ、じゃあわたしも一緒に行きたいな! 庭園見るの好きだし、一緒に思い出作りたいし!」
「えっ! あ、そうなんだ……そ、そうだよね。いや、もちろん二人とも誘ってるつもりだったよ!?」
「……? なんか挙動不審だね、コルカさん」
「俺としては三人同時は遠慮したいんだが」
「ええっ!? それって私みたいなそばかす女と一緒は嫌ってコトですか!?」
今度は涙目になったコルカさんが俺の腕にぎゅっと抱き着いてくる。二の腕付近に感じる非常に柔らかい感覚から全力で目を逸らしつつ、俺は言葉が悪かったと猛省した。考えてみれば俺はセドナに片思いしてる体でキャラづくりしてるのだから、今のはコルカさんをのけ者にしようとしてるようにも聞こえる。
「サイテーだよオルクスくん! その発言、コトによっては出るトコまで出ちゃうよ!? この色魔! 女の敵! 士官学校の三大問題児ッ!!」
「お前もその三人のうちの一人だろうが! いやいや、違うんだ! そうじゃなくてだなぁ。現状、二人を連れて歩いている俺に注がれる視線がツラいんだよ……!」
そう、正直さっきから周囲の視線が穏やかではない。
コルカさんはこの辺では評判の女性で元々人気があるというのに、それに加えてどう見ても特権階級のご令嬢まで一緒。その二人連れて両手に花とばかりに仲良くしている俺に対する様々な種類の視線が非常に居心地が悪い。
「畜生、コルカちゃんがあのクソ騎士の手から離れたと思ったら今度は別の騎士が貰うのかよ! しかも別の女までひっかけてやがる……そんなに騎士がモテる世の中なんてッ!!」
「コルカちゃんを助けた時はイイ男だと思ったのに、別の女連れだったなんて……これだから男ってヤツは!」
「合意の上? まさか合意の上で二人なの!? いや、それとも二人で一人を奪い合ってるの!? 気になるわ……すこぶる気になるわ、その辺っ!!」
「羨ま……けしからん! 男が愛するのは一人の女だけという古き良き時代はどこへ行ったんじゃ!!」
「時代はハーレムだよ、オジキ。今時のオトコは女をたくさんひっかけてナンボだよ?」
「それはにぃにの好きな冒険物語の流行だから。もー……ホラ、早く領主様の所に行くよ? あんましセケンサマに馬鹿だと思われたらウチらも恥ずかしいんだからね?」
このように、二人は気にしていないようだが思いっきり悪目立ちして、しかも全面的に俺が悪者みたいになっている。こちとら彼女を作る暇もなければ相手もいないっつーの。と酒の席で漏らすと周囲から「その気になれば出来る癖に」と唾を吐きつけるような憎々しい返事が返ってきた。濡れ衣だと思う。
「ううん、わたしたちは別に恋人じゃないんだけどなぁ。世間の目って難しいね」
「ていうか、さっき領主様の所に行くって言ってたのロージー養蜂場の人たちだ。何かあったのかなぁ?」
「何かあったのかもしれないね。何せ、俺たちの目指している蜂蜜屋でも『何か』とやらが起こってるようだし」
俺の視線は酒場の主人がご愛顧にしているという事で向かっていた蜂蜜の店へと向かう。その先には、「Closed」の看板をドアの前に設置しながら肩を落として深いため息をつく店員らしき人の姿があった。時刻はまだ朝なのにいきなり店を閉めてため息と言う時点で、何かあったのは想像に難くない。
問題はその「何か」の詳細である。
近づいてくる俺たち一行に気付いた店員の男性が振り返る。
年齢は若く、コルカさんと同年代くらいだろうか。
その表情は酷く憔悴しており、見るからに落ち込んでいると同時に途方に暮れたような物悲しさを湛えている。
「どうしたのギアットくん……私にフラれた翌日よりもっと酷い顔してるけど?」
「やぁ、コルカちゃん。突然だけど僕は明日死ぬんだ」
「えぇ……確かにちょっと死にそうな勢いで元気がないけど、急にどうしたの?」
「いいんだ俺はここまでの男だったんだ。明日の朝にはきっと店長の手によって俺の撲殺死体が路地裏に転がるんだ。なぁに、人生二十年生きるも百年生きるも同じことさ」
虚ろな目でえへらへらと怪しい笑みを浮かべる彼はギアットというらしい。希望を失って絶望に魂を売る寸前のような悲惨な表情を浮かべている。本当にどうしたのだろうかと首を傾げるが、そういえば俺もこんな表情になった事があった気がする。
……必要な道具の発注を盛大にミスって二十個で済む部品を二百個発注してしまい、それはそれは盛大にセネガさんに嫌味をグサグサと刺されたという思い出すだけで胃が痛くなる経験が脳裏をよぎった。その時の俺の心に只管に響いたのはやっちまったというどうしようもない悔恨と、いっそクビにしてくれと願う程の罪悪感だった。
許してくれることと責任を感じることは別の事なのだ。
ちなみにその分の損失は大量に余った部品を見たアキナ班長が「閃いた!」と便利グッズに改造して販売することで補われたりしている。あの人は趣味こそ悪いが金策に関しては一流なのである。まぁ、今になって思えば俺が辞めたいと言ってもひげジジイは口八丁で辞めさせない方向に持って行ったのだろうが。俺を極限まで利用し尽くす為に。つまるところ、ジジイくたばれ。
しかし落ちるところまで落ちれば後は登るだけ、という言葉があるように、荒涼たる大地にも一滴ぐらいは希望が残っているものだ。猫背になるほど沈み込んだギアットさんの顔をセドナが覗き込んだ。
「人生を簡単に諦めちゃ駄目だよ! 世の中の大抵の悩みは、一人じゃ無理でも仲間がいれば解決できるんだから! 力になれることなら私たちが協力するから、もう一歩前へ進もうよ、ね?」
「ぜひご協力願います、見目麗しきお嬢様っ!!」
(うわぁ、チョロいなこいつ)
(まぁ、ギアットくんはホレっぽくてフラレっぽい人なので)
セドナの熱心なようで実は誰に対してもあんな感じである励ましに恋心的な何かを揺さぶられたのか、ギアットさんはビシッ! と決まった姿勢と表情に変貌した。頬は微かに紅潮し、その視線はセドナの顔に釘付けになっている。
しかし彼は知らない。
セドナはこういった行動でこれまでも何人もの男を勘違いさせ、そして撃沈させてきたことを。せめて彼の高揚感が一時的なものであることを願うばかりである。うっかり告白してフラれた日には翌日の死因とやらが別のものになりかねないもの。
ともかく、なんとかメンタルを持ち直したギアットは語る。
自分が何故明日死ぬなどと言い出したのかを。
「実はうちの店長はちょっと遠い市場に仕入れに向かってて、その間俺が店番を務めることになってたんだ。一時的とはいえ店を任されるんだから少しは店長に認められた証って訳で、俺は当然張り切ってたんだけど……それが今日の朝、店長の信頼を裏切るようなトンでもない事になっちまったんだ」
「それは、店仕舞いをしてた事と当然関係があるんだよね?」
「当然だ。なにせ……うちの最大の売れ筋商品である蜂蜜がパクられちまったんだからな」
「えっ!? それじゃあ今ここの店って蜂蜜置いてないの!? 蜂蜜樽だって置いてあったじゃん!!」
「樽ごと持っていかれたんだよ!! しかも、よりにもよってウチでしか取り扱っていない最高級蜂蜜のロイヤルゼリーまでッ!!」
余程悔しかったのか、ギアットは歯ぎしりしながら拳を握りしめて叫ぶ。どうやらこの店は頼まれた量の蜂蜜を瓶に詰める形式で販売していたらしく、樽の消滅がそのまま蜂蜜の消滅に繋がっていたらしい。
売れ筋商品をバレル単位で持っていかれたともなれば、それは商いにとって致命的だ。蜂蜜の分の損失を考えれば、なるほど店長に殺されると嘆くのも納得できる話だった。
「くそっ、畜生……騎士ヴァルナの野郎ッ!! 俺に剣を突き付けて蜂蜜全部寄越せって言ってきて、俺……怖くて逆らえなかったッ!! あいつの馬車に全部樽を放り込むしかなかったんだ……!」
「……え?」
「……何?」
今、聞き捨てならない重要な情報が飛び込んできた。
「待ってくれ、その騎士ヴァルナとは大柄で人相が悪くて腰に剣をぶら下げた中途半端に高い服を着た男か?」
「ああそうだよ! あんな太い腕で剣なんぞ振るわれたら俺なんか簡単に真っ二つに――なにが王国最強騎士だ! 何が平民代表だ! あんな屑が騎士団のトップだなんてお偉いさんは何考えてんだよッ!!」
「……ギアットくん、それ偽物だよ?」
「ああそうだろうさ! 偽物だって俺も信じた……はい? 偽物?」
かちん、とギアットの表情が固まった。
俺は事情を説明するために、腰の剣をさりげなく強調しながら一歩前に出た。
「あー……お気の毒だが、現在このカリプソーの町には騎士ヴァルナの名を騙る不届きな輩が出没している。丁度先ほど確認した人相の男だ」
「え、あんた騎士……っていうか、偽……? ぬわんだとぉぉぉぉぉ~~~~~ッ!?」
此処にまた一つ、偽ヴァルナの悪行が刻まれるのであった。
しかし、俺には――いや、恐らくは考え込むように顎に指を当てるセドナもそうなのだろうが、大きな疑問が生じていた。
「騎士が町をウロついてる現状で、蜂蜜の樽を複数馬車に乗せて持っていく……? そんな目立つことを、しかも金目のものではなくて運び辛い蜂蜜を持っていくだと? 自分で飲む訳でもあるまいし、一体そんな大荷物をどこに置いて、何に使う気だ?」
偽ヴァルナが馬車でそのまま外に出るとは考え辛い。
町の外れに騎道車が止まっているという情報はいいかげん町中にも広まっているだろうし、現に聖盾騎士団も町の出入り口をマークしている。俺が偽ヴァルナなら、最低でも王立外来危険種対策騎士団が町を発つまでは潜伏する。
という事は、偽ヴァルナはこの町のどこかに蜂蜜の樽を隠している事になる。
まさか蜂蜜大好きという事はあるまいし、潜伏の間ずっと蜂蜜で乗り切るなどという馬鹿な事を考えているとも思えない。つまり、何故目立つリスクを冒してまで蜂蜜の樽を盗んだのかが分からない。
「おいアンタ、蜂蜜だって金目のもんだろ! ロイヤルゼリーなんか王家にも献上してる超貴重品だぞ! まぁロイヤルゼリーは味じゃなくて圧倒的な栄養価の高さが注目されて長寿食扱いなんだが……とにかく特権階級だって買いに来る、十分金目のものだよ!」
俺の疑問にギアットさんが噛み付いて来た。ロイヤルゼリーとやらは詳しくは知らないが、
地味に味が気になるな。アストラエなら知ってるんだろうか。
とにかく、貴重品だというのは分かった。しかしそれでも納得いかない。
「金目のものが欲しいなら宝石店にでも押し入って貴金属や宝石を奪った方が断然効率的だ。なにせ頂いたブツの体積も重量も遥かに軽くなるし、足がつきにくい。現に樽を運ぶときは態々馬車まで用意してたんだろ? 宝石の類ならそこまで大掛かりな準備はいらない」
「う、言われてみれば確かに……で、でもよぉ! 俺は現に樽ごと蜂蜜パクられてるんだ! この事実は動かねえんだぜ!?」
「そうだがなぁ。だとしたら、あの偽物には蜂蜜を手に入れる理由がある筈なんだ」
分からない。何をどうすれば大量の蜂蜜が必要になるのだろうか。
しかし、何にせよ盗まれた蜂蜜が既に町の外に出ている可能性は低い。
だとしたら偽ヴァルナ捕縛のついでに蜂蜜も取り返せるかもしれない。
何かの手掛かりにと店内に僅かに残ったロイヤルゼリーと蜂蜜の小瓶を分けてもらい、俺たち一行はプロの到着を待つことにした。
(……なんか、さっきから
――セドナの胸中に仕舞われた、微かな違和感をそのままに。
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