第54話 周囲の目も気にしましょう

 昔は鎧を装備しないことにそこはかとないガッカリ感を覚えたが、実際に着ないとなるとそれはそれでいいこともある。


 言わずもがな、鎧は着るのも脱ぐのも手間だ。しかも通気性が悪いのでムレるし、凄く重くて肩や腰、膝にかかる負担が大きい。走ろうとすれば重さと関節可動域が邪魔して余計に体力を消耗する点でもそれは然り。


 何よりも――。

   

「冷静に考えたら雪中行軍に鎧着ていくとか正気の沙汰じゃないですよね」

「そりゃもう、冬の雪山なんて死の世界ですので! 私も嘗てタマエ料理長に付き合わされて大陸の方の山に登ったんですけどこれがまた、鍋に指がくっついて取れなくなって大変だったんですから!! 生皮剥がれるかと思いましたよあれは!?」


 冬山の恐ろしさを語ってくれる料理班の副長さんに為になる話をちょくちょく聞きながら、騎士団の若い衆はいつものようにノノカさんの騎道車で屯していた。全員の手元にはノノカさんが持ち込んで副長さんが調理したほくほくのジャガイモバターが湯気を立てている。


「うっひぃ、手袋外せなくなる話っすねー……」

「まぁ、冬場に手袋を外すのが自殺行為っていうのは雪山じゃなくてもそうだけどね」


 顔を引きつらせるキャリバンの横で、狩猟経験豊富なカルメが苦笑いしながらジャガイモをふぅふぅと息で冷まして、控えめに一口食べた。俺も食べたが、実にほくほくでシンプルながらバターとの相性が抜群だ。あまり王国では見かけない食べ方だが、その辺は流石料理班副長といった所だろう。


 副長さんは二十代後半くらいの女性で、人よりちょっとだけふくよかな体と元気一杯の声が素敵な人だ。確か本名は……スージーさんだっけ。周囲からは副長で通っているので本名を思い出す方が時間がかかる。

 この人は何気に若くしてタマエ料理長に弟子入りしているので、単にポジティブなのではなく経験に裏打ちされた「大丈夫」の中で生きている人である。やだ、騎士より男前。


 さて、どうして皆で集まってそんな話をしているかというと、当然ながら次の任務が雪山付近で行われるからである。場合によっては山登りもありうるという事だし、騎士団メンバーの中で豪雪地帯に足を踏み入れた人間は少ないので貴重な話だ。


「しっかし雪山に出没する謎のモンスターっすか。ビッグフットとかワーウルフとか、後はジャックフロスト?」

「確率としてはビッグフット辺りですけどねー……どれも内陸の魔物ですから、どーにも王国にいるってのが解せないんですよねー。ヴィーラちゃんという例外はいましたが、大体にしてビッグフットなら年中冬景色みたいな環境にしかいませんし、ワーウルフは逆に夏場でもフツーに活動してる筈ですもん」


 寒い場所に生息する魔物を羅列したキャリバンの横では、ノノカさんが難しい顔をして指に顎を乗せている。


 今回の任務の目的は、冬山にいると思われる「魔物と思われる何か」の緊急調査だ。

 これは、騎士団にとって事実上初の、オーク以外での「外来危険種」の可能性が高いとされている。というのも、寒さに弱いオークは基本的に雪の降る地域を嫌うために今回目撃されたそれがオークである可能性は低いのだ。


 なんでも、被害は冬に入った頃から徐々に現れ始めたという。現場では冬眠に入った野生生物の死骸や、建築物・獣用トラップの破壊された痕跡が多く発見され、最初は熊だと思っていた近隣住民もこれはおかしいと考えを改める。

 そしてつい一週間ほど前、とうとう近隣の町はずれで暮らす人が決定的な瞬間を目撃した。


「データによるとその姿は全高おおよそ三メートル。二足歩行で真っ白い毛に全身を覆われた化け物だったと。幸いまだ人的被害は出ていないが、これまで比較的楽だった冬にも活動する魔物が国内に上陸したとなるとマズイなぁ」

「真冬の山なんてベテランだって危ないもんねー。ただでさえ命懸けなのに場所が山とかサイアクだよー?」

「どうなるかはその未確認生命体の正体にもよるっすね。どこぞから流れ着いた一匹だけならいいですけど、万一群れを成したり交雑種でも生まれようものなら目も当てられねぇっす」

「もし雪山以外でも活動して、オークと交わったりしたら……! うう、想像もしたくないです……」


 最大の懸念事項がそれだ。もしも厄介な敵が厄介な特性を持って生まれてきた場合、個体の強さより活動期間や範囲の拡大がシャレにならない。唯でさえ騎士団も活動を躊躇う冬の北方地帯で遠征が多発すれば、しもやけや凍傷、最悪の場合は凍死者や行方不明者を出してしまう。

 ついでにあのへちゃむくれの不細工面に無駄なヴァリエーションが増えるのも非常に気分が悪い。オークの顔のヴァリエーションに詳しいノノカさんも今回ばかりは笑っていられないようで、資料をめくりながら険しい表情をしている。


「オークの交雑種の発生率そのものは低いですけど、過去のデータによると家畜の豚やミノタウロスなんかとも交雑種が発生した事例があります。しかも交雑種と従来種での交雑も可能なので、大陸では地方によって若干オークの外見が異なったりもします」


 耳の形が違うオーク、牙が大きいオーク、尻尾の形状が大きなオーク、素人目から見ると個体差の範疇じゃねーのかと言いたくなるほどみみっちい変化だが、学者にとってはこれで論文が発表できるほど重要らしい。

 しかしそれはいいとして、である。


「ノーノカさんっ?」

「え? ……あ、なんですかー?」


 微妙に口調が固いというか、公の場用の態度になりかけているノノカさんの頬を両手でつまむ。すべすべで非常に柔らかいがそれはさて置いて、俺はその指を彼女の口の両端に持ってきて、むにっと釣り上げる。ちょっと強引だが、スマイルである。


「何をそんなに警戒してるのかは知りませんが、別にノノカさんが怖い顔したから現実が変わる訳でもないんですから、気楽にいきましょ?」

「ふぇふぉ……」


 でも、と言いたげに眉を八の字にする彼女の不安げな顔は本当に子供のようだ。よほどの不安事項を抱えているらしい。だが、不安なことを不安だと言い続けても事態が好転する訳ではないのだから、やることをやり終えたのなら後は堂々と構えて結果を待てばいいのだ。


「ノノカさんの笑顔が見れないって悲しんでる連中もいることですし、気持ちを切り替えて行きましょう。なーに、ノノカさんの知恵と俺らの力があればなんとかなりますって!」


 そう言って手をぱっと放すと、惚けたい顔をしたノノカさんはやっと微笑んだ。

 というより、なんだか自分で自分が馬鹿らしくなったような笑みだった。


「……ふふっ♪ なんだかヴァルナくんがそう言うと本当にどうにかなっちゃいそうで不思議ですね? ま、考えてみれば私だけで解決する問題でもないですし、ここはヴァルナくんから言質を取ったとポジティブに考えておきますね?」

「ご指名とあらば今回も綺麗に獲物を仕留めてきますよ」

「約束を破ったら~……めっ! だゾ?」


 やっぱりノノカさんはいつも元気に笑ってないと、こっちが落ち着かない。

 今はノノカさんもその懸念を口にする気はないようだが、いずれ時が来れば教えてくれるだろう。ノノカさんが俺たち騎士団の期待を裏切ったことはない。外からの出向ではあるが、彼女も事実上は志を共にする騎士団メンバーみたいなものである。

 試しにルガー団長を追放して彼女をトップに据えてみようか。きっと皆喜ぶが、ノノカさんは「書類仕事お願い! ノノカは現場行くから!」と本部の連中を困らせそうだ。


 なお、こういう時に真っ先に絡んでくる筈のベビオンはというと、部屋の隅に設置された豪華水槽でヴィーラにじゃがいもを食べさせてあげていた。何故か恐ろしくテンションが低い。


「みゅーん……?」

「……ああ、いいんだ。墓参りして初めての気持ちを思い出した。幼女が幸せならばそれでいい、そんな基本を思い出したよ……じゃがいも、もっといるか?」

「みゅーん!!」

「あんまり食べさせ過ぎたら太っちゃうから程々にしてくれよー!」

「心得てる。心得てるが……こんなに可愛くおねだりされると手が止まらないんだよ、キャリバン」


 お前は猫を可愛がるあまり太らせてしまう飼い主か。

 余談だが、小食なヴィーラは食べ過ぎるとおなかがまん丸になって泳ぎが下手になるらしい。それはそれで必死に動いている感じが可愛いらしいのだが、何事もやりすぎは良くないものである。




 ◇ ◆




 現在、士官学校では周囲のざわつく大事件が起きていた。


「アマルさん、踏み込みが半歩浅い!! 型は良くなりましたが速度が足りていません! 全身の筋肉が淀みなく伸びるフォームを意識して!!」

「何それ分かんない!! 分かるように言って!!」


 その返答に盛大に顔をしかめた彼女は、やや黙考したのちに言葉を変えた。


「たまに全身が伸びてシュパッとキマる時があるでしょう!! その感覚を意識して出せるようにしてくださいまし!!」

「簡単に言ってくれるんだから……ええい、やぁーーーッ!!」


 剣術の自主訓練に於いて、その二人はいっそ異常と呼べる程に気合が入っていた。今まで品行方正で百合の花のような美しさと慎ましさがあったロザリンドの鬼教官ぶりももちろんだが、これまでヘボとヘッポコの代名詞と呼ばれるほどダメダメだったアマルテアの動きがだんだん良くなっていることも驚きを隠せない。


 つい最近まで朝の挨拶程度しか会話がなかった筈の二人が突如としてタッグ行動を始めたことに周囲は驚いたが、馴れ馴れしいバカという微妙にとっつきづらいアマルと身分差オーラ差格の差の三拍子がそろって更にとっつきづらかったロザリンドのコンビということで周囲は関係を聞くに聞けなかったのだ。


 しかもコンビ初日はだんだん険悪に、そして二日目はいがみ合い、三日目に至っては一緒に行動しているにも拘らず無言。そして四日目以降はこの忌憚もへったくれもない意見の応酬が繰り広げられている。

 半ばヤケになっているようにも見えるが、ロザリンドの指示はだんだんと砕けた言葉が目立ち始め、アマルもアマルでその言葉をアドバイスとして拾えるようになってきている。


 実際、アマルは六の型『紅雀』をほぼマスターしかけているし、二の型『水薙』も少しずつ様になって来ている。以前に木刀をすっぽ抜かして対戦相手ではなく観客から一本を取った頃と比べれば劇的な変化と言ってもいい。

 ところがここでロザリンドが甘い甘いとダメ出しを連発し、全くアマルの成長度合を良しとしない。アマルがそれにムッとして反論すると、反論の余地がないくらい綺麗なお手本を見せつけて「最低でもこの域に達しなさい!!」と言ってのけた。


 かくいうアマルの噛み付き具合も相当だ。少しでも納得がいかないと即座に反論し、話が平行線になった瞬間に「譲歩してあげようか? わたしオトナだし~!」と煽ったりとかなりの悪辣ぶりを連発。されど何だかんだで訓練で手を抜く気配はない。

 むしろ「ロザリンドさんをギャフンと言わせてやるんだから!」と自分の欠点を全部埋めようとする程に火がついてる。本気で正面からぶつかり合ったことで、アマルは自らお得意の責任逃れを自ら放棄したのだ。


 で、盛り上がっている二人はいいのだが、周囲は当然置いてけぼりである。


(あの二人に何があったんだ……)

(同性同士の禁断のあれこれから180度方向性変わってる……)

(なんで嫌いな相手同士で一緒に行動してるんだよ……)

(ロザリンド様になんて馴れ馴れしい口を……キィー!)

(アマルが真剣な顔を……まさか明日王国が滅ぶのか?)


 ざわめく周囲。彼らは二人が王国最強騎士から指導を受けたことや進路の話を知らないので無理もない反応だが、二人はそんなことお構いなしである。


「そこ! 神聖な訓練中に余計な私語は慎みなさい!!」

「ちょっとぉ!! 集中できないから黙っててよぉ!!」


 全く同時にロザリンドとアマルからの罵声。瞬間、二人は互いに同じ事を言っていることに気付いて互いに目を合わせ、「フンッ!!」とそっぽを向いて訓練を再開した。


「やれやれ、基礎の基礎が出来ていないからこれほど遠回りすることになったのですよ!! 反省なさい!!」

「やってればとかそういうタラレバ話はやっても意味ないと思うけど!? 現実見て頑張れない訳!?」

「むっ、それはそうですが……しかし、過去にやっていなかったから今から覚えるのは諦めるなどと甘いことの抜かしていては永遠に成長はありませんわよ!?」

「考えてませんー!! 精いっぱいやってますぅー!!」


 売り言葉に買い言葉でどんどん怒りのボルテージを上げながら、予想以上の体力で訓練の熱まで上げていく二人。言わずもがな目の前でこんなガチンコ特訓をされたら周囲は練習しづらいことこの上ない。居心地悪そうに訓練を続ける生徒を尻目に、ロッソとは別の担当戦術教官は自分の胃が痛くなるのを感じた。


(仲直りでも決別でもなんでもいいから早く終わってくれ……)

「あっ、今ちょっといい感じになったカモ!!」

「その感覚を忘れないでもう一度!!」

「えっ、ちょっとぉ!! 横から口出しするからせっかく来た感覚忘れちゃったじゃない!!」

「わたくしのせいみたいに言わないでもらえますか!? 貴方の集中力の問題でしょう!!」


 互いに一切妥協しないからこそアマルの能力は伸びているのだが、妥協がない分罵声が止まらない。

 繰り返すが、何事もやりすぎは良くないものである。

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