第52話 水と油でドレッシングです

 結局の所、二人の主張はこうだ。


「もーウンザリ! 私、頭でっかちのロザリンドさんから教わるのは諦めます! やっぱりセンパイが色々と教えてくださいよ!」

「わたくしも頭がカラッポのアマルさんにこれ以上道理を教えるのには疲れましたわ。彼女の面倒はわたくしには荷が勝ちます」

「話は分かった。アマルの剣の練習相手としてロザリンドを指名したことを撤回しろって訳だな」


 まぁ、この水と油加減では一緒に行動する事を諦めるのも無理はないと思う。


 俺だってもしオルクス辺りの特権階級と仲良くしろと言われたら多分無理だ。そもそも平民騎士という存在そのものを疎んでいる彼は、心底俺の存在を軽蔑している。俺とあいつが上手くいっている時というのは俺が媚びまくりの下人になった時か、俺がオルクスを非道徳的方法で黙らせたときだけだろう。言うまでもなくどっちも人間関係としては最悪の部類である。


 ……しかし、だ。


「俺は発言を撤回しない」

「えっ?」

「と、言いますと?」

「以前に伝えた通りだ。アマルはロザリンドちゃんに教えを乞い、ロザリンドちゃんはそれを受けて形にする。先輩命令だ」


 瞬間、二人から向けられる視線の温度が一気に下がる。言葉には出ていないが、どう見ても「てめー人の話聞いてたのかアァン?」という軽度の苛立ちが視線に込められている。何なのだろう、この年下の女の子を敵に回した際の説明不能な不安感は。


 でもダメだ。今回は騎士団の先輩として引かない。

 安易な道を選ぶ前に、本気で努力をして限界に挑戦すべし。


「お前ら卒業まであと何か月だ?」

「え? ええと……四か月くらい、かな?」

「それとわたくし達の要求が受け入れられないことと、何の関係が?」


 ひぃ、ふぅ、みぃと指で数えるアマルを尻目に鋭い目つきで瞬き一つせず見つめているロザリンドちゃんの視線が痛い。話を逸らした訳じゃないのだからそんなに睨みつけなくてもいいだろうに。

 さて、少しばかり現実的な騎士団の話をしよう。


「騎士団の人事異動は基本的に年一回。万一致命的に相性が悪い人間と同僚になったとしても、単純計算で一年間は近くにいなければならない。お前らが過ごす期間の三倍だ……もちろん人事異動で本当にその人物と違う部署とかに行けたらの話だけど」


 もちろん途中でどちらかが不慮の事態で騎士団を去ったり、ロザリンドちゃんの要求が通って一緒に騎士団に入ってきたりとかすれば話は変わってくる。だがそれは敢えて触れず、もっと重要な部分に踏み込む。


「騎士団に入ってからも君らみたいな波長や性格の合わない人間が出てきた場合、一緒に仕事をする以上は『嫌いだから協力しない』は出来ない訳だ。それは騎士団であろうがなかろうが仕事において許されない」


 そりゃ多少は人事も相性や好き嫌いを加味はするが、だからと言って特定の人物の為だけに組織の構造を組み替えていては秩序が成り立たない。ある程度嫌いでも、仕事に支障をきたさない程度の信頼関係は築いてもらわねば困る。


「お前ら、騎士になっていざそういう事が起きた時、上司や先輩に『合わないから人を替えて』なーんて頼んで通ると思うか?」

「うっ、それは……」

「通らないんですか?」

「通らないに決まってんだろ。ガキじゃないんだから察せ」

「えぇーそんなぁ!」


 言葉に詰まるロザリンドと違って本気で我儘が通らないことに驚いているアマルは世間を知らなすぎる。もしかして俺の地元並みにド田舎から来たので都会の事情を知らないのではと思わないでもないが、とにかくこれで彼女はまた一つ厳しい現実を知ったということでいいのではないだろうか。


 ともかく、嫌いだから一緒にはやらないというのは思考放棄だ。仲良くなれないにしても、二人はもっと相手の事を知り、どうすれば支障なく共に事に当たれるかを模索する努力を知るべきだ。


「ま、そういう訳だ。何も卒業まで仲良くしろとは言わないが、これは俺からお前らへの試練と考えてくれや。期限は冬季試験まで、それ以降の付き合いに関しては君らの判断に任せる」

「ムリ! ヤダ!」

「即答しおった……」


 0コンマ一秒以下という電撃的なレスポンスで根を上げるアマルに俺は腰砕けになりそうになった。果てしなく苦難が嫌いで自分に正直で志の低い回答である。いよいよを以てロザリンドちゃんが彼女に向ける視線が絶対零度だ。

 ぶっちゃけイヤだからしたくないのなら強要はしない。強要はしないが、しなかった場合に待っているであろう残酷な現実については目を向けてもらう。


「取り柄のないお前がこのまま騎士団に入っても、勉強も仕事も戦いもできない人間はヘマをやらかして記録官に目ぇ付けられてクビになるだけだぞ?その辺の締め付けは厳しいしな」

「……ぅぁう、クビは、困ります」

「なら答えは決まりだな」


 クビと言った瞬間、一瞬だがアマルの瞳の奥が激しく揺れた。

 そもそも――考えてみれば、自分が苦しいのがイヤだというのなら今この時点まで士官学校を逃げ出していないのも、そして『そもそも士官学校に入ったこと』もおかしい。なぁなぁでこなすとはいえ、士官学校の教育は相当に厳しいのだ。


 本当に根性なしなら絶対に根を上げて夜逃げする。

 つまり、彼女には騎士になるという強い意志か、或いは理由が存在する筈だ。

 

「俺に見せてみろ、騎士になるという覚悟をさ」

「……センパイ、意外と厳しい人ですね。でも私、家庭の事情とかいろいろあるんで……もうちょっとやってみます」


 意外にも、アマルは俯いたり悩むそぶりを見せずに即決した。

 それが思慮が浅いが故の返事なのか、それとも決断力なのか、次の任務が終わって王都に戻ってきたころに明らかになることだろう。

 さて、片方はいいとしてもう片方はどうだろう。


「ロザリンドちゃんはどうする?」

「……ヴァルナ様も、そういった相性の悪いお方がいらしたので?」


 ロザリンドはほんの微かな疑いを含んだ質問を投げかける。人に偉そうに喋っておいて自分はそんな経験ありません、なーんて言われたら大体の人は理不尽に思うだろう。しかし大丈夫、俺の場合は現在進行形だ。


「俺は聖人君子じゃないんだぞ。今現在同室の同僚にだって俺ぁ未だに不満があるよ? 昼間っから酒飲んでるし、空瓶放りっぱなしにするし、たまに責任押し付けてくるし」

「控え目に言っても下卑た人ですね!?」

「お隣に住んでたオジサンに似てるー! 上手くいかないのは奥さんのせいだーってよく管を巻いては当の奥さんに蹴っ飛ばされてた!」


 誰とは言わないがろくでなしのナントカ先輩の事である。そしてアマルの家のお隣さんの奥さんはちょっと暴力的すぎる気がする。普通は逆じゃないだろうか。いや、暴力亭主それが普通になったら世も末だしいいのだが。

 ちなみに不満を持つ相手はオスマンたち三兄弟やルガー団長を含め複数いるのが腹立たしい所である。


「……ヴァルナ様はまだ入団二年目。まだ入団もしていないわたくしが音を上げるのは、弟子入りを志願する身として余りにも憫然びんぜん……!」

(センパイ、ビンゼンってなんですか?)

(うん、俺も知らん。話の流れからして情けないとかその辺だと思うけど)


 そんな間抜けな会話は聞こえていないのか、ロザリンドは激しく葛藤しながらぬぐぐぐ、と苦しんだ末、絞り出すような声を漏らす。


「恐れながら、冬季試験まであと二週間弱しかない今からそれをせよというのは些か無理のある話でございます。なので――」

「そういう理不尽な時間制限がついてるのも騎士団あるあるだよ」

「えぇ~……そんなあるあるってヤだよぉ!」

「王立外来危険種対策騎士団……一体どれだけ不遇な扱いなのですか……!」


 新人たちが早くも騎士団の実情の片鱗に恐れ慄いている。

 知りたくば入ってみるがよい。幹部候補生として盛大に歓迎すると同時にギュウギュウの本棚のように隙間のないスケジュールをご覧に入れよう。休暇は年間五十日くらいしかないぞ。

 だが、先ほど何かを言いかけたロザリンドちゃんがはっと我に返る。


「って、そうではなくてですね! これだけの無理難題をこなすのならば、それ相応の報酬をいただきたいと思うのですが!」

「ん? 報酬か……確かにモチベーション向上には報酬が必要だよなぁ」


 俺も流石に給料が出なかったらオーク狩りはやってられない。

 無償の愛だの愛国心だのと言えば聞こえはいいが、対価の伴わない労働は奴隷のやることである。これが騎士団なら「笑わせんなバーカ!」と温もりのない罵倒を浴びせられるところだが、ここは彼女たちにやる気を出させる為に報酬を盛っておこう。


「よーし、出来たらお前らにお願いチケットをあげよう。一枚につき一回、俺に無償でお願いが出来るシステムだ」

「なんですかその肩叩き券みたいな家庭的システム!? ……ちなみにどの規模のお願いまで聞いてくれるんですか?」

「予算三十万ステーラ以内、かつ反社会的な行為や俺では実現不可能なお願いはナシで。言っておくが三十万ステーラ頂戴とかチケット増やしてとかふざけたこと頼んだらチケット没収だかんな」


 金の匂いを嗅ぎつけて目を輝かせるアマルに釘を刺しておくが、それでも上限三十万ステーラの願いとなれば収入のない彼女には大きな代物の筈だ。そしてこのお願いはなにも金銭的な問題だけに関係するものではない。


「別にわたくしはお金に興味は……」

「ほほう。では俺がバウベルグ公爵家に赴いて一緒に豚狩り騎士団行きを説得するってのはどうだ?」

「……!? い、今の言葉に二言はありませんね!?」

「君に目標達成が出来ればの話だけどね?」


 予想通りがっついて来た。やはり彼女にとってそこが一番のネックだったようだ。

 勿論約束は違えない。ただし俺は正直彼女が本当に目標を達成できる可能性は低い方だと思っている。そして出来れば結果の如何に関わらず「今のわたくしは未熟の身。弟子入りより前に別の騎士団で修練を積んでから出直しますわ」とか言って欲しい。最終的にそれが一番丸く収まるから。


 いや、情けない願望はやめよう。

 人生いつも塞翁が馬。なるようになる。


「じゃ、同意したところで二人とも停戦の握手を!」

「……どうか足だけは引っ張らないでくださいな、アマルさん?」

「ロザリンドさんの性悪で人の気持ちがわからない所はグッと堪えてあげるから感謝してよね?」


 二人はニコリとも笑わず、しかし報酬には猛烈に惹かれるものがあるのか非常にドライな停戦条約を結んだ。互いに差し出して握りあった掌がギリギリ音立ててるけど本当に大丈夫かね君たちは。早くも後輩二名の未来が前途多難である。


(……ま、こんだけの無茶を本気で乗り越えられたんなら騎士団入りしても何とかやっていけるか。最低限振るいにはかけたし時間も稼げたんだから、後の事はひげジジイに判断を任せるか)


 時間稼ぎをして、どっちにも転ばせられるよう条件も付け、一応ながら本気で入団する際に使い物になるかのチェックまで漕ぎつけたのだ。公爵家の説得問題に関してはひげジジイに丸投げさせて貰う。

 先にも言ったがこの案件、俺個人では判断がつかないアングラの事情が絡んでいる。

 

 『ロザリンドが使い物になるかの判断基準』としての試練。

 結果如何ではひげジジイにとってもプラスの印象を持たせられるようにはした。俺が昨日のうちにジジイに報告せずにこの試練を設けたことがロザリンドにどう働くかは未知数だが、これが組織に属する俺にとっての最大限の譲歩のつもりだ。

 

(アマルが言ってたな、「大人たちに勝手に未来を決められたら可哀そう」……か。あの時の約束、破りたくはないな)


 ロザリンドが本気の結果でひげジジイを頷かせることをほんの少しだけ期待してしまうのは、俺もまだまだ青二才だという事だろう。そんな事を考えながら、俺は食事代の伝票に目を落とした。


「……うわぁ」


 本日の支払額、容赦なしに一番高い食事を頼んだロザリンドと大量に食べたアマルと俺の三人しめて料金六万七千八〇〇ステーラ也。安いとは言い難い出費に、俺はなぜか少しだけ目頭が熱くなった。こんだけ金を使わされてやっぱり協力は無理でしたと言われたら、俺の方がダメージが大きいかもしれない。




 ◇ ◆




 王立魔法研究院の一角――生物関係の学者が集結する塔の一室で、オークの死体を前に集まっていた数人の人物。彼らは一様に動揺を隠せない表情で周囲の顔を見回し、解剖を主導した一人の女性に視線が集まっていく。


「ノノカ先生、これは……まさか去年のアレと同じ……?」

「そう考えざるを得ません」


 毅然とした態度で女性――ノノカは断言する。

 同時に、共に解剖を行っていた数名がざわめく。

 彼らの表情にあるのは驚愕、興奮、そして少しばかりの恐怖。


「まさか、あの環境以外でもこのような個体が現れるなんて! やはり王国のオークは独自の進化へと向かっているのか……?」

「由々しき事態ですよ、ノノカ。王国に報告が必要です!」

「なんてことだ。もしオークがこの方向性に特化すれば、オークの生態の前提が覆る!」


 ただの一匹だけならば突然変異で片づけられたのだ。

 それが、今度は複数匹にその特徴が表れている。

 すなわち、オークにとって「その進化」は既に始まっているのだ。

 生命力も繁殖力も豊富で、高い環境適応能力を誇る彼の醜い緑の隣人に訪れた大きな転機は、人間にとっては余りにも恐ろしい事実を内包している。


「北の一件、やはり確認が必要ですね。もしも予想通りなら、事の発端は北です。幸いまだそれほど広がっていはいない……場合によっては徹底的に掃討しなければいけません」

「……っ」


 解剖に付き合った学者の一人がごくり、と生唾を飲み込む。

 ノノカは学者であり、特定の生物を滅ぼすことに必ずしも肯定的ではない。そんな彼女が「徹底的に掃討」などという物騒な言葉を使っていることに、周囲も今一度事の重大さを実感させられる。


「騎士団の方では今回の件もあり、既に本格的な北方遠征の準備が進んでいます。そこで確証が得られるまで、この件は外に漏らしてはいけません。これは研究院の守秘義務です……いいですね?」

「は、はいっ!!」


 全員が頷いたのを確認し、ノノカはオークの死体に魔法による冷凍処置を施して解剖室から死体を運び出し、厳重に保管した。一見して普通の――しかし、二つの「異常」な特徴を有するオークの死体。


 それは、王立外来危険種対策騎士団に迫る新たな苦難の前兆を意味していた。

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