第73話 時間稼ぎは戦術です

 一度他人に与えたイメージとは、簡単には払拭し難いものだ。

 例えば初めて出会ったその日にたまたま相手の機嫌が悪かったら、相手の普段を知らない人は「怖い人」、「話しづらい人」という印象を抱かずにはいられないだろう。更には視覚的な情報より先に聴覚的な情報、すなわち噂が印象を決めてしまうことだって世の中では往々にして起こることだ。


 そんなイメージをそれでも払拭しようとするのなら、ただひたすらに誠意を見せてレッテルが剥がれるのを待つしかない。こればかりは喚き散らしても仕方のないことなのだ。

 ただし、例外として――。


「何見てんだオラァ! ヒソヒソ喋ってねーで言いたことがあったら相手の目ぇ見て喋りましょうってママに教わらなかったのかア゛ァンッ!?」

「ひぃぃいッ!? 何で!? 俺ちょっと噂話してただけなのにぃ!!」

「お、落ち着い……アキナさぁん!!お願いですからそれ以上はやめてください!! 泣いてます、その人泣いてますから!!」


 ――イメージ通りの人の場合、イメージの撤回は起きない。というか撤回する必要もなくありのままの姿なので問題ない。むしろ当人の生活態度にこそ多大な問題がある気もするが、そこはそれ、自己責任というものであろう。


 現在、アキナは村で自分の噂話をする人間に片っ端から詰め寄っては必死の形相のブッセに止められている。ブッセは精一杯爪先を伸ばしてプルプル震えながら何とか地面に突っ張ろうとしているが、常人離れした筋力を持つアキナにずるずる引きずられるだけの切ない結果に終わっている。


 昨日に村一番の性悪おばさんに盛大に悪印象を植え付けたアキナの悪評はイスバーグ村に広まっていたのだが、その悪評を上回るほどにアキナの顔が怖く喧嘩っ早い事が判明して今まさに村のおじさんが泣かされていた。壁ドンで追い詰められているのだが、ドンされた壁からミシミシと聞こえてはいけない音が聞こえる時点でほぼ脅しである。

 普通悪評は流された側が涙目になるものだが、舐められたら終わりとばかりの喧嘩っ早さと騎士団随一の考えなしを誇るアキナの本気度100%の狂暴さは既にイスバーグ村内で複数名の被害を出しており、騎士団の評判は下落不可避だ。


 ここまで騒いだら村に待機する騎士団も動きそうなものだが、彼らは彼らで万一魔物が村に来た時の為の警戒に勤しんでいる為に内部の騒ぎには気付いていないらしい。


「大人って肝心な時に頼りにならないものなんですね……!」

「俺だって大人だっつぅの!!」

「ひうっ!? お、大人だったらお願いですからそんなに乱暴なことしないでくださいよぉ! お別れの挨拶しに来たのにこれじゃ色々と台無しじゃないですか!!」

「台無しになっちまえ! 致命的にな!!」

「ひ、人でなしーーーっ!!」


 苛立ちから普段以上に狂暴なアキナだが、村とブッセの関係が崩壊すればいいと思っているのが本気な辺りが最低である。


「もう、アキナさんは自分に正直過ぎますよぉぉ~~~!!」

「お前が自分に不誠実過ぎるんだッ!!」


 ……そこまで正反対の思考を持っているのにどうして一緒に行動しているのかという疑問が全く以て思考の外に弾き出されている二人は、本来なら十分で着く筈だった道を二倍の二十分もかけてやっとファーブル村長の家へとたどり着いたのであった。



 村人の白い目と違い、少なくともファーブル村長は表面上歓迎のポーズで出迎えた。ブッセにとってはいつもの事。しかし現状を放っておいて彼の孤独を加速させている事を考えると、アキナにはその態度は白々しくも見える。

 ブッセは村長に明るい笑顔で騎士団に着いていくことを伝えた。

 ブッセの事実上の身元引受人である村長はその言葉を聞き、深く頷く。


「――そうか、村を出て外へ行くか……」

「はい。その間は山の監視や罠作りなんかの協力は出来なくなりますけど、長い観光だと思って一年ほどで戻ってくるつもりです。お土産もたくさん買ってきますね!」

「ああ、いいと思うぞ。ほれ、おぬしの父親も元は村の人間だったのに外に飛び出したからな。案外、血は争えんという事かもしれん」


 自然に漏れた一言――しかしその言葉にブッセは茫然とした。


「え……? 父さんが、外に……?」

「あいつは昔からこんな田舎は嫌だ嫌いだと喚いてはおまえの祖父のデビットを困らせて……ん? まさか、デビットから聞いておらなんだか?」

「おじいちゃんはお父さんの話は殆ど……お母さんのことは知らないって言って、教えてはくれませんでした……」

「……そうか。まぁ、お主が成人したらわしも知っている事を教えてやろう」


 何かを考えるようにしばし沈黙したファーブル村長の態度を、壁に寄りかかって退屈そうにしていたアキナは冷めた目で見やった。一方のブッセはそんな村長の様子など気に掛けることも出来ない程に動揺していた。自分の父の話が聞けたことは勿論だが、それ以上に衝撃的だった事実。


(父さんは、イスバーグの外に……? ここが、この美しい雪の世界が嫌いだったなんて……)


 それは、自分が好きだと言い張るこの故郷を、父親は嫌っていたということだ。

 父との記憶は皆無に等しい。顔も知らないし、どんな人物だったのかも誰も教えてくれない。身内の他人――そんな矛盾した言葉がしっくりくるような人物。なのにその人が村を嫌っていたと聞いて、ブッセは何故か動揺し、自分を否定された気がした。


「……い、おいブッセ。聞いてんのかコラ」

「え? あ、すみません。ちょっとぼーっとしてて」

「しっかりしろよなー。俺は待ってばっかで暇なんだ! 渡すもんあるんだろ? とっとと渡しちまえよ」


 ふと誰かが肩を揺さぶっているのに気付いたブッセの視線の先には、仏頂面のアキナの顔があった。そこに至ってブッセは自分がどれだけ思考に没入していたのかを悟り、自省する。そうだ、あまり長居をする予定はない。渡す物を渡さなければ。


「そうだ、これ! 昨日に騎士団の方が仕留めた立派な熊の毛皮です! 珍しい白い毛で、僕がなめしたんですよ! 村長にはずっとお世話になってきましたから、ぜひ受け取ってくださ――」


 少し慌てたせいでもたつきながらブッセが毛皮を取り出した――丁度その時。

 運命の時は、轟音と共に無情にも訪れた。突如として響く破壊音と低く唸るような振動。部屋の中の小物がカタカタと音を立てるほどの振動に、3人の目線は一斉に外に向いた。


「な、なんじゃこの音は!? 特大の雹が降ってきた、などという音ではないぞ!」

「おいブッセ、なんだこの音! まさか火薬の調合でもミスった馬鹿が出たか!?」

「そんな筈は……火薬の調合や加工はもっと村から離れた場所で行っているんですよ!?」


 と、村長の家に慌てふためくような大きな足音が響き、扉が勢いよく開き放たれた。


「失礼します! ファーブル村長、至急お話が――あ、アキナ班長!?」

「お前は、えーと回収班の……まぁ名前はいいや。状況どうなってんだ!! 何の音ださっきのは!?」

「はい! それが、例の山に出没していた白い未確認生物が村に向かっているとの情報が入り、先ほどその獣が村のすぐ近くに出没! 村の防衛に回された騎士十名で応戦していますが、目標が巨大すぎて足止めも満足に出来ません!!」


 それは余りにも突然で、そして余りにも絶望的な状況だった。




 ◆ ◇




 雪原を滑空するように跳ねまわって加速する俺の視界にうっすらと村が見えてくるのとほぼ同時に、俺の目にあるものが飛び込んできた。雪のせいで若干霞んでいるが、もうもうと空に昇るあの煙は騎士団にとっては不吉の証だ。


「発煙筒……!! しかも危険度最高を現す赤色!! くそ、間に合わなかったか!! せめて誰も犠牲は出ていないでくれよ……ッ!!」


 焦りから、踏み込んだ足の衝撃が分散してドウンッ!! と激しく雪を巻き散らす。裏伝八の型・踊鳳は足の力を一点集中させることが加速力と繋がる移動法であるため、このように衝撃が広範囲に及ぶというのは力が上手く収束されなかった証だ。当然、その分だけ僅かに移動速度が遅くなる。

 ……百人が見たら九十九人は「誤差の範囲だろ」というレベルかもしれないが、その誤差が重なるたびに時間と体力をロスすることになるのだ。それ程に事は一刻の猶予もない。


 近づくにつれて見えてくる村の状態は、一直線の破壊がまっすぐに通りを進んで一本道を押しのけるような有様だった。住民の安否は残念ながら不明だが、よく見れば家そのものが崩壊している程には壊れていない。壁や窓ガラス、玄関付近と石畳ばかりが被害を受けているのは、恐らく騎士団と交戦した際に発生した副次的被害コラテラルダメージだ。


 一瞬の逡巡はあったが、ここには騎士団も住民もいない。ならば先輩たちが住民の避難も含めて騎士としての仕事を全うした後の筈だ。調べることはせずに突っ走った。元よりそれ程広くはない村――ターゲットはものの数分で視界に映った。


 そこには、身の丈程の巨木を抱えた見上げるほどの白亜の巨躯と睨み合う騎士団の姿があった。先頭にいるのは木こり用の片刃斧を握ったアキナ班長で、その左右をよく一緒に行動しているコンビのケベスとネージュ両先輩が固めている。食堂で結露が何とかと盛り上がっていたのがケベス先輩で、それに冷たく当たっていた女騎士がネージュ先輩だ。

 他にも数名の騎士団がなんとか獣を包囲しようとしているが、圧倒的なリーチを前に及び腰になっていた。無理もない、あんな丸太の一撃をモロに受けようものなら鎧を着こんでいても死にかねないのだから。


「アキナ班長がいて戦力アップなのはいいけどさぁ……何このバケモノ聞いてない! こうなったらもう土壌汚染とか言ってる場合じゃねえよ! 油ぶっかけて火達磨にしよーぜ、ネージュ!!」

「あんたってホンット馬鹿ね。ここ氷点下の屋外よ? 油ぶっかけても速効でカチカチに固まって燃えやしないわよ。理科の勉強し直してきなさい」

「じゃあ落とし穴に誘導だ!!」

「作ってないわよバーカ。よしんば作ってても五メートルの亜人が来ることなんか想定してないから落ちないわよ。大体あんな巨体のバケモンをどうやって誘導するのよ?」

「……俺が血路を開く!」

「その台詞は昨日にもう聞いたし、アイデアないでしょ?」

「愛では人を救えないのか……!!」

「アイデアと愛ではをかけたんだとしたら取り合えず死んだらいいと思うわ」

「だぁぁぁーーーッ!! 二人とももっと緊張感ってモンを持てねぇのか!? 奥の家にはブッセとかいるんだぞ!!」


 ……ともかく、どうやらアキナ班長がツッコミ役に回るほどに事態は逼迫しているらしい。しかし誘導となれば、俺はなんとその誘導方法を知っている。だとすればどうするべきか。


 白髪オークが村長の家を標的としているのなら、理由は中にいるブッセくんの持つ毛皮のせいだろう。つまり、毛皮を使えば高確率でこのオークの注意を引くことが出来、最悪の場合でも誘導くらいは出来る筈だ。


「だったらやることは一つだよな――!!」


 俺は地面を蹴って駆け出し、足元に転がっていた木片を拾い上げてオークに投擲した。背後から投げられた物体にオークは気付くことが出来ない――と思われたが、微かな空気を切る音と気配を察したのか前だけ見ていたオークは木片を手で払いながら振り返った。


「グガァ……!?」


 そこには、強く踏み締められた一つの足跡以外に何もなく――。


「隙ありだ、でくのぼう――七の型・荒鷹ッ!!」

「ブ……ブギャアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?」


 オークが振り返った方向と真逆に回り込んだ俺の抜き身の刃が煌めく。全身の捻りを加えた空中回転斬りが丸太を持っていないオークの腕をなぞり、鮮血と共に切り裂いた。舞い散る白い毛と血飛沫を避けるように今度は態とオークの視界に姿を映す。瞬間――巨大な丸太による叩き降ろしが降り注いで石畳が砕け散った。


 相手の発見から攻撃までの迷いがない判断と、人間を粉々にするのも容易い怪力の一撃。しかし、叩き割った場所にある筈の無残な死体がオークの瞳には確認できない。一瞬の混乱ののち、今度は拳ほどの大きさの石がオークの側頭部に投げつけられた。


 ばし、と、音は鳴ったがオークの巨体と皮膚を覆う厚い毛に阻まれてかダメージらしいものはない。蠅の体当たりを受けた――そんな印象だろう。オークの表情は毛に隠れて分かりづらいが、俺はその表情に深い怒りの皺が増えたのを感じた。


 今度こそ、俺とオークが睨み合う。俺はそこで改めて、もう一度足元に転がっていた石をオークに投げつけた。オークは今度は手で払いもせず、石は腹に当たってぼとり雪上に落ちる。


 オークからすれば虫けらにも等しいようなちっぽけな人間に、意味もないような石を投げつけられ、攻撃を避けられ、あまつさえ腕を斬られる。毛に阻まれたせいで傷は深くないが、これだけの事実が重なればプライドのある存在は絶対に――怒る。


「ブルルルル……ブルルル……!! ブギャオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」

「はん、俺に気付くのが遅せぇっての」


 それが狙い。この場でオークの動きを見切れ、反撃に転じられるのは、自惚れでなければ俺しかいない。すなわち、犠牲を出さずにこの場を乗り切るのならば、俺を囮にしているうちに味方に動いてもらうしかない。


 今の攻撃で分かったが、オークの毛の密度は予想以上だ。

 俺はオークの首を狩る時以上の力を込めてオークの腕を切ったが、その傷は僅か数センチの裂傷にしかなっていない。しかも凍結対策に塗ったクリームの影響か、刃が上手く相手に食い込まなかった。現状、俺の愛用する剣の切れ味では長期戦は必至だ。


 万一オークが不利を悟って退却した場合――或いは獣の件を諦めた場合、次の襲撃がいつどこで起きるのかが全く分からなくなる。オークは学習能力が高いのだから、次があればもっと婉曲な手段で村を追い詰めてくるだろう。それだけは避けたい。


 こうして挑発すれば暫く相手の目は俺に向くし、騎士団の他のメンバーはそろそろ到着するであろうファミリヤから情報を得て作戦を立ててくれる筈だ。それまでこのオークには、どうあっても俺に夢中になってもらう。

 

「王立外来危険種対策騎士団、騎士ヴァルナ……お前のような醜くて薄汚い獣に名乗るには勿体ない名だが、一応は覚えておけ。お前の首を飛ばす男の名だから、冥途の土産にな」

「ブギャアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」


 巨大な丸太を振り回して死の風を吹かすオークを前に、俺は奴の血が付着した剣を堂々と掲げてそれに応えた。

 戦って殺すだけが騎士の仕事じゃない。二手三手先を読めば、倒すのではなく時間を稼ぐという考えにも至る。そして、決まって完璧に事を為そうとしたら、仲間の協力は必要不可欠だ。


「相手してやるよ白髪オーク。俺たち騎士団とオークが出会ったらどうなるか、その命を授業料に教えてやらぁッ!!」


 俺たち騎士団は、いつだってそうして危機を乗り越えて来たのだから。

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