第42話 こっそり決めました
それは、異様な光景だった。
最初に気付いたのは、一通りオークを討伐し終えて周囲の援に向かおうとした騎士だ。
ふと上から影が差したと思ったら騎士の目の前に何かが落下してきたのだ。ぼとり、と鈍い音を立てて落ちてきたそれを騎士は一瞬「もしかしてオークがウンコ投げてきたのか!?」と戦々恐々しながら確認する。
別にオークがそこまで悪辣な精神攻撃を仕掛けてくるという話は聞いたことがないが、そういう習性を持つ動物がいるのを聞いたことがある。そんな割としょうもないトリビアを知っている騎士だが、本当に天空から汚物が降り注ぐのならある意味想像を絶するほど恐ろしいことだ。
すぐさま真相を確かめる為に騎士はその物体の正体を確認し――。
「ひっ!?」
そこで、僅かに痙攣しながらこちらを恨めし気に見つめるオークの生首と対面した。
まだ体と分離してから間もなかったのだろう、その生首は何かを絞り出そうとするようにくちをぱくぱく動かし――絶命した。オークの首や死体などしょっちゅう見ているその騎士も、余りに生々しい目の前の出来事に思わず絶句した。
そしてその首が別の場所にも次々に落ちていることに気付く。
「うおおッ!? 生首が空から!?」
「いっだぁッ!? ちょ、肩! 肩に当たったって!!」
「誰だ! ヴァルナか!? それともヴァルナか!? むしろヴァルナしかいねぇ!!」
やっと終息したオーク討伐現場に突如降り注ぐオークの生首。
まさか今日の天気が晴れ時々首という訳でもないかぎりオークの首なんて降ってくる筈が無い。異変に気付いた騎士たちが一斉に首の飛んできた場所に眼をやる。そこには――。
返り血で顔を汚し、血が滴る剣を握った無表情のヴァルナが、こちらを見下ろしていた。
「…………………」
「…………………」
「…………………」
感情を伺わせない冷酷な表情。
顔に付着した血を拭おうともしないその猟奇的な佇まい。
そして、この乱闘の中で一人だけ恐ろしく足場の悪い断崖を登り切って、計画の予定外である断崖を降りないオーク達を指令が下る前に瞬殺する、度を越した殺意が成せる業。
逆光を浴びて影を纏った『首狩り』ヴァルナに、周囲は思った。
「「「怖ぇよッ!?」」」
数分後、独断で断崖を登ったことと頂上のオークの死体回収が困難であることを理由にヴァルナはこってり絞られ、更にみゅんみゅんことヴィーラの水噴射でオークの血を洗い落とされた。もちろん罰ゲーム込みである。
「みゅんっ!!」
「ぶぼッ!? ちょ、これ水の勢い強……ッ!」
「もう! ノノカは怒ってますよ!? いくら焦ってたからってオークの血は有毒なんですよ!? 人体に浴びて長期間放置したら皮膚が腫れたり色々と健康に良くないんですからね!! さぁヴィーラちゃん、もっと強くヴァルナくんに水を!!」
「みゅん? みゅー……みゅんッ!!」
「ごぼばばばッ!?」
なお、その後ヴァルナはノノカに小さな手でオークの血が付着した部分の皮膚に塗り薬を塗りたくられ、その光景を見たベビオンがショックの余り目が剥き出しのカメレオンみたいな顔になっていたとする目撃証言があるが、信憑性は低い。
◇ ◆
今回の討伐、楽に終わりはしたがその後始末は非常に大変だった。
まず、普段と違ってオークの血が飛び散る事を防げない作戦故に戦場が血まみれになり、回収するオークの死体は少ないのに結局作業量が減らなかった。というか荒地故に地面が硬く、回収した土が石みたいに固いから砕かなければいけなくなったりしている。
断崖の頂上も大変だった。そもそも人間が平気で登れる場所ではないので最初に上った俺が杭とロープで登山道を作らされたし、断崖は岩で構成されているため血の回収を一層困難にさせた。
ただ、幸か不幸かそれほど飛び散っていなかった血はあっという間に乾燥して固まったため、下に比べれば汚染除去物の量は少なかった。
……言うまでもなく回収班にはペコペコ頭を下げたが。
本当にあの人たちには頭が上がらない。
なお、作戦終了後に封鎖していた水路の堰を開けると、中から数匹のオークの水死体が流れ出てきたらしい。恐らく臭いに耐えかねて水路に逃げ込んだオークだろう。水路に向かううちに水位が上がり、そして水路が通れない事を知って引き返そうとしたところで溺死したと推測される。
オークの潜水時間なら溺れず戻れそうな気もするが、オークにも個体差があるし、狭い通路故に引き返すのにも時間がかかったのかもしれない。通れると思った場所が通れず、水位が上がるなかで焦って引き返そうとした末の溺死……原因を作った側の発言としてはあれだが、そんな苦しそうな死に方はしたくないものである。
で、周囲に怖がられたり瞬間移動の使い手と勘違いされたり色々とあった……その翌日。
「ノノカさん、足場に気を付けてください。ベビオンもな」
「大丈夫! 普段はソコアゲール靴を履いているノノカの脚運びは完璧です!」
「先輩、万が一ノノカ様が転んでしまった際にはこのベビオンが……!!」
「あ、ここ滑りそうなので手ぇ貸します」
「わお! ヴァルナくんもレディの扱いが出来てきたじゃあないですか♪」
「ダブルスルー!?」
俺はノノカさん主導の水源調査に同行させられる形で、あのオーク達が住んでいたという縦穴の中に向かっていた。オークが自由に出入りしていただけあって、意外と上り下りには問題ない程度には足場がある。
既にファミリヤが内部をチェックしてオークの生き残りがいないのは確認済み。
目的は言わずもがな水質調査、オークの糞などあったらその回収、そしてもう一つ……。
「キャリバン、お前が一番大荷物だ。みゅんみゅんを落っことすなよ!」
「ラジャっす!」
「みゅーん!」
そう、みゅんみゅんことヴィーラの今後を決めることだ。
キャリバンが背中に背負ったベルト付きの桶の中で水に浸かるヴィーラは悪路を移動しているせいもあってか少々疲れ気味だが、故郷を前にしてテンションを持ち直してきているらしい。
みゅんみゅん曰く、「みゅーん! みゅん? ……みゅぅぅ~んみゅーん!」……意味が分からないのでキャリバンに通訳してもらった所、「他のヴィーラ達は地下水脈に逃げ込んだので、オークがいなくなった気配を察したら戻ってくるかもしれない」らしい。キャリバン驚異の翻訳力である。
「オークがいなくなった今、汚染の原因は断たれた訳で……後はオークの糞とかを取り除いてしまえば湧き出す水が勝手に環境を浄化してくれる訳だなぁ」
「そゆコトですねっ♪心配なのはヴィーラたちが食べていたという地底のフルーツの木が枯れてないかって部分が心配なんですけど……」
「みゅーん……」
「大丈夫、きっとまた会えるって!」
「みゅーん……みゅーん!」
お、今のは何を言っていたのかなんとなく理解できるな。
とはいえキャリバンには俺の想像より遥かに細かい意味が分かるのだろう。
勉強もなんとかなったし剣術も人並み以上に出来るが、俺は魔法の力どころかファミリヤ使いとしての素質も持っていないのが少し悔しい。まぁ勉強に関しては「出来る」訳ではなく、成績トップクラスのセドナとアストラエに散々叩き込まれた結果だったりするが。
周囲は俺を天才とか言うが、大した苦労もせず士官学校の学歴一位になったセドナと二位アストラエこそマジもんの天才である。俺はそこから落ちて五位。数字的には遠くないように見えるかもしれないが、実際の所三位と四位の成績に結構な落差がある事は知られていない。
なお、五位が凄いという風潮はもちろんひげジジイことルガー団長のイメージ戦略であることは語るに及ばぬ事実である。良い子は騙されてはいけないぞ。
くだらない事を考えているうちに洞窟深部の水源に辿り着く。
「こいつは……」
「キレイ……!」
「みゅーん!」
水底がくっきり見える程に透明度の高い水。
まるで大洋にぽつりと浮かぶ無人島のような砂の小島と木々。
上空から差し込む光が差し込むその光景は、絵画のように幻想的だ。
……が。
「フルーツの木は見た所無事のようっすけど……」
「食いカスとかオークの糞とか町からパクった食料品の麻袋とか、よく見たら端っこに変な塵が散乱してやがる」
「みゅん……みゅぅん……!!」
故郷を穢された怒りにみゅんみゅんがみゅんみゅんが非難がましく吠える。
端から見ると人魚の子供が唸ってるだけなので可愛いだけだが。
ある意味予想通りではあるものの、何なのだろうこの行き場のない空しさは。
一応散らかしっぱなしは嫌だったのか一纏めにしてあるが、やっぱりオークには風情や美を解する知能はないらしい。綺麗な観光地なのに現地住民が平気で景観を汚すみたいなものだ。
しかし、一か所に纏めてあるなら好都合。
水深の浅い場所から中に踏み込み、せっせと塵や糞を回収する。
「糞は研究に使いますからこっちのゴム袋に入れてくださいねー!」
「ノノカさんウンコの研究までするんすか?」
キャリバンのちょっと引き気味の質問に、ノノカさんがキョトンとした顔で答える。
「え? するでしょ普通。だって糞ですよ?自然学でも生物学でも化石でも糞は情報の山なんですから馬鹿にしちゃいけません。めっ!だゾ?」
「なるほど、確かに」
「流石は知の探究者ノノカ様!」
「えぇ……」
「みゅーん……」
俺とベビオンはその辺の理解があるが、キャリバンとみゅんみゅんは普通にドン引きしている。気持ちは分からないでもないが、ノノカさんは研究の為なら解剖だろうが何だろうがする人なのだ。
……研究室でウンコつつきまわす乙女というのもどうなのだろう。
そっちに理解のある人ならともかく、ノノカさんには当分新しい恋人ができない気がする。
手分けして塵を集め終えた頃には随分時間が経過していたが、代わりに汚物は全て回収できた。オークが住み着いて間もなかったことが幸いしたのもあるが、オークは案外清潔な環境を好む。糞も恐らく定期的に水路に流していたと思われる。
「とすると、流された排泄物は町の水路に……おうぇっぷ」
「大半はそのまま川に流れて事もなしだっただろうが、一部生活用水路に流れ込んだんだろう。悪臭の報告が少しだけあった。今ナギたちがこっそり水路掃除をしている」
「住民の皆さんには……まぁ、心情に配慮して言わないことになりました。……それにしても自警団の団長さんを呼び捨てなんて、随分仲良くなったんですね? 男の友情ってイイと思いますよ!」
(先輩と俺が……無理だ! このベビオン、たとえノノカ様の要求でもそれだけは認められん!!)
「……? どうしたベビオン?」
「いえなんでもっ!!」
今何故かベビオンが全力でノノカさんから顔を逸らして歯を食いしばったが、どうしたのだろうか。別に幼女好きという事を除けば男の友情も吝かではない性格だったと思うのだが。
さておき、湧き水を小瓶に掬って何やら紙を付けたり紫色の液体を混ぜてちゃぷちゃぷ混ぜたノノカさんがキャリバンに声をかける。
「簡易ですが水質を調べました。ヴィーラが住めるだけの環境は維持されてます。さぁ、キャリバンくん」
「……はい」
「みゅ……」
……来るべき時が来たというべきだろうか。
キャリバンは沈痛な面持ちで抱えていた桶を脇水の泉に漬け、ゆっくりと傾ける。
みゅんみゅんは一瞬名残を惜しむようにキャリバンやノノカを見て、ゆっくりと水の中に入っていった。少し泳ぎ、またキャリバンの近くに戻ってくる。
「……水は大丈夫みたいだね」
「みゅん……」
「仲間の気配は……感じるかい?」
「みゅーん……」
「……そうか、近くにいるんだね」
キャリバン曰く、ヴィーラという種族は微力ながら原始的な魔法を使うことが出来るらしい。みゅんみゅんの水鉄砲の水の噴射量が凄まじかったのも水のマナをなんかいい感じにこねて出していると本人が言っていたとか。
そして、その魔力の探知能力を使えば水を通してある程度遠くの同族の存在を感じ取ることが出来る。どうやらみゅんみゅんの推測通り、ヴィーラの群れは近くでオークがいなくなるのを待っていたようだった。
水質に問題はなかったし、みゅんみゅんは群れに帰れる。
互いに目標は達成された。今回の任務は完了である。
だというのに互いに全く嬉しそうではなく、むしろ寂しさを隠そうともしないテンションの低さを見せているのは……やっぱり別れたくないんだろうなぁ。
短い間とはいえ群れをはぐれた先で出会った仲だし、何よりキャリバンはあの子と喋れる。せっかく出来た友達ともう別れるのは寂しいに決まっている。
しかし、騎士団の任務はその多くが一期一会。
一度出会った人とは、王都に住んでるか同じ騎士団の人でない限りもう一度会うことはほぼない。いや、そもそも密猟が相次ぐ希少種のヴィーラはここに住んでいるという情報そのものが公開されてはいけないものと言える。
互いに出会わなかったことにしよう――この別れは、そういう意味を込められている。
一番別れたくない二人なのだから、最後くらい二人でいさせてあげよう。
そう思った俺は、ノノカさんに目配せしつつ二人に近寄る。俺の言外のメッセージはノノカさんにも伝わったらしく、ベビオンを連れて後ろを付いてくる。
「キャリバン……俺達は先に本陣に戻る。長引かせても辛くなるだけかもしれんが、夕暮れまでに戻ってくればいい」
「はい……分かってます」
「みゅんみゅん、元気でな」
「みゅ~ん……」
俺は付き合いが浅いが、それでも名残を惜しんではくれるのかくりくりした瞳が寂しそうに俺を視線で追いかける。願わくば彼女が立派なレディに成長することを祈るばかりだ。
「じゃあ、ノノカともお別れだね……戻ったらママに沢山甘えて大きくなるんだよー?」
「次は鳥に捕まらないように気を付けろよ! ……さ、荷物をお持ちしますノノカ様!」
お邪魔虫三名は塵を抱えて崖の道を上っていった。元々オークがいなければ出会う事のなかった二人は、オークがいなくなることで別れを迎える。
臭い三文小説のようではあるが、世の中とはそんなものなのかもしれない。
そして夕暮れ時、キャリバンは騎道車に戻ってきた。
その背中に、空になった桶と、別れの辛さを背負いながら――。
と、思っていたのだが。
「みゅーん♪ みゅんみゅんみゅぅぅ~~ん♪」
「……という訳で、この子は付いてくることになったっす!」
「わーお! ノノカちゃん清々しいまでの説明不足っぷりに驚かなくなってきた自分にビックリ!!」
後輩は、報告書の文章量を平気な顔して増やしてきた。
その理由に関してはヴィーラに関する追加報告書の完成を待つばかりであるが……取りあえずみゅんみゅんは嬉しそうに例のリングを嵌めているのでヴィーラの群れとの間で何らかの取り決めがあったようだ。
その内容がこれ以上ローニー副団長の胃を刺激しない内容であることを願うばかりである。
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