第27話 足元にご注意です

 シャワーで昨日までの汚れを洗い流しながら、俺は大きなため息を吐いた。


『副長から話は聞いてるよ。町の協力を得られるように住民と交流する役割を受けたんだって?まったく、ヴァル坊は少しばかり働きすぎだねぇ……おや、どうしたんだい鳩が料理班の弓矢喰らったような顔して?』

『それほぼ即死ですやん!?』


 どうやら――俺の不在は「そういう形で処理された」らしい。

 後でカルメから話を聞いた限りでは、そういうことだった。

 要するに、俺がいないことに後付けで理由を付けて規律違反を誤魔化したのだ。


 途中でヤガラ記録官ともすれ違ったが、あっちは何も知らない様子であった。

 恐らく元々そうするようにタヌキが仕込んでいたのだろう。とはいえ副長としては「地元の協力が得られる可能性があるならやる価値はある」と肯定的に捉えていたようだ。つまり、俺の個人的な町内見聞は立派な任務になってしまったという事である。


「大義名分があるのは助かるけど、なんか都合よく行き過ぎると逆に不安だよなぁ」


 シャワーを止め、すぐに体を拭いてシャワー室から出る。

 騎道車の水は無駄遣い出来ないので一度の部屋利用に使える水量が決まっている。

 おまけに狭くて寒いので長居したい場所ではないのだ。

 

「――おや、今頃お風呂ですか? ヴァルナくん」

「あ、おそようございますガーモン先輩」


 シャワー室を出て改めて町を回ろうと考えていた刹那、ガーモン先輩に出会った。いつも通りの柔らかい物腰だが、気のせいか少しだけ気が張っているような気がする。


「なんか今日張り切ってます?」

「ええ。オークの行動ルートが見つからないまま二日過ごすのは流石に問題がありますから、遊撃班も個人的に動くことになったのです。あ、勿論ヴァルナくんは任務を続けてくれて結構ですよ?」


 ガーモン先輩にまで任務の話は回っているらしい。

 間違ってはいないのだが、なんとなく騙しているようで気が引ける。

 なので俺は誤魔化すように別の話をした。


「所で、弟さんお強いですね? あれなら騎士にも通用しそうですよ」

「……ええ。ここだけの話、才能は私よりあるかもしれません。言うと弟馬鹿だと笑われそうなので言いませんけどね?」


 先輩の顔には後ろ暗い所などかけらも感じられない。

 きっと純粋にナギの事を弟として愛しているのだろう。

 しかし、それではナギの頑なな態度は一体何なのだろうか?


(そういえば……ナギに『決闘に勝ったらガーモン先輩の事を教えてもらう』って約束してたな。あの後すぐに宴会になって聞きそびれたけど、後で聞きにいくとして……)


 この二人の関係を知る為に、兄弟に同じ質問をぶつけてみようか。


「そんなに大切な弟さんなら、なんで昨日の闘いで本物の刃なんて使ってたんです? 訓練にしたって危ないと思うんですけど」

「弟が言うので仕方なく、ね? 腕を磨くには実戦が一番というのは事実ですし、多分ナギなりに色々考えたんだと思います。実戦の空気を感じたいといった向上心から来るんでしょうね、ああいう無鉄砲な所は」

「……成程、確かに先輩は弟馬鹿かもしれませんね」

「や、やっぱりそう見えますかねぇ? うーん……でもやっぱり兄としては、弟の願いを出来るだけ叶えてあげたいと思うのですよ」


 笑って誤魔化しながらも、俺は内心で強い違和感を覚えていた。


 何なのだろう、この兄と弟の極端な意識の温度差は。

 昨日ナギと話した感じでは、明らかにナギは兄に対して当てつけや無茶ぶりを何度も要求している風だった。そしてそれに兄がいい加減な態度で対応することに何かしらの鬱屈した感情を抱えているように見受けられる。

 ところが当の兄は弟をべた褒めし、それどころか弟の為に力になりたいと世の理想の兄のようなことまで言っている。そこに疑いや軽視といった感情は見受けられない。


「ナギが騎士団に協力を請わないのも、きっと他人に頼らず自分達で問題を解決したいが故でしょう。まったく、一言手伝ってくれと声をかけてくれるならいくらでも手伝うのに……っと、それは流石に職権濫用かな? 私もまだまだ心が未熟ですね」

(大体合ってるように聞こえるんだが、微妙に俺の知ってるナギのイメージとズレがある……)


 世の中には、時々こういうズレを感じることがある。

 こちらの主義主張を勝手に受け取り手が曲解したせいで起きる不協和音。

 なまじ間違っていないからこそ訂正しにくいが、確かに歯車がずれている。


(この兄弟、なんでこんなにすれ違ってるんだ……?)

「……そうだ、ナギは同年代の友人が少なくてですね。もし会ったら話し相手になってあげてくれませんか?」

「……あ、はい! それくらいならお安い御用ですよ。何だかんだで悪い奴じゃないですし」

「ヴァルナくんなら大丈夫ですよ……俺は少々、嫌われてますしね」

「………」


 微かに聞こえた最後の一言だけがやけに重く、リアルで、そしてその言葉を発するガーモン先輩の顔にはどこか諦観にも似た笑顔が浮かんでいた。


「では、そろそろ失礼します!」

「夜は都会より暗いから、日没に気を付けてね」

 

 俺はそこそこで話を切り上げ、すぐにナギの元へと向かった。

 どうにもすれ違っている二人の仲、その真相を知る為に。




 ◇ ◆




 見張り役の交代を見届け、ナギは町に戻りながら考える。


 現状、クリフィア民兵団はオーク対策に関して有効打がない。

 一方の豚狩り騎士団も、その成果は思わしくないようだ。

 詳細は知らないが、『下っ端騎士』が飲んだくれるということは、まだ大きな動きが出来るほど情報が集まっていないと見ることが出来る。


(つまり、まだ出し抜く隙はあるって訳だ。兄貴の鼻を明かす隙はまだある……しかし、明かしたところでどうする?)


 さっきの新人たちを思い出し、ナギは渋い顔をする。

 口では騎士団に反発しているが、オーク相手に素人が手を出せば死人を出すだろう。

 曲がりなりにも兄が対オークの専門家であるナギは、漠然とだがそう思っている。


(前にはぐれオークと戦った時の皆の反応が全てだ。調子に乗ってたと思い知らされた)


 2メートルを超える巨体と凶悪で人間離れした面構え。

 その迫力に押され、自警団は碌に動けずたたらを踏んだ。

 かくいうナギも、内心ではオーク相手に自分の槍が通用するかどうか自信がなかったくらいだ。それでも部下の前で醜態は晒せず、結局そのオークは自分で倒した。


(今になって思えばあれはまずかったな……年配連中が逆に勢いづいちまった。自分は戦ってもねえのに周囲に「オークを倒した、俺達も立派な戦士だ」と喧伝して回るもんだから、周りもすっかりその気になっちまう)


 当初は個人的な感情だったガーモンへの反発心は、気が付けば自警団全体に根拠のない自信とプライドを与えてしまった。自警団のリーダーとしては完全な失策だ。個人の信頼関係で成立しているこの町の自警団では、ナギがこの件から手を引くと言っても頭に血の登った連中は頑なにそれを拒否し、無謀な行動に出るだろう。

 リーダーとして、彼らの身を預かる者として、手綱を握るためには騎士団に反抗的な態度を取るしかないのだ。


「くそっ、兄貴は暢気なもんだぜ。涼しい顔で俺をあしらって、仕事が終わったらとっとと行っちまう。人の気も知らねぇ……でぇッ!?」


 突如、足に浮遊感。地面を空ぶったことに気付いたナギが慌てて足元を見ると、普段は石蓋で閉じてあるはずの水路がぽっかり穴を開けているではないか。慌てて体が全部落ちないように手をつくが突っ込んだ足はどうにもならず、ドブン、と地味な水音を立てて片足が水路に落ちてしまった。


「何で水路の蓋が開いてんだよーッ!!」


 思わず叫ぶと、ちらほら見え始めた住民たちがこちらを見てくすくす笑ったり、「災難だったな」と爆笑されたりとすっかり笑いものになる。なんとも間抜けな自分の姿に、恥ずかしいを通り越してナギは無性に悲しくなってきた。


「手の平擦りむくし、股関節ミシって音したし、片足だけ半端に濡れるし……ちくしょう、こんなことならいっそ全身ダイブで落っこちてしまいたかった……トホホ、人を呪わば穴二つってかぁ?」


 思えば昨日も『騎士団の下っ端』にアッサリ敗北した。

 そもそもオークの出現もバッドニュース。

 どうにも現在ナギの頭上の星の巡りは最悪らしい。


 数分後にまた畑にオークらしき被害が出たことを知り、ナギは怪しい知人が売っている「運気の上がるぱぅわぁストーン」を本気で買おうかと真面目に悩むことになるのであった。



 ◇ ◆




 子は親や家族を見て育つ。


 親の立ち振る舞いや常識、言葉は子にとって最も多く触れる文化であり、それに染まりながら世の中を学ぶのは当然の事だろう。また、親や年長者も当然の如く子供が困ったときには力や知恵を貸し、そこからも子は知識を吸収する。


 そして、その自主的な学習を越える範囲を「教育」という。

 この教育が常に世の親たちを悩ませてきた命題だ。


 甘やかしすぎても最終的には上手くいかない――とは限らず。

 厳しすぎても最終的には上手くいかない――とも限らず。

 丁度いい教育を施せば上手くいく――事が十割ではない。


 詰まる所、この教育とはどのように施しても成功と失敗が常に隣り合わせ。

 しかもこの問題の厄介な所は、教育を受けた側と施した側でそれぞれ感じた成否の結果が違う場合がある事だ。教育者側が上手くいったと思っていても受けた側は根に持っているなど珍しくもない話であり、この問題を人類が克服しているのなら「親不孝」だの「親の心子知らず」などといった言葉が後世に語り継がれている訳がない。


 だから、ガーモンはナギの事をよく知る兄でいようと決意した。

 兄として弟のナギの行く末の助けになる精一杯の行動したし、夢だった騎士になった後も常に気にかけていた。祖父母が他界してからは特に、手紙も仕送りも欠かさなかったし休暇は弟と過ごす時間が最大限になるよう睡眠時間を削って故郷に戻ったものだ。


 金だけ寄越して顔も出さない海外の両親と同じ人間になるのは嫌だから。

 だから、せめて顔だけでも会わせられる家族としてナギを見守った。


 しかし、弟はそれに良い顔をしない。

 子供っぽい反抗心なのか、最近は特にわがままでガーモンを毛嫌いするようになった。

 昔は――祖父母の家で暮らしていた頃にはよく二人で笑い合ったのに。


 子供のころは決められたお小遣いでお菓子を分かち合っては取り分で喧嘩したり、くだらないことで争った。だが今はあの頃とは違う。ガーモンは大人になり、忍耐や譲渡を覚えた。

 お金も、平民騎士はお金を使う暇がないからそれなりに溜まっている。

 故郷と王都の往復は体力、時間、金銭的な負荷であるが、それも弟の為と思えば苦にはならない。


 なのに、弟は不満を募らせてばかりいる。

 昨日も随分な態度でいじけられてしまった。

 騎士になって以降、ずっとこの関係が続いていた。


(俺とあいつの間に足りないものはなんだ? 何が不満なのか教えてくれ。俺の出来ることなら埋め合わせるから)


 せめて両親とは違い、兄として与えられる物を与えたい。

 たとえこの思いが一方通行で、ナギがこちらを疎ましがっているのだとしても。

 だから、もしも弟がそうあれと望むのならば――。

 

(お前が『会いたくない』と言うその日までは、俺はお前の兄でいたいんだ)

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