第71話 上司を待ってはいられません

 今更ながら、四メートル級の熊というのは大陸では魔物扱いされるレベルである。

 三メートルでさえ片手で人間の骨をへし折るのに十分すぎる程の筋力を有するというのに、体積においてその更に二倍近い体躯。当然その分だけリーチも伸びるし、タフネスも上昇する。一度でも攻撃をまともに受ければ死は確定したも同然だろう。


 ――では、四メートル級の熊と四メートル級のオークではどちらが厄介かと問われると、恐らく王立外来危険種対策騎士団の面々は迷いなく次のように答えるだろう。


 『四メートルのオークに決まってるだろ』、と。


 熊という生物は時折二足歩行をすることもあるが、基本は四足歩行の生物だ。爪の鋭さや腕力には目を見張るものがあるが、足の長さそのものは体に比してそれほど長くはない。

 手強いことに間違いはないが、あくまでも戦い方は獣なのだ。


 対してオークは人型に近いが故の腕の長さがあり、人間と同じ五本の指で道具を握ることが出来る。その腕で武器を握ることも、木の枝を伝って逃げることも出来る。それが五メートルものサイズになれば、オークの腕は長く見積もって二メートル強。この剛腕に更に武器が追加されることの恐ろしさは筆舌に尽くし難い。


 国内ではたった一度、丁度去年に一匹だけ確認され、結局凍死した四メートルオークの死体を前に、騎士団は本当に安堵したのだ。まぁその後の悪夢の極寒に関しては全力で目を逸らすとして、本当に思ったのだ。

 「これと戦わなくて良かった」と。


 しかし、一度ならず二度までも現れたそれは、嘗て感じた脅威が去っていなかったことを否応なしに思い知らせてくる。


「陣営が巨大な白毛の亜人に襲われただとォッ!?」

『人的被害ナシ! サレドテント壊滅、被害甚大! 白イノハ木ヲ伝ッテドコカニ移動中! 遊撃班ハイマスグ白イノノ追跡ニ入レトノゴメイレーーイ!!』


 最早確認を取るまでもない。

 それは恐らくこのコロニーのボスオークであり、檻を破壊し続けた犯人であり、そして間違いなく国内最大級として歴史に名を刻むであろう、巨大オークの出現を意味していた。




 ◆ ◆





 急いで本陣に戻った俺たちを待っていたのは、さっきまで機能していた仮設陣営の無残な姿だった。テントは破壊され、担架は踏み潰され、騎士たちはバタバタとその後片付けに追われている。

 そして崩壊した陣営で副団長たちが情報の修羅場に晒されていた。


「追跡中の工作班より伝令! 目標は南西方面に移動するも、追跡が間に合わずにロストしたとのこと! そのまま騎道車に向かわせますか、副団長!?」

「そうしろ! 引き返させる時間も猶予もない! それで、肝心の騎道車の警備はどうなっている!?」

「騎士セネガの報告によると騎士ンジャの率いる部隊が展開中! 同時に残りの人員の中で戦える面子を大至急編成中! 編成終了次第イスバーグ村に向かわせるとのことです!!」

「越権行為だが、流石はセネガ君。私の求める事を全て代わりにこなしてくれているか……洞窟に向かった遊撃班たちは!?」

「ただいま到着しました!!」


 ガーモン班長が声を張り上げてローニー副団長に駆け寄る。

 そこで、俺たちは初めて陣営で何が起きたかを知る事となった。


 俺たちが洞穴の鎮圧を終えてノノカさんが現場に辿り着くのとほぼ同時刻に、その白い巨人は現れたらしい。そいつは巨大な針葉樹の上から騎士団を見下ろすと、突如として陣営に襲い掛かった。言ってしまえば死人が出なかったのが不思議なくらいの一方的な攻防だったらしい。


「本当に、突然の奇襲だった……数はたった一体。陣営設置に使った木材を拾い上げて暴れるものだから、剣も槍も全く届かなかった。激しく移動するから催涙爆竹も効果がなく、何とか包囲網を作った途端に跳躍してあっさり頭上を越えて逃げられたよ……」


 魔物殺しの騎士団が一方的に魔物に退けられることのへの屈辱から悔しさを滲ませる副団長に呼応するかのように、オークと相対した他の騎士たちが次々に口を開く。


「いや、とにかくデカい奴でさ! 亜人系だし思ったより俊敏で、剣じゃ間合いに入りきれなかったんだ! あんなデカイのがいるって聞いてたらもっと、やりようってものが……クソッ!」

「飛び道具も使ったんだが、とにかく獣の皮膚と毛が分厚くて弓矢が刺さりにくいんだ! ワイヤートラップも相手の足が太すぎて機能しないし!」

「それだと打撃も効果は薄そうだな……」

「矢が刺さらない……!? そ、それじゃ僕のクロスボウも……!?」


 カルメの出番が早速ピンチだ。彼のクロスボウは百発百中だが、威力の出るクロスボウは必然的に大型化し、矢を番えるのも相応の筋力が必要になる。今の彼が扱えるクロスボウで例の白い巨大オークを仕留めるのは難しいかもしれない。


「それと死人が出なかった件なんだがな。どーにもあの白いのはテントを破壊しながら何かを探してるように見えたぞ。逃げ出す俺らに対する反応が薄かったからな」


 こちらの陣営はまだあれがオークであることを知らないが、オークだとしたら外を移動する理由は縄張りの誇示と餌探しが専らだ。だが超絶貧乏な当方騎士団の陣営に豊富な食糧など置いてはいないし、縄張り誇示ならもっと徹底的に追い払うはず。

 まさか「むしゃくしゃしてやった」などという事はないだろうし。あったら世も末である。


「行動が読めない。何が狙いだ? あっちの方が足が速い以上、目的地を絞らないと接触するのも難しいぞ」

「ふむ……ここに現れた個体には何か明確な目的があるということでしょうか? ノノカにちょっと時間を下さい」

「任せますよ、ノノカ女史。急かすようですが猶予がありません。あのサイズでは騎道車メンバーでも荷が勝ちます……!」


 副団長もこんなところで部下や村人に死人を出したくないのだろう。必死なのは理解できるが、その辺の行動パターンは顎に指を当てて熟考を始めたノノカさんの頭脳に託すほかない。問題は行動が読めたとして、騎士団の足でも追いつけない速度で木々を伝っているというオークをどう追い詰めるかという点だ。


「先輩方、敵の情報提供ありがとうございます。ところで気になっている事が一つある訳ですが……巨大な白い亜人って、サイズ的にはどれぐらいの大きさだったんですか?」

「ああ、そうだな。散々暴れてたんで正確には分からんが――」


 と言いつつ、先輩の一人が陣営の一角に突き刺された場違いな五メートル程の角材を指さし、冷や汗交じりに震え声を絞り出す。


「あー……あの角材の長さと同じくらいかな……あれ、白いのが投げてきたんだよ」

「え」


 俺は改めて角材を見る。木製で直径は四十センチ程度。下敷きになるだけで人が死にそうなサイズの柱がドヤ顔でこちらを見下ろしている。この手の計算に自信はないが、目測でおおよそ千キロはありそうな巨大な角材である。

 もしもあれを子供が長い木の枝をを振って遊ぶかのように自在に振り回すことが出来たとしたら、それはリーチ六メートルオーバーの人知を越えた長射程武器になる。オークの俊敏性でそれが出来るというのなら、魔物でも中位以上に属するパワーを持つトロールの上位互換に相当するほどの戦闘能力である。


 そんな連中が、騎道車なり村なりを本気で襲ったら――真っ白な雪が赤く染まる。

 俺だけでなく遊撃班全体から血の気が引いていくのを感じた。

 あれがオークだと知っていて、実戦経験があるからこそ抱く恐怖だ。


「おいおいおい、冗談だろ! こんな個体、大陸でも単独討伐依頼になるレベルだぞ!?」

「突然変異的に他の個体より突出した能力を持つ魔物、通称ネームド……もしかしたら今回の相手は、我が王国の歴史上初のネームドとなるのかもしれません」


 重苦しい副団長の声に周囲が返す言葉を失い、沈黙する。

 ここにいた騎士団が命拾いしたから大丈夫、などと楽観的な事は考えきれない。これは本当に、騎士団始まって以来の大事件の瀬戸際なのだ。連想するのはあの洞穴に並べられた大量の死体と血痕の痕跡を思い出し、生唾をごくんと飲み込む。


「駄目だ……あの洞穴の惨劇を人間で再現させる訳にはいかない――!」

「そうか、分かりましたよあの個体の行先が!! あの洞穴の惨劇を再現する気なんです……昨日仕留めた熊のいる場所、現在の騎道車で!!」

「――なッ!?」


 考え抜いた末にノノカさんが口に出した言葉に、俺は今度こそ絶句した。俺の考えた最悪の想像は、奇しくもノノカさんの明晰な頭脳によって導き出された結論と一致していたのである。既に自分の言葉に確信があるらしいノノカさんが周囲を真剣な瞳で見渡す。

 

「あの白い個体は恐らく、自分の巣を襲撃してきた白い熊の事を激しく憎んでいることが推測されます。そんな折に我々人間が巣を鎮圧して最後のメスは死亡。そして我々は昨日、その激しく憎む熊を運び、あまつさえ鍋にして食べている……」

「じゃあ復讐相手はもう存在しないのでは?」

「そんな事情をオークは知りませんよ! だからオークは必死に熊の痕跡を臭いで追っているのです! 陣営を荒らしたのは恐らく置いてあった担架から運んだ熊の臭いがしたから。そして本体がいない事を知ったオークは心当たりのある別の場所に行ったんですよ! 最悪、人間と熊がグルとか、或いは邪魔物として纏めて始末しようとしているかも……!」


 もし本当にそうだとしたら、事態はさらに悪い方向へ進む。確かあの熊は肉を捌かれた後の骨と皮がまるまる残っている筈だ。しかも運び込んだり移動させたりと死体が通って間もないため、確実に担架より多くの熊の臭いが残っている。

 無論100%とは言い切れないし、信じがたい話ではある。そんな周囲の漠然とした思いを代弁するように先輩の一人が叫んだ。


「そんな馬鹿な! オークの知能と嗅覚で報復行動なんて――なぁ、ヴァルナ! ありえねぇよな!?」

「残念ながら断然ありえますね」

「あんのかよチクショーッ!?」


 先輩には悪いが俺はバッサリ言った。あの白い怪物がオークだった事実に若干遊撃班以外の皆様な「え、あれオーク? こんな雪国まで来て結局オーク!?」と俺たちの二番煎じみたいなリアクションをしているがそれはさておき、オークという種が報復活動を行うケースは国内では確認されてないが、国外では珍しくもない例である。

 国内の場合、騎士団はオークを一度の作戦でほぼ確実に全滅させる作戦を展開するためにオークの群れに生き残りが発生しない場合が多い。それに報復行動を行う程の知能と闘争心を持っているのは決まってカースト上位のオスオーク、つまり優先討伐対象だ。だから取りこぼしがあっても報復は発生しなかった。

 しかし海外ではオーク以外にも山ほど魔物が生息しているため、俺たち騎士団のように綺麗に壊滅というのは難しいのが現状だ。故に、厄介かつ狂暴なオークは人間や人間の住むエリアに強い復讐心を抱き強襲してくる事が実際にあるのだ。殆どノノカさんの豆知識で得た内容だけど。


「そもそもオークはメスオークを追いかけて海まで渡るほどに、一度狙ったら逃がさない執念深さがあります。しかも大きな個体は本能も知能も平均的なオーク以上……でしたよね、ノノカさん?」

「その通りです! 流石はヴァルナくん、オークに関しては勤勉ですね……加えて言うならば、五メートル級ではぐれともなるとその食欲や狂暴性も計り知れません。何が何でも迅速に討伐しないと!!」


 案外と、熊が洞穴のオークを皆殺し状態にしつつもメスオークを仕留め損なっていたのは、五メートル級オークの脅威を最大限に警戒しての事だったのかもしれない。俺たちの言葉に深く頷き眼鏡をくいっと掛け直したローニー副団長の片手がさも当然のように俺の左肩に置かれる。


「と、いう訳で騎士ヴァルナは先行して騎道車の部隊と交戦が始まる前に殺してください!!」

「当然のように単独討伐命令下さんでもらえますかね? いや、まぁ事態が事態ですし行きますけど……」

「申し訳ありませんが今回ばかりはマジヤバです。というのも……」


 そこで言葉を切ったローニー副団長の表情が、何やらオークへの脅威とは別ベクトルの方向で冷や汗を噴出させている。というか掴まれた肩に沁み込んでいる手汗の量がヤバイ。本人は自覚がないだろうがカタカタ震えているせいで加速度的に汗が浸透し始めている。


「かかっ、考えても見なさい。騎道車というのは戦車ではないのですよ? 特に側面の強度は普通の家屋ぐらいのレベルしかありません……っ」

「あー、そういえばそうでしたね。去年も室内でプロレスごっこをしていた一部の先輩方が壁に激突して外装がボコっと膨れたとか聞いたことがあります」

「そうです。今は多少強度は増していますが、根本的に外壁は戦闘に耐えるようなものではないのです! そんなところに、あ、あの半分のサイズでも巨木が叩きこまれたら……!!」


 いっそ恐怖を通り越して目が血走り始めた副団長が俺の両肩をぐわしっ!!と信じられない程に強い握力で握りしめ、視界いっぱいに副団長の発狂フェイスが広がった。


「攻撃を受けた騎道車は間違いなく大破!! 修理代ドン!! 管理責任更にドン!! そして破壊された騎道車の暖房機能が破損すれば……破損すれば、我々は破産した上に凍死して今度こそおしまいなんですよぉぉぉぉぉ~~~~~~ッ!!」

「どぅおうおうおうおおお落ち着いてください!? 手ぇ放してください揺さぶらんでください!!」

「これがッ!! 焦らずにッ!! いられる状況ですかぁぁぁぁ~~~~~~~ッ!!!」


 最早人的被害の話を半ば忘れて半狂乱になるローニー副団長の目には俺たちのそれとはまったく別次元の破滅のヴィジョンしか映っていないらしい。というか騎道車が破壊されたら真面目な話、歩いて雪道を突破して王都に戻らなければいけないという事実上の処刑が待っており、人的被害を出しても騎士団取り潰しの未来がググンと迫ってくる。

 そういった諸々の事情を含めて副団長の心はもはやクラッシュ寸前である。ついでにそんな細身のどこにそんなパワーがあったんだと言いたいほどの揺さぶりで俺の脳みそもクラッシュ寸前である。誰か見てないで助けろや……と思っていたら、流石は冷静だったガーモン班長が割って入って副団長と俺を引き剥がした。


「落ち着けとはいいませんがヴァルナを離さないと話が進みませんよ、副団長!!」

「おぉ、さ、流石は俺の上司にして騎士団の良心……! こんな状況でもなんて冷静沈着なんだ!! 助かりました先ぱ――」

「急いでヴァルナくんを投石機に詰めて発射しなければ手遅れにッ!!」

「……って、前回討伐クリフィアで却下された懐かしいクソアイデアほじくり返してんじゃねーよッ!!?」


 その後、人生で初めてガーモン班長の頭を全力でひっぱたいた俺は、班長も副団長も無視して逃げるように『裏伝八の型・踊鳳ようほう』を連続使用して雪の中を疾走する羽目に陥った。


「何でこの状況で一番冷静なのが着任二年の俺なの? おかしくね? おかしいよね? 誰か俺を肯定してくれ……」


 まだオークと遭遇していなければ人的被害も出ていないのに、何故か無性に泣きたくなった。

 これもオークのせいだ。とりあえず全部オークのせいという事にしておこう。班長をひっぱたいた件ももちろんオークの仕業である。許すまじオーク、俺の上司を傷つけるとは。

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