第63話 決して無駄ではありません
その日の夜、食堂の一角で熊鍋をつつく3人の女性と1人の男がいた。
「貴方がいつも怪我一つせずに帰ってくるのは治癒師としては有難いことだけれど……もし心の傷が痛むのならいつだって私の所に来なさいよ。カウンセリングも出来ない治癒師なんて思われるのも腹立つし、弟弟子の心配も出来ない女になるのはイヤなの。いい?」
「はい、フィーレス先生……」
「ヴァルナくんの仕留めた熊さんですが、騒動の主犯ではないにしても無関係ではない存在でした。それに危険な大熊が仕留められたということで村の皆さんも喜んでます。ヴァルナくんが立派なお仕事をしたことをノノカが表彰します! えらいゾっ!」
「ノノカさん……っ」
「ヴァル坊は熊と戦って生き延びた。それは生きるか死ぬかの生存競争を勝ち抜いたって事だ。アタシは騎士の矜持とかは判らないけどね、アンタは勝ったから生きてこの熊鍋を食える。それだけでも本当は価値ある勝利さ。任務だ騎士だ以前に、自分が一つの命であることを忘れるんじゃないよ」
「タマエ料理長ぉ……俺、俺は……っ」
深く傷ついた少年の心を癒す3人の母神たち。その甲斐あってか、少年――騎士ヴァルナは俯き、その両眼から闇を洗い流す涙を零し始めた。幾重にも降り積もった悲しみ、辛さ、決して人には見せなかった弱さを覆い隠す灰を洗い流すかのように――。
等と感動の空気に食堂が染まるかというと、そんな訳はなく。
「ちっ……タマエのばーさんはともかくフィーレス先生とノノカさんを独占状態たぁ生意気な野郎だぜ。イイコぶって媚びて上手いこと立ち回りやがって……! 若さがそんなに素晴らしいかぁ!!」
命懸けで死地から帰還した騎士に対する思いやりなどあると思っていたのかと言わんばかりに嫉妬に狂う中年騎士が声高らかに叫ぶ。普通に嫌な奴である。周囲にも多かれ少なかれヴァルナに嫉妬していた連中がウンウン頷くが、世渡りの得意な騎士が聞けば迂闊な発言と笑うだろう。
「お、非モテ勢の見苦しい嫉妬かな?」
「ん、料理長を侮辱することによる遠回しな自殺かな?」
「あ、実力不足のまま年食って婚期逃したオッサンの醜態だぁ!!」
「げぶはぁッ!? 言葉のファランクス!?」
「という訳でキミは明日から制裁のメシ減量決定~~♪」
言葉の暴力を全身に浴びた挙句に料理班からの熱い死体蹴りを浴びた中年騎士はビクンビクンしながら机に突っ伏した。ノリで行動するこの騎士団は他人の言葉の尻馬に乗ることもあれば、粗を探して突き崩すこともある。
尤も、タマエ料理長をばーさん呼ばわりした時点で彼の運命は確定だったかもしれないが。多少酒が入っていたとはいえ迂闊に過ぎる男である。
「にしても熊と斬り合ったんだって? 相変わらずつえーなあいつは」
「いえ、何でも剣が凍って鞘から抜けなくなった為に鞘で殴り殺したと聞きましたが?」
「え? 俺は武器など無用とデンプシーロールで熊をボコしてK.O.勝ちしたって聞いたけど?」
「話盛られすぎだろ!! いくらヴァルナでもそんな……そんな非常識な……アレ? 待てよ、ヴァルナなら出来る……のか?」
自分で否定したくせに、途中から自信がなくなっていくのだから不思議である。理屈で否定しようとしたものの、そういえばヴァルナは素手も滅茶苦茶強い男。自問自答を繰り返すうちに段々とヴァルナの実力のせいで真実味を帯びてくる。
「うん、なんか出来る気がするな。ヴァルナなら出来るって。はは、俺ってば何言ってたんだろう? こんな当たり前な事を見逃すなんて!」
「意識をしっかり持てェ!! ヴァルナでも雪山の中でそれは無理だからァ!!」
一方、仕留めた熊が四メートル級というあり得ないサイズだったことを知っている騎士が否定しようと男の肩を揺さぶるが、その言葉が逆に更なる疑惑を呼び込む。
「逆に雪山でなければ勝てる……?」
「ええっ? いや、流石に雪山以外では……あ、でもそういえばヴァルナってその気になれば瞬間移動クラスの回避できるし、無理ではないのか?」
「お前らどんだけ自分の後輩をバケモノに仕立て上げたいんだ……確かにインチキ染みた実力は認めるが、あいつも人……人? そういえばあいつの血の色はまだ見たことがないし、まさかウワサに聞く魔族の血が……? いや、逆に天族の……?」
「つまりヴァルナは人間じゃなかっ――むぐ」
「それ以上はアカンで?いやマジで。真実だったらシャレにならんし」
ヴァルナの人物像が本人のあずかり知らぬところで無限に拡大していく。なお、天族も魔族も基本的に人間の世界には来ないし、仮に混血だと親の特徴を何かしら受け継ぐらしいので肌の色や背中の翼でモロバレ間違いなしである。噂によると混血の集まる里があるらしいが、それは遠く海の向こうの話なので事実上関係ないだろう。
有名人は変なイメージやレッテルを張られるとはいうが、この騎士ほど身内に隠し事をしないのに疑われる男はいないだろう。本人の自己申告によると「士官学校入学前に三人と一匹の師匠がいた」とのことだが、あまりに内容が疑わしい為に誰も信じていない。主に一匹の部分を。
……ちなみにヴァルナの報告した「刀身が凍って鞘から出てこない現象」は既に重要案件として報告されている。氷点下での作業が少なかった為に初めて報告された事例なので、そういう意味でも貴重な報告と言えるだろう。
「というか、剣が凍ったってどゆことなん?」
「急激な温度差によって刀身に発生した結露が、屋外に出たことで凍結したことが原因と思われますね」
割と士官学校で成績がいい方だった女性騎士ネージュの解説に、フーンと絶対理解してないなコイツと一目で分かるいい加減な相槌を打った男性騎士ケベスは、突然キメ顔になる。
「ここは任せろ! 俺がケツロを開く……!」
「それは別の
「お湯が沸きましたよー!」
「それはケトルだし。何故遠のくの」
「おケツ触っていい?」
「ははーん、もしやぶっ殺されたい?」
仲のいい騎士たちであるが、血路の血がセクハラ発言をしたケベス先輩のそれでなぞられないことを祈るばかりである。
◇ ◆
色々とあって精神が安定した頃には、既にフィーレス先生もタマエ料理長も自分の職場に戻っていた。元々忙しいのにわざわざ俺を励ますために時間をくれたと思うと申し訳ない気持ちしかない。
「でも二人ともたっぶり熊鍋楽しんでましたし、その分でチャラってことでいいんじゃないですか?」
「まぁそうなんですけど……我ながら一時の気の落ち込みだけで三人も人を呼び寄せてしまったのはどうかと思う訳ですよ、ノノカさん」
そのうち何かしら埋め合わせを出来ればいいのだが。騎士団内では借りを作りっぱなしにしておくと後が怖い。特に女性のそれは……まぁ、噂によるとかなりのものらしい。先輩方の体験談が主で俺はあんまり経験ないけど。
今回のこれに関しては熊が異様な強敵だったために勝手にラスボスと勘違いしていた俺が悪いし、他人から見たら落ち込みすぎだと言われるかもしれない。でも、それだけあの熊は強かったのだ。今までに戦った中で一番強かったボスオークと互角か、或いはそれ以上の実力だった。そのうえ白いとくれば間違いないと思ってしまうのも致し方ないだろう。
しかし、ご存知の通り現在鍋で煮込まれているコレは違ったようだ。ノノカさんによると、結局あの熊の毛が白いのは遺伝子的な突然変異で色素が抜け落ちたせいという、それだけだったらしい。動物学的にはアルビノ個体と呼ばれる珍しい存在なんだとか。
アルビノ熊の毛は白いだけで普通の構造の毛だ。対して今回探しているターゲットは特殊な構造ゆえに白い色に変化した毛。色が同じでも本質は全く違う。
「そんでノノカさん。あの熊と今回の件とどう関係があったんですか?」
「はい。まずは熊に付着していた血痕です。調べてみたんですが、あの血は熊の血ではなかった……つまり返り血だったんですね。それで念のためにサンプルを採取した所、ちょっと厄介なモノが検出されました」
「厄介な血って……?」
「毒ですよ、毒。オークを含めそれなりの種類の魔物が持っているタイプと同種ですね」
そう言いながらノノカさんが白衣の中から取り出したるは封をされた2本の試験官。片方は青色の透明な水が入っており、もう片方の動物の毛入りは紫色だ。どうやら試験薬のようなものらしい。言わずもがな、紫色の方が毒だろう。
魔物の血液と同タイプの毒を含んだ血というのは、つまり魔物の血と言っているようなもの。すなわち、あの熊はこの山で魔物と戦い、その返り血があの赤い染みだったということか。あの時は余裕がなかった為に怪我と見間違えたが、考えてみれば赤い部分は複数個所あった。対して罠に残った生物の痕跡は一か所のみ。
紛らわしいことこの上ない熊であるが、そのおかげで情報がつかめたと考えれば無駄にはならなかったようだ。ノノカさんはそれを踏まえ、びしっ! と人差し指を立てた。
「このテの血は魔物以外の動物は持たないというか、持ってたら魔物認定というか……つまり、この山には魔物がいます。コレ確定!」
ノノカさんは更に中指を立ててピースサインを作る。
……内容は全く平和的ではないが。
「そして状況から鑑みて、熊と戦ったその魔物は白い毛を持っている可能性が大! 熊の爪の隙間からも微かに例の毛が発見されています!」
追加とばかりに薬指を立てる。
……三つ目の人を目潰しするためにあるような指の形だな。
「更に更に、熊の体にはヴァルナくんが心臓を貫いた以外に目立った怪我がなかったので二頭の勝負は熊の勝ち! 返り血の量から見てトドメにまで至ったとは考えにくいので、現在その魔物は怪我をしていると思われます! 雪の中で派手には動き回れないに違いありません!!」
そしてトドメとばかりに小指まで立てたノノカさんは堂々と宣言した。
「熊の体に血が付着したままだったことを考えると、恐らく潜伏先は熊が出没した場所のさらに奥! 方角まで特定できたとなれば、後は既に檻から手に入ったサンプルを元に臭いを追っている新ファミリヤのプロくんにそのエリアを探してもらうだけ! もはや今回のターゲット発見は時間の問題なのですっ!!」
「……スゴイじゃないですか! 今回のターゲットまで一直線で道が繋がりましたよ!!」
本当に凄い報告に周囲もどよめいている。一部の騎士が「プロってなんのプロ?」などと戸惑っているが、あの狼のプロの鼻ならば例の敵まで一直線に辿り着けるに違いない。果たしてターゲットが一頭だけなのかどうかという疑問は残るが、一頭でも捕まえられれば得られる情報が段違いだ。
「どーですノノカの分析力と推察力、そして作戦立案能力は!! 褒めなさい、崇め奉りなさい!!」
「流石です、ノノカさま!!」
「いよっ! 騎士団随一の頭脳の持ち主!!」
「王国の偉大なる博士にして名探偵!!」
えっへん!と子供っぽく胸を張るかわいいノノカさんに周囲からの惜しみない歓声が降り注ぐ。子供を崇め奉る大人たちという奇妙な構図だが、ノノカさんは胸の大きさと実年齢と頭脳は子供ではないのでおかしいことは何もない。きっとプロと共に仕事続きだったキャリバンも諸手を挙げて喜んでいるに違いない――と思って周囲を見渡した俺は、あれ?と首を傾げる。
「キャリバンがいねぇ……というかアキナ班長とブッセくんもいない?」
いつも何とも言えない変人オーラが濃ゆい食堂の一角に人が足りないことに、俺は今更ながらやっと気づいた。徹夜の多い道具作成班は食事だけ受け取って作業室に戻る事もあるが、今は食事もままならない程忙しくはない筈なのだが。
首を傾げていると、なぜか青い顔をしたヤガラと肩を組んで歩いて来たロック先輩が俺の目線を察してああ、と声を上げた。
「アキナ班長は今夜はブッセ少年の家にお泊りだってよん♪」
「はぁ、そうなんすか……じゃあキャリバンは?」
「疲労困憊でもう寝てるよ~ん♪」
「………???」
班長たちが家に向かったというのは作成する罠の部品か何かの問題だとして、なぜキャリバンが既に疲労困憊なのだろうか。偵察に駆り出されていたとはいってもあいつもそれなりの体力自慢だった筈なのだが。どっちにしろプロを投入した捜索は明日からだろうと思った俺は、その日は3人の件について追及を諦めた。
で、翌日。
「昨晩はお楽しみだったそうですねぇアキナ班長? 男の家に泊まって朝帰りだったとか、一緒にお風呂に入って一晩中いたいけな少年を慰め続けたとか色々と聞き及んでいますよ?」
「えーっ! ヤダぁ班長ってそういう趣味だったんですか!? イガーイ!!」
「でも十歳は流石に犯罪なんじゃ……東方の変態として名高いヒカリ・ゲンジ卿じゃあるまいし」
「うううううっ、うるさいうるさい!! 俺はなーんもやましい事はしてねぇんだからなッ!? だいたい相手はガキなんだから、その、ヘンな事する訳ないだろっ!!」
「そうやってムキになる所が……」
「余計に怪しい……!!」
「変なことって具体的には何なの? 班長の口から直接聞きた~い!」
「へ、ヘンな事はヘンな事だっ!! クソォ、なんでどいつもこいつもニヤニヤしながら色々聞いてくるんだよッ!!」
そこには、顔を真っ赤にしてムキになりながら女性陣に全力抗議してはのらりくらりと躱される哀れなアキナ班長の姿があった。全員が全員、思わぬ班長の弱点を見つけたとばかりに班長をショタ好き趣味のはしたない女扱いしてはその反応を楽しんでいるのだが、やられる当人は自分の反応こそがニヤニヤの原因だと全く気付いていないようだ。
「何があったのかは知りませんが、班長って意外とウブで可愛げのある人だったんですね」
「本人に聞こえるように言ってやるなよ。俺はそれ言って顔面ぶん殴られたからな」
「アレにぶん殴られて歯の一本も抜けていない副長は流石ですよ……」
貧弱な人が受ければ顔面粉砕間違いなしの班長のゴリラパンチを受けてなお頬が真っ赤に腫れた程度で済んでいるザトー副班長と共に、俺はほほえましいものを見る目でアキナ班長を暫く眺め続けた。とりあえず、後に当時者たるブッセに一通り話を聞いて事情を察した俺は、「こりゃからかわれても仕方ないな」と納得したとだけ言っておこう。
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