第47話 初対面は突然です

 公爵家――といえば、限りなく王族に近い非常に高貴な血筋である。


 同じ特権階級でもその辺の金持ち商人と公爵家とでは月と鼈(スッポン)。

 貴族内でも爵位第一位の公爵と一段下の侯爵では、財力も領地の広さも王家からの信頼も権威も天と地ほどの差がある。その差は例えるなら食費を切り詰める貧乏平民と毎日贅沢三昧に食べまくる商人ぐらい……よほどの幸運と出会いに恵まれない限りは差が埋まらないと言って差し支えない。


 公爵家ともなるとその子供を騎士にして武勲など無理に狙わずとも栄光を約束されているようなものなので、騎士団に入ることはこの王国ではまずない。騎士になる貴族は男爵とか子爵辺りの歴史が浅い家柄が多いのだ。


 というわけで公爵家というやんごとない家柄の子が士官学校にいる時点で結構な驚きだったのだが、その話には更に驚愕の続きがあった訳で。


「――なるほど、ウチの騎士団にね。物好きというか奇特というか……まぁ、ずいぶん変わった生徒を受け持ちましたね」

「元教官に手ぇ出したお前ほどでもないぞクソッタレの恩知らず」

「ひでぇ……かわいい教え子になんということばをー!」

「白々しいにも程があるわっ!! そのわざとらしさは俺への意趣返しだな!?」


 あの後、椅子であんなことやこんなことをされたロッソ教官の機嫌は極めて悪い。

 対して俺とアマルは一通り仕返しができたのでホクホクのツヤツヤだ。

 何があったのかは敢えて言うまい。教官も自ら恥を口にしたくはなかろう。ふはは。


「しかし思わぬ脅威が浮上するとは……」

「言っただろ、お前にも利のある話だって。今の豚狩り騎士団はルガーの船頭がなけりゃとっくに難破しているおんぼろ帆船だ。これ以上爆弾を抱えたくあるまい?」

「まぁそうっすね……本人がどう思ってるのかはさておき、こりゃちょっと面倒な話になってきたな……」

「……あの、なんでロザリンドさんが公爵家で豚狩り騎士団に入ると面倒なんですか? 私と違って優秀な生徒なんだし、望むところに入れてあげたらいいじゃないですか」


 状況が呑み込めないのか、アマルは首を傾げる。

 傍から見れば当然の疑問かもしれない。

 士官学校で優秀な成績を収めた貴族が望む騎士団に入団するのだ。

 騎士団は優秀な幹部候補生を得て、当人の願いも叶う。

 一見して、互いに利のある素晴らしい関係だ。


 しかし、来る側は良くても受け入れる側はそうでもない。


「彼女の志望先が他の聖騎士団だったら問題なかったんだろうが、ウチの騎士団に来られるのはちょっと困るんだよなぁ……」

「アストラエが聖艇騎士団に入るときも相当揉めたが、今回はある意味それ以上の大問題なんだ。彼女には何としても豚狩り騎士団行きを諦めてもらわねばならん」

「くっそー、たまの休日なのに何でこんな厄介事を……!!」

「だーかーらー、なにがそんなに厄介なんですかー? 同じ騎士団ならドコに入っても大した違いは……」

「あるんだな、これが」


 話は戻るが、王国の第二王子であるアストラエが聖艇騎士団配属を希望した際、士官学校では結構な論争が起きたらしい。

 聖艇騎士団は何が起きるか分からない広大な海での任務ゆえ、我が騎士団を除けば聖騎士団の中でもかなり過酷だ。万が一第二王子が怪我などしようものなら誰が責任を取るのだと士官学校も騎士団も困り果て、最終的にいつまでも話の纏まらない現状に業を煮やしたアストラエが国王の勅命を担ぎ出してやっと話が纏まったくらいだ。


 あの時は国王が介入したからアストラエの話は丸く収まった。

 しかし公爵家はいくら偉いといってもそこまで超法規的な措置は取れない。

 つまるところ――もしこのロザリンドという子が聖艇騎士団より遥かに危険度の高い我が騎士団にやってきたら。そしてその身に何かあったら……。


「公爵家の一人娘を泥臭い戦場に送り込んで野蛮なオークと戦わせ、万一傷の一つでもこさえたことが伝わってみろ。高確率で公爵家が聖靴騎士団側に付いてウチの騎士団は壊滅の危機だ……!」

「……いやいやいや、なんでそんなコトでピンチに? 騎士なんだから怪我くらいするでしょ、フツー?」


 まぁ、フツーならそうだ。しかし貴族というのは割とフツーじゃない。

 例えばだが、このロザリンドちゃんがオークと戦って怪我したとしよう。するとバウベルグ家ではこんなことが起きる。


『パパー! わたくし任務で怪我してしまいましたわー! もう騎士なんてイヤですわー!』

『なに!? 嫁入り前の大切な愛娘に怪我をさせるような任務を任せて傷物に!? ゆ、許さん……絶対に贖わせてやるからな豚狩り平民共がァァァーーーーーッ!!』


 結果、豚狩り騎士団の心証は悪くなり、机の上で世界を動かしているつもりの議会の連中は予算をキュっと締め、こうして豚狩り騎士団はオーク対応に手が回らなくなって滅びましたとさ。

 王立外来危険種対策騎士団がいなくなれば他の聖騎士団がオークの相手をしなきゃならない訳だが、まともに対応できるとは思えないのでオーク大勝利エンドで終了である。そして多分責任を押し付けられたルガー団長は打首獄門を逃れるために部下を引き連れて国外逃亡といったところだろうか。


「……嘘ですよね? 新人を驚かすための騎士団ジョークでしょ?」

「まぁな。そこまで酷くなる確率はおよそ二割程度だろう」

「二割もあるんですか!? もしかして今ここが王国崩壊の分岐点!?」

「ロザリンドの選択が五分の一の確率で王国崩壊のシナリオに繋がっているとか勘弁しろ……」


 教官と俺は同時に頭を抱えて机に突っ伏した。アマルは突然降って湧いた災厄に右往左往し、机に脚をひっかけて転倒して「ぐえー!」と叫んでいる。何やってんだお前は。おバカな上にドジキャラは流石に騎士団ではまずいぞ。任務で不注意による物損は全部自腹だからな。


 なお、仮にそこまで酷くならないとしても我等が騎士団が潰れる可能性は大いにある。仮に本人が気にしておらずとも、輿入れ前の娘を傷物にされて黙っているほどバウベルグ家は生易しい家柄ではない。


 ヤクザじゃないけど貴族は足元を見られたりナメられたら終わりだ。

 故に、やられたら倍以上の報いを以て応じるのが大貴族というもの。

 そして責任はオークではなく怪我するような場所にロザリンドを置いた騎士団そのものに向くだろう。下手するとロッソ教官にも飛び火して士官学校追放もありえる。だから教官も焦っている訳だ。


「流石のルガー団長殿もバウベルグ家当主が敵に回ったらどうしようもないだろうな」

「まぁねぇ。あの人も大した狸だけど、流石に公爵クラスの権力者が相手となると懐柔も篭絡も通用しないだろうし……あーホンットやばいなコレ」


 仮に公爵が黙っていようとも聖靴騎士団のクシューはこれ幸いと豚狩り騎士団を糾弾するだろう。

 うちの騎士団はバックの勢力が弱い。それでも今の立場を辛うじて保っているのは、利用価値があり、なおかつ不祥事を起こさないから。特に後者が絶対的に重要なのだ。ここを欠かせばウチはおしまいだ。最悪、オーク退治用の剣奴隷みたいな扱いになるかもしれない。


「まぁそういう意味で、このロザリンドって生徒は本人にその気がなかろうがものの見事な爆弾になる訳だ。タヌキがこれを把握しているのかは知らんけど、これは流石にウチの騎士団に来るのを諦めさせた方がいいなぁ」


 彼女が怪我をすれば騎士団は滅ぶ。逆に彼女を戦いから遠ざけても、彼女が家で騎士団に不満を漏らせば心証は悪化して騎士団は滅ぶ。アストラエ爆弾に次ぐ第二の爆弾、ロザリンド爆弾である。自爆用なのが非常に残念だ。出来れば聖靴騎士団で爆発してからウチに来て欲しいものである。


「で、受けてくれるかこの仕事。本人は『もし別の騎士団に送ったら不祥事を起こしてでも豚狩り騎士団に行ってやる』と意気込んでる程だが……自主的に諦めてくれないと俺も困るんだ」

「それはいいことを聞きました。聖靴騎士団でやらかしてからそのまま騎士団をやめてくれる方向で行きましょう!」

「オイぃ、それ教官たる俺にだけ飛び火するルートなんだけど? お前は本当に俺に対する恩というものがないな!」


 おんならありますよ? と言おうかと思ったが、流石に下らないのでやめる。

 かくして俺とロッソ教官の利害関係は一致したのであった。


「……………」


 その二人を複雑な表情で見つめるアマルの心を、置いてけぼりにして。




 ◇ ◆




 ロザリンド・クロイツ・フォン・バウベルグの優雅な休日は大まかに分けて鍛錬と読書の二つによって構成される。


 公爵家の伝手で手に入れた珍しい剣の指南書、魔導書、魔物に関する書物、純文学など、将来に関係のあるものもあればないものもある。単純に読書好きなのだ。時には絵本を購入することもある。


 子供のころは教育が厳しかったが故にそれほど読書の時間を与えられなかったが、騎士団の鍛錬は休日に休みがある分バウベルグ家の教育より楽だ。故に本のページを捲る静かな音だけが聞こえる時間を過ごすこともできる。


 しかし、最近のロザリンドは読書に気が入らない時間も増えている。

 この日も海外の郷土史の本を読んでいたロザリンドは、ため息をついてページにしおりを挟み、ぱたんと本を閉じた。まだ十数ページしか読んでいないが、どうしても内容に集中できない。


 その理由は、一人の男の姿が目の奥に焼き付いて離れないからだ。


「騎士ヴァルナ。一刻も早く、確実に、彼の下に行くにはどうすればよいのか……」


 栄えある王国に於いて、あのいけ好かないクシューを堂々と破って堂々と王国最強に輝いた若き騎士。彼の戦いを見てからというもの、ロザリンドは心が疼いてしょうがない。


 元々ロザリンドが騎士を目指したのは剣士になりたかったからだ。使命感もなにもなく、理由はただそれだけである。様々な学問や武術を修めたロザリンドだったが、騎士団とはいわば『伝統的な剣術を受け継げる特権』がある。それを覚えてみたいから入っただけだった。

 何事も真剣に取り組み、最終奥義以外の全ての奥義を習得し、あっという間に首席に立った。周囲もよくしてくれた。将来は聖靴騎士団か聖盾騎士団のどちらかだろうと言われた。そんな中でロザリンドの心にある思いが出来た。


 ――騎士とはこの程度のものなのかという、欲求不満にも似た苛立ち。


 不幸なことに、ロザリンドは天性の才覚を持ち、兄や姉より優秀だった。

 故に、何に対しても真面目に学べばトップに立てる。

 逆を言えば、何に対しても夢中になって打ち込もうと思えない。

 もう騎士を目指すことにも飽きてきたし、いっそ辞めてしまおうか――自分を「きっと偉大な騎士になれる」と称賛してくれる周囲に笑顔のペルソナで応えながらそう思っていた。

 しかし、それが思い上がりであることを思い知らされる日が来た。


「あの日、気まぐれに目にした御前試合がわたくしの心を滾らせる……!」


 どこか高慢なクシューが勝つだけの出来レースとまともに見たこともなかった御前試合を見学したのは、ロザリンドとしては久しぶりの出来事だった。去年に大番狂わせでクシューが敗北したという話もあって、少しは昔と違った試合が見られるかもしれないという思い以上の期待はなかった。


 ――去年に御前試合を見なかった自分を呪いたくなった。


 騎士ヴァルナの戦いは、教官と比べても別次元の強さだった。

 動きの一切に無駄がなく、見せるしぐさから足運びまでの全てが相手を倒す為の戦術として洗練され、完成している。そもそも剣速や反応速度だけでも凄まじく、奥義の応用力も舌を巻くほど高度なもの。挙句、まだ辿り着けていない究極奥義を以てして究極奥義を打ち破るという信じ難い地力の強さ。

 今の自分が少しばかり努力を重ねたところで全くあの領域に辿り着ける気がしない。


 ロザリンドには、彼が剣を振るう為だけに生まれた芸術に思えた。

 その道に傾倒し、その道に身を捧げ、とうとう一線を越えた力。

 不純物を廃し、名誉や将来といった不要な思考を廃し、純度が100%になるまで戦意を研ぎ澄まし続けた結果完成した、彼は芸術品だった。


 ロザリンドは今までに一度も覚えたことのない胸の高鳴りを覚えた。

 自分が「ここまで」と思っていた高みなど遥かに凌駕した高みを目の当たりにして、初めてそこに登りたいと心の底から欲した。遥か高みにいるヴァルナという男に、認めてもらいたくなった。

 端的に言えば、憧れたのだ。

 どうしようもないくらいに強く。


 すぐにロザリンドはヴァルナに師事するために動きだしたのだが、そこには予想以上のハードルがあった。不当に低い扱いを受けた騎士団に入るには、己の身が清く高すぎたのだ。

 教官は脅しておいたが、やはり王立外来危険種対策騎士団に自分をねじ込むのは彼の立場上無理があるかもしれない。不祥事を起こして騎士団を鞍替えするという案も口にはしたが、本当にやった場合は父上か母上がカンカンになって押しかけて騎士団を抜けさせられる公算が高い。


 士官学校に入ると言い出した時点で母上はかなり微妙な顔をしていた。

 今でも婚約者がどうと会うたびにグチグチと口にする。

 もう三人も子供を政略結婚に送り出しておいてまだ足りないのか、と少し呆れてしまう。


「父上を説得できれば一番よいのですが、どうにも伝手と材料が足りませんね。何か……そう、例えばわたくしが騎士として類稀なる能力があると保証してくれる高名な騎士がいるとか、公爵家が王立外来危険種対策騎士団のスポンサーになれるよう説得してくれるような人が……」


 そんな都合のいい人は見つからないか、と自嘲気味にため息をついたロザリンドは、気分を変える為に剣術の訓練に出ようと立ち上がり――部屋のドアがノックされる音が響く。


「……? こんな時間にどなたかしら。人と会う約束はしていないはずですが、教官かしら……?」


 ――後に彼女はこう語る。

 ――初対面だと分かっていればあんなはしたない対応をしませんでしたのに……一生恨みますからね教官、と。


「はい、どちら様で――はぇ?」

「どうもこんにちは。王立外来危険種対策騎士団遊撃班所属、騎士ヴァルナだ」


 ドアを開けた先にいたのは、会いたくて会いたくて堪らなかったその人。騎士ヴァルナだった。

 なぜここに、とかお会いしたかった、とか、この時ロザリンドには数多の疑問と驚きと歓喜が渦巻いていたのだが、そんな中で彼女の頭の中にたった一つの事実が浮かび上がっていた。


 ロザリンドが憧れの人物に対して初めて放ったセリフは、「はぇ?」である。


 ロザリンドは無言で部屋のドアを閉じ、自分の頭を抱えて床に崩れ落ちた。その顔は羞恥の赤で今にも爆発しそうであり、優雅さなど欠片も感じられないぐらい情けない声が喉から漏れる。


「待って、待ってくださいまし!! 時間を!! 時間を十秒、いえ十五秒戻してやり直させてくださいまし!!」

『もしもし? えーっと、よくわかんないけど俺は何も見てないし何も言ってないということでひとつ。リテイクする?』

「します!! しますので少々お待ちくださいませ!!」


 待ち焦がれた最強の騎士に出会ったらどんな挨拶をしようか等といろいろ考えていたが、結果として出た言葉は「はぇ?」だった。繰り返すが「はぇ?」だ。どこにも誇り、気品、力強さ、美しさは内包せず、非常に気の抜ける……少なくとも彼女にとって、一生ものの恥が生まれた瞬間だった。

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