第26話 だから明日もやっていけます

 手の平を反す、という言葉がある。

 さっきまで優しかった人が何かのきっかけに突然冷たい態度を取ったり、或いはその逆であったり、とにかく人の移ろいやすい心境の変化を表すのに的確な言葉だ。


 あれは忘れもしない、士官学校入学の日。とうとう本気で騎士になる道に踏み込む緊張でガチガチになっていた俺は、同級生と思しき女性に話しかけられた。

 とても気さくで聞き上手な美人女性で、当時思春期真っ盛りの俺はテレつつも内心彼女に惹かれていた。さて、察しの良い人間なら後のオチは読めるだろうが、敢えてその後の会話を再現しよう。


『――ところで、貴方はどこの家のお方なのですか? 社交パーティーでは見かけたことがございませんが……』

『そりゃそうですよ。俺は平民の出なんで』

『はぁ? 平民の候補生なの? やだ、話しかけて損したわ。明日からは馴れ馴れしく話しかけないでくださいな、不愉快なので』


 上流階級の人は平民を何だと思っているんだと心の底から叫びたかった悲しき青春の一幕である。なお、この女性はいつぞやの同期のオルクス程ではないが、結構喧嘩を売りに来た。

 話しかけるなと言ってきたのに向こうから話しかけてくるのは何故だ。

 そしてよくセドナと掴み合いの大喧嘩をしていたのは本当に何故なんだ。


 女心と秋の空。手の平返しと同じく移ろいやすい心を表しているが、彼女の考えていることは俺には難解過ぎて分からない。ノノカさんの考えてることは顔見れば大体分かるんだけどなぁ。


 とにかく人の心の移り変わりとは予測しがたいものであり、現在俺の置かれている状況も又然り。


「――で、お前さんどんなモン食ったらあんなに強くなるんだよ? 教えてくれよぉ、団長は若いが俺らが束になっても敵わねえ実力の持ち主だってのによぉ」

「決まってんだろ。我が騎士団が誇る料理長の超絶美味料理だ。今朝食い損ねたけど」

「背後からの攻撃をどうやって捌いたんだ? 頭の後ろに目でもついてんのか?」

「多分あるだろうと適当に見当を付けて、まとめて吹っ飛ばせるよう動いただけだな」

「今まで何体のオークを斬ってきたんだ!? 百体くらい行ってんのか!? 百人斬りっつったら男の憧れだよな!」

「……覚えてないな。多分いってると思うけど」


 朝起きてからと言うもの、自警団の皆様の馴れ馴れしさが半端ではない。

 昨日は不良の溜まり場にずけずけ入り込んできた新人をイビる態度だったのに、今や学校に迷い込んだ珍獣みたいに周囲にべたべたされている。俺が酔っ払って演説をしたという話は聞いたが、それだけでこんなに打ち解けられるものだろうか。

 俺は昨日、自分が一体なにを語ったのか猛烈に気になってきた。


 しかしこのままでは落ち着いて食事も出来ない。

 無視するのも悪いと思って返事をしているものだから食べるタイミングがないのだ。

 俺の悩みを察した副団長さんが周囲の連中を追い払うよう声を張り上げた。


「おい、メシくらいゆっくり食わせてやれ! ついでにまだ酔いつぶれてる連中を叩き起こして顔洗いに行かせろ! いつまでも床に転がってると店の邪魔だ!」

「了解!! ……ほれ、起きろ!」

「んあ……もう朝、かぁ……」

「頭ガンガンするぜぇ……今日は自主練、休むか……」

「お前はその休みが目的で毎晩酒飲んでるんだろうが! ろくでもねぇ!」


 酔い止めの薬すら貰えなかったツケ貯まり組が他の連中の肩を借りてふらふら店の外に出ていく。店のマスターとバウムちゃんは粗方の食器を回収し終え、余り物の食材を樽に放り込んでいる。


「その食べ粕、どうするんだ?」


 興味本位でマスターに質問すると、顔は向けないまま返事が返ってきた。


「基本は魚の餌だ。家畜に食わせたり畑に撒くには油と塩が多すぎるらしくてな。昔はこんなに残飯は出なかったんだが、どうにも豊かになりすぎるってのも考え物だ。他所から食い物を豊富に買えるようになるまで残飯の処理など大した労力ではなかったのにな……」

「お前の騎士団ではどうなのだ? 美味い飯を食っているというのなら残飯もそれなりになるんじゃないのか?」


 副団長の男の言葉に俺は一瞬「何言ってるんだろう」と首を傾げ、やがてはっとする。普通騎士と言えば上流階級だから、一般人のイメージからすると食も贅沢で当然だと思っているのだろう。よく考えれば俺も騎士団に入る前はそういう幻想を持っていたので無理らしからぬ考えだ。

 しかし現実は残酷である。主に王立外来危険種対策騎士団限定で。


「うちの騎士団に食料関係で贅沢をする余裕も予算もない。足りないものは現地調達で、現地で調達できなかったら切り詰めて食い、続かなくなったらオークの肉を頑張って食い、それでも無理なら餓えて死ぬ」

「いや死ぬ前に王国に食料手配してもらえよッ!? というか食うのか!? 血に毒のあるオークを食っちゃうのか!? 魔物を食うって、お前それは騎士以前に人としてどうなのだッ!?」

「仕方ないだろ。予算がないんだ、予算が。他の騎士団は鱈腹たらふく食っているかもしれんが、うちの騎士団に支給される金額と言ったらもう……俺達は王国の体の良いお使いじゃねえんだぞ! 王国議会なんぞ壊滅しろッ!!」

「おいマスター、王国最強騎士が王国に反旗を翻したぞッ!?」

「うるさい知るか! 俺だって訳がわからん! 豚狩り騎士団はそんなに貧乏だったのかッ!?」

「そんなに貧乏なんです。ちなみに俺の給料は他の騎士団の騎士の十分の一です」

「安月給な王国最強だなオイ!? ある意味平民より割を食ってるじゃねえか!?」

「割じゃなくて肉が食いたい。ただしオーク以外で」


 ちなみにオーク肉は魔法で毒抜きした後二日間流水に漬け、たっぷりの香草を中に詰めて臭みを消したのちにフルーツと一緒に煮込んでようやく食えないでもないレベルになる程度の味と硬さだ。

 正直、この世にあれほどコストパフォーマンスの悪い肉はないと思う。

 ちなみにこれは豆知識だが、ノノカさん曰く「脳は珍味」らしい。

 当然脳みそなんか食いたくないと周囲には大不評であることは言うまでもない。


「ちなみにこの辺の土地だと獣も野草もないわ、おまけに釣り場の使用許可が出ないわで四苦八苦だよ。料理班も困ってたなぁ」


 現地調達と言ってもちゃんと地元住民の許可がなければただ環境を荒らしているだけだ。そういう意味で、このような荒地は騎士団にとって最も厄介な場所と言える。

 泣く子も黙るオーク討伐部隊も、空腹には勝てないのである。


「まぁ、その、なんだ。商店街にはその旨の話をそれとなく通しておいてやる。元気出せ」

「川の縁で釣りをしてもいいよう塀の管理者に話を通してみるよ。上手くいくかは分からんが」

「そいつはありがたいんだが、一つ聞いていいか?」


 正直その慰めは嬉しい反面で惨めな気もするのだが、貰えるものは貰ってくとして。


「俺が嘘ついてるとか思わないのか?」

「………」


 騎士団の懐事情なんて普通平民は知る機会もないことだ。

 それこそ出まかせを言って食料をせびるという考え方も出来る。

 いや、それを言い出せば俺自身が町の協力を得る為に送り込まれた一種の工作員とも取れるかもしれない。事実、きっと昨日まで周囲にはそれを疑うだけの警戒心があった。

 俺の質問に、マスターはふん、と鼻で笑った。


「余所者のお前は知らんだろうが、クリフィアにはこんな古い言葉がある――『口は出まかせを語るが、酒は真実を語る』、だ」

「……あれ、どっかで聞いたことがある言葉だな?」


 記憶を探り、俺はとある日の事を思い出して手の平をぱん、と叩いた。


「ええと、そうだ! ガーモン先輩が昔そんなことを……」


 まだ俺が騎士団に入りたてで、過酷で専門的な知識を求められる現場で右往左往していた頃……俺はガーモン先輩に誘われて二人で飲みに行き、酒が入った拍子に職場の悪口を二つ三つ口にしてしまったことがある。


 言って、俺はしまったと後悔した。

 厳正なる騎士団の人間が、酒が入ったとはいえ自分の職務に不平を述べるなど普通はありえない事だ。王国に任された仕事を否定するような言動は王国に対する不敬に値するし、規律を乱すとして最悪殴り飛ばされても文句は言えない。

 しかし、そんな俺の様子を見てガーモン先輩は笑った。


『やっとお前の本音を聞けたな。入団してからというもの余りに良い子過ぎるんで、嫌な想いを全部心に溜め込んでしまう奴なんじゃないかと心配してたよ』

『あ、あの。さっきのはちょっとしたジョークと言いますか……』

『あはは、確かにンジャ先輩辺りには間違っても聞かせられないな。でも、そういうのは考えてて当たり前のことだ。『口は出まかせを語るが、酒は真実を語る』……普段は隠してる本音も、たまには酒臭い吐息と一緒に外に出さないと身が持たないものだよ?』


 その時、一緒に言葉の由来も先輩が語ってくれた。


 ――昔々、羊飼いの男が他人の羊を盗んだ。


 その男は羊を盗まれた羊飼いと前々から仲が悪かったため、すぐにその男が犯人だろうと周囲は疑った。男は周囲の詰問に対して「証拠はない」「逃げられただけじゃないのか」とふてぶてしい笑みで答えたため、余計に疑われていたという。

 その日の夜、羊を盗まれた男は真偽を確かめる為に男の家に行き、高い酒を振舞った。

 最初は渋い顔をしていた男も酒の香りにつられて盃を取り、あっという間に酒に飲まれた。そしてその席で自分が羊を盗んだことをあっさり暴露した。羊を盗まれた男は言質と取ったと喜んだ。


 ところが、続く男の愚痴に羊を盗まれた男はショックを受けた。

 羊を盗まれた男の放牧は牧草の伸びを無視していてどんどん草が減っているとか、土地の境界線を区切る柵が壊れたのに放置するから自腹で建て替えねばならなかったなど、盗まれた側の不備を糾弾されたからだ。更に、男が盗んだ羊は実は見えづらい部分に怪我をしていたのに治療されてないことを指摘され、「自分の羊も管理できないのか」と逆に糾弾されたという。

 結局、この本音のぶつかり合いをきっかけに二人は和解したそうだ。


 この昔話から読み解ける教訓は、酒に飲まれて酔っぱらった時にこそ人の本性や抑圧された本音が出るということ。そうして腹の底を見せ合って初めて人は人を正当に評価することが出来るのだろう。

 俺の朧げな記憶を語ると、概ねそれで合っていると副団長の男が頷いた。


「酒でも入らないと言えない本音がある。だから俺達は一度酔っぱらいながら酒の飲み合いをしてから人を判断する。お前は、俺たちが信頼するに値する男で、国が誇ってもいい立派な騎士だよ」

「……ありがとう」

「礼を言うことか? 変な奴だ、お前さんは」


 まぁ確かにお礼を言うというのはこの場合少し変な話ではある。

 しかし、それでもお礼を言いたい気分になったのには理由がある。


「こんな風に人に認めてもらえるの、久しぶりだ」


 王立外来危険種対策騎士団は、上は国と聖騎士団、下は平民社会と力関係の中間に立たされている。国内唯一の実戦騎士団だの平民の剣だのと持て囃されても、その仕事内容や志を解せない人には心無い言葉をぶつけられることだってよくある。


 そんな仕事をやっていると、俺は自分が子供のころに憧れた立派な騎士からどんどん遠ざかっている気がして不安と焦燥に駆られることがある。自分では最低でも子供たちに恥じない騎士道を貫いているつもりだが、俺は本当に真っすぐ歩んでいるのだろうかと自問してしまうのだ。


 だからこそ、こうして王国最強という文字や言葉を越えた実物を見たうえで年上から『立派な騎士だ』と評価されることは、少し照れ臭く、そして嬉しかった。

 そうか、人に認められるとはこんなにも素晴らしい事だったんだ。

 思わずほろり、と瞳から一滴の涙が零れ落ちる。


(おい、『首狩り』が泣いてるぞ。若くしてどんだけ苦難の道を歩んでるんだ?)

(俺、だんだん騎士団が怖くなってきたわ。こんな激強な正義漢を周囲と一緒くたにして安月給で使いまわすとかブラック過ぎるだろ……)


 若干の風評被害――いや、真実も含まれるかもしれない――が広まったことには、その時の俺は露とも知らなかった訳であるが。



 ◇ ◆



 クリフィアの食事は少々塩が効きすぎ感はあるが美味しかった。

 なんでも周囲に岩塩が取れる場所があり、塩も豊富なんだという。

 夏は岩で卵焼きが焼ける暑さらしいので、塩分補給のためにしょっぱくなったのかも知れない。朝食を終えて外に出た俺は、ダウン気味の酔っ払い組に手を振りつつも町に繰り出した。

 既に冬ということもあり、早朝の町は乾いた冷たい風が吹き抜けている。


「あ、そういえばノノカさんになんでギルド制が上手くいかないのか説明してねぇ……ま、別に今すぐでなくともいいか。ノノカさんもガキじゃないんだし、どうしても気になったんなら別の人に聞くだろ」


 独り言をつぶやきながら、何故か曲線を描いている町の大通りを歩く。

 夕方には気づかなかったが、どうやら通りは水路に沿った形状らしい。


「あの人、見ない顏ね。誰かしら?」

「今は商人は来てないからねぇ、もしかしたら騎士団の人かも……ホラ、剣を持ってる」

「町中に何の用かしら。なんだか怖いわねぇ……」

「なに言ってんの。騎士団にはあのガーモンさんがいるんだから変なことはしないわよ!」


 通りを歩く俺を見る目は好奇心半分、不信感半分。一応私服を着ているが、剣をぶら下げる余所者なので見る人が見ればすぐに騎士団関連の人間だとバレてしまうようだ。


 飲み屋の自警団は一応俺の存在を認めてくれたが、それは俺個人の話であって騎士団に対してではない。町全体からしたら俺と言う存在はまだ得体のしれない余所者でしかない。

 居心地の悪さはあるが、特権階級連中の嫌味空間程ではない。

 幸い積極的にこちらに絡んでくる気配はないが、長居は無用。

 出来れば路地裏などの目立たない道を行きたかったが、残念ながらこの町は土地が余っている関係か家と家の間の空間が広い。どこを通っても結局目につくだろう。


(さぁて、騎道車に戻ったらシャワー、の前に副長と料理班の皆に頭下げないとな。気が重いぜ……)


 規律を破っての無断外出に加えて朝食を食べに帰ってこなかったともなれば、これは相当なお叱りを想定しなければならない。「地元の人と酒を飲み明かしました☆」などと言おうものなら普通の騎士団では確実に厳罰か降格、最悪の場合は騎士団から締め出されかねない。

 加えて、料理班に無断で食事を抜く行為は食事を用意する料理班にとってお残しに次ぐ迷惑行為だ。何故なら一人分削れるはずだった食材を余分に使うことで献立計画に少なくない影響を及ぼすが故である。


 筋は通さなければならない。

 俺は覚悟を決めて騎道車の前に立った。


 ところがこの数分後、俺はタマエさんから信じられない言葉を聞くことになる。

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