第48話 見当違いな気遣いです

 人間、いつだって間が悪いという時がある。


 よりにもよって最悪のタイミングで、なんてことはよくあること。余りに間が悪いと自分が呪われているか運気が下がっているのではないかと思えてくるのだが、運気の上がるぱぅわぁストーンを部屋に飾ってある俺の運は人並み以上に高いはずだ。

 よって、運気がどうだろうと起きるものは起きるという世界の真理が成り立つのである。何やら呻き声が聞こえるロザリンドちゃんの部屋の前で、俺とアマルは顔を見合わせた。


「なんか、よく分からんが俺って物凄く悪いタイミングで来ちゃったかな?」

「う~ん、あのロザリンドさんに限って見られたくない物とか部屋に置いてはいないと思うんだけどなぁ~……センパイの顔見てからドア閉じたし」

「やっぱりアレかな? 女の子はお出かけ前や人を呼ぶときは身なりとか整えないとってことかなぁ?」


 一応ながら帯剣している俺が騎士だというのは見れば伝わる訳なので、少なくとも騎士としてはこちらが目上の存在ということになる。それを気にして彼女はお化粧をしに行ったのかもしれない。


 都会に来て驚いたのが女子の化粧だ。

 普段が不細工だなんてことは決してないが、休日に町へ出かける化粧済女子は訓練中の顔と別の顔でもくっつけてるのかと思うほど綺麗になる。セドナでさえ化粧で更にランクアップするのだから、これは彼女たちが化粧に拘るのも無理はないなと戦慄したものだ。


 あまり部屋の近くで待機するのも盗み聞きみたいで悪いと思った俺が部屋の扉から少し離れると、アマルちゃんがつんつんと控えめに俺の肩をつつく。


「どした?」

「あのぉ……訓練つけてもらうのは嬉しいんですけど、センパイは本当にロザリンドちゃんの豚狩り騎士団行きを諦めさせちゃうんですか?」

「俺も一応騎士団の将来を考えなきゃならないんでね。軽々しく決める気はないが、基本はその方向で行かせてもらう」

「……大人たちに勝手に未来を決められたら、可哀そうです」

「うっ……」


 ぼやくアマルの目は、少しばかり非難がましい。

 確かに大人の都合で若人の道を歪めようというのは褒められた行為ではない。いつの間にか俺も汚れた大人になってしまっていたのだろうか。あの青かった青春の日々が果てしなく遠くへ行ってしまった気分である。


 しかし、集団のために個を引っ込めるのは社会で必要だ。それに理想や希望だけを選んで人生が送れる人間は稀だろう。こちらにだって都合がある以上、かわいそうだからというだけの理由では俺も引けない。さぁ、後輩にガツンと大人の生き様を見せつけるんだ、俺!


「……………直に会って、覚悟が本物だったら俺も無理には止めないよ」

「センパァイ! 私……私、信じてましたぁ!!」

「ははは、俺だって後輩は可愛いもんだよ……はぁ」


 ひしっ! と、腕を抱きしめて頬ずりしてくるアマルに揺すられながら、俺は乾いた笑顔を浮かべた。大人の生き様とはどうやら他人に嫌われない玉虫色の回答の事を言うらしい。いわゆるゴマすり人間である。

 何事もなく普通に感情にほだされ負けている俺を笑いたければ笑うがいい。それでも、騎士を諦めろと言われて嫌だと吠えた若かりし頃を思い出してしまった俺には、アマルの言葉を否定する資格がない気がしたのだ。俗にいう『お前が言うな』という話である。


(それに公爵家とはいえあの若さで教官を脅したようなタマだ。案外と自身が騎士団に入ることで発生するリスクも考えてるかもしれん)


 それを乗り越えられると言うのなら、もう俺からつけるケチはない。

 その時は、並んで戦場に立とうではないか。


 さて、お色直しが終わった数分後。


「ご機嫌麗しゅう、騎士ヴァルナ様。貴方の勇名は今や国中に轟いています。若くして高名であらせられ、王国の頂点に立つに相応しい剣術の達人である貴方様と出会えて光栄ですわ?」


 準備を終えて部屋から出てきたロザリンドちゃんは最初の「はぇ?」から続く一連の発言を一切感じさせない貴族然とした優美な対応を見せてくれた。勝手な想像だが、彼女は完璧主義か、或いは凄まじい意地っ張りである。


 凛々しくも柔らかさを感じる、高位貴族特有の風格。無駄なく絞り込まれつつも女性らしさを残した肢体。ポニーテールに纏めた美しく靡く金髪は、可憐な彼女から「弱い」という要素を削り取り、美しさと力強さだけを残していた。

 そんな姿を見て、思わずぽつり。


「最初の反応と全然違うな」

「あれは忘れてくださると言ったのですから、忘れてくださいまし……」

(ロザリンドさんのテレ顔かわいい……)


 顔を真っ赤にして絞り出すような声を出したロザリンドちゃんの姿は非常に可愛らしかった。本音の部分を漏らすまいと必死に抑えている感じがこれまで接してきた女性陣には見られなかった反応で新鮮だ。特に意味もなく甘やかして反応を見たくなる。


 ただ、事情を話してアマル強化計画ついでに訓練に付き合う旨を伝えると、一瞬だけ獅子を彷彿とさせる眼光を見せたのちに「協力します」と呟いた。


(あの一瞬……まるで獲物を見つけたように食いついたな。今も抑えてはいるが、すぐに剣を振りたい衝動を抑え込みすぎて逆に物静かになってら。なーんか昔のセドナと俺を足して二で割ったような感じだな)


 剣以外に勝てる所がないと必死こいて戦いに打ち込んだ俺と、剣術がダメなくせにいつも剣術訓練を待ちきれずにソワソワしてたセドナ。二人を足して2で割ったら丁度彼女ぐらいになるだろう。

 彼女が二年早く生まれていたら、俺、アストラエ、セドナと一緒に騎士団の未来を引っ張る誓いを立てていたのかもしれない。そう思うと、年月というのは人間の出会いにとって途轍もなく重いのだなと実感できる。

 センチメンタルな話はさておき、訓練場に着いた俺たちはそれぞれ木刀を握る。

 思えば気まぐれでここに来てから随分遠回りしたものだ。


「で、わたくしは一体何をすればいいのかしら、アマルテアさん?」

「えっ? それはえーっと……何でしたっけセンパイ?」

「何ってお前、自分の事なのに忘れたんかい……」


 こてっと首を傾げるアマルに、思わず目頭を押さえて唸る。流石は背中についてこいと言ったら背中にぶら下がってきた少女。あの後色々とあったから目的を見失う気持ちは分からないでもないが、自分の将来にも関わるんだから覚えておいてほしいものである。こういう物忘れが多いと騎士団に来てから怒られまくるぞ。


「二の型『水薙』と六の型『紅雀』。お前さんにはこの二つの奥義をマスターできる素質がある。この二つがあれば試験で成績を残せると言ったら、お前が信用ならんというから信用できるよう実践を見せてやろうと言ったんだろ?」 

「あ、ああー! そうそうソレですよぉ!!」

「奥義……奥義? アマルテアさんが……?」


 やっと思い出したのかアマルはぺちんと手を叩く。その後ろではロザリンドちゃんが「マジかよ信じられねー」みたいな驚愕を隠し切れない顔をしている。そこはかとなく失礼千万である。

 いや、気持ちは分かるが。もう冬になってるのに未だに一つも奥義を使えずフラフラしていた彼女に剣の才能があるとは夢にも思わなかっただろう。本当にどうやって入試を突破したんだこの子は。双子の妹で代理受験か?

 ……いや、オスマンたち三兄弟の事故以来その辺は厳しいので無理だろうけど。


「今から二の型と六の型だけで戦うとどうなるのか――つまりアマルが目指すスタイルを俺なりにやってみる」


 とんとん、と木刀で地面を軽く叩いて感触を確かめながら、こういうのは久しぶりだな、と内心で懐かしむ。生徒だった頃の相手は専らアストラエで、見せる相手はセドナと相場が決まっていた。

 今度の相手は後輩――騎士の貫禄というものを示してやりたい。


「ロザリンドちゃんはそこまでと言うまで俺に攻撃。あくまで指標を見せるだけなので俺は積極的には攻めない。遠慮せずかかってこい」

「それは、奥義二つのみでわたくしの相手をすると?」

「そうだが」

「――少々、甘く見積もりすぎでは?」


 瞬間、訓練場を漂う空気がパリッ、と凍り付く。

 ロザリンドちゃんから放たれる殺気と怒りの混ざった気配。

 自らを低く見積もった相手に相応の報いを受けさせようという、そんな気概を感じさせる威圧感だ。それだけの自負と誇りがあるということなのだろう。


「教官から話をお聞きになられたのなら当然ご存じとは思いますが――わたくし、剣術に関しては教官を超えた自負がございますわ。その剣を王国攻性抜剣術の二つの秘伝のみであしらおうというのは、些か自信過剰が過ぎるのでは?」


 彼女は既に十一の奥義を習得しているとロッソ教官からは聞いている。その事実だけ取ってみれば、俺の世代で剣術ナンバーツーだったアストラエを越える才覚の持ち主だと言えるだろう。年齢差はたったの二年。当然油断してかかれる相手だとは思っていない。

 そんな彼女にしかし、俺は挑発するようにふてぶてしく笑って見せた。


「甘く見積もっているのは君のほうだ。君は剣士であり、されど戦士ではないということを教えてやる――ゴタゴタ抜かさず打ち込んで来い」


 その言葉に、言葉と共に放った俺の戦意が本物であることを悟り、同時にそれに気圧されぬ気迫を噴出したロザリンドちゃんが木刀を掲げて叫んだ。


「……ッ!! ――士官学校騎士候補生、ロザリンド・クロイツ・フォン・バウベルグ!! 家名と誇りを賭けて、参りますッ!!」

「王立外来危険種対策騎士団、騎士ヴァルナ……参る」


 教えてやろう、アマル。

 お前が軽視した二つの奥義の使い方を。


 教えてやろう、ロザリンド。

 お前の才能と実力が本物であろうと、現段階ではアストラエどころか『セドナにも決して勝てる実力ではない』ということを。




 ◇ ◆




 正直に言えば、侮られたと感じた。


 王国最強騎士とはいえ、やはり人間は慢心といった油断や腐敗から逃れられないのだろうか。その辺の騎士より実力の高い士官学校教官を打ち負かせる腕前は決して安くない。むしろ、そこいらの騎士なら打ち負かせる自信と自負がロザリンドにはあった。


 あの御前試合で見せた姿なら、確かに勝てる気がしなかった。しかし、究極奥義どころか他の多くの剣技を封印しても勝てると目算されている現状にひどい苛立ちを抑えきれない。


 安い剣士じゃないことを分かってほしい。

 それでも侮るというのなら、認めさせるしかない。

 だからロザリンドは啖呵を切った。憧れの人間に自分を見てほしい一心で、自分の腕前ならば彼を失望させることはないと信じて。


 帰ってきたのは、驚くほど冷たく、そして重い言葉だった。


「甘く見積もっているのは君のほうだ」


 瞬間、周囲の温度が一瞬で吹き飛び、覇気が木の葉を揺らした。

 凄まじいまでの威圧感が全身にぶつかり、息が詰まる。

 怒らせた、のではない。騎士ヴァルナはふてぶてしい笑みを湛えている。ただしそれは好色とか愉快とかそういった純粋な笑顔ではなく、ただ単純に――。


「君は剣士であり、されど戦士ではないということを教えてやる――ゴタゴタ抜かさず打ち込んで来い」


 戦いを知らぬ餓鬼に本物の戦いを教える為の、獰猛なまでの生物的攻撃性が剝き出しになっていた。


 その辺の衛兵程度ならそれだけで腰を抜かしそうな威圧感にロザリンドは頭の中が真っ白になり――しかし、一周回って自分が木刀を握っていることを思い出して思考が戦いに切り替わる。


(馬鹿ですわ、わたくし。ヴァルナ様と戦ったこともないのにもう実力を勝手に推し量るなんて!)


 条件が何であろうが、ヴァルナから感じる気配には微塵の隙も緩みも感じられない。彼の思考に戦い以外の不純物は入っていない、まさにロザリンドが見惚れたあの勇姿そのもの。甘く見るななどと自分でほざきながら、甘く見ていたのはこちらだ。

 僅かにでも隙を見せたら、この勝負は一瞬で終わる。

 訓練だろうがハンデがあろうが、ヴァルナという騎士はそういう存在なのだ。


「……ッ!! ――士官学校騎士候補生、ロザリンド・クロイツ・フォン・バウベルグ!! 家名と誇りを賭けて、参りますッ!!」

「王立外来危険種対策騎士団、騎士ヴァルナ……参る」


 低く、決して大きくはないのに嫌に耳に響く名乗りと共に、戦いは始まった。


「ハァァァァァッ!!」


 気合一閃。瞬時に踏み込んだロザリンドは『五の型・鵜啄うたく』を繰り出す。

 東洋では唐竹割とも呼ばれる最もシンプルで、しかし最も奥深い一撃だ。剣にとって上から下へというのは重力に従った最も速度と重さを両立できる型であり、更に剣が命中場所に対して垂直であるほどに衝撃と破壊力の逃げ場がなくなる。

 ロザリンドにとっては最も多用する一撃だ。初手からこの一撃を受けた相手は大抵が後手に回って無理な態勢での防御を強いられ、姿勢がぐらついたところを狙って突き崩すのが必勝パターンになってる。


 だが、ヴァルナはその一撃を焦るでもなく正面から見据えながら、五の型・鵜啄の剣の軌道にすっと刃を添えた。

 次の瞬間、自分の一撃が流れるように抵抗なく横に逸らされ、ガードすらされずに空振った。


「なっ……!? まさか、水薙!?」


 驚愕に思わず叫ぶ。水薙は受け流しからのカウンターを狙った技だが、実際には相手の攻撃を受け流す為に強引に剣の腹を当てて押し流す事が多い。よしんば綺麗に流せても、それは相手が次に繰り出す剣技を予め予測し、その予測が当たった時に上手くいく。

 実践的な訓練においてこれほど抵抗なく、まるで滝を割るように美しく受け流すのは、曲芸レベルの実力がないと無理だ。

 目の前でそれを平然とやってのけたヴァルナの冷たい目がロザリンドを見下ろす。


「どうした、威勢がいいのは最初だけか?」

「くっ!! まだまだですわッ!!」


 己が最も得意とした技の一つが容易く受け流されたことで、ロザリンドの闘争心に火が付く。

 一の型・軽鴨の居合いを放つも瞬時に間合いの外に出られる。すぐさま六の型・紅雀で追撃する――と見せかけて三の型・飛燕に移ろうとするが、今度は急激に間合いを詰めて木刀と木刀がガコンッ!とぶつかり合い、移動ルートを潰される。


「こんな、弄ぶように!? でも……やあぁッ!!」


 瞬時に木刀を弾き、九の型・打翡翠うつせみで近接戦闘に移る。

 先ほどの鵜啄を上回る重く鋭い斬撃だが、また受け流される。

 木刀を弾き、次々に攻め立てるが、ヴァルナはまるで動じず一つ一つの動きを丁寧に見極め、避け、受け流し、そして潰す。この戦いの主導権も勢いも、すべてはヴァルナが支配していた。どれだけ必死になって足搔いてもロザリンドの木刀はヴァルナに攻撃に移らせないのが精いっぱいであり、全身に加速度的な疲労が蓄積していく。


 ヴァルナは宣言通り――いや、それどころか水薙以外の奥義も裏伝技も使っていない。特別な動きを何一つせず、おそらく全力で攻めてもいない。足搔いても足搔いても、届かない。そして――。


「六の型、紅雀」

「あっ……」


 それは、間合い的にも物理的にも本当に隙間の隙間の、わずか数センチのガードの緩みにピンポイントで差し込まれた、正確無比な一撃必殺の刺突。必死にそれは見せまいと抵抗していたにも拘らず生まれてしまったその隙に、まるで針に糸を通すように一撃でヴァルナの木刀は潜り込んだ。


 体には当たっていない、寸止めだ。しかしこれが本物の戦いだったとしたら、ロザリンドの体は一撃で串刺しにされていただろう。それほどに、完璧な一撃だった。


「そこまで、でいいな?」

「ええ……完敗、ですわ」


 負けた――大口を叩いた甲斐なく、無残に敗北した。

 ロザリンドは思わず俯き、唇をかみしめ、木刀をギリギリと握りこんだ。

 胸の内から溢れ出る衝動を抑えようと必死になった。

 だが、人生で初めて夢中になった人の目の前で、それは抑えきれず――。


「……悔しいか? 励ますわけじゃないか、動きは良かったよ。だがそれだけで勝てるほど勝負は――」

「やはり……やはり……!! わたくしの居場所は貴方様の御傍でしたのねッ!!」

「――はいぃ!?」


 差し出されたヴァルナの手を両手で受け止めたロザリンドは、感涙を流して心の底から破願した。

 こんなにだらしない顔を見せたくはなかったが、それでも涙腺や頬の紅潮と緩みを抑えきることが出来ない。やはり自分は間違ってなどいなかったし、騎士ヴァルナは期待を上回る計り知れない人物だった。


「ヴァルナ様! 貴方は美しい……! わたくし、改めて決めましたわ……貴方様に弟子入りさせていただくことをッ!!」

「あっれー……励まそうと思ったらなんだこの、なんだこ……なんか俺の予想を悉く突き抜けるリアクションしてるのに戸惑いが隠せねぇー……!」

「も、もう一度手合わせを……あ、あらやだわたくしったら約束を反故にしてはしたない! でも、でもまたやりたいのです! もっとわたくしを剣の深みへと誘ってくださいまし!!」


 ヴァルナが小声で何やら呟いたことは、興奮冷めやらぬロザリンドの耳には全く届いていなかった。

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