第83話 エースを狙いました
男は、見るからに不機嫌だった。眉間に皺を寄せ、両手をポケットに突っ込み、ずかずかと足を踏み鳴らして町の中央を歩いている。その形相たるや、通行人の誰もが怯えて必要以上に避けていく程だ。
昨日までの彼も態度は大きかったが、どちらかというと余裕を感じさせる横柄な姿だった。そんな彼のご機嫌が裏返って不機嫌に転じた理由は、ひとえに今朝に出会ったとある若者のせいだった。
「ちっ……まさか本物を知ってる騎士がウロついてるなんてな。星の巡りがご機嫌斜め、運が悪いったらねえぜ」
運が悪い――それはつまり、国内最強の騎士の顔を知った人間に偶然見つかってしまったという事を意味している。ある程度事情を知る者がこの言葉を聞けば、「何を馬鹿な事を言っているんだ」と首を傾げることだろう。何故ならこの国の騎士は御前試合か職場のどちらかで必ずヴァルナの顔を一度は見ることになるので、彼の顔を知らない騎士を見つける方が難しいのだから。
しかし、男はどういう理由かその事を知らないらしい。詐欺師は知能犯であることが多いという話だが、どうも彼の計画は少々杜撰に過ぎる部分が散見されるようだ。主にこの町が既に騎士だらけであることに気付いていない所とか、或いは自分が予想以上の重罪を犯している事とか。
苛立ちで視野も思考も鈍っているのか、杜撰で不機嫌な不逞の輩は正面から迫るフラフラした酔っぱらいに気付かず、肩がぶつかってしまう。しかし根に染み着いたチンピラ精神は押さえられないのか、その口からは驚くほどスムーズに罵声が飛び出た。
「ってぇ! 前見て歩けやこのクソ酔っ払いがァ!!」
「ういぃ、人生の先輩に対する心ない言葉にオジサン目頭が熱くなっちゃうなぁ♪ でもぉ、アレだよぅ? 前見て歩かない君も悪いんだよぉ? 酔っ払いには優しくしましょぉ! はい復唱!」
「……ブッ殺されてぇのかな、お? 何でハナから道路を歩いてる俺がテメェみたいな平民の屑の為に気ぃ遣う必要が……?」
苛立ちのあまり最初から狂暴性を剥き出しにした男は、その暴力的な衝動をそのままに酔っ払いにぶつけるように肩を掴んだ。しかし、力を込めたその手の動きに反して、酔っ払いの肩が動かない。まるで壁を押してるようだった。
戸惑う男に反して、絡まれた酔っ払いは動じた様子も見せずにへらへらと笑いながらその口元をゆっくりと近づけて、纏わりつくような声色で囁く。
「おぉ? もしかしてオジサン殴られちゃうのかな? 怖いねぇ……最近のやんちゃ坊主は、すーぐ年寄りを暴力でイジめるんだもんねぇ……そんな怖い事されたら、オジサン――抜いちゃうかもねぃ♪」
視界の外で、かちゃり、と金具のぶつかるような音が聞こえた。
何の音だ――そう考えた男の視線が酔っ払いの腰に落ち、そして音の正体に気付き驚愕した。
「け、剣……!!」
酔っ払いであれ何であれ、この国で剣を持つことが許されるのは騎士のみ。またしても、男が自ら絡んでいった相手は騎士であった。酔っ払いはにやぁ、と笑う。
「どーするよ、若人?」
「は……ハン! どーするはこっちのセリフだぜ、千鳥足の酔っ払いが! 剣ならこっちにもあんだよッ!! フラフラのテメェと素面で最強の俺様と、戦えばどっちが勝つかは一目瞭然だろうがッ!?」
「最……強ぉ?」
「そうだ! この俺様は豚狩り騎士団最強にして、この国の中でも最強の『剣皇』ヴァルナ様なんだよォ!!」
「………」
酔っ払いは薄ら笑いを消して沈黙した。
無理もない、と男は内心で頷きつつもほっとする。
二度も騎士に喧嘩を売る羽目になるとは予想だにしなかったが、相手が弱そうで年を取った酔っ払いの騎士で助かった。
大方この男も同じように騎士であることを盾に脅しをしたことでもあるのだろうが、騎士対騎士では簡単に剣を抜けまい。騎士同士の私闘は厳禁だし、酔っ払いの千鳥足で喧嘩をしても勝ち目が薄すぎる。腹立たしいこの酔っ払いに仕返しすれば事になるのでそれは諦めるが、これでこちらの自尊心を満足させつつ穏便に話を終わらせられる――そう思った。
「でもよぉ、俺様は心が広いからゴメンナサイって素直に言えれば見逃してやらなくも……」
「剣抜いてみ」
「は?」
「だーかーらー、剣。抜いてみ? オジサンが最強の太刀ってのを見極めてやるから」
何でもないように、後輩に指導するように、その酔っ払いはにやにや笑ったまま剣に手をかけた。酒に酔った赤ら顔は変わっていないが、その足元は先ほどの千鳥足が嘘のように堂に入った構えを作っている。
一瞬事態を把握できなかった男だが、瞬時に最悪の予想に至ってざあっと血の気が引いた。もっと早く気付ければ喧嘩まで吹っ掛けなかったものを、藪をつついてしまったらしい。
(まさか――嘘がバレているのか!? そんな馬鹿な、もしかしてヴァルナの所属する騎士団の人間がこの町で休暇を!? 出張してんじゃねーのかよ!?)
これまた彼は知らなかったらしいが、王立外来危険種対策騎士団は全国津々浦々のオークを退治して回っているため、同じ騎士団の人間でもない限りその順路と日程を把握することは出来ない。どうやら彼は騎士団が王都を発ったことまでしか把握できていなかったらしい。
更に言えば彼は本物のヴァルナが絶対に言わない名乗りを二連発している。それは正式名称でない豚狩り騎士団の名を最初に出したことと、本人がダサすぎてヤダと拒否している『剣皇』の二つ名だ。ヴァルナ本人が傍から見てたら「恥ずかしすぎてもう見てらんない」と顔を覆う悲惨な演技であった。
ともかく、その発想に至った男の対応は電光石火だった。
「は! お前みてーな酔っ払い相手に剣を使って間違っても傷なんぞつけたくねーよ! 俺の剣は海外で発注した最高級のタタール・ブランドだからなぁ! あーあ、ったく酒臭いジジイなんぞに絡んでいる俺が馬鹿みてーだ。こんな奴名乗る価値もねーし!!」
まくしたてるように自分の正当性を訴えつつ逃げ出す言い訳まで連発して強引に話を打ち切った男は回れ右してずかずかと――心なしか早歩き気味に――その場を素早く離脱していった。
間は抜けているが、ある意味で見事な逃げっぷりである。
(畜生、畜生、畜生!! なんてツイてない日なんだ!! もしかして他の騎士まで私服でブラブラしてねぇだろうなぁ……! 仕方ねぇ、今日はアジトに引き返して出直すっ!!)
明日になれば、運気の流れも変わる。
ツキを呼び寄せるのに重要な事はツキが来ると信じることだ。
少なくとも彼は今まで、それを信じて生きてきた。
去っていく詐欺師を見送った酔っ払いの騎士――その名をロックという――は、呑気に手を振って見送りながら懐の酒を再び煽ろうとし、「おっといけねぇ」と引っ込めた。
「せっかく偽ヴァルナくんのポケットから『臭いの元』をパクったのに、戻ってから追跡のプロに酒臭いって文句言われちゃ敵わんからねぇ……ん、もう酔ってるから手遅れか?」
へらっと笑いながら指先で鍵束らしき盗品をくるくると回したロックは、それを放り上げると自分のポーチの口を開いて中にすっぽり収めた。これがあれば新戦力のファミリヤ「プロ」に臭いを追わせられるという大きなアドバンテージが得られる。
偽のヴァルナはまだ知らない。
自分の大切な私物がこっそりスられている事を。
偽のヴァルナはまだ知らない。
もっと逃げ場がなくなったのに生存率は何故か上昇している事を。
「しっかし喋り方と言い脅しにあっさり引っ掻かる所と言い、本物と似ても似つかないねぇ~……大体、貧乏のヴァルナくんが海外高級鍛冶屋のタタール・ブランドなんて持ってる訳ないでしょーが」
呆れを多分に含んだ口調で肩をすくめつつ、酔っ払いは騎道車に戻っていく……筈だったのだが、彼の心は秋の空より移ろいやすく。
「おぉう? あんなところに王都風美人さん発見! ぅおーいお嬢さんお茶しねーい? 俺騎士なんだけどお茶しねーい?」
「うわー変な酔っ払いが来たぁ!? なんかイントネーション変だし誘い方も古いし! どこの田舎者!?」
悲鳴を上げて逃走を図る都会の女性と、それを追う酔っ払いセクハラ騎士。
彼が重要アイテムを騎道車に持ち運ぶのはもう少し先になりそうである。
◇ ◆
今更ながら、王国という島国はなかなかに広い。
大陸と呼ぶには狭すぎるが、島としてはかなり大きい。
中でも王都はちょっとした小国レベルの大きさがあり、その他主要都市の大きさもかなりものだ。
それは現在いるカリプソーも同様で、いくら騎士団に加えてファミリヤまでいると言っても、俺たち総出で一日に満たない時間のうちに町内を網羅するのは不可能だ。という訳で俺はこの日、セドナと屋台周りしながら町の全容を把握することに努めた。
別に遊んではいない。デートでも決してない。
男と女が二人で町を練り歩くのがデートだろうがとツッコまれたら少々辛いが、これは効率を考えた行動なのである。ちなみに代金に関しては「ヴァ……じゃなかった、オルクス君は払わなくても大丈夫だよ!」と婉曲に気を遣われた。遠回しなのが逆に傷ついた。
俺だって屋台の代金を払うぐらいの金はあるのに、と言うと、「でもお給料安いんでしょ?」と直球で気を遣われた。ストレートすぎて普通に傷ついた。同級生の友達に本気で同情されて食物を恵んでもらう王国最強の情けない姿を見ないでくれ、後生だから。
「大丈夫大丈夫、今のヴァルナくんはオルクスくんだから。わびしいのはオルクスくんだよ?」
「いや、いいんだ……そういうフォローされても虚しいし、慣れたよ」
「遊んでる拍子に大事にしてたガラスのトロフィーを壊しちゃったのを許してくれたパパみたいな悲しい顔してるよ、ヴァルナくん……」
そこで許してしまうのがセドナのパパ上の親バカたる所以だと思う。セドナ曰く、悪い事をすると怒らないが、代わりに見ているこちらが悲しくなるほど悲しそうな瞳で見つめてくるので最後には自分から謝ってしまうらしい。ある意味凄い大人だ。
閑話休題。一通り町を巡った俺たちは互いに互いの騎士団がどの程度の情報を手に入れたのか確認するために一旦別れ、そして再度集結した。場所はコルカさんが働いている酒場の下にある小さな宿だ。ここも酒場の店主が兼業でやっているらしく、特別に一部屋貸してもらっている。
この場所を選んだ理由は色々とあるが、酒場でコルカさん達と話をしたときに「偽ヴァルナは一度来た店に何度も足を運ぶ」という情報を聞いたのが大きい。騎士の存在を警戒して来なくなる可能性もあるが、その逆もないとは言えない。余り目に付く場所で話すのは憚られる内容だったのでこういった場所は有難い。
「で、聖盾騎士団の捜査はどんな感じだった?」
「うん。最近町でよく見かける人とか急にお金遣いが荒くなった人とかを聞き込みで調べてるけど、決定的な情報は手に入れていないみたい。ただ、この町に入ったのは間違いないから町の出入り口はチェックしてる。町の外には逃げられない状態だよ……」
「そっか……なるだけ周りに気付かれないように確保しないとな」
「だね。手遅れになってからじゃ遅いもの」
セドナが顎に指を当てて真剣なまなざしを向ける。彼女もこの国の正義を執行する立派な騎士だ。その表情はいい年こいて「ばぁ!」とかやってたお子ちゃまな姿からは想像もできない。というか、むしろあの子供っぽい顔の方がレアという可能性もあるが。
それにしても、やはり聖盾騎士団と言えど一日であの偽者を捕縛するには至らなかったようだ。しかし出口を確実に潰してくるあたり、流石というべきか。奴が逃げおおせられる可能性は減ったが、同時にあの男が公に捕縛される確率も上昇したので喜んでばかりはいられない。聖盾騎士団が先に捕縛すれば、犯人に待っているのはほぼ確実に縛り首だ。
「それで、ヴァルナくんの方はどう?」
「先輩の一人がターゲットに偶然接触したらしい」
「ええっ!? もう顔まで割れてるんだ……」
顔というか態度だと思うが、そこは重要な部分ではないので敢えてスルー。
重要なのはその際に相手の私物をパクったという事だ。
「うちの騎士団には臭いを追跡するのが得意なプロっていう狼のファミリヤがいるんだ。そいつに、ターゲットからスった私物の鍵束の臭いを嗅がせて場所を追う。早ければ今日中にでも相手が見つかる筈だ」
「合間にサラっと挟んだ軽犯罪は聞かなかったことにして、プロくん優秀過ぎるよ……あの、物は相談なんだけどウチの騎士団に一匹貸してくれたりなんかしない? モロにうちの騎士団が求めてる能力だよ?」
「ファミリヤを提供してくれる教授様のご機嫌次第だろ。リンダ教授にお願いどうぞ?」
現時点で弟子と呼べるのがキャリバン一人しかいない偏屈な教授がウンと素直にうなずいてくれるとはとても思えないけど、と付け足すと、セドナは頬を膨らませて「いいなー! ウチの騎士団にも欲ーしーいー!」とばたばた手足をばたつかせた。ふふん、いいだろう。うちの期待の星だぞ。
「あーあ、いいなぁ……あ、そうだ! 実はヴァルナくんに折り入って一つ頼みがあるんだけど!」
「え?頼みって、任務関係?」
「ううん、個人的な話なんだけど――折角の旅行先だし、一度は絶対やりたかったの!」
そう言って、セドナは少しだけ恥じらいながらはにかんだ。
数分後。
「そりゃー! あははは、惜しい~!」
「わわっ!? せ、セドナちゃん意外と力あるのね!?」
「いやぁ、童心に帰るねぇこういうノブホッ!? ちょ、オルクス様!? 顔面はカンベンしてくれませんか!?」
「わり、コントロールが難しくて……」
そこで行われていたのは――枕投げ大会だった。参加者は俺、セドナ、コルカさん、そして店長さん。セドナは心の底から楽しそうに、宿の大き目な枕を投擲して遊び惚けている。
本人曰く、初めての宿だったらしい。そして一度でも少人数でもいいからやってみたかったらしい。そんな風に言われると断りづらく、俺は店長に無理を言ってリネン室で作った即席のバトルフィールドを作ってもらい、ついでにコルカさんも参加して大乱闘を開始したのである。
「空を舞う純白のシルクたち! 強く、気高く、そして当たる瞬間は優しく……世界一平和で誰も傷つかない決闘! それが枕投げなんだね!」
「絶対にそんな高尚な遊戯じゃねーから! ってうおッ!? 集中攻撃されてる!?」
「オルクスさんが強すぎるからですよ! 店長、今です!」
「受けなさい、我が必殺のォ! エェェーース、アタァァァーーー……ケベフッ!?」
「ああっ、店長の顔面に見事なカウンター枕が!?」
「わり、また手元が……」
――俺も初めての枕投げだったので割と夢中になってしまったのは秘密だ。この調子で現実の悩みも枕にのせて投げ飛ばしたいが、言ってて空しくなるからすぐに考えるのを止めた。
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