第59話 大人気ないのはいけません

 人間より期待値の高い新人、狼のプロとの邂逅の後――山に様子見に向かったメンバーの帰還と同時に、その檻は浄化場へと運び込まれてきた。

 檻を運びこんだ騎士たちがヘトヘトになりながら休息部屋へ向かう中、運び込みを指示したセネガさんと他数名が檻の周りに集合する。


 それは高さ一メートル半で奥行き二メートル近くの鉄の檻。

 見るからに大型の獣を捕獲する為のものであるが、出入り口にあたる部分が歪にひしゃげている。獣用の丈夫な鉄製檻なら当然野生動物が暴れても壊れない強度の筈なので、信じられないほど強力な力で曲げられたのではと推測される。


「ノノカさん。早速ですが、山に仕掛けてあった檻に気になるものが付着していたので確認願えますか?」

「うわぁ、おっきな檻ですねぇ……どハデにへこんでますけど、前衛的なデザインなんですか?」

「その可能性も大いにありますが、現地の猟師を説明に連れて参ったので確認してみましょう」


 不自然にねじ曲がった檻が前衛的デザインである可能性は限りなく皆無な気がするのだが、セネガさんは敢えてノノカさんのボケにボケを重ねて地元猟師にパス。話をパスされた地元猟師――驚いたことに、十歳少しの少年だ――は屈託のない笑顔で普通に対処した。


「もちろん破壊されてます! 一個三十万ステーラする高級品なんですけど、見事に壊されちゃいましたねー!」

「……というか君、えらく若いけど猟師なの?」

「罠猟専門のブッセって言います! 村の猟師では一番若いです!」


 元気いっぱいのブッセは子供らしくくりっとした瞳を輝かせている。

 いかにも寒冷地用のもこもこしたコートに身を包んだ彼の首にはゴーグルがぶら下がっている。あれも寒冷地で目を守るためのものなのだろうが、妙に古めかしいデザイン故に幼い彼にはミスマッチだ。


「僕みたいなジャクハイ者が騎士様のお役に立てるなんて光栄です!!」

「笑顔が眩しい!? 穢れのない純粋な笑顔が眩しすぎて直視できねぇ!!」

「ぐぅ、これは強敵……!! このセネガともあろうものが相手を見誤ったか……!!」


 ぺかー! と純度100%の心底嬉しそうに目を煌めかせるブッセの視線を浴びせられ、俺は思わず悶絶した。後ろにいるセネガさんさえこれは流しきれなかったのか、苦悶の声を漏らしている。

 俺とセネガさんの汚れてしまった騎士の矜持が拒絶反応を起こしている。俺たちはオークを狩るために汚れたものを数多背負ってしまったのだなという自覚を覚えさせるという意味では、非常に辛い視線であった。別段後ろ暗いことを感じていないキャリバンは呆れ顔だが。


「真面目な声のトーンで何やってるんっすか二人とも……」

「あの笑顔を受けて平気だと……!? 畜生、騎士団歴一年しか違わないのに何が俺たちを別ったんだ!?」

「何って……人間性とか?」

「ぎゃふん!?」


 人間性に関してはオーク狩りに結構捧げてしまった感があるので反論できなかった。

 なお、一緒について来たアキナ班長は会話をガン無視して檻を調べている。


「フーン、鉱山の町インダストール製たぁいい檻使ってらぁ。蓋は歪んで完全に固定されちまって……おっ、隙間になんか挟まってるな。毛か? 白いな」

「本当ですか? ちょっと見せてください……本当だ! サンプル採取サンプル採取っと。若干皮膚も張り付いてるし、檻の蓋が落ちたせいで皮が挟まっちゃったんですねぇ」

「ああっ、迂闊に触っちゃ駄目ですよ! 氷点下の山に置いてあったんだから素手だと指の皮が……」

「うおッ、くっついた! 全然離れん!?」

「ホラ言わんこっちゃない!!」

 

 好奇心が先走りすぎたアキナ班長の指は、ものの見事に檻に張り付いていた。これだから人の話を聞かない問題児は困る。しかも焦って無理やり剝がそうとした挙句に駆け寄ったブッセくんに「焦ると指の皮が剥げちゃいますから落ち着いて!」と必死で止められている。

 ノノカさんの時とは違い、正真正銘子供に世話される大人の図の完成だ。


「落ち着いて! 指の体温で溶けた水がまた凍っただけですから、ゆっくりと……」

「お、おお……!?」


 アキナ班長のがさつな手を小さな手できゅっと握ったブッセくんが、檻と指の隙間にふぅー、と温かい息を吹きかけながらゆっくり接合部分を剥がしていく。ガサツな女に甲斐甲斐しく手を貸す献身的な姿は美女と野獣……もとい、少年と野獣。野獣の部分は外せない。


「ほら、取れました。次からは寒い場所にある金属は手袋越しに触ってくださいね?」

「わ、分かったよ。それよりその……」

「?」


 首を傾げるブッセくんにさしものアキナ班長も乙女的なリアクションを見せる。普段は同僚に暴力をふるい、金儲けの妄想に精を出して高笑いし、任務になると連日連夜道具を作って風呂にも入らない班長の凍り付いた心が少年の優しさによって少しずつ融けてゆくいく……全王国民が泣く感動超大作の予感だ。


「……くすぐったいから手ぇ離せやクソガキッ!!」

「ひゃあっ!? ご、ゴメンナサイ!!」


 感動の超大作はシナリオライターの暴挙によって踏みにじられたようである。運命の女神コラ。

 人の話を無視した挙句に助けたら怒鳴るとは、アキナ班長は厚顔無恥という言葉を一体世界のどこに置き忘れてしまったのだろう。少しは女子らしい反応をするのではないかと思っていた俺が間違っていたのか、班長は乱暴な動きでブッセくんを押しのけると怒りで赤くなった顔をさらに顰めさせる。


 助けてあげたのに暴言を吐かれたブッセくんは何が何だかわからないと言った顔だ。どう見ても悪いのは班長なのでブッセ君には同情の余地しかない。

 子供が相手でもこれほど大人げないとは見下げ果てた人である。性根がそこはなとなくクズなのは知ってたけど、これは流石に黙って見逃すには酷い話だぞ。


「班長、助けてもらっておいてその言いぐさは酷いんじゃないですかね?」

「……えっ? あ、あんなの手伝ってもらわなくても自分で出来たっつーの!!」

「あっ……ご、ごめんなさい。ぼく、邪魔だったんですね……」

「………ふんっ! 余計なことした奴に感謝なんかしねーからな! ガキが騎士団に来るからそうなるんだ!! 俺はもう戻るっ!!」


 ぷいっと顔をそむけたアキナ班長は子供のようにムキになって部屋を出て行ってしまった。申し訳なさそうに涙目で縮こまるばかりのブッセ君がいたたまれない。

 それにしても子供に助けられただけであんなに怒るとは、何か彼女の琴線に触れることでもあったのだろうか。思わずノノカさんと目を合わせて首を傾げる。


「うーん、前から子供っぽくて暴力的でガサツで女子力のない人だと思ってましたけど、子供相手にあの態度はちょっと酷すぎるでしょ。お腹空いてたんですかね?」

「ですねぇ。でもいくらアキナちゃんが手が早くて母性が欠落してて口が悪くて色気もへったくれもない人だとしても、あんなにムキになるのって珍しい気がします。虫の居所が悪かったんですかねぇ」

「二人とも本人がいないのを良いことに言いたい放題過ぎないっすか……?」

「事実だし」

「事実ですもん」

「えぇ……」


 平然と同僚をけなしまくっていく俺たちにキャリバンが引いているが、あの人が大人げないのは周知の事実なので今更である。そんなことをしているうちに、すっかり落ち込んでしまったブッセくんの背中をセネガさんが優しくなでていた。


「ぼく、間違ったのかなぁ……ぐすっ」

「ごめんなさいね、あの人って素直じゃないの。本当は感謝してるけど言いたくない意地っ張りさんだから、嫌いにならないであげてね?」

(ほら見ろ。あの性悪のセネガさんでさえ子供には優しく出来るんだぞ?)

(いや、セネガさんはそういうのを表面上で取り繕うのが上手な人っしょ? 何の参考にもなってないっすから)


 セネガさんも言動がマトモなら綺麗なお姉さん。元は特権階級だが弱き立場の人には優しくできるというか、むしろ同僚相手だけはっちゃけすぎな人だ。ブッセ君の背中を撫でて優しい声をかけている姿を見ると、その優しさ10分の1でいいからローニー副団長の胃を労わる方に向けてほしいと思ってしまうのは俺だけか。


「私のような優秀で見目麗しい秘書を侍らせることが出来るのに胃に穴が空く訳がないではないですか。むしろ安酒で胃を焼いている騎士ロックより幸せに違いありません。ああ、私が騎士団の三大母神にカウントされていないことが不思議で仕方ありませんねー」

「うわぁ、人間ってここまで白々しい言葉を真顔で吐けるものなんだな……」 

 

 とりあえずブッセ君はセネガさんに連れられて浄化場を出て行った。

 なんでも彼は騎士団に興味津々で自ら騎士団と村の渡し役になる事を志願したそうで、任務が終了するまでは騎道車の方で過ごす予定らしい。

 初日から災難な事だと同情する。料理班か治癒室あたりで優しいお兄さんお姉さんに励ましてもらえるといいが。


「しかし、アキナ班長のあの態度が『本当は感謝してるけど言いたくない意地っ張り』ねぇ。セネガ先輩もよくそんな出まかせがするする出てきますね。あの人がツンデレとか絶対ないでしょ?」

「……本当に?」

「え?」


 部屋を出る前にたった一言。意味ありげにそれだけ言い残して、どういうことかと聞き返す暇もなくセネガさんはブッセ君と手を繋いで行ってしまった。

 何だろうか、今の意味深な一言は。詳細を聞きたい気もするが、単に意味深な事を言ってみただけで意味がない可能性もあるので判断に苦しむ所である。あの人、そういう人をモヤっとさせるのが得意なんだよね。




 ◇ ◆




 自分の一人称を決めた瞬間というものを、覚えているだろうか。


 俺は覚えている。女である自分が自分を「俺」と呼称し始めた時の事を。


 余り周囲には言ったことがないが、俺は元は国外に住む人間だった。

 どこから集まってくるのか、大量のガラクタが集うゴミの町。子供は文字を覚えるより早く使えるゴミと使えないゴミの目利きを覚え、教養の低い馬鹿ばっかりで、いつも夢みたいなものを目指してガラクタから新しいガラクタを作る。


 とてもではないが今の王国や大陸の帝国のような高度な技術はなく、子供の工作の延長線上にある原始的な加工技術。難しい技術は学んでいないが、持てる技術の範囲なら物さえあれば気合の入った代物を仕上げられるその町の住民は、やがて町では満足できなくなって外を目指し―やがて新たなガラクタを持って帰ってくる。


 外を見てきた連中は口々に言った。

 外に俺たちの求めている物は大してなくて、心が不自由になったから故郷に戻ってきた、と。そうして新しいアイデアと一緒にガラクタをこね回し、また新たなガラクタを作り上げる。

 そうして他人から見ればつまらない、しかし本人たちにとっては礎となるガラクタを積み上げ、ガラクタでガラクタを潰し、ガラクタの上にまたガラクタを置く。ひとたび火事が起きれば全て燃え尽き、そして燃え尽きた後地に集まったガラクタを嬉々として一から組み上げる。


 俺はそんな訳の分からない営みを繰り返す町にいるのが嫌で、恥ずかしくて、二度と戻らないつもりで外に飛び出した。手に持った拙い物づくりの知識を携えて。


 しかし上手くいかず、何もさせてもらえず、そしてある日、俺は自らを俺と称するようになる。今でも思い出せるあの出来事。意識の根底に沈殿したそれは、長年に渡ってこびり付いた油汚れのようにしつこく、そして無自覚に突き付けられた。


『女だからなぁ……』


 女を棄てたくなるには十分な言葉だった。

 俺は故郷に戻ろうとは思わなかったが、故郷の外に出た連中が帰ってきた理由を悟った。外は、町に比べてあまりにも心が不自由だった。


 その後も職場を転々としたが、いつも自分が女であることがネックになって嫌な思いを重ね、結局辞めてしまう。そんな事を数年ほど繰り返し、やがて俺は王国の騎士団という道に流れ着いた。


 もう受けた切っ掛けは覚えていない。ただ、女性騎士がいる事を知って「女でもいいのなら」と居場所を求めたのかもしれない。結果としてそれは正解で、今では班長という地位に座っている。

 騎士団の女は強くても許される。これまでとは逆にカチンとくる『女扱い』をされない場所。それが心地よすぎて、いつしか俺は女の幸せとか女らしさとか、そんなものを放りだして殆ど心が男になっていた。


 だからだろうか。


「……手、すべすべで柔らかかったな」


 自分の手を見つめて、誰にでもなくごちる。

 まるで女みたいな扱いを――無意識的な差別意識も下心もなく、純粋な心配というものを受けた事実を、アキナという女は受け入れ切れていなかった。自分にそういった出来事が回ってくると思っていなかった。本当にくだらない些細なきっかけで、こんなにも自分が呆けることが信じられない気持ちだった。


「……あっほらし。男どころかあんなの唯のガキだろ。何考えてんだか……本当に……」


 その唯の男の子の助けを無理やりにでも振り払ってまともにお礼も口にできなかった自分が、どこまでも不思議だった。

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