第72話 飛んで跳ねます

 ヴァルナの騎道車到着より、おおよそ三十分前――。


「なぁ、お前ホントに行くのかよ。やめとけってあんなヤツらに貢ぎ物とかさぁ……」

「貢ぎ物じゃなくて最低限の礼儀ですってば! いいんです。おじいちゃんが死んじゃってからファーブル村長には何かと良くしてもらいましたし、感謝の気持ちは大切です! だいたい、これ自体は騎士団が仕留めたものでしょう? きっとこれなら僕のものでも受け取ってもらえると思うんです!」

「あーあ、まだ認めませんってか? めんどくせ……」


 この期に及んでまだ自分に嘘をつくのか、それともまだ信じてしまっているのか。人の話は聞いているのに自分の意志は絶対曲げないブッセの偏屈は、もしかしたら筋金入りなのかもしれない、とアキナは思った。いっそ嫌いになっていいと思うのだが、ブッセにとってはそうではないらしい。


 アキナは、幼く純粋なブッセに何の遠慮もなく村で感じたことを伝えていた。あんな村にはとっとと見切りをつけて、ブッセは早く別の居場所を探すべきだと思ったからだ。周囲にはそのことについて「これだから女子力皆無なんだよ」とか「子供との接し方がなっちゃいない」とか散々に文句を言われたが、アキナから言わせれば今のままの方がよっぽど不健全な状態だった。


 だがブッセはアキナがどれほど説得しても「それでもやっぱり故郷ですから」と悲しそうに微笑むだけで、村に戻る気だけは満々だった。内心では村人と上手くいかないことで複雑な感情を抱えている癖して、どうしてそこで頑なになるのかがアキナには分からない。

 外への興味は堪え切れない程にあるようだが、ブッセのそれは全てが最終的に村に戻る事に帰結している。そんなに我慢せずに嫌なものは嫌だと言えばいいのに、というのが自分に正直すぎる彼女の考えだった。


「無駄だと思うけどなぁ、俺はよ。思考停止してる馬鹿共ってのはマジで自分が滅びるまで考えを曲げなかったりするんだぜ?」

「僕はまだ子供です。ですからまだ時間はある。時間をかけて、ずっと仲良くしたいって接していればいつかは……僕も村の一員になれる気がするんです」

「するだけだろ。あーあ、貴重な青春時代は二度と戻ってこないんだぞ? もっと考えなしに生きよーぜ。趣味と自分に生きる仕事に就ければ将来も楽しいに決まってるっつーの!」

「あはははっ、なんだかアキナさんらしいですね!」


 ――ずっとこの調子だ。きっと彼のおじいさんもそうだったに違いないと思う程の頑固さで、ブッセはアキナなりのアドバイスをするすると受け流していた。浮き沈みの激しい頑固者なんて面倒にもほどがあるだろ、とアキナは内心でぼやく。

 

 そうこうしているうちに、荷物を整え終わったブッセは立ち上がってアキナにぺこりとお辞儀をした。


「それじゃ、村長にお別れの挨拶をしてきます! 手土産の手配、ありがとうございました!」

「おう、感謝しとけ! 研究研究ってうるさいノノカにウンと言わせて手に入れたそいつは、本当は俺が都会で売り捌く予定だったんだからな! 働いて返せよ!」

「ええ!? お金取るんですか!? そ、そんな……さっきはロハでいいって言ってたのに!」

「ふーっ……俺ら道具作成班の間では、ロハってのはタダって意味じゃなくて『六十八万ステーラこっきり』って意味なんだよッ!! そんなことも知らねーのか!!」

「中途半端かつ高額ですね!? ちょっと今の僕には払えそうにないです!!」

(まぁ、ちょっとしたジョークだったんだが……こいつマジボケだよ)


 素直すぎるブッセはちょっと無理のあるアキナのボケを素で受けれてしまっていた。

 この少年はいい加減に人を疑うことを覚えるべきなのかもしれない。でなければこれからセネガのガセネタ地獄に引っかかってとんでもないことをやらかしそうだ。

 と、一応騎士でもあるアキナはある事を思い出し、口を濁した。


「……あー、でも今一応騎士団が作戦を展開中だかんなぁ。うーん……民間人を一人で外に行かせるもの体面がどーのってウルセーから一応俺も着いていくぞ。いいな?」

「そんな、僕なんかの為にわざわざ――」

「お前じゃなくて騎士団の為。ドゥーユーアンダスタン? 嫌だっつっても着いていくかんな!」

「うぅ……お、お願いします」


 こうして、アキナとブッセは二人で騎道車を後にした。

 ブッセが背に抱えた、あるものを揺らしながら。




 ◆ ◇




 いつしか、騎士は民や仲間の危機に颯爽と駆けつける正義の味方だという話をしたことを覚えているだろうか。


 当時の俺はアホなりに「正義とは悪がいないと成立しない」という結論を導き出した訳なのだが、実はあの話には続きがある。その続きとはすなわち、本当に誰かの危機に間一髪で駆けつけた際の話である。

 ある日、オーク討伐の現場に近隣住民の子供がそうと知らずに迷い込んだ。騎士でさえ命を懸けるオークとの修羅場において無知で無力な子供の命など簡単に散ってしまう。故に俺は全速力で子供の元に走り、オークを撃滅しながら速やかに子供を戦域外へと誘導した。


『うえぇぇぇ~~~んっ! 怖いよぉ、騎士のおにいちゃぁぁぁ~~~んっ!!』

『男の子なら根性見せて突っ走れ!! それまで俺が全力で守り通してやるからッ!!』


 当時、まだオークとの戦闘に慣れていない俺の心に今ほどの余裕はなく、ほぼ怒鳴り散らすような言葉で激励したと思う。だが、そんな中でも一つだけ鮮明に感じていた事実がある。


 人の命を預かるとは、こんなにも重く、恐ろしい事なのか――。


 俺がミスれば子供が死ぬ。死んだら俺の責任だ。オークの命は剣でポンポンと飛ばす癖して、人間の子供の命にあれほどの重みを感じるとは思わなかった。助けると口で言うのは簡単だが、それを実行するには想像を絶する覚悟と絶対に使命を貫く実力が不可欠だったのだ。


 ちなみに、その時の俺はまだ最強扱いされていなかったので、危機を前に奮起した先輩方の大奮戦で戦闘は終結。少年は泣きながら母親の元に帰っていった。恐慌状態の少年は薄情にも感謝の言葉一つなかったが、後で実戦経験が豊富な先輩に急に酒を奢られた。


 グラスに注がれた黄金色のアルコールを揺らす、食堂の隅。つまみに魚の干物を料理班に分けてもらったあの日の事は、今でも時々思い出す。先輩は、味も分からない酒の刺激に顔を顰めている俺にこう言ったんだ。


『お前、自分が死にそうな状態だったってのに逃げなかっただろう? ずっとガキを守ろうとしてた。なんでか分かるか?』

『何でって……そういえば何ででしょうね? とりあえず、ものすごく怖かったって事は覚えてるんですけど、俺は何を怖がってたんだろう』

『俺には分かるぞ、お前が何を怖がったのか。そいつは手前の命なんかじゃねえし、騎士に最も必要な素質だ。騎士ってのは息を吸うように当たり前に、そう思わなきゃならねぇ。お前はその素質を持っていたんだよ』


 その時の俺は慣れないアルコールに頭が回っておらず、先輩のいう事の半分も理解できなかった。ただ、今になって思うときっと簡単な理屈を言っていたんだと思う。要するに、あの時の俺にとって少年を助けることは絶対条件で、命の優先順位の頂点だったのだ。


 守るべき存在を守れない事が怖い。

 そうすると、自分という存在の意味を見失いそうになるから。


 だから単独行動を取って白い化け物オークを追跡する今の俺も、余裕など全く存在しない。在るのは一刻も早く、速く速くと胸を焦がし続ける焦燥だけだ。『裏伝八の型・踊鳳ようほう』の連続使用による加速は馬をも上回る程の速度を出せるが、この雪山ではどうしても足場が悪くて全力を出し切れない。もしこうしてもたついている間に騎道車が襲撃されて被害が出ようものなら、たとえ周囲が許しても俺は自分を許しきれないだろう。


 やがて黒い針葉樹を潜り抜けた先にある開けた場所――騎道車の待機場所を視界に捉えた俺は、腹の底にぐっと息を溜め、足先で地面をけり飛ばす。全身の運動エネルギーを爪先で爆発させる踏み込みで体は宙を舞い、一気に十数メートルを跳躍した。


 ――騎道車の部隊と交戦が始まる前に殺せって副団長は言ったけど、流石に間に合ってはいないだろうな、と内心で思っていた。


 確かに俺の移動速度は軽く人間を辞めていると称されるものだが、そもそもに於いてオークの方が俺より遥かに早く移動を開始している。俺も全力で走ってはいるが、いくら頑張っても時間を跳躍することは出来ない。


 だからこそ、俺は目の前に待っていた光景に、絶句してしまったのだ。


 ぽつぽつと歩いた形跡があり、乱雑に雪だるまやかまくらが乱立し、騎道車の低い唸り声だけが響くその場所には、ンジャ先輩率いる騎士が周囲を警戒している以外に何一つ異常はなかった。


 とっくに開戦していてもおかしくはないタイミングなのだが、まさか奇跡的にオークを追いこして現場に辿り着けたのだろうか。だとしたらかなり嬉しい。具体的には王宮で迷子になった時に偶然辿り着いた調理場で賄いのあんかけ魚介チャーハンを奢ってもらった時くらいだ。後にあの料理長さんがタマエ料理長のお弟子さんだと知った時はたまげたなぁ。


 ……と、関係ない話はさて置いて俺は念のためにンジャ先輩に駆け寄る。


「先輩! 白い奴の討伐に回されてこっちまで来ました! 奴は来ましたか!?」

「ヴァルナか。目標は影も形も感じられぬ也。此方に向かっているのは確たる情報か?」

「ええ、ノノカさんの読みによると白いのは俺が仕留めたあの白い熊の臭いを追ってるらしくて、それなら騎道車に来るだろうって話だったんですけど……」

「それは、誠か?」

「そうですけど……うーん、どう判断するか迷う状況になってきましたね」


 ノノカさんの予測を信用していない訳ではないが、もしかして白いのは寄り道でもしているのではないだろうか。どうにも俺には、自分がオークを追いこしてここまで来たとは思えない。あちらにとっても不測の事態が起きているというのなら、状況も少しはプラスに働くんのだが。


「っと、そうだ。騎道車への被害を防ぐために今のうちに熊の毛皮を騎道車から引き剥がさないと! ンジャ先輩、俺は今から毛皮を――」

「毛皮は、騎道車の内には存在せぬ也」

「え?」


 記憶が正しければ、あの毛皮は高く売れると言い張ったアキナ班長がノノカさんから強奪に近い形で持ち去った記憶がある。イスバーグより確実に高額で捌けるあの毛皮は大切に保管してある筈なのだが、ンジャ先輩はそんな俺の考えを首を横に振ることで否定した。


「毛皮は、数十分前に騎道車を出た也……おい、話は耳に入れたな? 編成された騎士を全員村に向かわせるようセネガに伝えよ!」

「は……ハッ!! 大至急!!」

「出たって……毛皮が? 誰が何のために!?」


 普段から鋭い目を更に細めたンジャ先輩の言葉に、俺は背筋が凍るような寒気を感じた。もし今の話が本当ならば、確かにノノカさんの予測が外れた訳ではないし、騎道車にオークが来ていない理由にも説明がつく。


 戦いの場はここではないのだ。

 この最悪に限りなく近い状況で、もう少しでも早く情報が伝わっていれば――もっと早く洞穴を制圧していれば――その小さなかけ違いが、毛皮を持ち出すという愚行を生み出してしまったのだ。


「ヴァルナ、貴様も村に向かえ! 毛皮はブッセ少年が村へと運搬せしめん! 性急に向かわねば、惨劇が現るる也!!」


 聞こえた瞬間、俺は真の戦場となる場所に向かう為に地面を蹴り潰すほどの力を込めてその場を跳躍した。踏み込みの衝撃でドウンッ!!という轟音と共に足元の雪が爆発的に舞い上げられたが、気にも留めずに跳ねるような全力疾走で雪上を駆けた。

 頭の中に浮かんだあどけない少年や遊雪部隊DDの顔を、やけに鮮明に思い出しながら。



 なお、踏み込みで舞い上げられた雪はものの見事に現場の部隊(雪を切り裂いて器用に避けたンジャを除く)に降り注ぎ、彼らはヴァルナの非を責めるより先に彼のいた場所を見て茫然としていた。


「……どんな移動の仕方すればこうなる訳?」


 ヴァルナが立っていた地面が一点集中された運動エネルギーに押し潰されて、石膏で模ったようにくっきりとした足跡が出来ていた。しかも雪掻きして尚も三十センチは積もっていた筈の雪もその足跡を中心に放射線状に吹き飛んでおり、あまつさえ余りにも強く押し付けられたせいで地面に無数の罅が入っている。瞬間的に地面で爆発した運動エネルギーの凄まじさが如実に表れる形跡だった。

 より速く移動するために為された『極めてコンパクトな被害』に対するメンバーの反応は――。


「怒りによってさらなる進化を遂げるスーパー戦闘民族かあいつは……?」

「この威力で踏み込んだらフツー足の筋とかブッチブチになる物なんじゃねえの、普通?」

「ヴァルナは普通じゃないから仕方ないね」

「ほんとそれな」

「鍛錬の極みによって成し得た技也。努力せよ、愚か者共」


 ――なんというか、概ね平常運行だった。

 もう少しぬくもりのある言葉を言えないのだろうか、彼らは。

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