第四章 雪山の陰に潜む者

第55話 山は準備が肝要です

 王国全土は島なだけあって開拓も進んでいるが、基本的には手付かずの自然も多い。都心や港、物流の拠点はもちろん発展しているが、目立った産業のない農村などは昔ながらの自給自足に近い生活を送っていたりする。


 貴族レベルになると複数の町の領主だったりもするが、クリフィアに代表される平民に統治された土地が数多くあるのも事実。今回訪れた雪山イスバーグの麓にある村――イスバーグ村もそういった村の一つだ。


 既に寒波が到来し白化粧をめかしこんだ道をひたすらに進み続ける騎道車は、雪にタイヤを取られることなく順調に歩みを進めていく。床暖房なる機能もそれなりに上手く働いているのか、車内も多少はマシな温度になっている。それでも快適とは言い難いが、外気温は氷点下に届こうという中で室内は摂氏十五度以上をキープし、隙間風もないのだからこれ以上は贅沢というものだ。


 だが、快適な旅もここまで。

 騎士団恒例会議室での代表者会議では、既に村と連絡を取ってある程度の段取りを済ませていることが発表されている。当然のように副班長以下の地位の俺が呼ばれていることにはもうツッコまないことにした。


 未確認生物に関する調査、及び生物の発生させる被害の阻止、そして出来れば生物の回収。なお、逃走された際のリスクを考慮して、生け捕りではなく死体回収を優先するものとする……とはローニー副団長の指示だ。生け捕りよりは楽でいい、と騎士団員なら思うだろう。


「まず村長と会って現場を確認し、そこで協力者と共に山の調査をする手筈になっています。最初は少数での様子見ですのでお暇な皆さんは村の雪掻きに精を出してください」

「騎士団の雪掻きが必要なほど降ってるんですか?」

「まぁ例年より少々といった所ですが……村の人は基本的に村を離れることがないため、珍しい来訪者ということで興味津々だそうです。なので、イメージアップ作戦ですよ。食料の融通も利かせてくれるというのですから恩に報いるものがあって然るべきでしょう」


 なるほど、頷ける話だ。どうせ下見を終えるまで大半の団員は暇なのだし、クリフィアと違って協力的な姿勢を示すイスバーグの皆さんとは親しくなっていた方がいい。

 もちろんこれは一般常識に則った思想であり、ンジャ先輩曰く「田夫野人」に分類されると思われる道具作成班アキナ班長は露骨に面倒くさそうな面をしている。


「別に向こうが好きでやるってんなら返さなくとも……わざわざ寒ぅ~い外に出たくないし、道具作成班最大の武器の指がかじかんじまうじゃねーか!!」

「あ、ちなみにアキナ班長以下道具作成班は地元猟師の罠類の仕組みや設置方法を覚えて貰うから全員外に出向ね?」

「ハァー!? なんだそれ聞いてねぇぞ!!」

「恐れながら副団長、うちのトマは雪の中で永遠の眠りに落ちる可能性があるので出向は難しいかと……あ、班長のゴネはスルーでお願いします」

「てめっ、こらザトーッ! オレの話を無視すんじゃねえよ! 嫌だぞ俺は冬の外なんて! 雪にはイヤな思い出しかねーんだから!」

「いい年して駄々こねてんじゃねーよ! 仮にも班長だろっ!?」


 これまた騎士団の名物、アキナ班長とザトー副班長の喧嘩勃発である。

 なお、数秒後にグーパンチでザトー副班長が殴り飛ばされたことによって喧嘩は早々に決着した。相変わらず弱い人である。彼に限らず何故我が騎士団の男性陣は素手の白兵戦に弱いのだろうか。蹴拳術教えようか?


「先が思いやられますねぇ……あ、とくに意味はありませんがヴァルナくんも来てくださいね?」

「了解~。じゃ、防寒着着込んできまーす」

「この可愛い後輩の素直さよ。本当いい年こいて我儘巻き散らすどっかの女に爪の垢を提供してほしいもんだぜ……」

「そんなこと言ってるとまたアキナちゃんにぶたれちゃいますよー?」

「慣れてます……骨だけは頑丈なんで」


 床に転がりながら毒づくザトーを労わるノノカさんを見ると、時々「大人とは何か」という哲学的な悩みを抱きそうになる。


「……誰がいい年こいて結婚もしてない人生イコール彼氏いない歴の仕事が夫残念美人だゥオルァアアアアアアッ!!」

「いやそこまで言ってねぇし美人とか勝手に話盛ってんじゃ――ドゥヴァキッ!?」


 余談だが、ザトーさんの頑丈さは折り紙付きで、彼はあれだけぶん殴られまくっても血の一滴すら流さないことで有名である。噂によると相当な石頭で、オークのこん棒と根競べして勝ったことがあるとかないとか。

 流石に嘘だとは思うが、少なくともフィーレス先生曰く「騎士団で唯一治療室に来ない人」なのは確か。それだけに戦闘能力が低いのが勿体ない人である。鎧要らずの肉壁計画、頓挫。




 ◇ ◆




 ――絵本の世界にでも迷い込んだかのように、どこまでも白い。


 とりあえず、村に辿り着いた際に俺の抱いた最初の印象がそれだった。

 幸いにして雪は小降りだが、積雪は軽く膝の近くまで来ている。これでも村人の皆さんは騎士団に気遣ってある程度雪掻きをしていたようで、騎道車到着場所の周囲には成人男性の身長を越える高さの雪が塀のように聳え立っている。今ここに積もっている雪は、あの雪掻きの後で更に積もったものだろう。


 こんな環境でよく暮らせるものだ。騎士団の方では屋根の上に積もる雪を想定していなかったという問題が発覚して急きょ天候観測係と雪掻き係の抜擢が行われている。

 やっぱりどんなに頑張っても予想外の事態は起きるものだ。

 雪国での落雪は平気で人間を生き埋めにしてしまうらしいのでぞっとする。

 きっと落ち切る前に察知して雪を真っ二つにしないと俺も危ないだろう。


 ガーモン班長が物珍し気に足元の雪を掬い上げると、雪は風に揺られてぱらぱらと零れ落ちた。


「はぁ……雪がパラパラですねぇ。地元でははほぼ雪は降らないのですが、雪ってもっとべちゃっとしている印象がありました」

「乾燥した空気のせいですね。海外には雪ダルマやカマクラという文化もあるそうで、息子が一度はやってみたいと我儘を言ったものです」


 ローニー副団長も真似して雪をつまみながら、唐突に遠い目をする。

 息子さん、反抗期の兆しがあるそうだ。悲しい気持ちにしかならない。


 それはそれとして、俺も子供の頃はその雪だるまやかまくらに憧れた時期がある。しかし王都付近で時々積る雪では決してその幻想的な文化を再現することが叶わない理由がある。


「王都の雪でやったら地面の土やゴミが混じって、汚い雪の塊にしかならないですからね」

「ああ、君もやってみたクチかい? 私も息子とやったんだがね、やはり王都の雪は水分が多すぎるみたいでそれはそれは汚らしい塊が出来たよ。完成する前に息子が「こんなの違うっ!!」って叫びながら箒で破壊したよ」

「アグレッシブですね」 


 ローニー副団長の息子は意外と激情家のようだ。

 しかし、気持ちは痛いほど分かる。


 まず王都の湿った雪では雪玉が転がらない。

 そして転がっても丸い形にならない。

 雪を地面ごと削るので大きくなればなるほど雪玉が小汚くなり、かまくらを作る前に雪だるまの二つ目の玉を作る所で挫折する。あの小汚さは本の世界の幻想をぶち壊すには十分な破壊力だ。

 その点、このイスバーグ山ならきっと子供の頃に見た夢が叶えられるに違いない。ただし尋常ではないくらい寒いが。アキナ班長が鼻水を凍らせながら、のほほんと雪談義をする俺たちを恐ろしい眼光で睨みつけているのがいい証拠だ。


「ノンキに喋ってないでさっさと進めよ……オレは寒いのはダメなんだよ……! というかトマも駄目だしオスマン、トロイヤ、リベリヤ三兄弟も南国育ちだからダメだし!!」

「任務開始前から壊滅状態とか救われないですね」

「俺はまだ動ける!! オメーらが下らねぇ雪の話の為に道を塞がず村長とやらの家に辿り着ければなぁ!!」


 閑話休題。


 村長の家に限らず、この寒村は雪対策にどれも針葉樹のように先端が尖った屋根の形をしていた。家そのものも地面から二メートルは高い場所に建築されており、どの家も例外なく煙突から煙がもうもうと上がっていた。


 美しい町並みだ。雲海のような白に浮かぶ統一感のある家々がなんとも絵になる。しかもこの家は美しいだけでなく機能美に溢れており、それは村長の家に足を踏み入れた瞬間に大きな実感を伴って現れる。


「外は寒いのに、中は温かいものですね」


 ログハウス調の部屋の中は、厚く着込んだ防寒着が煩わしく感じるほどの温かさが籠っていた。気温にして二十度は違うだろうか。騎士団を温かい笑顔と温かいミルクで迎えてくれたファーブル村長は、柔和な笑みで補足してくれた。


「なにせ寒いもんだからねぇ。先人たちがどうすればあったかくなんのか考えに考え抜いてくれたから、こうして冬も凍えず暮らせてるって訳なんですよ」


 なるほど、と納得しながらも俺は不思議と感心した。考えてみれば当たり前のことだが、便利な物に溢れた現代というのは元来そうして受け継がれてきた知恵があるからこそ成り立つものだ。


「俺たち騎士団がオークと戦い始めるよりはるか昔から、この村は寒さや雪みたいな自然と戦ってきたんですね。俺たちの先輩だ」

「いやぁ、騎士様はお世辞が上手い。わしらみたいな田舎者をそんな風に称したのは騎士様が初めてですよ」

「いやしかし、確かにこれは……」


 意外にも、話に食いついたのは伝統など気にしていなさそうなアキナ班長だった。


「雪を想定して二階にも出入り口があるし、窓に嵌めてあるこの板も雪対策なのか? 特にこの暖炉……中で燻製が作れる構造になってる上にポットのお湯を利用して部屋の湿度を保つシステムになってやがる。呆れるくらい合理的だぜ……」


 断わりもなく村長の部屋をうろうろしてはしきりに眺めたり勝手に物を触ろうとして「めっ!」とノノカさんに手を叩かれるアキナ班長に苦笑いが漏れる。外見年齢と精神年齢がものの見事に逆転している光景だ。

 どうやら班長はさっきまでの不機嫌はどこへやら、イスバーグの建築文化に興味深々のようだ。得意な畑の外とはいえど、技術屋として未知の構造には強く惹かれるらしい。


 問題児は別として、騎士団と村の話し合いはスムーズに進んだ。

 そもそもクリフィアのようにモメまくることの方が数としては少数だ。

 今回はそれに加えて準備期間に数日要したことから、情報は事前に伝えられていた内容と相違なかった。


「では、相変わらずその正体不明の魔物らしき白い生物は出没しているのですね?」


 ローニー副団長の言葉にファーブル村長は神妙な顔で頷く。


「ええ。相変わらず山では冬の間も活動している野生生物の死骸が発見されたり山小屋が壊されたり……村の若い衆や女子おなご達はいつあいつが村を襲うかと夜もおちおち眠れない日が続いてましてなぁ。熊や猪なら何とかなりますが、それ以上に大きな相手となると手が出せないんですよ」

「いえ、賢明な判断です。事前知識もなしに下手に手を出せば犠牲を出しかねません。これからは我々が村を……いや」


 そこで言葉を濁した副団長は、こほんと咳払いして言葉を改める。


「冬山に詳しいイスバーグ村の皆さんの知恵を借り、共にこの困難を乗り越えましょう!!」


 そう、今回のこれは騎士団のみでの任務遂行は困難だ。

 俺たちはオーク狩りのプロフェッショナルなので三メートル級の魔物対策そものもは難しくない。だが、騎士は騎士。真冬の雪が積もる山に登って獣を探すマタギでもなければ山の怖さを良く知る登山家でもないのだ。


 ゆえに、真冬という白い雪で閉ざされた極寒と死の世界に立ち向かうには、この村の人々の協力が必要不可欠だ。

 ローニー副団長の熱が籠った言葉に、ファーブル村長は力強く頷いて手を差し出した。もう七十歳を過ぎようかという村長の手には、長年の苦労や寒さと戦い抜いた証のような皺が刻まれている。

 

「村の人間として、手伝えることならば何なりと手伝いましょう。イスバーグ村の知恵と底力、存分にお貸しします!」


 こうして、今回も我ら王立外来危険種対策騎士団の任務が幕を開けたのである。




 ……話を聞かずに村長の家を物色して熊の毛皮を発見したアキナ班長を無視して。


「……毛皮、立派だなぁ。売ったりしてんのかなぁ。売ってないなら俺らが買って転売しようぜ。ホラ、この品質ならイイ値になるって!」

「まぁ確かに立派に加工されてますけど、いい加減に騎士団の仕事しないとヤガラ記録官にまた絡まれますよ?」


 そういえばあの記録官も来年度にはお別れだっけ、などとどうでもいいことを考えつつ、俺は班長の襟首を掴んで皆の方へと連行した。後ろからなら抵抗が少ないというザトーさんのアキナ班長対策マニュアルに従って。

 素晴らしいマニュアルだ。トマ先輩に写本作ってもらおう。

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