第64話 SS:孤独の寒さを知っています
これは、ヴァルナが白い熊と戦闘を繰り広げる裏で起きた、小さな物語――。
この村は優しい人ばかりで。
『あれ? お前村じゃ見ない顔だな?まぁいいや、これから雪合戦するんだけど一緒にするか?』
――僕が相手でなければ、本当は優しい人ばかりで。
『父ちゃんと母ちゃんがお前の家とは遊ぶなっていうから、今日から来ないでくれよ。来ても相手してやんねーからな?』
この村は親切な人ばかりで。
『こんなに小さいのにお使いかい?いい子だねぇ!お野菜一つおまけするよ!』
――僕さえいなければ、本当は親切な人ばかりで。
『あんた、デビットじいさんの孫なんだって? 似てないもんだからすっかり騙されたよ。欲しいもの買ってとっとと失せな、あのじいさんは嫌いなのよ!』
おじいちゃんはなんでも教えてくれて。
『獣の肉は雪の中に埋めておけば当分は腐らん。埋めた場所は忘れるなよ?』
――僕がどうして村の人に避けられているのかと聞いた時以外は、何でも教えてくれて。
『……村の連中となどつるむな。ろくでもない連中だ。まだ認めようとせん』
イスバーグの地が嫌い? 村が嫌い?
アキナさんの指摘は見当違いも甚だしい。
イスバーグにいる人間は皆助け合って――僕やおじいちゃん以外とは助け合い、声をかけ合い、気遣い合って、この土地を好いている。
僕も好きだ、このイスバーグが。
朝起きて東から上る太陽に雪がきらきらと照らされる雪原を眺めるのが好きだ。家の隣から伸びた枝を伝って時折リスが遊びに来るのを見るのも好きだし、近くの湖で魚釣りをすると、栄養満点の魚が釣りあがった途端にカチカチに凍り付いておかしく思う。
冬だけではない。森は春になると緑に溢れ、夏は針葉樹たちが適度に太陽を遮って様々な動物や虫が生命の営みを繰り返す。秋になればクルミのような山菜がたくさん手に入り、ときどき見かける大きなキノコはスープにすると絶品だ。
そんな中で動物を罠に嵌め、捌き、食べるのが猟師だ。
きっと僕たちは世界で一番新鮮でおいしい獣肉を食べている。
筋肉だけでなく内臓まで食べつくす姿を他所から来た人は残酷だと言うそうだが、自然から命を分けてもらっておきながらその血肉を無駄に放置することの方がよほど酷いことだと思う。それは、無駄な殺生だ。
時には自然の厳しさを思い知らされることもある。捕まえた鹿のトドメを刺し損ねて角が体に刺さったこともある。雪に隠れた岩の裂け目に足を滑らせ、骨を折ってしまったこともある。ほかにも大雨、干ばつ、村へ行けないほどの豪雪。自然の力は余りにも大きすぎて、僕はそんな世界の一つなんだと戒めてくれる。
命に感謝し、命の営みを見続け、今日という日に自分が生きていることを実感する。自然に心を洗われ、自然に身を任せ、自然を労わる。そうすることでイスバーグという村の人間たちは生きてきた。
皆はそれを誇りに思っているだろうし、僕だって誇りに思っている。
僕は皆と同じことを素晴らしいことだと感じている。
僕に対してそうでなくとも、皆は根はやさしい。
だから、ほら。
僕は不幸な場所に住んではいないし、イスバーグの人間と同じ存在じゃないか。
こんなに素晴らしい土地に、いったい僕がなんの不満を抱くというんだ。
たかが――たかが、皆がたまたま僕を除け者にして、陰で早く村から出ていけばいいのと囁いていたぐらいなら、僕は別に村の人を恨まず、一人で山で生きていくことが出来る。
火に薪をくべ、揺らめく温もりをじっと見つめながら、ひとりでに口をついて言葉が漏れる。
「寂しくなんかない……挨拶すれば挨拶を返してくれるもの」
その顔が引きつっていたり、張り付いたような仮面の笑顔でも。
一緒に何かをするという行為を遠回しに拒絶し、同情はするけれどその場に長くいてほしくないという意志を遠回しにぶつけてくるとしても。
そして、それを聞いてくれる家族が誰一人おらず、起きる時と寝るときは決まって独りで、生きるための営みのほとんどを一人でやらなければならないとしても。
そんな僕の心に大きな波紋を起こし続ける言葉。
『寂しくちゃ駄目なのか? 周りに人がいるから寂しくないのか?』
僕にとって初めての余所者であり、初めて自ら近づいた騎士だった大人の女性はそう言った。
アキナさん――道具作成班の班長。檻に指がくっついてしまったときは咄嗟の事とは言え女性の手に触れ、顔まで近づけてしまった。日常的にあまり人と接することのない僕は、その後に激怒したアキナさんの姿を見て失礼な振る舞いをしてしまったことを悟り、自分を恥じた。
それでもアキナさんに何度も近づいたのは、きっと無意識にアキナさんに母を求めていたからなのかもしれない。気難しい所やぶっきらぼうな口の利き方、柔らかい手はどこかおじいちゃんに似ていて、もしかして僕の母親が生きていたらこんな人かもしれないと思ったのだ。
それに、アキナさんは僕にとっては凛々しい顔つきをしていてじっと見ていたくなる。一緒にいても周囲が言う程悪い人だとは思えなかった。僕を子供だから、独りぼっちだからなんてことを気にも留めない容赦のない物言いは、僕にとってはおじいちゃん以来でとても懐かしい気分にさせられた。
母親を持ったことはないが、村で母親と手を繋いで笑う子供を見るたび、僕は言いようのない胸の痛みを覚えた。僕にもあんな人が欲しいと――昔は思わなかったが、おじいちゃんが死んでからは少しずつそんな願望が勝っていった。
アキナさんに自分の過去について喋ったのも、もしかしたらそんな僕の浅はかな想いが勝手に先行し過ぎたからだったのかもしれない。
アキナさんはそれを理由に僕を嫌うようなことはしなかった。
でもその代わりに、信じられない言葉ばかりを僕に投げつけた。
『寂しくなかったら騎士団の手伝いなんてやらねぇし、俺にベタベタくっつかないんじゃねーのか? 俺は俺のやりたいことだけ出来る場所に一人でいられるんなら、そこにいてぇ』
脳裏に浮かぶのは、村の人にあしらわれた日の夜に組み上げた罠たち。
それを選んで、全てを忘れようとするように一心不乱に作った自分。
「違う。僕は、村の人といるぐらいなら一人でいた方がいいなんて……」
僕だって本くらい読むから、世間知らずでも知っていることはある。
例えば、周りに人がたくさんいることはいいことだってこと。
例えば、人を恨んだり妬んだりするのはみっともないことだってこと。
例えば、世の中には多数決という決め方があって、多い方が正しいんだってこと。
だから、僕は間違っていない。こうしている僕の行動は、きっといい子の、好かれる子の、物分かりがいい子の生き方なんだ。こうすれば僕はいつか皆の輪の中に入っていける日が来る筈なんだ。
でも、そんな僕の想いをアキナさんは抉る。
『仲が良くなくても、やりたいことをやる時に着いてきてくれるヤツがいるってのは滅茶苦茶嬉しいことなんだ』
嘘だ。仲が良くない人とは仲良くなって初めて嬉しくなる筈なんだ。
『それまでいろんな奴と一緒に仕事をしたけど、全然違った。何故か分かるか? 俺が何をしたいのか、何を作りたいのかを理解して受け入れてくれる奴がいるからだ』
違う。それは、きっと違う。一緒に仕事することが幸せで、そうでないことが幸せだなんて僕の知っている生き方じゃない。
でも、違うとか嘘だとか、それは僕に決められることか?
僕の生き方は間違っているというのだろうか?
『人間は開き直ってしまっていいんだよ』
「開き直れば、村の人たちとはきっと仲良くなれない。でもそれじゃ、僕は永遠に村の一員になれないの……? 何で、どうして?僕が何したって言うんだよぉ……それじゃ意味がないじゃないか……」
罠の提供だってしたし、雪崩防止の為に定期的に人のいない時間に雪崩を起こさせる役割だって率先して担った。余った肉を村に持ち寄って分けたことだってある。それでも皆が僕を受け入れてくれないのは、まだ僕の頑張りが足りないからだと思っていた。
再び、薪を火にくべる。
高温に達した薪はゆっくりと火を移してゆく。
人の為にその身を捧げて熱を与える薪は、いずれ燃え尽きて灰になり、シャベルで掬われ捨てられる。その末路と自分を一瞬重ねた僕は、ぶるぶると頭を振ってその考えを頭から追い出した。
こんなにも火に近いのに、どうしてこんなに寒いのだろう。
◇ ◆
ブッセが行方を眩ませてからのアキナの行動は、意外な程に的確だった。
すぐさま周囲に聞き込み(というか半ば脅し)をしてブッセが外に出たことを知ると自らもすぐさま外に飛び出し、しかし肉眼で捉えられないほど遠くに行ってしまったことを確認すると直ぐに騎道車にバックして食事中だったキャリバンを無理やり引きずった。
「来いオラ新人ッ!! 仕事だァ!!」
「食事の時間さえ仕事に持っていかれるんっすか!? 嫌だぁーーーッ!! 俺に休息を、正当な休みをぉぉぉーーーッ!!!!」
……最初は食事を中断させられて絶望的な顔をしていたキャリバンだが、事情を知るや否やファミリヤを連れてくるからブッセの臭いがついたものを用意するよう伝えてすぐに行動を開始した。
村に行った程度ならいいが、もし万が一雪山に飛び出して遭難したりすれば大事だ。いくら地元の人間とは言え泣きながら考えなしに走って出ていった子供がそうなる可能性は決して低くはない。事態の深刻さを知れば心優しいキャリバンが動くのも必然だった。
僅か数分後、そこにはファミリヤの鳥たちと狼のプロ、そして急遽呼び寄せられた援軍のセネガとベビオンまでもが集合していた。
「おら、これがブッセの洗濯物のパンツだ! まだ奇跡的に洗濯前だったのをパクってきた!」
「わうっ!」
(青少年の脱ぎたてパンツをパクってくるとは……とからかいたい……からかいたいけれど、ダメよ今は耐えるのよセネガ! 事は重大かもしれないのだから……ッ!)
「セネガさん、心なしかウズウズしてないッスか?」
「急いで捜索に入りたいのですから、焦れもします」
(本当かなぁ……いや、普段の行動から鑑みて十中八九嘘だよなぁ……)
真剣そのもののプロにブッセのパンツの臭いを存分に嗅がせるアキナというシュール極まりない光景を見れば笑いたくもなるのだろうが、流石のセネガもここでは自重した。
犬の嗅覚は人間を遥かに上回る。それは犬に非常に近い種である狼も同じことだ。この雪の中でどこまで追跡出来るかは分からないが、少なくとも人間があてずっぽうに行動するよりは発見率が高いはずだ。
「それで、俺たちはどう動けばいいんです?ブッセくんの行先は依然として知れないままなんですよね? 迷ってなければ彼が頻繁に足を運ぶ場所とかにいる可能性もありますし……」
幼女の次に幼児を大切にするらしいベビオンの指摘に、途中から捜索指揮権をアキナと取って代わったセネガが眼鏡をくいっと挙げた。
「私が確認したところ、現在の外は雪がほぼ止んでいたために足跡が消えていませんでしたが、流石にどの足跡が彼のものかは特定できませんでした。足跡の筋は二つ。村へ向かうルートと山に罠を仕掛けにいったいくつかのルートです」
「どれどれ……なんだ、こんなに絞れてたのか?」
簡単な地図にさらさらと大まかなルートを書き記していくセネガの説明に、プロの頭にパンツをかぶせたアキナも合流する。パンツの置き場所に困って引っかけたらしいが、プロはものすごく迷惑そうにパンツを振り払った
この場合可哀そうなのはプロではなく、パンツを勝手かつ雑に扱われたブッセなのかもしれない。普通に考えたらパンツを勝手に取られた上に晒しものにされているのだ。学校だったら不登校レベルの事案である。
閑話休題。セネガは手早く役割分担を始める。
「キャリバンはプロの嗅覚を頼りに方向を絞ってください。追跡できなかった場合は東に罠設置に出た班と、南に狩りに出た料理班、そして村の方向を手分けして探します。連絡手段はファミリヤです」
「連絡手段代わりに連れてこれるだけファミリヤ連れてきたっす! 一応ノノカさんが中継してくれる事になってるんで、見つけたらすぐに飛ばしてください!」
「待ってろよ、すぐに見つけてやるんだかんな……!!」
普段の自分本位でいい加減な態度からは想像もできない程に熱の籠ったアキナの覚悟に、新人2名はごくりとつばを飲み込む。いつも傍若無人で今回も半ば無理矢理連れ出された捜索だが、もともとブッセを泣かせてこんな事態を招いていしまったのはアキナが原因だ。
一人の人間として、子供を想う大人として、きっとアキナは自分自身が許せないのだ。ダメ人間の典型だと思っていた人の意外な一面に、自分たちも期待に応えねばと二人で目を合わせる。
「絶対に見つけような、キャリバン!」
「当たり前だ。班長もあんなに本気になってるんだから――」
「見つけ出したらとりあえず逃げられんようにふん縛ってやる!! この俺の話を途中で放り出して逃げやがって、俺は人の話は聞かねぇけど俺の話を聞かねぇ奴ってのもナヨナヨしててすぐ泣く男も許せねぇんだよッ!!」
……余りにもいつも通りに自分勝手だったアキナに、二人は盛大に床にズッコけた。前言撤回、自分で泣かせておいてまるで罪悪感ゼロどころか逆に怒っているアキナ班長の期待には応えない方がいいのかもしれない。
「……ブッセくんを発見したら、ほとぼりが冷めるまで班長には黙っておこう」
「……その方があの子の身の為、だよな」
「私としては、あのアキナ班長に人間のような感情があると期待していた貴方たちの方が意外ですがね?考えても見なさい、あのアキナですよ?」
捜索開始を前に、さっそくアキナをハブって密約を交わす3人であった。
果たして万が一アキナが先にブッセを見つけた場合、彼はどうなってしまうのだろう。それは神ならぬ彼らの与り知らぬことではあるが、なんとなく彼はもう一回泣かされる気がする。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます