第66話 SS:そちら側です

 イスバーグ村から離れおよそ二キロメートル――実際にはこれは直線距離での話であり、雪山素人の彼らは急な傾斜や見えない段差、迂回路を巡り巡ってその三倍程度の距離を歩いた末に、そこはあった。


 小さな丘の上に佇む古風なコテージ。

 その丘の下には村があり、別方向にはソリで降りたら心地よさそうなちょっとしたスロープ。下った先には釣りでも楽しめそうな凍てついた湖。そして奥には王国最大級の雪山たるイスバーグ山。山の麓に広がる針葉樹林シュバルツバルトは雪の中でもその深い黒による冷厳な存在感を放っている。


「これは……いい趣味をしていますね」


 セネガが思わずそんな普通の台詞を放ってしまうほど、そのコテージは大自然とレジャーの狭間という絶妙な立ち位置に存在していた。老後はこんな場所で暮らしませんか、などと問われれば少なからず惹かれるものを感じる、本にでも出てきそうな立地だ。


 ただ、強いて問題を挙げるのならば――。


「ぜはーッ!! ぜはーッ!! こっ……こんな雪山のしかも人里離れた場所に家とか……ッ、ブッセくんの体力は一体全体どーなってんだッ!!」


 ――ここを発見するまでプロと一緒に雪を掻き分けに掻き分けたキャリバンが若干死にかけていることだ。


「わふっ」

「この程度で情けないって、お前なぁ……! 俺は二足歩行で雪山初心者の男なんだぞ!! 4WDのお前とは違って!! うう、立ち止まったら急激に汗で体が冷えてくる……!!」

「後ろをトロトロついていった俺たちは普通に凍えそうなんだが。というか、よんだぶるでぃーってなんだ?」


 4WDとは四輪駆動を意味する車の用語だが、四輪どころか馬以外の動力を積んだ車の普及率が限りなく0%な王国では言葉の普及率も限りなく0%だ。アキナは一応理解できているが、どうでもいいのかガンスルーしてブッセの家に向かっている。


「煙突から煙は出てねーか。案外ちゃっかり自分の家に戻ってんじゃねーかと思ったんだが……ちぇっ、手間かけさせてくれるぜ」

「……いえ、あながちアキナ班長の推理も間違ってはいないのかもしれません」

「わうっ!!」

「え、焦げる臭いがするって……?」

「湖の近く。木々に隠れて場所は分かりませんが、微かに煙が立ち上ってます」


 セネガの視線の先とプロが指す鼻の先、それは一か所を指し示す。

 彼女は寒空に微かに立ち上る煙を、そしてプロはその匂いを感じ取っていた。

 焚き木というのは生の植物を焼かない限り、意外に出る煙の量が少ない。ここまでやってこなければあの微かな煙を目視で確認する事は出来なかっただろう。


「あ、ほんとだ。という事は……こんな雪山で焚き木をする人と言えばブッセ少年しかいない!!」

「はん、一人になりたくて走ってみたはいいもの結局自分の家にやってきちまった訳だ。そして家に大人しく帰るのも逃げるみたいで嫌だなーと思ってちょっと家から離れてみたんだな! 悪りぃがそのパターンは解析済みだぜ!!」

「おお、班長が珍しく子供の心理を突いた発言を! ……というか、解析ってどこでやったんスか?」

「何を隠そう俺がそういうタイプだったからな!! 家から割と近いのは内心見つけてほしい欲求もある証拠!! まさに昔の俺そのもの!! 全てバレてるぞぉ……ハァーッハッハッハッハッハ!!」

「班長にもそんな可愛い時期があったん……」

「誰が空前絶後のツンデレ萌えガールだボケがぁぁぁぁぁぁッ!!」

「そんな過大評価してないしガールって年じゃ無ェボハッッ!?」


 グオォンッ!! と振りかざした斧のような重さで繰り出されたアキナ班長の回し蹴りがクリーンヒットし、キャリバンは為す術もなく宙を舞った。現在大絶賛疲労困憊中の彼の能力ではアキナの蹴りを捌ききれなかったようだ。


 ……ちなみにフィーレス先生なら柔の構えで受け流し、ヴァルナなら空中で勢いを逸らしてほぼノーダメで華麗に着地し、タマエ料理長なら見事なカウンターでアキナに致命の一撃を叩きこむことが出来る程度の一撃だ。無論、三人は白兵戦の超人なのでまったく参考にはならないが。


 キャリバンは受け身も取れずに美しい放物線を描き、その行先を見たアキナはしまったとばかりにたらりと汗を流す。


「あ……やべ」


 バギャアアアアッ!! と音を立て、キャリバンはブッセの家の玄関を粉砕した。


 物作りに生きる女、アキナ――同僚への暴行に加えて一般市民の私財たる玄関を破壊。彼女にしては非常に珍しく、短絡的な行動を後悔した瞬間であった。




 ◇ ◆




 どれほどの時を過ごしていただろうか。

 気が付けば指先は真っ赤になり、寒さで上手く動かない。もっと薪をくべようとして、ふと既に残った薪が少ないことに気付き、はぁ、と真っ白なため息をつく。


 湖のほとりに建てたペンの先端のような形状の掘っ建て小屋は、元はおじいちゃんが釣りたての魚を食べたいとからとちょっとした休憩場所を兼ねて建てたものだ。壁はあるが隙間だらけで、普段ならその隙間を雪で固めてかまくら小屋と化しているが、今は雪の壁はない。


 おじいちゃんが生きていたころは、雪が降り始めたらすぐに雪で固めていた。そうすれば春が来るまでずっと壁の役割を果たしてくれる。でも、おじいちゃんが死んでからここを使うのは随分久しぶりに感じる。


 一緒に食べる魚は美味しかった。特別な味付けではないけれど、寒さに凍えた体に染み渡る塩味の何とも言えない満足感は忘れられない。でも、おじいちゃんが死んでから一度だけ食べた魚の味は、どうしてかひどく物足りない気がした。


 ぐう、と空腹が食事の催促をする。

 でも、昔はここでよく作っていた魚の燻製はない。

 薪がないのも、使う機会がなくてまるで補充していなかったから。

 しっかり管理していれば手が届いたのに、こういう時、何一つ上手くいかない自分が嫌になる。


「……帰ろうかな」


 寒さと空腹。家に帰るには十分な判断材料。

 でも、家に帰ってどうする?


 家族はもういないから、帰っても誰も待ってはいない。

 独りで火を起こして――そういえば、もうマッチを切らしているんだった。

 村に降りてマッチを買うと、皆が奇異の目でこちらを見る。


 それは決して心地よいものではなく、逆に話しかければ曖昧にはぐらかされ、余計な不安を抱えるのが嫌でたくさんマッチを買った。季節が一巡して使おうとしたら、湿気って使い物にならなかった。

 きちんと保存していたのにどうしてだろうと思い、嫌な想像をし、首を振って否定する。まさか、そんな陰湿な事をされる覚えはない。けれどそれ以来村でマッチを買う気はあまり起きなくなり、ずっと火打石を使っている。


 騎士団ではどんな風に火を起こしているのだろう。ちらりと騎士団の厨房を見た時には、かまどではなく焜炉こんろという初めて見る装置で調理をしていた。そのうち料理班の人たちがひと段落付いたら仕組みを教えてもらう約束をしていたのに、つまらない理由でこんな場所に来たためにすっぽかしてしまった。

 今からでも、戻ろうか。家とも村とも違う、僕を受け入れてくれる場所へ。


「でも、僕は……」


 そうして赤の他人の下へ向っていると、僕は本当に村の人たちの事を嫌いになってしまっているようで、怖くなる。かといって戻ればきっとアキナさんと顔を合わせるだろう。あんなに近づいていたアキナさんに、今だけは再会するのが怖い。


 それは怒られるからじゃなくて、アキナさんの言う真実を聞きたくないから。

 おじいちゃんがどうして村の人たちを嫌っていたのか今でも分からないけれど、もしかしたらそんな頑なだったおじいちゃんに問題があったのかもしれないじゃないか。だったら受け入れてくれないのは皆が僕という存在を良く知らないからだ。


 だから、僕が村を好きだという気持ちは、僕がずっと村にいればいつかは伝わる筈だ。いつか――いつか――いつかって、いつだろう。


「……そんな事を気にしているうちは、まだ、かな……はは」


 まるで自分に言い訳してるみたいだ、と内心では思いながら、それを口にすると「みたい」が「本当」に変わってしまう気がして、僕は乾いた笑いで自分の心を塞いだ。


「行こう、家に……」


 ひとりになっても何も解決しないし、誰かが訪ねてくる訳でもない。

 それでも、こんな場所で凍えてしまったら話にならない。


 ふと、ここで僕が本当に凍えたらだれか助けてくれるだろうか、と思う。

 少し考えて、僕は何も考えなかったことにした。


「寂しくーはなーいさ♪ 独りぼっちじゃなーいさ♪」


 何も考えたくないときは歌うに限る。

 強がりでも空元気でも、歌を謳えば気分が入れ替わる。

 僕はなるだけ楽しそうに歌いながら、スロープを登って自分の家に向かった。


 誰もいない場所。誰も来ない場所。僕だけの――。


「――?」


 家の方から誰かの声が聞こえる。聞き間違いだろうか。時折この辺りでは風の吹き方で音が人の声のように聞こえることがある。でも、近づくたびに段々と大きくなっていく声の大きさに気のせいではないのだという思いが強くなってくる。しかも、声は複数ある。


 普段はほんの時々、村の限られた立場の人が顔を出すだけの家に、一体だれが。

 来客の嬉しさより戸惑いが大きい。僕は物陰からこっそり家の様子を見た。


 そこにあったのは――。


「むっふっふ~……どーだ! どぉだ!! どぉーよっ!! この道具作成班班長アキナ様の手にかかればドアの修理なんぞ朝飯前の顔洗いよ!!」 

「いや、いやいやいやいや!! なんっすかこのカオスな扉は!! このスパイクは!? 教会のベルばりに本格的なベルは!? そして何でドアの裏側に小窓と矢の発射装置が仕込まれてるんっすか!? というか眩しい!! なんだこのメタリックにイエローなカラーリングは!!」

「本人曰くスパイクは熊対策、ベルは熊対策、そして矢は熊対策だそうだぜ、キャリバン」

「どんだけ熊警戒してんだよ!? というか変なモノつけようとしたら止めろって言っただろうがぁぁぁぁぁッ!!」

「バッカお前、この人の化け物染みた改造速度を見てから言えや!! ほんの一分前まで本当に普通のドアだったんだぞ!? まさか自前のアイテムと塗料まで持ってるとか予想だにしねーからッ!! ああもう班長これブッセ少年に言い訳出来ないじゃないですかぁ!!」

「元はと言えばキャリバンが吹っ飛ばされたのが悪いしぃー。お前が生意気なのが悪いしぃー。何よりこのデザインのカッコよさは同志たるブッセも感涙間違いなし!! 俺の芸術センス大爆発の末に商品販売すれば大ヒット間違いなし!! 家庭に一つ、対熊キラベアドア!!」

「ドコの世紀末都市っすかぁぁぁぁーーーーーッ!!!」


 まるで原型を留めない――ついでに言うと実は暴走族時代のライのデザインセンスにインスパイアされたらしい――ゴッテゴテの形状に改造された我が家の玄関があった。


「ぼ……僕の家の玄関がぁぁぁぁ~~~~~~~~~~~~ッ!?」


 白い山に、悲痛なまでの悲鳴が響き渡った。







「こ、こんなに格好良く……アキナ班長がしてくれたんですか!? すごい、効果があるかは分からないけど警戒色も含めて熊対策は完璧だ……!!」

「そうだ凄いのだっ! ふふん、俺の言った通りだったろぉ?」

「ええっ!? 君もソッチの人間かぁ!?」

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