第46話 都合よく事は進みません

 士官学校教官を務め、元聖盾騎士団所属だったロッソは教官室で悩んでいた。

 ロッソは士官学校内でもベテランで、士官候補生の進路を決める重要なポジションについている。第一線を退いた今でも十分な実力を持ち、騎士団としての知識も豊富な彼は士官学校内でもナンバースリーに属する「偉い人」だ。


 そんな彼を目下悩ませているのが二人の問題児の存在である。


 片やその高すぎる地位と能力に比例するように唯我独尊の少女。

 某一昨年卒業した麒麟児の一人に影響されてか豚狩り騎士団に自ら入団しようとしている困ったちゃんなのだが、叶わなかったらどうなるか分かってんだろうなぁと軽く脅しをかけられていて非常に胃が痛い。

 彼女の親は公爵家――特権階級身分の中でもぶっちぎりに格式が高い。そのご息女を豚狩り騎士団に放り込んだらいったいどんな仕打ちが待っているのか。そして入れなかったらそのご息女の方がどんな仕打ちをしてくるのか。想像するのも恐ろしいことである。


 そしてもう片方は、士官学校始まって以来の成績の低さを誇る田舎者少女。

 その知能は入試を突破したのが奇跡としか言いようがない程低く、そして剣術に関してはヘッポコあるいはポンコツとしか言いようがない程に酷い。幾度か士官の道を諦めないか勧めてみたが、諦めない心だけは一人前なので止まらない。

 どちらにしろ行先は豚狩り騎士団で決まっているから成績が低くてもお上から文句は言われないのだが、ここまで酷いと騎士団に入ってから任務で死んでしまうのではないかというごく真面目な不安を覚えてしまう。


 いくら問題があっても教え子は教え子だ。

 将来を憂いて様々な選択を考えたが、この二人だけがいつまで決め切らない。


「誰か二人纏めて面倒見て、考えを変えさせてくれねぇかなぁ……」


 方向性が違うのに二人とも「豚狩り騎士団を諦めさせる」という点に於いて一致しているのがまた世の中の不思議な所だ。二人とも接点がないので仲は良くも悪くもないのだが。


 今日何度目か分からない溜息を吐いたロッソの耳に、ふと廊下から近づく足音が聞こえる。教官は現在いない筈なのだが、はて、生徒の誰かが来たのだろうか。例の問題児二人は既にすっかり教官室に近づかなくなった筈なのだが――と考えているうちに、教員室の扉が開く。


「失礼しまーす……おっ、ロッソ教官じゃないですか。どうしたんですかそんなに陰気臭い顔して?」

「陰気臭いとは何だ、無礼な!! ……って、お前はヴァルナ!?」


 そこにいたのは、嘗ての教え子にして現在の問題児を間違った道に誘おうとしている(というのは少々誇張があるが)男、ヴァルナだった。

 教官である自分の剣技をあっさり超えて最年少で御前試合に参加したかと思ったらいきなり最優秀の王国筆頭騎士に抜擢。今や王都で名前を知らぬものはいないけど顔を知らない者は沢山いるあのヴァルナである。


「この悩ましい時に何しに来たんだ元問題児!! 第二王子と箱入り娘と三人揃って暴れまわりやがって……!!」

「失礼な。俺は後期ごろにはあの二人の暴走を止める役割だったというのに。いくらアストラエが王子でセドナの家が士官学校のスポンサーだからといって、それは流石に不当な評価だと抗議せざるを得ませんなぁ」


 世間知らずの二名と常識外れ一名の三人は当時の士官学校では「ハチャメチャ大三角」と呼ばれるほどに様々なことをやらかし、当時は相当頭を悩ませたものだ。しかしその評価が不服だったのかヴァルナは文句を垂れる。どの口が言うんだか。


「~~ッ……まぁいい! それで、今日は何の用だ? 懐かしの母校を見に来ただけならとっとと帰れ! 俺は忙しい!」

「まぁそう言わず。ちょっくら気になる後輩を見つけたんで、ちょっと剣術の見本を見せるために相手を探してたんですよ。教官もデスクで悩んでるより体を動かした方がスッキリするものもあるでしょ?」

「せ、センパイ~……よりにもよって休みの日に教官を呼び出してソレはマズいんじゃ……」


 どう言って追い返そうかと悩んでいると、ひょこっとヴァルナの背中から見覚えのある問題児が顔を出した。癖のあるベリーショートヘアの小柄な少女――件の問題児ことアマルだった。


(……という事は、アマルに剣術を教える為に態々ここまでやってきた訳か? 俺を巻き込んだのは腹が立つがアイツは教えるのが上手いから案外……いやいやそれ以前に、これはもしかしてチャンスなのではないか?)


 ロッソの頭の中で悪そうな打算がカシャカシャと組み合わさり、チーンと音を立てて一つの計画が完成する。なんということだヴァルナ、これまでの苦労の恩を返す為に舞い戻ってきたこの男はロッソにとっての救世主だったのだ。


「んっ、こほん! ヴァルナ、そういう事なら大歓迎だ! まぁ座れ、話したいこともあるしな! すぐ極薄に定評のある教官室の茶を出してやる!!」

「うわぁ、この上なく作り物っぽい満面の笑みが悪巧みしましたと語ってる……」

「ヴァルナ……ヴァルナ?……えぇぇぇぇぇぇーーーーーッ!? 先輩ってあの剣皇けんおうヴァルナですかぁッ!?」

「えっ、何そのダッサイ二つ名……」


 計画通りに行けば二つの問題がまとめて片付く。上手くいったらお慰みだ。

 さぁ教え子よ、かけた苦労を存分に背負わされるがいい。




 ◇ ◆




 どこぞの断崖の町の民兵団長を彷彿とさせる既視感あるリアクションを見せたアマルがプンスカしながら人の服の背中を掴んでぐいぐい揺らしてくる。


「知らなかったですよ、センパイがあの剣皇けんおうとか!! なんで最初に言ってくれなかったんですか!!」

「悪い悪い、名乗ると面倒だから普段あんまり名乗らないんだ」

「うわーうわー! 有名人が言いそうなセリフだぁ! ズルいんだぁ!」


 ぷくぅ、と頬を膨らませて怒るアマル。やはり感情の浮き沈みが激しいらしい。

 それにしても、俺が知らないうちになんかこっ恥ずかしい二つ名が増えてる件が気になる。もしも許されるならお願いだからやめてくれ。正直剣神を名乗ってたクシューも、俺は内心ダッサイと思ってたんだ。

 そんな俺の悩みを知ってか知らずか、不気味なまでに機嫌のいいロッソ教官が茶を差し出してきた。


「すっかり後輩に気に入られたな。ほれ、茶だ。アマルテアも」

「おお! これが余りにも薄すぎて悲しい気分になり、いっそ普通の水が飲みたくなると評判の教官室のお茶……!!」

「その昔、海外からの来客から頂戴した茶葉を少しでも長く味わうために一度に入れる茶葉の量を大胆に減らした結果、ちょっとだけ予算削減になったので止めるに止められなくなり今も百杯の茶を入れるのにスプーン小さじ四分の一杯しか使ってないという噂の……相変わらず薄いですねー。なまじ微かに茶葉の香りがするだけに余計に悲しい気分になりますよ」

「それももうすぐなくなる。伝統開祖の教頭が来年度を機に辞めて隠居するという話だから続けてやる義理もなくなる」


 それなら来年度になってから遊びに来るんだったと後悔する。敢えて手を付けない俺と違って好奇心に駆られて飲んでしまったアマルは、しばしの沈黙の末に胸を渦巻く夜の海のような悲しさに包まれていた。


「味薄ーい……なんでだろう、飲んでる私が惨めに思えてくるぐらい薄ーい……」

「泣くなよアマル。俺のダチはこれを飲んで『この世にこれほど惨めな飲み物があるとは……!』って泣いたからな」


 東洋の茶の道にはわびさびという言葉があるが、このお茶はまさに人間を侘しく寂しい気分にさせる人類の負の遺産の象徴である。彼の文化をこの世に生み出した教頭の罪は茶の味に反比例して深い。

 そんなに予算を削減したいのなら王立外来危険種対策騎士団特製ブレンドコーヒーの作り方でも教えてやろうか。あれは売り物にしても文句は言われない程度に美味しいし、何より低予算だ。原料がタンポポとドングリだし。いっそ商品展開を提案してみようか。案外小金が稼げるかもしれない。


「で、話したいこととは?」

「ああ。実はアマルテアのほかにちょっと困った教え子がいてな……俺の代わりにそいつを訓練に付き合わせてくれんか?」


 そう言いながら教官は一枚の紙を差し出す。

 それは生徒の個人情報が書き込まれた名簿のようだった。


「なになに……女生徒か。名前はロザリンド・クロイツ・フォン・バウベルグ……バウベルグ!? 公爵家の御令嬢じゃねーか!!」


 バウベルグ家と言えば建国期には既に存在した由緒正しい名家であり、王家と最も深い繋がりがある国内有数の大貴族だ。現国王イヴァールト六世の奥さんでアストラエのお袋に当たるメヴィナ王妃もこのバウベルグ家の出身だと言えばこの凄さが少しは伝わると思う。


「何だってこんな家柄のいい子が問題児になってんだよ。アストラエタイプか?」

「その物言い、お前以外が口にしたら確実に不敬罪だぞ……」


 俺にとってはちょっと残念なはっちゃけ王子でしかないが、あれでも第三位王位継承権を持ってるというのだから世の中は不思議だ。ちなみに大体のはっちゃけは広い心で許してきたが、風邪を引いて意識が朦朧とする俺をこっそり王宮に運び込んで宮廷医師に検診させた件に関しては絶対許さん。


 あれ以降、アストラエを抱えた俺の姿が目撃されたせいでしばらく二人纏めて男色家扱いされたんだぞ。しかもアストラエ本人はそれを聞いて爆笑した上に悪乗りするし。あの後セドナに「フケツっ!!」と二人纏めてシバかれたけど、どう考えても俺は巻き添えで被害者である。


「まぁそれはさて置いてだ。ロザリンドは確かに育ちがいいし素行も問題ない。平民を不当に見下したりもしないし、座学だけに飽き足らず剣術までもが入試以降常にトップの座を譲っていないスーパーエリートだ」

「私も知ってます! 特権階級なのに高飛車な印象が全然なくて、なんかエレガントなオーラがドバーン! って感じです! 女にもモテる女ですね!! ……練習に誘ったら何かと理由をつけて躱されますけど」

「それぐらいなら問題ないじゃん?」

「成績が良すぎてちょっと天狗になってるのが心配なんだよ。実戦も経験したことないくせに真剣勝負したいとか今の騎士団はヌルいとか、ああいう慢心は後々で必ず大きな怪我に繋がる」

「成程……」


 分かる話だ。俺の同期――オークとの戦いで重傷を負って騎士団を辞めた男も「オーク如きに後れを取るはずがない」と根拠もなしに自信過剰だったが故に不覚を取った。中途退団した二人はそもそも騎士団の仕事を都合よく解釈しすぎていたが故に現実とのギャップに耐えられなくなった。

 端から仕事をナメてかかると必ず大きなしっぺ返しが襲ってくる。

 根拠はないが、経験則に基づいたそれなりに精度の高い予測だ。


「いくらアイツが士官候補最強でも、現場の最強には流石に届かん。そして騎士とは武勲だけ追求すればいいという物ではない。先輩としてそれをあの子に教えてやってくれんか?」


 要するにロッソ教官は、ロザリンドの天狗鼻を叩き追ってくれと言っているのだ。

 可哀そうなようだが、教官というのはこうして危険な道に向かう生徒の軌道を殴ってでも修正しなければならない。嫌われて暴力教官だと罵られても、手塩にかけて鍛えた生徒には一人でも多く大成して欲しいと願っているのだ。

 いつになく真剣なロッソ教官の教育者としての貫禄に、アマルは感動で両手を祈りのポーズで握りしめている。


「教官……そんなにも生徒の将来を深く想ってくれていたなんて!! これまで内心ではよくも見捨ててくれたなこれで奥義を覚えられなかったら末代まで呪ってやろうと思っていましたが考えを改めました!」

「う、うむ。そういうのは思ってても言わないものだぞアマルテア。こと本人の前ではな」

「そうだよアマルちゃん。それに、そもそもまだ改めるには早いかもしれないしねぇ……」


 美談っぽい流れで話が進んではいるが、こちとらあのタヌキ団長と腹の探り合いをして負け続けた身。その分人を騙す人間の思考や手口は熟知している。まぁタヌキならその防衛網さえ軽く潜り抜けるのだが、教官程度の嘘なら俺の心の防壁は揺るがない。


「もしかして、既に剣の腕で超えられてるから自分では叩きのめせないとか」

「……なぁんのコトかなァ?」


 ロッソ教官が露骨に目線を逸らして奇妙なイントネーションでしらばっくれる。

 しかし本音はバレバレだ。何故なら俺が士官学校に居た頃も同じ出来事があったからだ。突然現役騎士に呼び出されたと思ったら稽古をつけてやると全力で攻めてきた。非常に有意義な訓練だったので一時間たっぷりみっちり叩きのめしたら泣きながら事の真相を喋ってくれた。もちろん教官はその件について現在進行形でしらばっくれている。


「更に言うと、あんまり手ぇ出しすぎたら公爵家からの圧力で首飛ばされるから自分の手を汚さず事を成したいとかぁ」

「んっんー? ちょーっと何を言ってるかワカンナイなぁ~♪」

「俺にはセドナの件での実績と王国最強の地位がありますし? 万一駄目だった場合は俺に責任が向くから聖靴騎士団のクシュー団長殿にデカイ貸しを作れるし? 上手く行ったら労せずしてロザリンドちゃんとアマルちゃんの問題が片付くぜヤッホーとか内心で歓喜してたりして?」

「あーなんか急に故郷の民謡を歌いたくなったなぁヨ~ロロッホッホ~イィオッホッホ~♪」

「誤魔化しきれてもいなければ喜びも隠しきれてねぇッ!?」


 開き直って奇妙な音程の唄を口ずさむロッソ教官の姿は非常に腹立たしい。

 子供を言葉巧みに利用して利益だけを享受しようとする腐敗した大人の典型例である。

 既にアマルちゃんの教官に対する目線は残飯にたかる蠅を見るような不快感全開のものに変貌している。俺の堪忍袋も暴れん坊騎士状態である。


「クソッタレもう許せん! やっぱりアンタが剣の実験台になれオラァッ!!」

「いやいやいやまぁ待て待て! お前にも利のある話だからな、な! ホラ、アマルテアもだぞ! みんなハッピーになれるんだからいいじゃないか!!」

「ちょっとでも尊敬した私が馬鹿でしたよーだっ!! センパイ、わたしの事はいいから教官に正義の鉄槌を!!」

「ま、待て! 話せばよぉく分かる! 分かるように授業してやるからその手に持った椅子を下ろしないさい!! あ、ちょっと、やめ……オウアーーーーーッ!!?」


 若者は老人の玩具ではないし、操り人形でもない。

 利害関係で語りつくせない迸る激情によって、ロッソ教官は早速ながら若人たちの行動力を甘く見積もった報いを受けることになるのであった。

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