第77話 足を掬われます

『湖を落とし穴に使うぅ!?』


 俺とアキナ班長は、全く予想外の提案に素っ頓狂な叫び声をあげた。


『僕の家の近くにある湖、けっこう深いんです。それにこの時期はだいたい二十センチくらいの氷が張ってて……ここ最近は晴れ間が見える日もあったのでそんなに厚い氷は張ってない筈です!』

『ちなみに、どれぐらい深いんだ?』

『山からの雪解け水が深く抉って出来たらしいので、湖の中心部は水深五メートルぐらいは……』


 二十センチの氷と聞くと厚そうに聞こえるが、上に乗るのは体長五メートル、体重は恐らく一トン弱はあろうかという超巨体だ。そんなものが上で暴れれば氷は耐え切れずに割れるだろう。

 俺としては湖があること自体が初耳なのだが、アキナ班長は心当たりがあるのか『ああ、家の隣の!』と納得している。


『確か氷の上に雪が積もってたよな! 人間なら湖だって分かるけどオークなら案外気付かず上に乗っちまうんじゃねーか!?』

『深さは十分。超低温の水に落ちればいくら毛が生えてるとはいえオークだってタダでは済まない。まさに天然の落とし穴だな……しかし』


 そこまで言って、俺は眉を顰めてブッセくんをジロリと睨んだ。


『その作戦を実行する為に一人でオークから逃げておびき寄せる気だったのか? 子供の足で逃げ切れる速度じゃないぞ?』

『え、あ……そ、そうなんですか? なんとなく逃げ切れるかなって……』

『あいつ滅茶苦茶移動速度速いから絶対無理。よしんばおびき寄せられたとして、自分も割れた氷に巻き込まれて湖に落ちたらどうする気なんだ? その辺も考えて行動したか?』

『ふぐぅ!? ……ご、ごめんなさい! オークの足の速さとかは、その……考えてませんでしたぁ!』


 自分の想定が甘々の緩々だったという事実に打ちのめされたブッセくんは瞳に涙を浮かべて項垂れる。村を守りたい意識や自責の念が彼をこんな行動に駆り立てたのは理解できるが、それにしたって無謀が過ぎる。横のアキナ班長は怒るより呆れたのか、はぁーーっ、と深いため息を吐いた。


『ブッセ』

『……ごめんなさ――』

『お前の計画は穴だらけだから、特別に俺たち騎士団が手伝ってやろう。ふふん、慈悲深きこの俺様に感謝するんだな!』

『……へっ? あの、もう怒ってないんで――』

『よーし、ヴァルナはブッセを背負って囮だ! ブッセは顔と臭いを覚えられてると思うからな!』

『はいはい、了解了解』

『あれぇ!? もう僕の話を聞いてすらない!?』


 残念ながらブッセ君、班長はずっとこういう人である。なお、後で思い出し怒りするという非常に厄介な習性があるのでちゃんとやらかしたことを覚えておかないと大変なことになるとはザトー副班長の談。

 なお、たまに忘れたままなので後は幸運の女神に祈るしかないだろう。女神がショタ好きなら勝算はある。


『そんでもって俺たちが湖に先回りして、その湖の中心部の氷に細工して割れやすくする! 終わったら発煙筒で知らせるから、適当なタイミングでその場に白オークを誘導! どーだ、これが大人の完璧な計画だ! 計画発動! ほれ、とっととヴァルナの背中に掴まれ!!』

『え、ええ!?』

『やんのか、やんねえのか!? 男ならハッキリここで決めろ!』

『や、やりますけど! うう、何でアキナさんはこう……!』


 鶴の一声と呼ぶには少々粗野で強引な言葉だったが、その強引さがすぐさま作戦を決行するきっかけになったのは間違いない。実際、言葉は荒いが指針がハッキリしたことでそこからの騎士団の行動は早かった。

 こうして、ブッセの計画は驚くほど早く実行に移され、見事に成功したのである。




 オークが水底に沈んで約数分、罠の準備を済ませてから急いで湖の外に撤退して様子を見ていたアキナ達騎士が、湖の割れた部分に近づいてくる。その手には、騎士団お馴染み死体の場所を知らせる黄色い旗があった。


「どうだ、溺れたか?」

「意識は飛んでたと思うんで、大丈夫だと思います」

「よし、そんじゃーこの旗を堂々と建てられるな!!」


 にやっと笑ったアキナ班長はその旗を高らかに掲げて、一気に足場に突き刺した。


「白オーク、討伐完了だオラァッ!!」

「や……やったぁぁ~~~~~っ! 俺たちで怪物を仕留めたぞぉぉ~~! ほら、ネージュ! 勝利のハグ!! 急いで!!」

「と言いながら下心丸出しで指をワキワキ動かしてるのが最高に気持ち悪いんだけど?」

「そんな俺のワキの甘さを、お前にカバーして欲しいんだ……」

「オークの落ちた穴から寒中水泳行ってみる?」


 冷酷な表情でオークの落ちた水面を親指でクイっと指したネージュにケベスが真顔で「ごめん」と謝る緊張感のない光景を背に、おんぶ状態を解除されたブッセくんが皆に向かって走り出す。


「皆さん、ありがとうございます! 僕みたいな子供の立てた計画を本当に実現してくれるなんて……!」

「いやいや、子供が立てたとかは関係ないぞーブッセくん! 君の作戦がイイと思ったから俺らも手伝えた訳で! なっ、ここは同感だよなネージュ!?」

「胸を張っていいよ、ブッセくん。この周囲に住んでいる人間にしか出てこないよ、湖を天然の落とし穴に使うなんて」


 ぺこりと深くお辞儀するブッセに周囲の騎士たちからは温かい言葉が漏れ、後方にいる騎士たちもウンウンと頷いている。実際、この話を聞いたときは俺もアキナ班長も目から鱗だったものだ。

 とはいえ実は色々と問題も残る結果ではあるが、その話は帰ってから始めよう。どこからかパチパチと何かが弾けるような音を聞きながら俺はそう思い――そこでふと思う。

 そういえばこのパチパチ鳴ってる音をついさっき聞いたような――。


「あ」


 俺はその時、気付いてしまった。旗を掲げて「俺の手柄だぁぁ~~!!」と叫んでいる班長の足元からその音が鳴っている事と、彼女が力任せに突き立てた旗の因果関係に。


 それほど厚くはない氷に力いっぱい突き立てられた旗の先端は地面によく刺さるように鋭くなっており、非常時には槍として使用されたこともある代物だ。そんなものを勢いよく突き立て、更にその場所はよりにもよって先ほどオークの沈んだ場所のすぐ近く。ここまで気付ければ預言者でなくとも未来を察知することが出来る。

 どうやら運命の女神はアキナ班長に対して相当ご立腹のようだ。


「班長! その旗を離してゆっくりと水面から離れてください!!」

「ぐへへへ……今回の作戦の現場責任者として臨機応変な対応をしたってことにすればボーナスの支給も夢じゃ……え? いま俺に手柄譲るって言ったかヴァルナ?」

「耳と脳みそが幸せ過ぎて何も伝わってねぇッ!?」


 残念なことに既に思考がお金に流れてしまったアキナ班長にはこの異音が拍手か何かにしか聞こえていないらしい。これは無理に引っ張って退かそうとしたら悪化するな、と思った俺は、そっとブッセくんの肩を掴んで班長から距離を取った。

 許せ班長、俺も寒中水泳は流石にヤダ。


「では班長、俺らはお先に……」

「おう! 行ってろ行ってろ! しかし見事に沈んだなぁアノ豚野郎は……」


 そう言って班長はよりにもよって一番脆くなっているであろう水面の淵まで移動し――ばりん、と、遂に足場が限界を迎え、割れた。


「ん? なんか足元が冷た――おびゃうあああああああああああ!!?」


 やっと異常に気付いた班長は自分の足元を見るが時すでに遅く、班長は下を覗き込む態勢を維持したまま垂直に湖に落下した。

 ああ、後で「何で言わなかったんだテメェ!!」って暴れるあの人の姿が瞼に浮かぶ。


 追記しておくと、その垂直落下の光景が余りにもシュール過ぎたことと洒落にならない寒さに班長が物凄い悲鳴を上げたことは、暫く騎士団の酒の席で爆笑の渦を呼んだという。無論本人のいない場での話ではあるが。




 ◇ ◆




 ――その後の経過を報告しよう。


 まず、オークを湖に沈めたことに関しては予想通り副団長にお小言を頂いた。オークの血液は有毒であるため、本来は怪我したオークを水に漬けるのは大変よろしくない行為だ。逆にお小言で済んだのは、あの巨大オークを死者無しで確実に仕留める方法が他に見つからなかったからだろう。

 実際、ケチをつける副団長もあくまで形式上といった感じで、最後には「困難な局面をよく乗り切ってくれた」と笑顔で健闘を讃えてくれた。


「……ところでアキナくんは何故いないのですか?」

「あの人なら……ええと、事故で湖に落っこちて凍えてしまったんでブッセ宅で療養中です」

「ああ、別にいいですよ。いたらいたでボーナスよこせとかヴァルナくんの手柄を自分のものにしろとかガメついことばかり言うでしょうし」

「ほぼ完璧に思考回路読んでますね……」

「分かりやすすぎるんですよ、彼女は」


 次に湖の扱いだが、限りなく摂氏0度に近い水の中だったことが幸いして収斂作用が起きたか、環境に影響するほどの毒は検出されなかった。ちなみに水質検査はずっと騎道車で退屈していたみゅんみゅん《ヴィーラ》が湖を泳ぐついでにやってくれたので間違いない。言っておくが炭鉱のカナリア的なものではなく合意の上での協力だ。


「みゅんみゅーん♪ みゅみゅー♪」

「てゆーかヴィーラちゃんが氷点下スレスレの寒さでも平気なことにノノカちゃんビックリなんだけど……キャリバンくん。彼女なんて言ってます?」

「相当澄んだ水みたいっすね。久々の泳ぎという事もあって気に入ってるようっす。ただ、逃げ場がなくてだだっ広い上に氷があるからそんなに住みやすくはなさそう、との事っす」

「違う、そっちじゃないの!」


 なお、湖に沈んだ死体はすぐさまオークの死体の引き揚げ作業に取り掛かったのだが、獲物の重量と足場が氷であることが邪魔をしてかなりスローペースだと聞いている。恐らく数日はかかるとのことで、俺たち騎士団がこの村を発つのはもう少し先になりそうだ。


 万一この状況下で湖の前のスロープでそり遊びに興じようものなら「遊んでる暇があったら死ね」と死体回収班に湖に沈められること請け合いである。俺は泣く泣くそり遊びを断念し、村の復興を手伝うことにした。


 村の状態は、あまりよろしくない。元々それほど広くなかった村である上に、倒壊した家屋が二つと半壊の家屋が七つ。雪が降る中での修繕は厳しいものがあり、家によっては修繕より立て直した方が早いものもあるらしい。ただ、人的被害はゼロだし食料や燃料などは殆ど影響がなかったため、村全体で手を取り合ってひとまず冬を乗り越える予定だとファーブル村長は語っていた。


 それにしても、被害状況の確認をヤガラがしているのが気がかりな所だ。それがあの男の仕事であるのは確かなのだが、騎士団始まって以来ここまで民間の家屋に被害を出したケースがない。


「ええい、何故この凍える程寒くて古臭くて小汚い村をこのヤガラがチェックせねばならないんですか! 穴倉にでも住めばいいでしょう、穴倉にでも! 土臭い平民にはお似合いです!!」

「文句言ってないでさっさとチェックしちまおうや、記録官殿ぉ! 寒いなら一献グイっと! 体の温まるい~い薬ですぞぉ!!」

「その悪魔の毒液をチラつかせるなァッ!? えーい建築様式が王都と違うから見積が面倒なのですよ! しかも山村だけあって木材の質だけは無駄に高品質ですし!!」


 ロック先輩に絡まれながら猛スピードで手帳にメモを書き込んでいくヤガラは、それなりに忙しいためか騎士団側の不手際を糾弾する様子は見られない。まぁ世間知らずの王国議会は「平民の生活がどーなっても死人出てなければよくね?」的な嫌な空気があるので、案外大事にはならないのかもしれない。

 ……自分で言ってて嫌になるな、この国の議会。いい加減に特権階級の老人たちが独占した議席をどうにかした方がいいのではないだろうか。


 どうにかした方がいいといえば、俺の愛剣にも問題が浮上したんだった。そのことを考えると憂鬱になるのだが、口惜しいことに今の愛剣の性能では今回のような防御力に優れた魔物に後手に回ってしまうことが証明された。


 全然全く捨てたり手放すことは考えてないし向こう七十年ぐらいは相棒の座に就かせるつもりだった我が愛しの剣だが、遺憾ながら……誠に遺憾ながら、もっと切れ味のいい剣を手に入れなければなるまい。王都に戻ったら剣について鍛冶屋のゲノンじいさんと真剣に話をしよう。俺の拘りの為だけに団が迷惑を被る訳にはいかないのだ。

 ゲノンじいさん曰く、俺は「剣を接待している」状態らしい。

 その関係を否定する訳ではないが、新しいパートナーを見繕う覚悟は決めなければなるまい。


 他には、今回の任務で様子のおかしかったノノカさんが、任務後に少しだけ今回俺に黙っていた話をしてくれた。その内容は割と衝撃的なものだったのだが、「周りにこの話を漏らしたら……めっ! なんだからね?」と可愛らしく釘を刺されたので、言われた通りに口を閉ざすことにする。聞くなよ、絶対聞くなよ。


 あと、これは別にどうでもいい話なのだが一応伝えておこう。


『長年女神やってますけどね! 外来種扱いされたのは初めてですよ!? そりゃ異教徒狩りとか悪魔への貶めなんかは知識としては知ってますよ! 知ってますけど……ブタさんと同類扱いなんてあんまりじゃないですか!! このわたくしは運命の女神!!言い換えれば幸運を運ぶ者なのですよ!!』

『はぁ、大変ですね……』

『あーその言い方絶対分かってない!! これだから信仰心のない人間は! 貴方も貴方です! 何を勝手にこのわたくしをショタコン扱いしているのですか! かわいい男の子が好きで悪いですか! 大人は誰だって子供を愛でるものです! そこにショタコンだとかロリコンだとか言葉だけのレッテルを持ち出して区別しようとするのは人間の未だ成長し切らない証左であってですねぇ!! ……聞いていまして!?』

『なんか論点ずれてないですか? というか、何故俺に? アキナ班長の話まで俺に言われたって仕方ないじゃいですか?』

『うっさい聞け! ごほん、聞きなさい! でないと貴方に幸運をあげませ……あら!? やだ、よく見たら貴方そもそも幸運が足りてなさすぎ!?』


 ……という風に運命の女神を名乗る別嬪さんにものすごく八つ当たりされる夢を見た。

 流石にただの夢だとは思うが、とりあえず明日から枕元に霊感先輩からもらった魔除けの木鈴でも置いておいた。翌日から夢は見なくなったので、たぶん悪霊の類だったんだと思う。

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