第76話 ただ静かに沈みなさい

 イスバーグ村から目的地まで、態と遠回りするように移動しておよそ五キロメートル程度――直線距離ではたった二キロで到着する筈の場所に行くためにたっぷりと遠回りはしたものの、想像以上に狼煙が上がるのが早かったことは有難い話だ。


「さっすがアキナ班長! 罠の設置もお茶の子さいさいか!」

「ほ、本当にもう終わったんでしょうか……? あそこは僕でもちょっと作業しにくい場所なのに、初めて行った騎士の皆さんが?」

「慣れない作業なんてよくあることだからな。或いは、あれでも苦戦した方なのかもしれないよ? 特に班長は、たぶんブッセくんが考えてるより凄い人だからね!」


 騎士団の平均年齢で見れば若い方に部類されるアキナ班長だが、彼女が道具作成班というピーキーな分野とはいえ班長に上り詰めた速度は王立外来危険種対策騎士団内では歴代最速だったと聞き及んでいる。

 しかもこの人、工作班と道具作成班のどちらの班長にするかで上が大モメするという前代未聞の事態が発生したことさえあるのだ。あの才能を見事に発見して引き抜いたひげジジイの新人発掘力は悔しいが本物である。


「なのにあの性格なんですね……」

「だからあの性格なのかもしれないけど。ウチの騎士団ってピーキーな才能の持ち主多いから」


 ピンポイント過ぎる才能とそれに釣り合わないアンバランスな人格にブッセくんが目頭を押さえるが、残念な事にうちの騎士団にはもっとピーキーな人もいる。

 例えば工作班の一員で騎士団年長組のホベルト先輩は人間モグラレベルの穴掘りだが、普段は騎道車の近くに穴を掘ってその中にすっぽり収まっているという筋金入りの変人である。昨日は穴の上に簡易屋根を立て、「冬場の地面の中は温かいんだ……」と囁いていた。埋まるのはいいけど出てきた後はきっちり土を落としてから騎道車に乗って欲しい。


「国民を守る正義の騎士団が何故そんな有様に!?」

「これには一言では言い表せない深く苦しい事情があるんだよ、ブッセ君。君も大人になったらきっと理解出来る……この王国の腐敗と闇を!」

「やだぁ、知りたくない知りたくないっ! 騎士はもっとキレイでカッコイイ人達だと思わせてよぉっ!!」


 ほら見ろ、やっぱり騎士なんて子供に勧めていい仕事なんかじゃないのだ。などと思ってはみたものの、本当に人が来なくなった日にはうちの騎士団はスカウト頼みになってもっと変なのばかりになってしまうだろう。

 誰かスゴイ幹部候補生がやってきて騎士団を変えてくれないだろうか。

 まだ士官だけどのロザリンドとか有望株だと思う。爆弾付きだけど。

 

 と――下らない事を考えているうちに針葉樹林の地帯を抜け、白い雪の丘へと躍り出る。丘の上には玄関のデザインだけがやけにド派手かつ悪趣味な家が浮かぶように鎮座している。

 そう、おびき寄せる場所とはここ……ではなく、ここを通り過ぎた場所だ。


「ヴァルナさん!この先は坂になってます!家の近くにあるソリを使ってください!」

「ここソリで滑り降りられるのか!?くそう、オークが来る前に知っていれば子供の頃の夢の一つを気持ちよく叶えられたのに……オーク許すまじッ!!」

「退治した後で好きなだけ滑っていいですから早くぅっ!!」


 一面の美しい雪景色を見下ろすスロープをそりで滑り降りる。雪国以外で育った人間にとってこれが憧れずにいられる訳がない。遊雪部隊DDはここから離れた山の中にある山の側面をせっせと開墾してスロープを手に入れたらしいが、意地を張らずにここを使わせてあげればよかったのにと思う。


 丘に入ってオークが木の下に降り、移動速度が下がったのを見計らってブレーキ。勢いが強くて後頭部にブッセ君のおでこが命中して「あ痛ぁっ!?」と背後から悲鳴が上がるが、痛いだけなら大丈夫だろうとソリを抱えて走りながら飛び乗る。

 正直、ここまで走りっぱなしだと流石に体力の消耗が激しい。それも俺の場合は戦いの場での極端な急加速クイック急停止ストップという最も体力を消耗する戦い方をしている。何とか息は切らせていないが、最後の一押しの為に万全を期してここは楽をさせてもらう。


 大人二人が乗れそうなサイズのソリは雪によって摩擦を失い、不思議なほどに速度を増して雪上を滑る。びゅう、と凍えそうな空気が耳元を通り抜けるが、黒い木々が視界の横を流れゆきながら低所へ向って加速する光景に、俺は不謹慎ながら「後でもう一回やろう」と内心で決意した。草原でやったことはあるが、やはり本場のスピード感は別物だ。

 ただ、それほど長いスロープではなかったため、すぐに傾斜が緩やかになっていく。名残を惜しみつつも減速に合わせてソリから立ち上がり、速度を殺しながら改めて跳躍の準備をする。


「こいつで更に距離を縮めたは……ず?」

「あれ、なんでしょう? 急に周りが暗く……」


 その瞬間、急に影が落ちてきた。雪が深々と降り積もり降り注ぐ太陽光が少なくなっているにも拘わらず、更に暗くなるとはどういうことだろう。理解はできないが、騎士としての直感がこう告げている。


 今すぐその場から離れろ、と。


「ブギョオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」


 直後、俺が跳躍した瞬間に「上から飛び降りてきた」白いオークの唸り声と共に、その巨体が先ほどまで俺たちのいた場所に墜落してきた。ぶわっ、と大量に舞い散る粉雪と共に地響きのようが轟音が鼓膜を叩く。

 唐突に天から降ってきた「死」の塊にブッセくんが悲鳴染みた声を上げる。


「さ、坂の上から飛び降りてきたの!? なんてジャンプ力してるんだ……!」

「そういえば連中、飛び降り攻撃とか結構得意だったな……昔に一回それで死にかけたのを本能が覚えててよかった……!!」


 騎士になりたての頃に起きた忌々しい最初の事件。木の上から奇襲を仕掛けてきたあのオークとの激戦の経験がここで役立つとは思わなかった。何事も経験はしておくものだ。その経験が積み重なって、こうして命を助けてくれる。

 攻撃が外れたことを認識した白いオークがすぐさま体を起こす。その腹部に粉々になったソリが見えたブッセの俺を掴む手が、ぎゅっときつくなった。それが恐怖からなのか、はたまた思い出の品だったのかは分からないが、ソリの犠牲を無駄にするつもりは毛頭ない。 

 急に足場が固くなったのを感じつつ、靴のスパイクを下に引っかけながら慎重に前へ進む。行先には何一つとして遮蔽物がなく、驚くほど平らな雪原が広がっていた。


「ブッセ君、どこだ?」

「ここから十時の方向……あ、ほら! あの辺りだけ雪が乱れてます!」

「あそこだな。一発勝負だから少し緊張するが……!」

「ブギャアアアアアアアアアアアアッ!!!」


 オークの荒々しい咆哮でびりびりと震える大気を全身で受け止めながら、俺とブッセくんは白銀の平面に立ち止まり、まっすぐにオークを見つめた。ブッセくんの俺を掴む手がぎゅっと硬くなり、俺の手は自然と愛剣に伸びていた。


 この何もない平らな空間が、大きな被害を齎したあの白い獣の墓場となる。




 ◇ ◆




 その獣は、自らのパートナーである雌を守り切れなかった悔恨と、自分の仲間たちが皆殺しにされたことへの憎悪、そして肥大化した体のせいで異様に高まった闘争本能によって知性を塗り固められていた。


 獣は実際には仲間を皆殺しにした熊のことを見たことがなく、臭いでしか知らない。しかし、その臭いを思い出すたびに、獣は狂おしいまでの殺意を何度でも想起した。故に巣に人間たちが踏み入ってメスの血の臭いが漂ったとき、オークの理性は簡単に崩壊した。


 ――あの臭いの主を殺す。


 たった一つの殺意に全てが引きずられ、獣は臭いを追走した。

 人間たちの寄せ集めの中には微かに臭いがあったが、もっと奥から強烈な臭いがあることに気付き、すぐにそちらを優先した。そうして辿り着いたのは人間の村。普段は決して他の生物が大量に生息する場所には迂闊に近づかない獣であったが、この時獣の頭の中で何かが繋がった。


 山の中に仕掛けられた気に入らない仕掛けの数々――この仕掛けによって唯でさえ少ない食い扶持が減らされているため、獣はそれを壊して回っていた。しかし壊しても壊しても次々に湧いて出るためにきりがない。そしてそれを設置するのは人間だった。


 つまり、すべては人間のせいだ。

 あまり賢くはない獣は、自分たちに降りかかった全ての悲劇が人間のせいだと考えた。現に襲ってくる人間の中に、一人だけ異常に強い人間がちょこまかと跳ねまわった。これが皆を殺した相手に違いないと確信した。


 そしてついに、元凶たる臭いを発見した。それは獣の皮で、恐らくは人間の「服」の一種だろうと獣は考えた。持っているのは余りにも幼くちっぽけな人間だったが、毛皮から発せられる忌まわしき臭いが欠片程の理性を吹き飛ばした。


 ――もう逃がさない。


 獣は小さな人間を抱えた剣士の人間に追い縋った。

 人間とは思えない程の速度で逃げられたが、体力勝負では絶対に勝てる自信があった。興奮状態のために怪我の痛みもそれほど感じず、ただ人間を毛皮ごと原型をも留めない程に叩き潰して赤い雑巾にしてやろうという意識しか働かなかった。

 坂道を下り、見たことのない平らな空間に降り立った時、獣は人間が項垂れるようにそこで立ち止まっているのを発見し、本能的にこう思った。


 ――もう逃げる体力がないのだ。今しかない。

 

 獣の疲労も並のものではない。意識的にではないが、本能が早く仕留めろと狩猟の原則を説き、獣もこの下らない追いかけっこを終わりにしたかったのだ。

 獣は慎重に、じりじりと間合いを詰める。必殺の間合い――あのすばしっこい人間を確実に仕留められる位置に。その間も人間は逃げるそぶりを見せず、顔だけこちらに向けて立ち尽くしている。


「ブグォオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」


 それは勝利の雄叫びか、それとも仲間への鎮魂歌か。

 喉がはち切れんばかりの咆哮を轟かせた獣は両手の指を絡めて鉄槌のように一つの大きな拳を作り、それを万感の思いと共に叩き降ろした。


 最高の速度と破壊力。動かない人間、これで、これで――。


「おしまいだよ、お前」


 これまでの加速など比ではない速度で「横に滑るように」攻撃を避けた人間は、そう囁いた。獣にはその意味は理解できなかった。


 そう、拳が地面に衝突し――そこが叩き割れて中から大量の水が噴き出すまでは。


「ブギョッ!?」


 瞬間、獣の鋭敏な耳にパチパチパチ、と無数の何かが弾ける大合唱のような音が飛び込んでくる。手にかかる凍える程の冷水と氷に混乱しながらも獣はもう一度人間を叩き潰そうと腕を振り上げて足を踏ん張る。


 直後、バキバキバキッ!! と轟音を立て、踏ん張った足が地面であるはずの平面を叩き割って体が沈む。


「ギャアアアッ!? ブギッ、ブギィッ!?」


 体の全てがその穴に吸い込まれ、更に地面だと思っていた場所が次々に砕けて全身が冷水の中に落ちていく。冷風とはまったく別次元の冷たさが全身を満たしていく。咄嗟に割れていない地面を掴もうとするが、手を置いた瞬間にそこがバキリと音を立てて砕け、余計に体が沈んでいく。

 ここに至って、やっと獣はある事実に気付き、愕然とした。


 ここは地面の上などではない。

 ここは、巨大な水たまりに張られた薄氷の上だったのだ。


 気が付けば忌まわしい人間がこちらを見つめている。それは憎しみでも哀れみでもなく、ただ目の前の広がる氷交じりの冷水のように無慈悲な目だった。


「気付かなかったか? ここは湖なんだ。上に雪が積もったせいで地面と見分けがつかなかったのさ。それに、この辺はお前らの縄張りでもないから地形なんて知らなかった筈だ」

「ブギャアアアアアアアアアアアアアアッ!! ビギィイイイイイイイイイイッ!!」


 足搔きもがく獣だが、不意を突かれた水中であるために得意な筈の泳ぎが上手くいかず、更には武器を持った人間たちに負わされたいくつかの傷痕に強烈な痛みが走る。剣で突かれた時の比ではない、文字通り刺すような激痛が更に獣の意識を遠のかせていく。


 このまま、死ぬのか。

 そう思った獣の頭の上に、とん、と何かが置かれた。

 それは、自分が散々追いかけて追い詰めた筈の強い人間の足だった。


「あんまり苦しめて死ぬのも辛いだろうし、毛皮の防温効果でなかなか死ねないってのも辛いだろ?俺もお前らは憎いが、もがき苦しんでいるのを見るのは好きじゃない。だから、これで眠れ……」 


 瞬間、ズドンッ!! と獣の頭蓋骨に巨大な岩が落下したかのような猛烈な衝撃が迸り、獣は何が起きたのか認識する事すら許されずに意識を失った。力を無くした肉体は冷たい水の中にゆっくりと、ゆっくりと沈んでいき――やがて、太陽の光が届かない闇の中に沈んでいった。




 ――ヴァルナが水面のオークの頭に飛び乗って止めを刺すという無茶をしたのは、オークの毛だけではなくブッセのささやかなお願いもあってのことだった。曰く、山より命を頂く狩人は、その命を使うのはいいが弄んではいけないのだそうだ。


 余計な苦しみを与えて殺すのは、一つの命への冒涜。

 騎士団としては耳の痛い話にもなるが、ヴァルナはブッセの言葉に従った。

 何故ならこの狩りは、騎士団ではなくブッセの発案で行われた罠猟だったから。


「裏伝八の型、踊鳳……踏み込みのミスが生み出す破壊力を応用して頭に衝撃を叩きこんでやったが、あれで楽に死ねたかね……?」


 ブッセを下がらせて最後の一撃を叩きこんだヴァルナは、未だ小さな水泡が浮き上がる水面を見つめながら、どこか気遣うような口調でそう呟いた。

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