第58話 プロフェッショナルです

 二年も同じ職場で働いていれば同僚の顔ぐらいは楽勝で覚えるものだ。

 しかしその新顔は、突如として俺の目の前に姿を現した。


「えっと、どちら様ですか?」

「わうっ!」


 俺の質問に、その灰色のもふもふ生物はお座りをしながら答える。残念なことに俺には犬語が分からないが、実はファミリヤの休息所としても機能している浄化場にいて、前足にリングが嵌められていることを鑑みるに粗方の想像はつく。


「そうか、ファミリヤの新顔か。俺はヴァルナだ。一緒に仕事を頑張ろうな」

「わうっ!」


 元気な返事は可愛いものだが、さて、彼のもふもふ生物の面構えは可愛いとは言い難い。子供とにらめっこしたら相手を泣かせてしまいそうな鋭い眼光に、大型犬より大きな体躯。端的に言って勇ましい、或いは怖いという印象が勝っている。


 この生物、俺の推測が正しいのなら魔物並の戦闘力を誇る「狼」ではなかろうか。


「あ、ヴァルナ先輩おはざーっす。どうですこの子、可愛いでしょ?」

「う゛るるるるる……」

「可愛い……可愛い?」


 ひょこっと狼の後ろから現れたキャリバンが狼を撫でると、狼は人を殺しそうな目つきで顔面に皺を寄せて低く唸った。ブチギレてるようにしか見えないし、とてもではないが二者の間に意思疎通が図れているようには見えない。


「めっちゃ怒ってるように見えるっすけど、これで喜んでるんすよ」

「えぇぇ……それで喜んでるって、逆に怖ぁ……」

「先輩のことも見るなり実力者であることを感じ取ったみたいっすね。こいつ、先輩をヒエラルキー的に上の存在として認識して敬意を払ってるっす」

「参考までに、下に見られるとどうなるんだ?」

「ベビオンは足におしっこ引っかけられました。あとは、ヤガラ記録官がいつも手に持っている記録ノートを強奪しようとして一、二時間ほど争ってたっすね」

「やんちゃ坊主じゃねーか!! 本当に躾とか出来てんのか!?」 


 一応翻訳魔法で狼の声を理解している筈のキャリバンだが、この恐ろしい面構えを見せられた上でそんなことを言われても説得力はない。というか狼のファミリヤという時点で大分初耳なのだが。まさかヴィーラの件に懲りずに昨日の山で捕まえてきたんだろうか。もしそうなら危ないので素直にやめてくれ。


「キャリバン、このファミリヤはいつウチに来たんだ? 報告とか聞いてないんだけど、まさかその辺で捕まえてきたんじゃないだろうな?」

「いやいや、俺はそこまで見境なしに動物に飛び込めねぇっすよ……? この子は王都で俺の師匠せんせいから譲り受けた新パートナー! 名前をプロと言います!」

「……何のプロなんだ?」

「師匠曰く、本当はペロにしたかったそうっす!!」

「知らんわ!! そして似合わねぇなペロは!!」

「わうっ!」


 あと少しでペロになりかけたプロはこくこくと頷いた。

 どうやら本人――もとい本犬もそれはないと思ったらしい。

 とりあえずプロの感性がマトモであることに内心で感謝した。

 その面で実は可愛いキャラとか言われても戸惑いしか覚えないし。


「にしても師匠ねぇ……一度だけファミリヤ使い選考で顔を見たことはあるな」

「人前には滅多に顔を出したがらない気難しい人っすからねぇ。人と動物なら動物の方が好きって常々言ってましたもん」


 キャリバンの師匠と言えば国内唯一と言ってもいいファミリヤ研究者だ。黒髪に赤目でゴシック調の服を着た綺麗な女性だったと記憶している。大陸の方では学会のお偉いさんの多くが男性のため、女性研究者は冷遇されることも多いとかというのはノノカさんから聞いた話だっただろうか?


 しかし、雪山に向かう教え子の為に寒さに強い狼のファミリヤを寄越すとは、なかなか豪快な人である。それともキャリバンが頼んだのだろうか。


「実際のところ、何でプロを受け取ることになったんだ?」

「うーん……何というか、勢い?」


 勢いで、狼を。


「おっかない人だな」

「いやぁ、分かりにくいだけでいい人だとは思うっすけどねぇ?」


 怒っている風でもなく、首を傾げながらキャリバンは語る。


「なんというか、純粋なんだと思いますよ?」




 ◇ ◆




 ――イスバーグ山での任務が正式に決まる前々日。王立研究院の一室にて、キャリバンは非常に緊張した面持ちで師匠が来るのを待っていた。


 その手にはいつぞやクリフィアでヴィーラ運搬に使った水入り桶が抱えられており、ちゃぷんと揺れるその水の中には件のヴィーラが入っている。どことなくキャリバンの緊迫した態度を悟ったのか、ヴィーラも緊張で体が強張っている。

 馬がそうであるように、動物は人間の緊張を鋭敏に感じ取る。

 契約を結んでいる今はなおさら二人の心の距離が近い。


「怒られるかなぁ……」

「みゅぅ……ん」


 もうずいぶん前のことに思えるが、キャリバンは前回の任務で魔物の子供であるヴィーラにファミリヤ契約を「される」というファミリヤ使いとして前代未聞の珍事を起こしている。

 その報告を、一応ながらキャリバンはしに来たのだ。


 仮にも弟子として契約の為のリングまで賜っておいて魔物に主導権を奪われるという情けないキャリバンを見て、師匠は何を思うのだろうか。いっそ恥知らずと罵ってくれれば分かりやすいのだが、そういった分かりやすいリアクションをしてくれないのが彼の師匠である。


「怒られるのも嫌だけど、泣かせるのはもっと嫌なんだよなぁ。俺、何回かやっちゃったことあるんだよ」

「みゅみゅーん……」


 キャリバンの師匠、リンダ・コルテーゼは絶望的に感情表現とコミュニケーション能力が不足した人物だ。


 一度説明を始めると津波のように止まらないし、説明が終わると嵐の後のように突然停止。ちょっとした失言にへそを曲げて数時間口を聞いてくれない事もあれば、ふとした一言にショックを受けて数時間落ち込み続ける事もある。

 逆に何かリンダにとってうれしい成長があると突然部屋を出ていき、十数分後にケーキを持ってきてティータイムに突入することもあり、そこに至る説明をしてくれない。

 とにかく全力アクセルと全力ブレーキしかできない人なのだ。


 表情も変わらないし自分の考えを口にしてくれないのに、感情の起伏が乱高下する困った師匠。その師匠が二人の前に姿を現したのは、それから数分後の事だった。


「……………」

「お久しぶりです、師匠せんせい。俺が買った服、着てくれてるんですね」

「……うん」


 無機質なまでの無表情をぴくりとも動かさないリンダは、小さな声で頷く。

 人間より動物と接する機会の長い彼女は、基本的に仕事用のゴシック調な服を着る時以外はファッションセンスを疑うようなダサい服を着ていることが多く、それを指摘したら泣かれた経験からキャリバンは初任給を費やしてリンダに服を買ってあげたことがある。


 リンダはそれ以来、動物と接する服と私服の区別をつけるようになるという文明開化時代を迎えている。なお、それ以前は動物にじゃれつかれてあちこち破れたダメージゴシック服なる煽情的――もとい前衛的な服装をしていたのはキャリバンくらいしか知らない事実である。


「それで、なに。その桶の中の生き物は」


 端的過ぎて息が詰まるほど核心を突く質問。抑揚のない言葉が得も言われぬ威圧感を与えるが、本人はこれで普通のつもりだ。そう分かってはいても緊張するな、と内心でごちながら、意を決してキャリバンは口を開く。


「実は……師匠から頂いたリングを任務先で使おうとした結果、このヴィーラちゃんに、えー……」

「みゅ、みゅう……!」


 ――言えない。事実上指輪をパクられ事実上の主従逆転契約を結んでしまったなんて言えない。しかもヴィーラの親にまで重ね掛けで保険を付けられたなんて、どうして自分から言い出せようか。

 どう言葉にするか迷っていると、リンダが音もなく近づいてヴィーラをじぃっと見つめる。動物を観察するとき特有の、異常に見開いた目。控えめに言って怖いのだが、指摘するといじけられたので言わない。


「共鳴のリング……正常作動中……リンクは……」


 リンダはそのままヴィーラを見つめ、おもむろにヴィーラのリングと自分の指に嵌めたリングを接触させ、次の瞬間にクワッ!! と目を見開いたと思ったら猛スピードで部屋を出て行った。


「……………ヴィーラ」

「みゅ、みゅん?」

「……師匠をすっげー怒らせたかもしれん」

「みゅーんっ!?」


 悲しませてしまった際はその場に留まってずーんと落ち込むリンダが今回はものすごいスピードで部屋を出て行ったというのは、どちらかというと彼女が怒った時によく見受けられる行動だ。集中講義を受けた一か月間ずっとリンダという生物を観察してきたキャリバンの観察が正しければ、怒っている。


 怒ったリンダは決して自分から部屋には戻ってこない。こちらが赴いて熱心に謝罪し、彼女の意図を理解したうえで訂正をし続けなければいけないのだ。善は急げだな、と内心で呟いたキャリバンは、何はともあれその怒りがヴィーラに向くのはまずいと早々に事態を収束するために立ち上がる――と同時に閉じた扉がバァンッ!! と開いてリンダが突入してきた。


「どぅわぁぁぁぁぁッ!? せっ、師匠!? し、死ぬ程びっくりした……!!」

「これ」

「え?」

「これ」


 圧倒的に言葉が足りないリンダがキャリバンに突き出してきたのは、現在キャリバンが装着しているものとは違う『契約のリング』。何がどういうことなのか事態についていけないキャリバンは目を白黒させた。


「このリングは一体……?」

「そのリングは私のファミリヤのひとり、プロと契約を結んだ特別なリング。プロは人間に気を許さないけれど契約で自分を同等以上に扱う人間にはその狼としての高度な能力を貸してくれる心強いファミリヤ。私のファミリヤの中でも古参で主従関係を嫌う対等な友達だけれども、ヴィーラに心を開き敢えて自分が下の位になることで歩み寄った貴方の高潔な精神を知ったプロは自分がキャリバンと行動を共にすることを承認してくれた。これはあなたがファミリヤ使いとして、いや大自然に存在する一生物としての相互理解の世界に大きく一歩足を踏み出したことへの期待、感謝を込めたもの。受け取って、そしてプロを連れて行って。私はあなたという人間を弟子に迎え入れることが出来たことを誇りに思う。まさか一年と経たず他種族と接することの本質の一つを見つけるなんてえらい」

「はっ、えっ、ちょっと!?」


 ものすごいマシンガントークで一方的に喋り終えたリンダは突如としてキャリバンの頭を抱えこんだ。彼女は停止状態から行動に移るまでがとにかく早いため、仮にも騎士であるキャリバンでも反応しきれない。動物相手に真正面から挑む彼女にとって、人間の捕獲はさして難しい行為ではないのだ。

 そして彼女はごく自然な手つきで、まるで大型動物を撫でるようにわしゃわしゃと愛撫を開始する。くまなく、優しく、弄ぶように。具体的には大型犬を愛でるかの如く。


「キャリバンはいいこ。キャリバンはできるこ。キャリバンはきっと大成する」

「わ、分かりました! 分かりましたからちょっ、あふぅ……!? は、離して……あぁ!? そ、そこをコチョコチョするのはぁ!?」


 一見して乱暴に見えるが、あらゆる動物を撫でつくしたリンダの愛撫はたとえ人間が相手であっても心地よさのツボを押さえており、キャリバンは抵抗できずに情けない喘ぎ声をあげながらひたすら撫でられ続けた。

 ちなみに、愛撫から解放されたキャリバンを待っていたのは放置された悲しみと目の前でイチャイチャされたことへの嫉妬が籠ったヴィーラの全力水鉄砲だった。




 ◇ ◆




「……とまぁ、色々と極端だけど自分の気持ちに正直すぎる人なんです」

「彼女いない歴の長い男の先輩方にはその話絶対すんなよ。リンチにされても知らんぞ」


 どうやらそのリンダ教授にこの後輩は随分と猫かわいがりされているらしい。

 ノノカさんにとっての俺みたいなものなんだろうか。

 まず間違いなく変人であることも含めて共通項が多い気がしないでもない。


「にしても、お前からすれば野生生物より師匠の方が謎が多くて目下研究中という訳か。頑張って相互理解するんだぞー」

「はは、一生かかっても無理な気もしますけどね……」


 俺としてはそうでもないと思う。だってキャリバンに買ってもらった服を大事にしているんなら、キャリバンからの働きかけによってそのリンダ教授も少しずつ変化しているという事だ。そういう意味ではキャリバンは着実に彼女に近づいていることになる。

 まぁ、それは外野の俺が言っても詮無きことだ。


「でも、プロを借りられたのはありがたいっす。スゴイっすよプロは。元々雪山出身だったみたいですから雪の中での活動もバッチリっすし、何より鼻っす! 人間の何倍も鋭いこの鼻があれば、クリフィアみたいなケースでも臭いを手掛かりにオークを追えます!」

「臭い……そいつは盲点だった! そうか、そうだよな。オーク出没前後は犬が怯えたり吠えまくるケースがある。あれは犬が臭いでオークを感じているからだ。とすると、嗅覚に優れたファミリヤがいれば追跡は遥かに楽になる!」

「わうっ!」


 どこか誇らしげに胸を張って吠えるプロに、俺は不思議な高揚感を覚えた。

 王立外来危険種対策騎士団は、今も少しずつ新発見を重ねて進歩している。

 増え続けるオークとの終わりの見えない戦いの中にも、こうして新たな発見をすることが出来る。


「頼もしいねぇ! 困った時は頼んだぜ、臭いのプロフェッショナル!」

「ワオォォーーン!!」


 期待に応えてやろうではないかとばかりにプロの遠吠えが響く。

 ……プロの遠吠えって言い方するとなんか吠えのプロフェッショナルっぽいな。プロの〇〇って付けることに果てしない汎用性を感じる俺であった。


「ところで先輩。何でさっきからプロと距離を取ってるんっすか?」

「何でってそりゃ、あれだよ。俺、イヌ系の動物苦手なんだよ」


 瞬間、ヴィーラがいる為に他の騎道車より暖かいはずの浄化場の空気が凍り付いた。何か言おうともごもごして言葉が上手く出てこないキャリバンの下では、そこはかとなく残念な物を見るようなプロの目線。プロの目線というと目利きの鑑定士みたいだが、それはさておき。


 そう、俺はプロを発見してから決して彼の犬の半径二メートル以内に入っていないし、ヒエラルキー上位の権威を笠に着て頭を無駄に撫でまわすついでに鼻に指を突っ込んでみたりもしていない。別段触れない訳でもないのだが、ただ単純に積極的に近づきたくないだけだ。


「え? ……オークは大丈夫なのに?」

「うん」

「お化けは? 犬は追っ払えるけどお化けは自慢の剣でも斬れないじゃないっすか!」

「昔は無理だったけど今は別に……霊感先輩もいるし」


 ちなみに霊感先輩とはアホの三人組騎士のいっつも壁に話しかけてる方の人である。

 勇猛果敢な王国騎士にとんだ臆病者が混ざっていたものだと言わんばかりにキャリバンは肩をすくめて深いため息をつく。ため息すると幸せ逃げるらしいが、迷信だろう。真実ならば我が方の騎士団に幸せを持つ者は皆無になる。

 ……本当に皆無な可能性には全力で目を逸らすが。


今日日きょうびオークは大丈夫なのに犬を怖がっている人なんて聞いたことないっすよ? いい年なんだしそれぐらい克服しましょーや。カルメに偉そうな事言った手前、自分はしないってのは卑怯でしょう?」

「べ、別に触れない訳じゃねーし! ちょっと子供の頃に犬で嫌な思い出があって苦手なだけだし!!」


 嘗てロザリンドちゃんに会った時にふと思い出した「特に意味もなく犬に追いかけられる恐怖」は実は未だに心の中にしこりとして残っており、俺にとっては現在進行形の話である。追いかけてくるのは犬の本能なので致し方ないと今では分かるが、アホなうえにヘタレで涙と鼻水を垂らしながら逃げていた当時の俺にはとうとう理解しきれなかった。


 なお、犬に追いかけられ続けた結果として常人には果しえない程の陸上走破能力を手に入れたという話は、未だに親友たちも信じてくれない実話だったりもする。あの犬は今頃どこにいるのだろうか。久しぶりに会いたいと思いかけたが、怖いのでやっぱりやめることにした。


 ――なお、のちにこの「犬による捜査」という発想はルガー団長の耳に届き、やがて「調査犬」という新たな家畜のジャンルを開くことになるのだが……それはまだ先の話。

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