第37話 恩が仇で返ってきます

 沈みゆく夕日を眺めながら、ガーモンとナギは隣り合ってじっと荒野を眺めていた。

 これほどに穏やかに、兄弟らしく接するのはいつ以来だろうか、とガーモンは自問した。確かに家に戻ってはいたが、出かける時間などなかったためにこうして言葉のない時間を過ごすこともなかった。


 弟をここまで追い詰めてしまった責務が誰にあるのか、人によって答えは違うかもしれない。しかし、少なくともガーモンは自分の責任だと思っていた。ナギにとって本当に家族と言える人間は自分しかいなかったのだ。

 最低でも、騎士団になった後に「王都に移り住まないか」と勧めたり、槍を捨てて比較的休暇の取れる本部勤務を選ぶ事も出来た。それでも槍を握ったのはガーモン自身の意志だ。


「夕日が沈むな。オークたちが動き始める頃かぁ……」


 目を細めてナギが呟く。

 クリフィア民兵団の団長であるナギにとって、本当に戦うべきは兄ではなくてあの忌まわしいオーク達だ。私情に走るほど周囲が見えていないのかと思っていたが、ガーモンが見る限りナギの目には確かな使命感が見えた。


 だったらせめてオークとの決着が着いてから喧嘩を売ればいいものを……と浅慮な弟の行動にため息が漏れた。


「まったく、お前のせいで明日の仕事に響いたらどうするん――」


 言いかけて、はっとする。

 そう、喧嘩に夢中になり過ぎて半ば忘れていた自分の可愛いい部下のことを。


「そうだ、ヴァルナくんを一刻も早く治療しなければ!!」

「いや、別に治療しなくていいだろ。ケガしていないし」

「何を馬鹿な! お前、ヴァルナ君をあれだけ痛めつけておいて……しかも血が垂れていたじゃないか!! 他人事みたいに言わず反省しろ!! ええい、待っていろヴァルナくん!!」

「まぁまぁいったん落ち着いてくださいよ、先輩。俺は逃げませんから」

「これが落ち着ていられるか!! 騎士団の先輩として彼を危険に晒してしまった身で――身、で……ん?」


 ガーモンは思った。あれ、何かがおかしい――と。

 諫める二人を振り切ろうと身を乗り出したガーモンだが、よく考えれば何故止める人間が二人いるのだ。ここには動けないまま横たわっているヴァルナ以外にはナギとガーモンしかいない。では、今呼び止めた人物は誰だ?


(何だ……なんだこの、とてつもなく嫌な予感は……!?)


 ぎぎぎ、と錆びたブリキのようにぎこちない動きで、ガーモンは事実を確かめる為に後ろを振り返った。


「いや、それにしてもヒヤヒヤしたよ。日が沈むまでになんとか決着つけろって言ったのに結構長引くんだもの。前日の内に仕込んでおいた先輩対策が水の泡になるかと思ったわ」

「お前なぁ、ヴァルナ! 兄貴が素手の殴り合いは強くないって言うからこの方法にしたんだろ!? 文句を言うなら兄貴の力量を見誤ったお前の計画の詰めの甘さをだなぁ……」

「だって槍だと勝てねぇだろ、お前」

「それを言うなぁッ!! 俺の心に悪い意味で響く!!」


 そこには、ナギとヴァルナが立っていた。


 ヴァルナが、縄をほどいた状態で、いかにも友達のように仲良さげにナギの横に立っていた。


「……ふむ。いや、まったく以って何がふむなのか自分でも分からないのですが、取りあえずあの……えっ? ……えっ?」


 痛めつけられたはずのヴァルナが元気なことも縄を自力でほどいてやってきたことも「言われてみればヴァルナならそんなもんか」という謎の定評で片づけられるのだが、それを差し引いても目の前の光景はガーモンが混乱の坩堝るつぼに落とされるには十分なまでに異常な光景だった。


 まるで自分が演劇で起きた事件を本物と勘違いして乱入してしまったような、謎の疎外感と嫌な汗。もう既に殆ど答えが出ている筈なのに、焦って上手くピースが揃えられないようなもどかしい感覚。

 そんなガーモンの視線に気づいたヴァルナは、がなるナギをいったん手で制す。


「どうしたんですか先輩。鳩が料理班の弓矢で貫かれたような顔して」

「いやそれ即死ですから!! ……じゃなくてですね!! ヴァルナくんは襲われたのではないのですか!?」


 その問いに、ヴァルナは悪びれもせずにあっさり答える。


「いえ全然? ほぼ寝てただけですよ?」

「顔の傷と血は!?」

「血はトマトペーストです。他の青痣とかは、酒場で知り合ったバウムちゃんがクレヨンで塗りたくってくれました。会心の出来でしょ? 夕日の影になるよう角度とか気を付けたから全然気付かなかったみたいですね!」

「うう、うおわああああああ!!?」


 自分が認識していた現実が堅実な回答で打ち砕かれていく様に、既にガーモンの脳の情報処理能力は悲鳴を上げていた。ついでにガーモン自身も変な悲鳴を上げていた。ヴァルナの後ろにいるナギは笑いをこらえきれないとでもいうように腹を抱えて震えている。


 物凄く認めたくないが、既にガーモンの頭の中でとてつもなく酷い真実が完成していた。確認するより前に崖の下に飛び降りたい程に酷い真実だ。それでも何とか自分の推論が間違いであってほしいと願うように質問を重ねる。


「腕に荒縄の傷がついてますが!?」

「いやぁ、ナギの奴『簡単にほどける縄の結び方』がなかなか出来なくて。しかもえらく荒い縄持ってくるんですもん。結局自警団の副団長さんにやってもらいました。俺はもし筋書き通りに進まなかった時の為の仲裁も兼ねてたんで、縄はいつでも解ける状態じゃないと困るんです」

「要するに今回の誘拐事件は……全部予め仕組まれたことだったのですか!? し、書類は!! オークに関する重要な書類は!? あれも嘘ですか!?」

「あれは実在しますが、昼の内にノノカさんに預けておきました。恐らく明日の調査で巣を特定し、準備期間に数日挟むのでナギも先輩も討伐に影響しない程度に傷を癒せるという寸法ですわ。あ、勿論ノノカさんには事情を話してますよ?」

「あの人も共犯かぁぁぁーーーッ!?」


 ガーモンは脱力の余りその場で崩れ落ちた。

 頭の中で涙ぐんでいたノノカが「どうでした? ノノカの名演技!!」とお茶目に笑っている姿が目に浮かぶようだ。今のガーモンにとっては小悪魔を通り越して悪魔の微笑みである。涙は女の武器とはいうが、あんなのベビオンでなくても騙されるに決まっている。

 兄のしょぼくれた姿を見たナギがとうとうこらえきれず笑顔も隠さず喋りだした。


「プクク……け、計画を立てたのは、ヴ、ヴァルナだぜぇ……喧嘩に関しては途中から完全にマジだったけど……ブハッ!! 駄目だ面白れぇ!! だぁっはっはっはっハグゥ!? 殴り合いの傷が痛ぇッ!?」

「アホか」

「ひでぇ!? 色々とお前の計画のせいなんだけど!?」


 要するにナギがヴァルナの善意に付け入ったのではなく、ヴァルナとナギが二人掛かりでガーモンの人の好さに付け込んだ盛大な罠だったのだ。怒りも呆れも通り越して、こんな計画にムキになってしまった自分が恥ずかしくてしょうがない。


「どうしてこんな、下手をすればどちらかが重傷を負いかねない悪辣な手口を!?」

「ナギと先輩の仲を改善する為ですよ。というか先輩のせいでこんなことになったんですよ」

「俺のせいってどういうことです!? 俺だって最初から腹を割って話したいって言ってくれれば……!?」

「できればここまで拗れてないでしょー」


 ガーモンのより無難だったであろう選択が、ヴァルナに真っ向から言葉で切り捨てられる。


「人が好く、かつナギへの認識が盛大にズレている先輩はナギが攻撃をしかけても軽くいなしてしまいます。それが正しいと自分では思ってるからです。大人は簡単には喧嘩に乗らないし、対等にぶつかり合ってもいいことがないと知っているから」

「それは……社会に出た人間とはそういうものだろう。子供ならともかく、大人の喧嘩は後を引くし周囲の視線も厳しくなるものだ」


 子供だから許される振舞いも、大人になれば出来なくなる。

 それは、進む自分が社会全体の秩序の一部として出来るだけ周囲に波風を立てず安定した道を進もうという自覚が生まれるからだ。大人になると、人は己を殺さなければならない。そうでなければ周囲の誰も彼もが敵となってしまう。

 ヴァルナはその言葉に頷く。


「大人ならそうですね。でも、だからこそ……誰も見ていない場所で、ガーモン先輩に子供みたく本音全開で怒ってもらう必要があったんですよ」

「兄貴は俺が争おうとしてもすぐに自分が悪かったって引き下がっちまうけどよぉ、本当はもっと言いたいことがある筈だろ?兄貴が大人のままだと波風立てないように心のうちにそれを仕舞っちまう。だから本音を引きずり出す為に限りなくマジな状況を作る……ってヴァルナが言ってたぜ」

「ぐぐぐ……!」


 そんなことまでしなくても、とは口が裂けても言えない。

 事実、ここまでやって初めてガーモンはナギと本音をぶつけ合えたのだ。

 ヴァルナがそこまで考えているかは知らないが、ガーモンにも兄としての矜持がある。ナギを養う立場にいた延長の考え方で、自分が毅然とした大人でなければ弟に示しがつかないという気持ちは確かにあった。


 大人と子供の間にある見えない壁。

 ヴァルナはそれを壊す為にこんな場を用意したのかもしれない。


「つまり、なんですか? 全部俺のせいということですか?」

「ありていに言えばそうです」

「そうだぜ、兄貴が悪い」

「そして舞い上がっていたのは俺とナギだけで、誘拐事件も書類強奪もなく、俺達はただヴァルナ君が寝てる横で兄弟喧嘩しただけだと?」

「兄弟喧嘩で済ませないと本当に罪に問われますし」

「兄貴が素直に喧嘩に乗るならもっと話は早かったんだけどな~……ま、俺の演技は序盤だけで殴り合いに関してはマジだったから、そこは疑わなくていいぜ!」

「あ……あ……あ……っ」


 ぐっとサムズアップした弟の顔は、殴り合いででこぼこになりつつもこの上なく爽快感に満ち溢れた……なんならもう一発殴ってもいいかと聞きたくなるほど小憎たらしい笑顔だった。


 最初から最後までものの見事にヴァルナの掌の上で踊らされていた事実。自分のほうが大人だと思っていたのに、いつの間にかガーモンの方が問題児だったと指摘するナギに何も言い返せない自分。結果的にはわだかまりを捨てられたし理屈は分かったが、それでも言いたい。


「皆して俺を騙して陥れるなんて……しかもよりにもよって一番信じてた人間が裏切るなんて……っ!!」


 それはずるいというか、理不尽だろう。あんなに可愛がっていた弟と部下が二人がかりで自分を罠に嵌めるなんてまさか夢にも思わないじゃないか。抑えきれない衝動が肺を通して喉を通過し、暗くなり始める空に打ち上げられる。


「あんまりじゃないかぁぁぁぁ~~~~~~~~ッ!!!」


 久しぶりに全力で爆発したガーモンのどこか情けない慟哭が、荒野に空しく響き渡った。


 ついでにこの声を獣の威嚇と勘違いしてビクっとしたオークが断崖から落下して大けがをしたらしいが、それは人間たちの与り知らぬところである。

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