第70話 もう帰らせていただきます
魔法薬レムナーレが洞窟内にぶちまけられるのとほぼ同刻――洞穴の外で見張りをしていた騎士たちは、退屈を持て余していた。
「うう、さぶい! なぁ、洞穴の調査はまだ終わらんのか? 死体を回収させてくれよぉ」
「指示がないのに勝手に入るのはなぁ。ま、もうちょいの辛抱だろ」
「そうは言うが、段々指先の感覚がなくなってきてて……さむくて……イッキシ!!」
「やっぱパチモンのマゼルーンブランドがマズかったんじゃねーの?」
段々と風に体温を奪われて震え始めている騎士は、今回の雪山遠征に際して海外で有名なギルドである『マゼラン』という高級防寒着ブランドの手袋を買おうとした男だ。
ところが、高級品だと思ったそれを値切りに値切って買ってみたら、ブランドはマゼランにそっくりな『マゼルーン』。要するに店主が仕入れたパクリ商品に見事に引っかかってしまったのだ。それでも見た目は温かそうだったのだが、手袋の素材や継ぎ目の粗さから防寒機能は微妙だったようだ。
「畜生、聖艇騎士団のせいだ! 連中真面目に積み荷の検閲とかやってんだろうな!?」
「やっぱりうちの国は自国の生産ギルドが弱いのが痛いな。冒険者ギルド? 知らない子ですね」
「ああもう、雪より風が辛い! いっそ俺は雪に埋まって寒さをやり過ごすぞ! これぞ団長秘伝の逆転発想だ!!」
「おい、雪被ったら余計に……」
「どっせぇい!!」
騎士が全力疾走して近くにあるちょっとした雪の山にズボン! と突っ込む。しかし雪の山というのは誰かが雪掻きで作った物ではなく最初からあったもの。つまり冷静に考えれば山になるほどの何かがそこにあって、それに雪が降り積もったからそんな形になっている訳で。
「ブホォッ!? なんかにぶつかった!! ……どぉー!? 衝突の反動で上から雪がぁ!!」
「お前ほんっと馬鹿だな。ガキじゃないんだからもう少し落ちつけねぇの?」
「う、うるせぇ!! ……、……?」
同僚のご尤もなセリフに反射的に怒鳴りながら、しかし半ば雪に埋もれた騎士は自分が突っ込んだ雪山に何か違和感があることに気付いた。
「あ、あれ? なんだこれ」
「何って……言っておくが単なる雪の塊じゃないんだからな? その雪の中には折れた木か岩でも……」
「いや、でも岩や木なら、こんなゴワゴワした手触りしないと思うんだ」
「は? ゴワゴワって……何が?」
「雪の中にあるモンの手触りだよ!」
雪に突っ込んだ騎士は、そのまま触った物の感触を頼りに雪を掻き分けていく。もし彼が手に装備していたものが本当にマゼランブランドの手袋ならここまで感触を確かめられなかったかもしれない。そんな風に自分を正当化しながら雪を掻き分け――やがて邪魔な雪がばさばさと崩れ落ちた時になって、それは現れた。
「な……え? なんだこれ? 藁でもねぇし、なんか白いのか赤いのかよく分からんものが積み重なって――」
「な、なぁ……なんかこの垂れ下がってる白い部分、手と足に見えねぇか?」
「あん? あー、本当だ。しかもこれオークと同じ亜人系の――待てよ。それじゃ、まさかこれは……ッ!!」
何やら様子がおかしいことに気付いて他の騎士たちが駆け寄ってくる中、二人がかりで全ての雪を払い終えた二人は、絶句した。
「白い、獣……の、山? ってかもしかしてこれターゲットの……!?」
「これ、赤いのは血なのか……!?」
「トンでもねーもの見つけちまったぞオイ!? じ、陣営!! 陣営に連絡と、あとガーモン班長にも!!」
積み重なった死体の柱。まともな人間が見ればおぞましさに吐き気を催す程の異様を前に、騎士たちは不安を紛らわすような大声を挙げて役割を果たした。
「――とまぁ、外では例のターゲットが山積みの死体で見つかりましたよ」
「洞穴の横の……完全に岩に積もったものだとばかり思っていたが、誤算だった……!!」
堂々と見逃してしまったことに項垂れるガーモン先輩だが、そもそもこの場にいた騎士団全員が見逃していたので責を負うなら全員となるだろう。外で発見された死体を洞穴に運びながら、責任感の強い人だなぁとしみじみ思った。
この国の特権階級身分も同じくらい責任感があればよかったのだが、残念ながら大半の連中が後生大事に抱えているのは肥大化したプライドだけである。今になって思えば俺がアストラエとセドナと同じ時期に学校に入ったのって奇跡みたいなものなのではないだろうか。今度会ったら特に意味もなく感謝してみよう。覚えていたらの話だが。
死体を並べる横では死体の横に転がって疲労にゼーゼー喘いでいるベビオンと、そのベビオンが必死こいてここまで連れてきたノノカさん。床に盛大にぶちまけられた魔法薬に用途不明の枯葉を付着させ、何やら凝視している。そしておもむろにポケットから試験管を取り出すと、中にある赤い液体を床に垂らした。
途端に、赤い液体と魔法薬の残りが反応して光を放つ。
「やはりレムナーレ試薬自体には何の問題もありません。零した場所が光ったのはそれだけの血が流れたからですね。それも、つい最近に」
「つまり薬の効果に間違いはなし、と。そんなに大量の血痕があったなら、何で気付かなかったんだ?」
「よく見れば地面に微かな染みが残っていました。どうも拭き取った形跡があるようですね。あとは岩盤の隙間に流れ込んだから分かりやすいのは見つからなかったのかと」
「暗い上にあんまり流れた血の量が多いから、元々こういう色合いの床かと思った。ぬかったな……」
先輩方が顔を見合わせ苦い顔をする。
これで見落とし二つ目だ。
別段調査には響かなかったからいいが、たるんでいると怒られても文句は言えない。具体的には屋敷の窓辺つついと指でなぞって「埃が溜まっているじゃない! 真面目に掃除しなければお前はクビだよ!!」とか言っちゃうマダムに責められても言い返せない訳だ。我が騎士団内でそのポジションとなると……。
「………」
「どうしたんですか先輩、顔が真っ青ですよ!?」
「ヤガラが女装のオカマメイクしてる顔を想像してしまった……おげぇっ、気持ち悪っ!!」
「何故そんな辛いだけの想像を!?」
「ヤガラがオカマ……ぐえ、なんか俺も気分悪くなってきた……」
「現場保存のために外で吐けよー!」
盛大な精神への自傷行為はさておき、血のチェックを終えたノノカさんは転がった死体を前にメスを握っている。あれはカルメと俺の共同作業で仕留めたのが、まさかここでお得意の解剖を……?
「ノノカさん、ここでするんですか?」
「いえ、本格的な解剖はしません。ただ、早急に確かめたい事が二つあります。そのために、この生物の顔の毛を刈り取ります」
全身が白い毛でもっしゃもっしゃな生物の顔。確かに毛に埋もれてどんな顔をしているのかは判別がつかない。が、こうも結論を急ぐというのはやはりノノカさんにはこの生物の正体に心当たりがあるらしい。
ぞり、ぞり、とノノカさんのメスが丁寧に白い毛を刈り取っていく。かなりの硬さの毛らしく、剣より遥かに切れ味に優れたメスでも少しずつしか刈り取れていない。この毛を刈り取り切った末に、ノノカさんが懸念していた何かの正体があるのだろうか。
「……うーん」
「先輩? 今度はどうしたんです? また吐き気を催す想像を……?」
「いや、そういう訳じゃないんだが……」
ノノカさんが毛を刈り取っていくにつれ、俺の胸の内には得体が知れているのに喉につっかえて出てこないような、中途半端な既視感を覚え始めていた。これといって根拠や確信がある訳ではないのだが、毛を刈られた生物のフォルムに凄く見覚えがある気がするのである。
毛がなくなればなくなるほどその既視感は強まっていく。カルメやガーモン先輩はまだ気づかないようだが、様子を見る回収班の面子も次第に「ん?」と何かに気付き始めた。
やがてノノカさんが白い獣の顔の毛を全て狩り終えた頃――俺は既視感の正体に完全に気付いた。事ここに至って他の面子も気づいたらしく、盛大に顔を引き攣らせている。
そんな、まさか、あり得ない。
あり得ない筈なのに、現実として目の前にそれはいた。
或いは忌まわしく、或いは手強く、或いは恐ろしい。
そして俺達にとってこれ以上なく馴染み深いその顔を。
剥き出しの牙、豚のような鼻と耳、そして白い毛の奥に隠れていた気味の悪い緑色の皮膚――もはや疑うべくもない。その事実を口にするのが恐ろしく、しかしとうとう堪えきれなくなった騎士団の誰かがぽつりと呟いた。
「……え、これってアレじゃね?」
「いやまさか、ここまで未確認生物ってことで騒いでおいて今更アレとかそんな三流作家のバレバレトリックみたいな……何度見返してもアレだな。すまん俺が間違ってた」
「いやぁアレにこんな毛は生えてな……毛を抜けばこれ完全にアレじゃん!?」
これは彼奴らの呪いか、或いは神に与えられた原罪の如き罰なのか。
俺たちはここまで踏み込んでおいて、結局同じ場所に戻るというのか。
戸惑いや驚きといった感情を通り過ぎた先にあった皆の想いを代弁するかのように、俺は心の内より湧き出でた迸る感情を喉に込めて爆発させた。
「……結局いつものオーク討伐じゃねぇかぁぁぁぁ~~~~~~~ッ!!!」
毛を削がれて素顔が露になったそいつは、余りにも見慣れた憎き奴の顔をしていた。
王立外来危険種対策騎士団初のオーク以外の魔物の本格討伐と思われた今回の任務は、結局いつものオーク討伐なのであった。
――唯一、真っ青な表情でそれを見つめるノノカさん以外にとっては。
◇ ◆
その後の経過を簡単に説明しておこう。
結論から言うと、外の死体も中の死体も調べてみたら全部毛の生えたオークだった。本来体毛が極端に少ない筈のオークに何故ここまで凝った構造の毛が生えそろっているのかは専門家による分析が待たれるが、矢で射殺したオークのみメスだったことが判明したため、あれはオークコロニーだったらしい。
これで、恐らく今回の任務も終わりだろう。
従来の生物学では多数のメスに一匹のオスというハレムの形態を取るのに対し、オークはメス一匹に対して多数のオスが集まってコロニーを形成するという極めて珍しい生態を持っている。
そしてオークの更なる習性に、コロニー同士の縄張りが重ならないように、同族同士で過剰なまでに離れた位置に生活圏を置くというものがある。この習性から逆算するに、この山にこれ以上の毛むくじゃらオークコロニーがあるとは考えにくい。
そしてコロニーは、知っての通りメスオークが死ぬと完全に機能を停止し、生き残ったオスオークは当てもなく彷徨うはぐれになる。オークは個としては強いのだが、集団行動できなくなるとホルモンバランスの崩壊で弱体化してしまうので脅威度は格段に低下する。巨大なはぐれオークなどというのは例外の中でも更に一握りなのだ。
このオークたちがどこから来たかは知らないが、とにかくここでコロニーを形成したオークたちは俺の仕留めたあの巨大熊の怒りに触れ、洞穴の中で皆殺しにされたのだろう。何故かは分からないが、見つかった死体には爪で引き裂かれた形跡があったし、体も例外なく青年期を超えないようなオークばかりだったので勝負にもならなかっただろう。
……今更ながら、改めて俺の戦った熊の洒落にならない強さを実感した。文明の利器たる罠に引っかけなければあんなものでは済まなかっただろう。
ただ、メスはコロニーの外には出ない事とオークの死体たちが昨日今日に殺された風ではないことから、まだオスのオークが最低一匹は存在することが予想される。巣の掃除から餌取り、更に人工物の排除など頭の回る奴……一筋縄ではいかなそうだ。
前置きが随分長くなってしまったが、現在俺は皆とともにオークの死体を回収するために下山している。数としては少ない方だが、この雪の為に村で借りたソリを総動員しても容易には運びきれない。
「どこで何してるのかねぇ、残りの一匹」
俺の興味の先は周囲にとっても共通する事。
先輩方も寒さに白い吐息を吐きながら思い思いの事を喋っている。
「自然死してくれてりゃありがたいな。俺たちもやっとこの極寒の地から去ることが出来るぜ」
「ただし死体を発見しないと任務が終わらない可能性があるけどね」
「でも、実質終わりだろ。もう残ったオークにも罠をぶっ壊す理由ないし。案外残ったオークも成年はしてないかもな」
残ったオークが弱いのなら、俺が首を刈る機会もあまりなさそうだ。
せっかく凍結対策を施した愛剣も出番がないと嘆いているかもしれない。
……鍛冶屋のゲノン爺さん曰く「持ち主に接待されている剣」なので逆に荒事がなくてホっとしているかもしれないが。
さて、陣営で一度休んだら副団長に報告して、俺の出番もおしまいだ。
――などとフラグを建ててはいけない。何故ならば、そう。
『――報告!! 報告、緊急ホウコーーーーーク!!』
「あん? あれはファミリヤの……?」
この騎士団では、大体そういうフラグは即回収されてしまうからだ。
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