第67話 SS:一つ屋根の下です
子供というのは現金なもので、自分から言い出した事を気分で簡単に曲げたりもする。アキナから逃げた筈のブッセが彼女をほかのメンバーごと家に招いたのは、まさにそれだ。とはいえ本人なりに心にわだかまりのようなものはあるのだろうが、少なくとも全員の為に簡単なスープを用意したブッセは妙に嬉しそうだった。
人が来たのが嬉しい、というよりは、来客に対応する自分を楽しんでいる気もする。男の子が長い棒を握ると剣を連想して振り回したくなる、といった感覚が、ブッセにとってはこうして人をもてなす事なのかもしれない。
湯気の立ち昇るスープを人数分のカップに注いだブッセは、リビングに通された騎士団の三人にそれを配膳した。
「どうぞ。外は寒いですからね、これでぽかぽか間違いなしですよ! イスバーグ風味!」
シカのダシの味は分からないが、雪国で冷えた体を温めるにはこの上なく有効なスープだろう。少なくともその場の三人にはこの上なく有難い代物であることに変わりはない。極寒の地を生き抜くイスバーグの先人の知恵の集大成にして基本だ。
「不思議な香りだな。何が入ってるんだい、ブッセ少年?」
「たまねぎ、にんにく、唐辛子、シカ肉のおダシ、その他諸々です!」
「体の底からポカポカしてくるな。骨身に沁みるわぁ……やべ、体が温まると急に眠く……」
「寝てもいいですよ? 私個人としては起こすのが楽しみですし。さあ、先輩に甘えて今は眠りなさい」
「恐ろしい悪戯をされそうなので根性見せるっす」
「はい、プロくんには普通のお水と鹿の干し肉だよ?」
「わうんっ!」
たまねぎとにんにくに含まれる栄養素が体に毒なイヌ科生物の為にわざわざ用意された代物がお気に召したのか、プロは干し肉を嬉しそうに齧り始めた。が、硬い肉をバリバリブチブチ音を立てて嚙み千切っているせいで顔が人を殺しそうなほど厳めしい。ブッセも「おいしい?」などと聞きながらも若干笑顔が引き攣っていた。
先程入れた暖炉の火によって温まってきた部屋の中は、獣皮のコートや手袋、そして少しばかり埃を被った小物が置いてある。汚いとまでは言わないが、どこか余り人の手が入っていない印象を与える。
その違和感を感じながらも敢えて触れず、キャリバンはこの場にいない約一名についてぼやいた。
「しかしアキナ班長はホント勝手だよなぁ。ドア壊すわ修理と称して魔改造するわ、挙句ブッセくんと和解できそうだなーと思ったらスープの用意を待たずにじいさんの部屋に向かっちまうし」
そう、すべての元凶ことアキナは家の中に招待されるなりあちこちに設置されたアイテムを漁りに部屋を出て行ってしまったのである。流石に物をパクってはいないと思うが、若い騎士たちからすれば協調性のない彼女を野放しというのはかなり不安だ。
ちなみにセネガは彼女の行動は読めているとばかりに普段通りだ。
「ま、飽きたらお腹を空かせて戻ってくるでしょう。行先はどうせブッセくんが普段作業を行っている部屋か倉庫辺りでしょうし。しかしはて、どちらから聞くべきか……」
「あー、それはアキナ班長に何言われたのかって事と、あの村の様子ッスか?」
「あ、馬鹿……」
「――ぼ、僕アキナさんにスープ渡してきますっ!!」
言うが早いか、ブッセは逃げるように部屋を出て行ってしまった。手にカップとスープの入ったポットが握られているので渡しに行ったのは本当だろうが、突然部屋を出た理由は別だろう。子供との付き合いに最も慣れたベビオンだけが、あちゃーと頭を抱えている。
「聞かれたくない話だろうって予測がつくんだから、そんな直接的に聞いちゃ駄目だって……子供って自分の見たくない聞きたくないものからは逃げちゃうんだから」
「私は別に直接聞こうとは思っていなかったのに全く騎士キャリバンときたら……」
「え? 俺のせい!? というかセネガ先輩はサラっと俺に責任押し付けてないっすか!?」
「いえいえ、出来の悪い後輩が空気を察せない事を私も察するべきでした」
「ズルい!! この人ズルい!! 本当でも嘘でも先にそういう風に言われたら言い返せないもんッ!!」
さも辟易したと言わんばかりにふぅー、とため息をつくセネガの性格の悪さが止まることを知らないが、少なくともあのタイミングで話を切り出そうとした二人の失態だというのは確かだろう。
セネガとキャリバンが聞きたい事と言えば、泣いて逃げ出した理由と村で迫害じみた扱いをされていることについて。しかし、それ程不当な扱いを受けている事を騎士団では口にしていなかったということは、ブッセ自身それを口に出したくないということだ。
「でも、案外これでいいのかもしれませんね」
「え?」
「アキナ班長はどうやらブッセくんから少しは話を聞いているようですし、案外あの人がリビングに留まらなかったのも彼と話をする前にワンクッション置くという意図があったのかも知れません」
「えー、あの人に限ってそんな……そんな……そういえばブッセ君の行動パターンを本人なりに分析してたッスね?」
「だなぁ、追いかけるって最初に言い出したのも班長だし」
本人のいい加減極まりない言動のせいで忘れがちになるが、追いかけると言い出したのは紛れもなくアキナなのだ。玄関の件も今になって考え直すとブッセを喜ばせる為に彼も気に入りそうなデザインにしたと解釈できなくもない。
「案外、根っこの部分は似てるのかもしれませんね。あの二人は……」
いやまさか、そんなしかし、と実りのない言葉を交換し合う二人を尻目にスープに口をつけたセネガは、まるで他人事のように呟いた。
◇ ◆
子供は何事も直ぐに諦める。
難しい事、覚えきれない知識、勉強、スポーツ、つまらない作業……そういった事柄を投げ出しては大人に叱られ、そうして諦めないことで得られる努力の成果というものを学習していく。
諦めずに貫くことを美徳とする社会において、それは重要なことだろう。
しかし、アキナはこの理論を額面通りに受け取って大損をした。
諦めないこととしがみつくことに明瞭な差が見いだせないことにもっと早く気付くべきだったのだろう。要するに、実らない無駄な努力が「諦めない」に混ざってしまい、見分けをつける時期を逸したのだ。
そんな単純な事に気付けなかったアキナは人として沢山のものを失った。
大切な物からしょうもないものまで様々なものを失った末に、今がある。
しかし――過去を思い出して本音を言えば、もっと早く気付いていれば失うものも少なかったのではないかと思う。そしてブッセを見ていると、どうにもお節介を焼きたい気分が湧き上がってくる。
「………」
恐らく彼のおじいさんの部屋だったであろう場所にある道具と、棚の奥の隠し板の裏にあった日記を見ながら、しかしアキナは全く別の事ばかりを考えていた。
と――部屋の外の階段から誰かが上がってくる音が耳に届いた。
アキナは極めて自然な動きで日記を元の場所に隠し、遅れてドアが開いた。
「アキナさん……あ、あの。スープ……」
おずおずと入ってきたのはブッセだ。
その手にはスープの入ったカップが握られている。
会ってみたはいいが、今度はアキナに何を言えばいいか分からなくなったのだろう。躊躇った挙句に真っ先に出た言葉がごめんなさいではなくスープだったというのがなんとも抜けている。
おずおずと差し出されたカップに注がれたスープは湯気が立ち上る。家の中とはいえ暖炉のついていない部屋にいたアキナは、特に感謝の言葉もなくそれを受け取ってグビッと飲んだ。
「ンン……美味ぇ! もう一杯!」
「あっ、どうぞ! ……ふふっ♪」
「ンだよ。美味ぇモンは美味ぇんだからいいだろ?」
「す、すいません! 別に馬鹿にしたとかそういう訳じゃ……!」
「知ってる」
胃の底から湧き上がる熱を感じさせる、いいスープだ。それでも多分タマエ料理長の方が美味しいものを作ってしまう気もするが、今はどうでもいいだろう。
「イスバーグは面白いな。美味いスープ、見たことのない建築と罠、ついでに酒もいいのがあるそうじゃねえか」
「そうでしょ? だって僕の地元ですもん!」
「ただ、住んでる住民はろくでもないのばっかりかもしれん」
「……やっぱり、アキナさんはおじいちゃんに似てます。ほとんど同じことを言ってました」
一瞬パッと輝いたブッセの笑顔は、すぐに曇ってしまった。
成程、じいさんとは生きているうちに会いたかったな、とアキナは思った。
アキナでなくともあの態度には腹が立つ人間が大勢いるだろう。
真相も知ってしまった今となっては、特に。
「でも、僕にはここしかないんです……このイスバーグで、猟師としての生き方しか知らない。王都の広さも海の香りも、砂漠の果てしなさも本でしか見たことがない。行っても誰かが助けてくれるとは思えないですし、結局この村で生きて、死ぬんでしょう」
ブッセはそこから抜け出せない。
人だけが世界ではない。環境も立派な世界だ。
どちらが上かなど、決めるのは容易な事ではない。
まして故郷の外では生き方を知らない子供一人。
どうして勝手知ったる山から出ようと思えるものか。
という訳で、アキナは考えた。
「お前今酷いこと言ったぞ。ものすごく傷ついた。主に俺が」
「え? 傷ついたって、何で……」
「俺は――お前を養いながら王都に住まわせてみたり海に寄ってみたり砂漠でもマングローブでも面白い所に連れて行ってやれる程度の事は出来る。うん、多分だが出来る。なのにブッセはこの故郷と俺を天秤にかけて故郷を選んだだろ? 傷つくわぁ、超傷ついたわぁ。ガラスのハートがブレイクスルーだわぁ」
「え? ……ええっ!? ぼ、僕また何かまずい事しちゃいましたか!?」
「うん、した。許さん」
「そんなぁ!?」
面白いぐらい乗せられてわたわたと両手を振り回すブッセの姿に可笑しさを覚えながら、アキナはブッセの頭に手を置いてわしゃっと掴んだ。
「しかしブッセ。俺は心が広いからあることをしたら許してやる」
「ごめんなさい、します! あることをします!! だから嫌いにならないで……!」
「おーし、するんだな? 男に二言はねぇな?」
顔を覗き込んで確認すると、ブッセは必死にぶんぶんと首を縦に振った。
こういう乗せやすい相手は好きだ。からかい甲斐があるし面白い。
「じゃあ言うぞー……ブッセ。面倒見てやるから騎士団に来い」
「分かりました!騎士団に入ればいいんですね!? 騎士団に、……? あの、どういうことでしょうか」
小首を傾げてどこか不安そうな表情を浮かべるブッセに、アキナは大丈夫だとばかりにニィっと笑顔を作った。
要するに、彼は外を知らないし、外に出て暮らすアテがないからイスバーグしかないと勝手に自分の世界を封鎖しているのだ。だったら外に出る理由とアテを用意してしまえばいい。別に一生出ていく訳ではないし、どうとでも言いくるめられる筈だ。
「――お前を道具作成班班長の権限で雇って、俺が面倒みる。まぁお前の部屋はすぐには用意できんと思うから俺の部屋に住め。ええっと、何だったか……そう、ドーセーという奴だ。勉強のために、村の外を覗いてみねぇか?」
「でも、この家は……この村での生活を捨てるのは、駄目です。おじいちゃんのお墓とか思い出とか、たくさん……!」
生まれ、育ち、戦い、寄り添ってきた世界が大事だというのは、誰にとっても当たり前のことだ。アキナだって、嫌いな筈の故郷を今でも時々思い出す。しかし、人生というのはそこにだけ可能性や希望が詰まっている訳ではない。
今のブッセに足りないもの。
それはあれこれと試しては諦めながら道を探す「優柔不断さ」だ。
「外が嫌になったら辞めればいいじゃねえか。俺が責任もってイスバーグまで戻してやるよ。でもな、俺は絶対に外の方が面白いし、そういうのを知っておいた方がいいと思う。道具だって色々あるし、お前の気になっている騎道車も整備士に話聞き放題!都会の人間でもなかなか出来ねぇ贅沢だぜ?」
「都会……王都とか? ヤタイっていう食べ物屋さんがたくさんあって、みんな豊かで、お城とかがある……」
「みんな豊かかは知らねぇが、ほかにも沢山あるぞ。人生で一回ぐらいは行った方がいいし、村で自慢できるんじゃね?」
嘘は言っていないし、人間途中で辞めていいと言われると受けてもいい気分になるもの。案の定、ブッセは村を棄てなくともいいと知って気持ちが急激に外へと傾いてきてる。もう一押しだ、とアキナはずずいっとブッセとの距離を詰めた。
「い、イスバーグの暮らし……ああでも、ここでタイミングを逃したら僕はいつ王都に……!?」
「……この話、今受けないと絶対ぜーったいに後悔するぞぉ? ドーセー、するか?」
ブッセは見る側が面白くなるほど激しく懊悩した末に、ぶつぶつと自分に言い訳をしながら返答した。
「そうだ、これは旅行……人生初の旅行だと思えば……逃げてるんじゃなくて行ってみたいだけだし……は、半年! いえ一年だけ、なら……」
「するんだな、ドーセー?」
「します、ドーセー!!」
結局、意地に勝る村の外への羨望を抑えきれなかった彼は、外を目指すことを選んだ。
ブッセはすべすべで小さな手でアキナの手を掴み、「お願いします!」と叫ぶ。男に肌を触られたことに一瞬変な気分になったが、ここは先達としてしっかりリードしてやろうとアキナは思った。
「よっし! そうと決まれば遠征の準備だ!! 鞄にパンツ入れ忘れんなよ!」
「は、はい!! ついでに人工雪崩用の爆薬も詰めておきますねっ!!」
「……それは騎士団規則に引っかかるからやめとけ」
オークの死体を利用して硝石を作る計画を建てて大変なことになった過去を思い出しながら、アキナはそこだけきっちり止めた。騎士団による許可なき火薬の製造や所持は禁則事項である。
こうしてアキナはおおむね作戦通りにブッセを連れていく算段を整えたのである。
唯一つの巨大な誤算を除いて。
――アキナは
その結果発生したのが――。
「僕、アキナさんとドーセーすることになりました!!」
「班長ぉぉぉーーーッ!? 年の差十年以上でそれは犯罪じゃないっすかぁぁぁぁーーーッ!?」
「昨日の今日で人間関係が急転直下ッ!? 馬鹿な、貴方はノータッチの原則を破るというのか!?」
「アキナ班長……貴方ならやらかすと思っていましたよ!」
「ん? ……なんだ、俺なにか間違ったか?」
……まぁ、そういうことである。
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