第69話 すってんころりんです

 雪山を全力疾走した末に辿り着いた、白い未確認生物の住処らしき場所。

 そこには、戦いの場特有の異常な緊張感が――。


「ウンコだ! こっちにもウンコがあるぞ! 形からしてシカじゃねえな!」

「この数、ちょっとした量だな……これだけのウンコがあるという事は、実はそれなりに数がいるのか?」

「いやいや結論を急くな。雪山のウンコってのはカチカチに固まって地面に還らないんだ。長期間過ごしたことで自然に堆積したのかもしれん」


 訂正、緊張感に欠けた得も言われぬ空気が漂っていた。何故彼らはウンコについて大激論を交わしているのか。そもそもいい年こいた大人たちが寄ってたかってウンコウンコと連呼しているこの子供の下ネタ空間みたいなものは何なのか。

 何も知らない人から見れば途轍もなく訳の分からない光景だが、王立外来危険種対策騎士団にとってはそれほど不思議でもない光景だ。ウンコの話は教養を試される。


「ウンコの確認は基本だよなぁ。相手の数や生活スタイルまで、ウンコはたくさんの事を語ってくれる……」

「俺らすっかりウンコに詳しくなっちまったな」

「まぁ真のウンコマスターはノノカさんだってのがアレなんだけど……」

「あー、総員それ以上ウンコウンコと連呼しないように。ヤガラ記録官辺りに聞かれたら我々騎士団の蔑称に『ウンコ騎士団』が追加されかねませんから」


 なんとなく主に男の子供たちに大人気そうな名前だが、同時に物凄い勢いで馬鹿にされそうな名前である。なんとはなしに王都で出会った未来の幹部候補生――アマルとロザリンドを思い出した俺は、後輩にそんな汚物的な名前を継がせるのは酷だなぁと素直に思った。




 ちなみに同刻、王都士官学校――人気の少ない校内図書室。


「うわー、王立外来危険種対策騎士団ってウンコの勉強までしなきゃならないんだー……」

「……あの、せめてフンと言い換えてもらえますかしら?」

「ウンコはウンコじゃん」

「そうですが乙女としての恥じらいはないのですか……ああもう、貴方ときたら!」

「だいたいさー、今更ウンコの勉強なんか念入りにしなくともいいんじゃない? 家畜のウンコとか野生の獣のウンコとか子供の頃から見てるし、今更こんなの文章で読まなくとも……あ、へー? パンダっていう珍獣はいい香りのウンコするんだって! 不思議な生き物だねぇ~!」

「大声出さないでくださいまし。隣にいるわたくしまでもが品位を疑われますわ」

「なによーウンコくらいで! 騎士団入ったら嫌でも見るし聞くことになるんだよ? その時ロザリンドさんは周りにイチイチ『フンとお言い!』って言って回るの? ヴァルナセンパイがうんこーって言ってても?」

「うっ……それはまぁ、場合によります」


 時々――本当に時々だが、ロザリンドはアマルの現実的な意見に言葉を詰まらせてしまうことがある。そんな事実に気付きつつも、内心で「あの人はうんこーとか叫びませんわ!」などと微妙にズレた事を考えるロザリンドであった。




 所は戻り、イスバーグ。ウンコ騎士団もとい王立外来危険種対策騎士団は既に洞窟への包囲網を完成させつつあった。ウンコから得られた情報はさほど多くなかったが、ともかく洞穴の外に掻き出された排泄物を見れば中で生物が生活しているのは一目瞭然だ。


 鋭い目つきのガーモン班長が懐から発煙筒を取り出し、前に出た。


「まずは発煙筒で様子を見る。火の用意は?」

「こっちにあります! どうぞ!」


 風で消えないよう騎士団特製ランタンに入れられた火を別の団員が差し出す。

 昔はマッチを使っていたのだが、風や雨で消えてやたら苦戦することが多かったため、今では導火線に火をつけられる特殊な形状のランタンを常備している。ただし、めちゃくちゃ高価なので破損させたら給料抜きというある種呪いのアイテム扱いされてるが。


「うむ。では総員、いつでも戦闘に移れるよう構えろ! これより制圧作戦を開始する!」


 言うや否や、ランタンの火で導火線を引火させた発煙筒が洞穴の中に勢いよく投げ込まれる。数秒後、洞窟からもうもうと大量の煙が噴き出した。さあ、獣が出てくる……! 


 ……と思って構え続けて十数秒。

 洞穴からは一向に何も出てこず、代わりに内部から大きな音が出てきた。


『ゲホッ!! ガヒュッ、ガヒュッ!! ゼー、ゼー、ゼー……ゲッハ、ゲハァッ!? ォグ、ウゥ……!? ゴボォッ!!』

「……むせてる?」

「むせてるな……」


 俺とガーモン先輩は顔を見合わせる。俺にとってもだが、先輩にとってもこれは初めてのパターンらしい。

 喘息の人が42.195キロを走り終えた直後に激辛スープを飲まされたかのような悲痛な嗚咽と咳。壮絶すぎて聞いているこっちが哀れに思えてくるほどだが、そんなに苦しいなら普通は洞穴の外に出てこないだろうか。先輩方も首を傾げている。


「なんだか息をするのも苦しそうだぞ? 発煙筒の煙をモロに吸いこんだのか?」

『ゼヒュー、ゼヒュー……エッフエフッ!! ヴォォ……オッフ、エフッ!? ガホッゴヒュッ!! ガハッ、ゴボゴボッ!?』

「おいヴァルナ、ちょっと中見てこい」

「無茶言わんでください先輩。騎士団の発煙筒は広い洞窟なんかを煙で満たす為に三分は煙を噴出し続けるんですよ?放り込んでしまった以上、暫くは煙で視界も確保できない」

「お前なら呼吸止めたまま十分くらい戦えるだろ! 視界はアレだ、氣の力とかで感じろ!!!」

「俺の事を何だと思ってるんですか!! まったくこの先輩方ときたら……呼吸止めたまま戦うのは八分で限界だし、相手の存在を氣だけで感じ取るのは結構神経を使うんですよ。軽々しく言わないでください!」

「えっ、お、おう……」


 自分が失礼な物言いをしたことを悟ったのか、先輩はたどたどしく頷いた。まったく無責任な事を言ってくれる先輩だが分かってくれるのならいいのだ。

 氣の使い方など子供の頃に海外からの旅行者なおじさんに一時期教えてもらったっきりなので今となっては割と使い方が曖昧だ。とりあえず一日中氣の呼吸ができるようになる試練とかはクリアしたけど。

 と、気が付いたらガーモン先輩が何やら考え込んでいる。

 先輩の目線は俺へと向き、そして俺の後輩でボウガンを抱えたカルメに向く。


「あの、班長? そんなにジッと見つめられても困るんですが……?」


 気恥ずかしくなったのか、唯でさえ細身のせいで女物の冬服しか着れなかったらしいカルメが頬を赤らめてもじもじしている。

 ……なるほど、班長にはそういう趣味が。道理で結婚しないと思っていたが、このことは弟のナギには黙って墓まで持っていった方がよさそうだ――という冗談はさておき。


「ヴァルナくん、その氣による気配察知というのはどれぐらいの範囲まで察せるんですか?」

「うーん、集中すれば半径十メートル。一方向だけなら二十メートルって所ですかね?」

「……雪合戦の時の応用で、ヴァルナくんが場所を探ってカルメ君が狙撃出来ないでしょうか?」

「あっ……!!」


 カルメは思わず口元を抑える。あの雪合戦での戦術から着想を得てそんな方法を思いつくとは驚きだ。そうか、俺も思いつかなかったが――確かにそういう事は出来るかもしれない。流石は遊撃班の班長を務める男、発想力も人並み以上だ。

 が、一つ懸念がある。


『ゲッハ、ゲハァッ!? ォグ、ウゥ……!? ゴボォッ!! ボバァ……ッ!! ガホッゴヒュッ!! ガハッ、ゴボゴボッ!?』

「俺が氣を感じる前に中の生物が死にそうじゃないですかね?」

「中にいる生物の数も調べられるんだからさっさとやりなさいな」

「はぁい」


 ――という訳で。


「どうですか、先輩?」

「うーん、洞穴の奥行きはそんなにないらしいから……気配は一匹だけだな。氣の乱れが激しいというか、消えかけてる」

「れ、例の熊にやられたんでしょうか?」


 カルメに体を密着させるようにしてボウガンを持つ手と手を重ねながら、俺は神経を集中させて命の存在を感じ取る。俺に氣を教えてくれたおじさん曰く、生物には必ずチャクラという氣の循環があるらしく、それを意識することでクンダリニがどうとか言っていた。


 全然意味は分からなかったが、とりあえずそのチャクラによって起きる氣の揺らぎを感じることが出来れば目に見えなくとも近くにいる生物の位置がはっきり分かるという。俺もそういうスゴイ力に目覚める展開に憧れて色々試してみたが、そういう遠くの存在を感じる才能が俺にはなかったらしい。よって、この距離でなんとか洞穴の中を確かめるので精いっぱいだ。


「もうちょい右……奥に二メートル? いや、二メートル三十センチくらい」

「こ、こんな感じかな……?」

「あ、身じろぎした。左に四十センチ」

「……こ、こう?」


 大体の位置が分かったため、ボウガンを持つカルメの手に俺の手を添えて、敵のいる場所を大体で教える。ボウガンの直線距離を俺が指し示し、カルメはそこに命中させるために射角を調整する。


 ……にしてもカルメ、なんか髪からいい匂いがするな。

 もしやお高いシャンプーを使っているのだろうか?

 さっきから時々靡いた髪が顔に当たるのだが、女性も羨むサラッサラの触感だ。今度なんのシャンプー使ってるのか聞いてみるか、などと女子みたいな事を考えつつ、定まった照準を共に固定する。


「……なんか、こうして手を重ねてるとウェディングケーキの入刀みたいですね?」

「何故よりにもよってその例えを……俺はそれ見たことないわ、本でしか」

「僕は一回だけ。いつか見る側じゃなくて入れる側になれるかなぁ?」

「なれるなれる。相手を選ばなきゃね」


 心配せずとも肉食女子と男色男子にはモテそうなので心配はいらないだろう。本人が望む望まないは別としてだが。むしろ結婚式の予算が確保できるかが問題だと俺は思う。さて、話を脱線させるのはここまでにしておいて――。


「三、二、一……放て!」

「ッ!!」


 ヒュボッ!! と空を切り裂いて虚空を疾走した矢は洞穴の闇に飲み込まれ、一瞬間を置いて鈍い音と短い悲鳴が返ってきた。




 ◇ ◆




 洞窟内で発見されたのは、頭部を矢で貫かれた白い毛の生物だった。

 大きさは人間ほどあるだろうか。全身を覆う毛が白く長い為に見ただけではどういう生物なのか判別がつきにくい。抉られた腹部とあちこちに刻まれた傷から鑑みて、どうやら既に自力で動くことさえままならない程に衰弱していたらしい。

 熊ではない。毛の感触も確かめた。

 正体はよく分からないが、今度こそこれが目撃証言にあった生物である。


「死にかけて逃げ込んだ洞窟の中で煙にいぶされた挙句に射殺とは、なんというか……悲惨な末路だな」

「それを言ったら僕らが殺してきたオークたちはほぼ悲惨な目に遭ってる気もしますケドね……」


 げっそりした顔のカルメに言われ、確かにそうかもしれないと素直に思う。例を挙げるなら穴に落として上から生き埋め、毒餌を食わせてじわじわ毒殺、催涙弾をかまして槍で刺殺など中々にヴァリエーション豊富だ。

 現在、洞穴の中には俺たち遊撃班の一部と、回収班の面々が調査をしている。その理由はもちろん死体と血の処理もあるのだが、もう一つ重要な確認があった。


「うーん、糞尿や餌のカスが殆ど見つからないなぁ」

「オークと一緒で自分の巣の掃除をするタイプなんだな。洞穴の前にあったウンコはそういう事だろ」

「掃除ねぇ。あの瀕死の白いのが出来るか? 別の個体もやっぱりいたと考えるべきじゃないかな」

「微妙な所だな。怪我したのがほんの数日の間だったなら掃除してなくても不自然はないと思うんだけど……」


 そう、当初からの懸念である「魔物が複数いる場合」の話だ。もしこの白いのが単独ではなく集団で行動する魔物だとしたら、この洞穴は雪風を防ぐ絶好の場所なのだから巣にしていてもおかしくはない。だからこの場所に白いのが一匹で住んでいたのか、複数で住んでいたのか、或いは偶然ここに逃げ込んだだけなのかを調査する必要がある。


 と、回収班の一人であるフィーアさんが謎の水筒を取り出してウキウキしているのが目に入った。フィーアさんは騎士団の中では珍しく若い既婚者の女性騎士だ。反り立つ三本のアホ毛が特徴的で、見た目はちょっとポヤっとしているが意外に芯のしっかりした人である。


「おいフィーア、なんだそれ? お茶?」

「むっふっふ……実はここに来る前にノノカちゃんにこんなもの預かっちゃいましたー! その名も魔法薬『レムナーレ』! なんかね、血の成分と反応して光るんだって!! 試作品だから試してきてって言われたんだー!」

「へー。飲める?」

「え? さぁ……あ、飲ませた結果を報告するのも試すうちかな?」


 何やら恐ろしい話が聞こえてくるのだが、それは世間一般に言う人体実験というものではないのだろうか。この人たちにはぜひ市販の薬の説明書に書いてある「容量、用法を正しく守って使用しましょう」という文字を暗記して欲しい。


「あー、先輩方。飲んでもいいかどうか不明なものは飲まないでください。万が一の事があったらノノカさんが罪に問われるんですからね?」

「お、流石はノノカちゃんの騎士ヴァルナくん! ノノカちゃん関連になると目の鋭さが違う!」

「別にノノカさんだけの騎士じゃないですし、俺の目が据わってるのは先輩方に呆れてるせいですから。そういうのは俺じゃなくてベビオンに求めてください」

「えー、ノノカちゃんの隣に並ばせるならヴァルナくんの方が絶対映えるもん! ベビオンくんはヤダな!」

「どストレートな存在否定!?」


 ここにいないのをいいことに堂々とディスられるベビオンに俺は同情の涙を禁じ得ない。あいつも容姿が悪くは無かった筈なのに、どうして世界はこんなにもベビオンに厳しいのだろうか。

 ……やっぱ性癖か?

 あの子供好きの域を超えた変態チックな反応が駄目なのか?


「先輩も十分ヒドいです……」

「まーそういう事なら別に飲ませなくてもいいかな。ええっと、それじゃあ早速あの白いのにかけてみよ……フギャッ!?」


 水筒の蓋を開けて走ろうとしたフィーアさんだったが、偶然足元に転がっていたクルミの殻を踏んずけてものの見事に転倒。顔面を強打した痛みから水筒を持つ手を離してしまった。


「あーっ、貴重なお薬が!! しかも蓋が開いてるから垂れ流しにぃ~!?」


 盛大に洞窟内をカランコロンと転がる水筒からはレムナーレという透明な薬がドバドバ流れ出てひたすら無駄に岩盤を濡らしている。……水筒に少しでも中身が残っていれば挽回できるだろうか? フィーアさんの隣にいた先輩が間抜けな結果にクスクス笑っている。


「これはアレだな。ノノカ先生の次回作にご期待くださいって感じ?」

「いったぁあ~……打っちゃった鼻がツーンってするぅ。ううう、ノノカちゃんになんて言い訳しよう……」

「――いや、それよりも先輩。この薬って血に反応して光るんですよね?」


 フィーア先輩はまだ気づいていないらしいが、俺は割とすぐにその事実に気付き、背筋を流れる冷や汗の感触を自覚しながら確認する。鼻を抑えている先輩は痛みにうぅ、と唸りながらも不思議そうな顔をする。


「理論上は血を拭き取った後とかでも反応するらしいけど、何でいまそんな事聞くの……?」

「先輩もあれ見れば分かりますよ。ほら立って、見てください」

「え……こ、これ、何……?」


 俺たちの目の前に広がっていた光景。


 それは、水筒が薬を流しながら転がった十数メートルの軌跡に浮かび上がった、夥しいまでに青白い光の線だった。


「うわぁ、地面が滅茶苦茶光ってる!?」

「つまり目には見えないだけで、ここは血の海だったって事か……!?」


 もしもこの薬がノノカさんの言うような効果を発揮しているとしたら、これが薬の正しい反応なのだとしたら。


「馬鹿な……こんなに広範囲にだと!? あの白いの一匹の血じゃ足りないだろ!!」

「し、試作品の薬だから間違った反応してる、とか……?」

「分からん……でもノノカさんが作った薬がこんな分かりやすい間違いを起こすとは……!」


 自分たちの足元にもかつては広がっていたであろう血溜まりに、俺たちは全身の血液が逆流するような悪寒を覚えた。十数分後、事態を聞きつけたノノカさんがベビオンに背負われて現れるまで、俺たちは立ち尽くすしかなかった。

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