第65話 SS:口が災いです

 目には見えない、触れてはならない言葉や行動の一線。


 それは以前から存在を知る者は決して触れず、知らざる者が触れてしまうもの。しかし、知る者はその一線の存在を口に出すことそのものを嫌い、そして自らは教えることをしない癖に触れた者に対しては不快感を露にする。


 手遅れになってからしか語らない癖に、触れてほしくないものを無視するが故に無遠慮に触れる者がいなくならない。そして触れた者にその存在を臭わせ、一種の差別的なコミュニティに引き込む。

 理由を知る者もいれば、そうでないものもいる。ただ、結果としてそれに触れてはならないという潜在的な意識だけが伝染し、形式ばかりが強固なまでに存続する。


 彼らがその意識を持つ以上、思想は眠らない。

 語られないことが、逆にそれの存続を助長する。

 差別問題で語られる「寝た子を起こすな論」というのは、つまりそれを是としているだけの全く意味のない理論でしかない。



 ――いなくなったブッセを捜索して村の方面に辿り着いた騎士たちは、その語の聞き込みの過程でようやく「見えない琴線」の存在を知ることになる。

……多少は事情を知る約一名を除いて。


 プロの追跡の結果、ブッセは恐らく村の近くのどこかにいるであろうことが判明した。そのためアキナたちはイスバーグ村の人々に、ブッセの行きそうな場所に心当たりはないか聞き込みを開始。だがその結果判明したのが、ブッセという少年のこの村における特異な立ち位置であった。

 

「……どうだった、ベビオン? なんか聞けたか?」

「まるで駄目だ。皆が皆、ブッセ少年の名前を聞いた途端に渋い面をして口を噤んじまう。露骨に嫌そうな顔する人までいるし、なんなんだよこの村は……」


 子供好きなベビオンとしては聞き込みはさぞ苦痛だっただろう。大の大人から子供まで、庇護すべき子供のブッセを露骨に避けているのだ。子供を愛してやまない彼にはとても受け入れがたい現実だった。

 一方、セネガもこれと言って有力な手掛かりが得られなかったのか肩をすくめてため息を吐く。


「そちらも似たり寄ったりですか。悲しいことにこちらもです。少しばかり色目を使ってみましたが、田舎の所帯持ちはガードが堅いですね」

「何でそういう事しちゃうかなー先輩は!? しかも態々所帯持ちの人に!?」


 女の武器を使うことに自重のないセネガの発言はさて置いて、三人は困惑を隠せなかった。これまで協力的だと思われていた村人たちが、ある一線を越えた途端にこれほど固く口を閉ざすとは予想だにしなかったからだ。

 キャリバンが思い出すだけでも、村人は明らかにブッセという少年と距離を置いていた。


『ブッセの事? ……知らないよ。ウチに聞かないでおくれ』


『知らないよ、あの子のことなんて。家だってほとんどの村人はどこにあるか知らないんじゃないの? 余所者が気にすることじゃないんだし、放っておきな』


『あのね、おとうさんとおかあさんがブッセとは一緒にいちゃダメだって! だからブッセのことはなーんにも知らないの!』


『何であいつを探してんのか知らないけど止めときな。俺もよく知らねぇけど、あいつの家は曰くつきだって話だ。誰から聞いたかって……んなこと言ったら俺が怒られんだろうが』


 露骨なまでに意識的な無関心、或いは嫌悪。

 あの裏表のなさそうで子供らしい可愛げのある少年が何故村の中でそのような扱いになっているのか、昨日今日に知り合った騎士団の面々では探る事さえ許してくれない。訪ねた家の半分は愛想笑いを浮かべながら知らないと答え、残りは門前払い同然と無知故の拒絶。

 必ずしも嫌われてはいないが、関わろうとも考えていない。

 そんな村人の意識が無理に張り付けた表情と声色に表れていた。


「困りましたね……プロの鼻によると村の奥から匂いがするようですが、粗方の目星どころか案内人もなしとなれば少々骨が折れますよ?」

「雪は止んでいるとはいえ、村の奥は更に雪が積もってますからね。騎道車からここまでは村人の雪掻きのおかげで普通に来れたッスけど」


 足元で大人しく座るプロの顎を指先で掻くように撫でながらキャリバンはげんなりする。毎日偵察に駆り出されている彼は既に散々っぱらこの雪に悩まされまくっており、毎日の酷使で足がパンパンなのである。しかもプロが先陣を切る関係で、必然的に雪を掻き分けて前進するのはキャリバンの役目という悪夢の方程式が完成している。


 子供に対する不当な扱いをする村人たちにショックを隠せないベビオンと、デキる人間であることを誇りに思っていたにも拘らず成果の挙がらなかったセネガ、そしてキャリバンの3人で同時にため息を吐く。

 と、セネガがふと最後の一人がいないことを思い出して周囲を見渡す。


「で、アキナ班長は何処へ?あの人と合流せずに置いていくのも手ですが、村に狂犬を置いてけぼりにしてみすみす被害を出す訳にも行きませんし」

「んー……プロ、班長の声とか匂いとか追えるか?」

「わうっ」


 プロは案内するまでもないと言わんばかりに首を横に向けて吠える。

 その首の向く先に、まさに村人に聞き込みするアキナの姿があった。


「どうしてあたしがあのガキの事なんて知ってなくちゃいけないんだい! 帰りな、あたしは知らないよ!!」

「この村のガキの事なんだから家ぐらい知ってんだろ? 教えてくれよー」

「はん! 知ってたところで教えるもんかい! とっとと村を出ていったらいいと思ってたんだから、戻ってこないならそれでいいじゃないかい!!」

「………」


 村でも数少ない商店に勤める中年女性は、はっきり聞き取れる声で嫌悪感を隠そうともしない。理由も分からないまま自分たちの知っている少年が不当とも言える扱いを受けていることに、少なくともキャリバンとベビオンは怒りにも似た苛立ちを覚える。

 ……と同時に、そんな自分たちより百倍は沸点の低いアキナがそれを聞いていることに気付き、戦慄した。悪口を言ったら殴ってきて、言わなくてもたまに殴ってくるあのアキナに喧嘩腰の発言をするとはつまり、喧嘩の合図みたいなものである。


(おい、コレまずいんじゃね? 滅茶苦茶まずいんじゃね!? 堪え性のないアキナ班長があんなセリフ聞いちゃったら……! 止めるぞベビオン!)

(そりゃ確かに騎士は平民より上の身分扱いだが、ここで暴力沙汰は取返しがつかん!!)


 流石に抜刀まではしないが、それでも若いとはいえ男の騎士二人。実行できるかどうかはさておいて、躊躇いなく臨戦態勢に入ったのは流石と言わざるを得まい。

 緊張の一瞬。女性の前で不気味なまでに沈黙していたアキナがだらんと下げていた手をゆっくり持ち上げると同時に、二人は示し合わせたようにあらん限りの力を足に込めて跳躍した。


「班長、冷静な対処を――!!」

「手を出すのは待ってくだ――!!」


 二人の手は、アキナへと伸び――。


「なんだよ知らねーなら知らねーって言えよ。もういいわ」


 ――実は全然伸ばす必要がないことが判明し、二人は「ぐえーッ!?」「ぶほーッ!?」と叫びながらそれぞれ盛大に地面に突っ伏した。全くの徒労な上に顔面に軽度の傷という余りにも割に合わない行動結果。しかも地面の冷たさが余計に二人の惨めさを助長する。


(いや、まぁ確かにあの人らしいって言えばあの人らしい……のか? ヴァルナ先輩も「無関心な事にはとことん無関心」って言ってたし)

(いい加減な性格が幸いしたのかよ……)


 傍若無人の暴力騎士として名高い彼女も、必ずしも暴力至上主義という訳ではないらしい。

 二人の勝手な想像に反して驚くほど冷めた表情でそう言い捨てたアキナ班長に、ひりひりする顔面を抑えながらも二人は内心ほっとする。かなり口は悪いが、暴力沙汰にならないのなら大きな問題にはならない筈だ。

 ……そう思っていた二人は、最初から傍観を決め込んだセネガと違って予測が甘すぎると言わざるを得ない。


「チッ、役にたたねーなぁ……同じ村にいて名前も知ってる子供の家の場所知らねーとか馬鹿だろ。あーあ、相手して損したわ」

「なっ……あ……ッ!?」

(あけすけに……ッ!)

(言いおった……ッ!)


 まるで憤怒するでもなんでもなくごく自然に漏れた失礼大爆発の発言に、さっきまで饒舌なまでにブッセに拒否反応を示していた中年の女性は顔を真っ赤にして言葉にならない声を漏らすように口をぱくぱくさせている。

 こんな切り返しが来るなど想像だにしていなかったのだろう。誰だって普通ここまでナチュラルに罵倒されるとは予想だにしないだろうが、ある意味自業自得かもしれない。


(……すまんキャリバン、内心ちょっとざまぁ見ろババアって思った)

(いや、アレはそう思っても許されるんじゃねーかな。騎士的にはアウトだけど)


 だいたいが、他人を罵っておいて自分は悪口を言われないと思っていることが烏滸がましいのだ。たとえそのコミュニティ内では許される行為だとしても、行動そのものは無かったことにはならない。あの女性にはそういった自覚が欠如していたのかもしれない。


 アキナはまるで嫌味も悪びれもせずにお尻を掻きながら「じゃーなー」といい加減なセリフを吐いてそのままこちらに近づいてくる。最後の態度まで完璧に相手を苛立たせる見事な立ち振る舞いだが、あれで素だというのだから恐ろしい人である。

 傍観していたセネガはというと、いつの間にか行き場のないごちゃまぜの感情にフリーズしている女性に近づいてアキナのフォローをしていた。


「申し訳ございません、うちのアキナは騎士の中でも一際口が悪くて自分に嘘をつけないのです。次からは村に極力近づけないようにするので……」

「おいセネガ! そんな役立たずと喋ってないで行くぞ! ったく、イスバーグ村になんか寄ったせいで無駄な時間使っちまったぜ。どいつもこいつも近くに住んでるくせに俺以上にブッセの事知らねぇでやんの。あいつもこんな村とっとと見切りつけりゃいいのに……」


 ごごん、と二人の騎士の顔面が再び地面にめり込む。現在考えうる限りの相手を怒らせる術を凝縮したような言葉で、もはやこれはフォロー不能だ。

 更なる追い打ち大連発にもはや感情がオーバーヒートした中年女性は怒りの拳を振り上げているが、余りにも怒り過ぎてどう感情を表現すればいいのか分からないらしい。


「……ッ!! ……ッッ!!」

「まぁ、今回は運が悪かったと思って諦めてください」


 セネガもある程度こういう展開になるのは知っていたのか、深く追求せずにいい加減に話を打ち切って戻ってくる。


 世の中に、いい大人なのにこうも他人の事情を省みずに言いたい放題言いまくる人がいるだろうか。社交辞令とか気遣いとかそういったスキルが致命的に足りない女ゴリラ班長は、地面に転がっている二人の新人を見て不可思議そうに眉をひそめた。


「何してんだお前ら。儀式か?」

「五体投地ですね。東洋に伝わる儀礼の一つで、最も相手を敬う姿勢だと言われています」

「フーン、今さら俺の偉大さに気付いたらしいな! だが今は急いでんだから無駄な時間取らせねぇでとっとと立てや!」


 彼女の為に転び、彼女のせいでこけ、挙句に彼女に罵倒される。

 ひどく釈然としない思いとこの世の巡りの悪さに、キャリバンとベビオンは暫く得体のしれない敗北感に苛まれることになった。なお、これより暫くプロのキャリバンに対する目線が妙に生暖かいものになっていたという目撃証言があるが、真偽の程は定かではない。


 それより一時間後、四人と一匹は雪を掻き分けて進んだ末に村の奥にある一軒の家を発見した。

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