第80話 迷惑が飛び交います

 トラブルメーカー、という言葉がある。


 これは余計なトラブルから背負う必要のないトラブルまで、様々なトラブルを引き寄せる性質を持った人間の総称だ。例を挙げるならば王立外来危険種対策騎士団の大半のメンバーとかだろうか。もっと言えばアキナ班長とかが分かりやすい。

 メンバーの大半がトラブルメーカーってどういうことだよ、とも思うが、考えてみれば俺たち騎士団そのものがトラブルメーカーみたいなものなのでむしろ場慣れしたベテランが多いとも解釈できる。嫌な場慣れもあったもんだ。


 しかしそんな環境下にあって、俺は比較的トラブル遭遇率は低い方だ。

 平凡とも言い換えられる。

 仮に出合ったとしてもスルー出来ることが多いので、大きなトラブルを持って帰るのは大抵俺以外だ。士官学校ではトラブルを持ってくるのがセドナで、それを掻き回すのがアストラエで、事態を収拾させようとして振り回されるのが俺という構図である。


 つまり何が言いたいのかというと、だ。


「嫌っ! は、離して……!」

「おーいおい、さっき付き合うって言っておいて心変わり早すぎるんじゃないの?」

「私は貴方が怖いから言葉を合わせただけで……! もうやめて……!」

「嘘をつくのは良くないなぁー。男心を弄ぶ小悪魔ちゃんってのは悪くないけど、自分の立場分かってんのか気になるよねぇ……アン? てめぇ、そこのガキ。俺に文句があるって面してるけど何よ?」


 とりあえず暇を持て余して俺がカリプソーの町に散歩に出た結果、ばったりとあからさまなトラブル現場に出くわすのは、かなりレアな事だということだ。


 目の前には、大人しそうな女性の手首を半ば無理矢理引っ張る、俺より二回りほど大柄で性格の悪そうな男。繰り広げられるのは痴情のもつれか、或いは性質の悪いナンパだろうか。

 大人の男女がやることだからまだ二十歳にもなっていない俺が口を挟むというのもどうなのだろうかとは思った。しかし、古往今来、婦女子の危機に駆けつけるのは騎士の定番だ。女性の手を掴む男の態度も絵に描いたような悪漢だし、放っておくのも気が引ける。


 こういった警らのような仕事は聖盾騎士団の仕事だが――と内心ぼやきつつ、息を吸い込み騎士モードに心を切り替えた。


「女性を無理やり引き摺って脅迫染みたことを喋る輩を目の前に、文句がない訳がないだろう。女性にはもっと優しくするものだ」

「……へーぇ。何だ、騎士気取りかいキザ坊や? 立派な志だねぇ! だが他所でやりな。こちらにおわすお姫様は俺との約束を破ったのさ。これはオトナ同士の問題だ」


 心底鬱陶しそうな男の反応も気になるが、俺は男に連れまわされる女性が本気で嫌がっていることにだけは確信を持った。

 先ほどから、男の俺に対する苛立ちが握力に現れて女性が苦悶の表情を浮かべている。乱暴に掴まれている彼女の腕は赤くうっ血し、誰の目から見ても仲良く手を繋いでいるとは解釈できない。


「個人の間なら脅しも暴力も許されるなんて法律はない。そして今の状況を見れば、貴方が悪人に見える。つまるところ――その力加減も出来てない不器用な手を彼女から離せ」

「威勢がいいねぇ! 勇敢な若人だ! ただ哀しいかな実力が足りないなぁ。例えばぁ……騎士である俺にそんな偉そうな口を聞いて無礼討ちになる可能性とかを、考えきれていねぇ」


 にたり、と下卑た笑みを浮かべた男が自身のベルトを動かすと、その大柄な体に隠れていたあるものが姿を現わす。機能性とデザインを両立させた柄、鍔、そして鞘。それは王国内に於いては騎士と限られた役職にしか携帯することを許されない筈の――剣だった。

 引っ張られていた女性がそれを見てぎょっとする。


「そんな……き、君! 私の事はいいから逃げてッ!」

「ほれ、お姫様もこう言ってる。男として女性の言葉を無碍にするのは良くないよなぁ。さ、分かったらとっとと回れ右して帰りな」

「……?」


 俺は、首を傾げた。


「……あ? なんだその間抜け面は。まさかまだ状況が分かってねぇのか? 俺様は騎士で、お前は平民。偉くて賢いのが俺で、馬鹿で勢いだけの間抜けがお前。ハナからお前に俺をどうこうする資格なんて欠片もなかったんだっつーの!!」

「いや、そうじゃなくて……」


 何かおかしいなと思って自分の身なりを確認し、俺はやっと何がおかしいのか得心できた。道理でさっきから男が高圧的に訳の分からない脅しをしている訳だ。


「しまった、ベルトがずれてて見えてなかったのか」

「は? 何を言って……ッ!?」


 失敗失敗、と内心で恥ずかしがりながらベルトを正すと――丁度向こうからは俺の背中に隠れて見えなかったであろう騎士の証、剣がひょっこりご挨拶した。


 そう、さっきからおかしいと思っていたら、この人達は俺が剣を持っている――すなわち騎士であることに全然気付いていなかったのだ。まさかこの男が剣を勿体ぶって出したのを見て自分の失敗に気付くなんて、率直に言ってかなり間抜けである。しかしどうやら男の青ざめた表情によれば誤解は解けたらしいので、遠慮なく前に出る。


「――名乗り遅れてたけど、俺も騎士なんだよ。同僚の悪事となれば余計に見逃せんのでな」

「き……騎士……? こ、こんなガキが、なんで――」

「それで? お前はどこに所属する騎士だ。この町に常駐の騎士などいない筈だし、休暇中か?」


 男が帯刀している以上、騎士なのだろう。

 この国では許可のない帯剣も罪になるが、騎士でない人が騎士のふりをすることは最悪の場合死刑にされるレベルの重大犯罪だ。故にそんな馬鹿すぎる真似を本気でしている馬鹿がいるとは流石の俺も思えない。つまり、常識的に考えればこの男は本当に騎士である可能性の方が高い。


「その半端に金をかけた服装を見るに、特権階級身分でも見栄を張るのが限界で凋落寸前か、実家と縁を切られたか? だとしても女性に当たるのは感心しない」

「グッ……は、ははッ! き、騎士ではあるが経験と観察眼ってものがてんで足らねぇらしいな! 騎士団ってのは皆がお前みたいなボンボンって訳じゃねえんだよ! 俺はなぁ、努力の人なんだよ。平民の生まれで、平民にとって唯一のチャンスをモノにして、騎士のトップに躍り出た最強の騎士!! そう、俺は――」


 何やら高圧的だが、この男は一人で盛り上がって何を言っているんだろうか。というか今の俺の服装は貧乏人に見えない最低限のファッションであり、多角的な視点で見ても「ちょっと生活に余裕のある平民」止まりなのだが、どこをどう切り取ったらボンボン扱いなんだ。俺の両親は田舎で畑とか耕してるぞ。

 しょうがないので手っ取り早い方法を取っておこう。

 聖靴騎士団以外の人間なら確実に効くとっておきの方法だ。


「はいはい、話は分かったからそちらの女性を掴む手をとっとと放せ。うっかり怪我でもさせたら貴方の名前を王宮に報告するぞ? 俺はあのヤガラ記録官と見知った仲だからな」

「やが……きろくかん……? い、いや、王宮だと!? ちぃっ、クソが!! こんなブサイク女、抱くなり何なり勝手にしやがれッ!!」


 男が女性を無理やり俺の方に押しのけて、脇目も振らずに逃走する。いきなり投げ飛ばされる形になった女性を慌てて受け止めると、その間に男の背中は遥か遠くになっていた。やけに手慣れた判断なのは気のせいか?


 何にせよ、王宮という言葉を聞いた途端に急激に余裕をなくした辺り、やはりヤガラの名前は使える。見知った仲といっても親しい仲だなんて一言も言っていないのに、せっかちな男だ。俺も少しはひげジイイ流のやり方を学ぶことが……出来てはいけない気もするな、今更ながら。

 下種も去ったことなので女性の様子を確認する。


「大丈夫ですか? かなり腕をきつく捕まれていましたが……」


 男に握りしめられた女性の腕は真っ赤に腫れているが、痣が残る程ではなさそうだ。見たところ他に乱暴された様子は見られない。よほど怖かったのか、女性はわっと泣きながら俺に縋ってくる。たれ気味の目とそばかすが目に付く綺麗な女性だ。


「ありがとうございます、騎士様! ああ、本当に……!」

「お待たせして申し訳ない。所属が違うとはいえ同じ騎士として、あの男の非礼を詫びましょう」

「そんな、とんでもない! あんな男は騎士なんかじゃありません! 貴方のように平民を助けてくれるのが本物の騎士です!!」


 本当に非礼な男だったな、と内心でぼやく。

 正直この場で一度とっ捕まえてやろうかとも思ったが、騎士が騎士を拘束するというのは余程の事態でないと越権行為だ。女性を放っておくわけにもいなかったので見送ったが、未だに少し引っかかる。

 騎士を名乗っていはいたが、服装といい態度といい、えらくちぐはぐな男だった。後で衛士所にでも行って正体を確かめておこう。


「俺はまだまだ道半ばの若造ですよ。それにしても、一体貴方とあの男の間に何があったのですか?」

「は、はい! 私はこの通りにある酒場のウェイターをしているコルカと言うのですが……」


 改めて女性――コルカさんを見て少しドキっとする。

 先程までは意識していなかったが、あの男がよほど怖かったのかコルカさんは俺に抱き着いているので顔が近いのだ。彼女もそこで自分が俺に抱き着いている態勢に気付いて「す、すみません!」と謝りながら慌てて離れる。

 どうも女性からそういうことをされるのはセドナも含めて慣れない。カルメとかにされるのは慣れたが。あいつは驚くと直ぐに俺に飛びついてくる。俺も落ち着いたところで、彼女の話を聞くことが出来た。


 曰く、あの男は数日前からこの町を我が物顔で歩いているという。

 見た通り帯刀している騎士なので平民側としては無下に出来ず、さらに男が平気で恐喝紛いの事をするために怖くて逆らうことも出来ない。そんな男の目に偶然止まったのがコルカさんで、先ほどまさにコルカさんの家に男が押しかけようとしている所を俺が割り込んできたのだという。

 普通に危機一髪だ。トラブルは嫌いだが、人助けになるトラブルなら積極的に受け入れてもいいかな、などとしみじみ思った。そんな間もコルカさんの騎士に対する恨み節は止まる事を知らない。


「あの男のせいで常連さんもマスターもすっごい迷惑をこうむったんですよ!? もう、平民出身騎士だか何だか知らないけど人として最っ低の男ですよ!! 今まで応援してた私たちがバカみたい!!」

「え? 平民出身騎士……?」

「そうですよ! 貴方も聞いたことはあるでしょう!? 平民出身騎士から最年少での御前試合参加、及び最優秀騎士に選ばれたあの男――騎士ヴァルナの事を!!」

「……、……はい?」


 なぜそこで俺の名前が出てくるのか、一瞬本気で分からなかった。しかしヒートアップしているコルカさんの嵐のような悪口は止まらない。本人を前にした悪口が止まらない。


「なにが平民の味方ですか!? 金はあるっていいながら周囲に無理矢理ツケさせる! 態度は下品で粗暴でとても騎士の規範とは程遠い! 暴力をかざして平民に脅迫するなんて特権階級以下のクズですよ!」

「う、うん……」

「あんなのをはやし立てる王都や豚狩り騎士団のトップの気が知れませんよ! 歩く恥です、人間型オークです! 二度と私の前に顔を見せないで貰いたいですね! まぁ、それは私だけでなくてこの町でヴァルナと会った全員がそうなんでしょうけど!!」

「そ、そうなの……」


 猛烈な言葉の暴力に俺の精神ががりがりと削られていく。今になって分かったが、どうもあの騎士は俺の名前を勝手に使って好き勝手してくれているらしい。なので彼女の言葉は全部あの怪しい騎士に向けられたものなのだ。ものなのだが――。


「ね! 許せませんよね、あのヴァルナとかいう野蛮な下半身野郎は!!」

「ウン、ソウダネ」


 顔を見ながら俺の名前を連呼して悪口連発されたら、いくら他人でも傷つくのだ。


 それは事実関係の問題じゃなくて、ことばの問題だ。

 たとえ無自覚でも、言葉は人を通じて巡り巡って誰かを傷つけている。

 俺の心を襲ったのは犯人への怒りではなく、言葉のナイフによる容赦ない滅多刺しと虚脱感だった。なまじ相手が善意であるが故、特権階級共の差別よりよっぽどヘビーに心に来る。


「あ、そうだ! 助けてもらったお礼にお店でサービスしちゃいますよ!」

「ウン……うん。大丈夫、痛いけど我慢できる……え? なんだっけ?」

「……? ですから私の働いている酒場でごちそうを……」

「ああ、そういう……昼間からお酒を飲むわけにもいかないからね。お昼ご飯になるものとか置いてある? あとお金は自分で払わせてね」

「他人に奢らせまくっていたヴァルナとは違うって事ですか? ご立派です! 昼食なら大丈夫ですよ!!」


 また心に何か鋭いものが突き刺さった気がする。

 とにかくご飯でも食べて一度気を落ち着かせたいと思い、コルカさんの笑顔に力なく頷いた。


「じゃあお店に案内します、騎士さん!! ええと……そういえば名前をお聞きしても?」

「……」


 ここで「ヴァルナです」と言ったら、この人どんな顔をするだろう。というか今の俺はこの町では凄まじい嫌われ者なのだから、本名を名乗るのが無性に怖い。言葉の刺突でボロボロメンタルになった俺がぐるぐると頭の中で考えた末に出した結論は――。


「お、オルクスといいます……」


 とりあえず同級生の名前を借りてその場を凌ぐことだった。聖靴騎士団で絶対にヴァルナという名前と同列視されず、なおかつ知り合いの騎士のなかで他所の所属で男で名前が売れていない事を条件にして咄嗟に思いついた名前だった。

 すまんオルクス、セドナへの片思いの件といい、お前とは全然仲が良くもないのに変な迷惑ばかりかけてしまう。今度会ったら意味もなく感謝しておこう。





 その頃、王都――聖靴騎士団訓練場。


「うん? ……何だ? いま首筋にひどく気色の悪い何かが触れた気がしたが、気のせいか?」


 訓練に打ち込んでいたオルクスが未知の感覚に背筋を振るわせつつ、再び剣術訓練に戻っていた。


「それにしても運がない……せっかくセドナをデートに誘えるチャンスだったのに、急遽カリプソーに出張とはな。くそっ、意味もなくヴァルナのせいという事にしてやる!」


 実際当たらずとも遠からずな結果になりそうな事を、オルクスはまだ知らない。

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