第22話 縦割りが全てではありません

 マニュアルというのは、得てして一番対応に困る状況では役に立たないものだ。


 仕事を始めたばかりで右も左も分からない新人にとってなくてはならない研修期間とマニュアル――それは確かに初めての現場では非常に役に立つ。

 ところが、仕事というのはいつも働く側の都合に合わせてはくれない。


 数多ある仕事の中には、こちらの想定を大きく変えるケースもある。

 それは状況か、発想か、或いはこれまでの定石を覆すかの如くルールの隙を突いて人間を困らせる。ベテランにもなると柔軟に対応が出来ることもあるが、そんなベテランでも常に予想外の状況に思わず唸ることはある。


「どうだ、キャリバン? トリちゃんはなんて言ってる?」


 九官鳥のファミリヤとしきりに言葉を交わすキャリバンは先輩の方を振り向き、難しい顔で呟く。


「この子曰く、オークが陣取っている断崖は雨水の侵食などでほぼ陸の孤島状態みたいっすね。地形は後で地図に直しますが、人が上れそうな道は見当たらなかったって言ってるっす」

「ふぅん……なんか釈然としねぇなあ」


 工作班のベテラン、チャップリンは望遠鏡でオークの様子を探りつつ首を傾げた。


「断崖な上に足場も最悪な岩山を拠点にしてる訳はねぇし、どこか人の見つけてない道から移動してるもんだと思ったんだが」

「それなんすけど先輩……どうもあの断崖、中央部に深い縦穴があるらしいんっすよ。この子によるとその縦穴からオークが出てきてるって……」

「なんだと? じゃあ連中の移動方法はその縦穴か? 一体どこに繋がってるかは調べさせたか?」


 言うまでもなくそれは重要な情報なので確認して貰わないと困るのだが、入団1年になるキャリバンはその問いに微妙な顔をした。まさか忘れていたのか――と叱ろうとした刹那、キャリバンが口を開いた。


「それも確かめようとしたんすけど、ちょっと無理そうっす」

「無理そう、だと? そうってなんだ、そうって。ハッキリ説明しろ!」

「穴の中身を確かめようとした瞬間に見張りオークらしい奴から投石の嵐っだったんすよ! あそこがオークにとって重要な場所なのは間違いないっすけど、正面からの偵察はリスクが高すぎるっす!」

『アレ無理! シカモ穴ガ深クテ底ガミエナイ!』


 新人と鳥のダブル主張によると、本当に確認は厳しいようだ。

 つまり今回の偵察で分かったのは、分からないことだらけという事実だけだ。


「ちっ! 対空砲火もアリとはまるで天然の要塞だぜ……自警団が見張ってる中で一体どこから町に侵入してんのか、皆目見当がつかん!」

「偵察範囲を広げながらあちらの動きを見るしかないっすかね……」

「そうだな……ファミリヤが怪我しない程度に偵察を続行しろ。俺は別働隊に報告に行く。ったく、どうなってんだ今回のオークは!」


 偵察が出来ず辿り着くのも難しい場所に潜むオークと、謎に包まれた襲撃ルート。

 オーク討伐に必須といっても過言ではない状況確認すら儘ならない現状。


 ファミリヤ導入によって加速度的に効率化された筈の偵察方法が通用しない現場に、工作班は早速躓くこととなってしまった。



 ◇ ◆



 夕食の場で俺達騎士団を待っていたのは、オークの偵察が上手くいっていないのでもう少し暇な時間が伸びる、という幸先の悪いニュースだった。


 食事ついでに軽く伝達された内容によると、オークの巣の場所はほぼ特定できたものの侵入ルートが構築出来ず、更にオークがどこから町の近辺に出没しているのか移動ルートが特定できていないらしい。そのため明日から更に広範囲を調査するための人員が発表された。


 さて、仕事がないのはいい事かと言うとそうでもなく、むしろ同じ業務時間なのに自分たちだけダラけていると逆に仕事をしたくなるのが仕事漬けな我らが騎士団の体質だ。甘美なる夕食を終えた遊撃隊は、いつの間にか町で買ってきたという安い豆をつまみながら地図を広げてあれこれ喋っていた。


「採石場方面から町までの距離はおおよそ北に2キロ。オークの本拠地がある場所はそこから東に六百メートル……直線距離だとそれほど離れてないな」

「だが町と巣を直線で結ぶルートは遮蔽物がないし足場が悪い。ここを通るくらいなら町の横の川べりを泳いで近づいた方が早くて安心だろう。尤も、その川べり付近は上流側の岸壁と繋がるようにブロック塀で覆ってるみたいなんだがね。大雨での増水対策だからかなり高いし、川に繋がる部分には鉄製の門もある。オークが登れる高さじゃない」

「大回りすれば? いくら塀っていったって下流側には淵があるんだろ?」

「残念、町の南側ではオークの目撃件数がゼロだ。ワニも出るらしいし、川べりを使っているって線はないな」


 本人なりに町の周辺を探索して得た追加情報が手書きの周辺地図に追記されていく。

 彼らも工作班を信用していない訳ではないが、任せきりにするのも事態を一面的に捉えることになって良くないと考えている。偵察結果が芳しい時はその結果を基におさらいをするし、今回のように芳しくなかった際はこうして勝手に会議を開始するのだ。

 これが時たま思わぬ発見を生むこともあるのであながち馬鹿に出来ない。

 縦割りなのに隣同士の繋がりが深いのがこの騎士団の強みであった。


「被害場所は方角的には町の北……つまりオークの巣の方面からだな」

「自警団が見張ってるルートってどこだっけ?」

「オークの巣の方面」

「自警団、本当に町へのルート見張ってんの? どっちかってーと俺達が見張られてる気が……」

「言うな。向こうにも面子があるんだろ」


 ため息交じりにそう返した団員の一人が、地図の被害があった場所にチェスチップを設置していく。

 チェスチップとはチップの表面にチェスの駒の絵柄が刻まれた、チェスピースの代替品だ。自警団のいる場所に白いルークが、そして被害のあった場所に黒いポーンが設置されていく。


「問題は自警団の監視に穴があるかどうか……そしてオークがどんなルートで町の付近に出没したかだ」

「侵入ルートと撤退ルートが同じなのかも気になる所だな」

「時に、ガーモン班長はどこだ? あの人はこの町の出身だっていうし、地理には詳しい筈だから意見をと思ったんだが……」

「ああ、班長ならメシが終わってすぐに町に向かいましたよ。案外自警団に話を聞きに行ってるのかもしれませんね」


 中堅所の騎士が豆を齧りながら親指で出入り口をぴっと指す。

 質問した騎士は「そうか……」と少し怪訝そうな表情をした。


「どうもこの町に来る前から班長はせわしない気がするな。我々の会議にも常に参加してくれていたのに……」

「思う所があるんでしょ、オークが故郷を襲ってるなんて一大事なワケですし。ああ、それと」


 騎士はそこで思い出したように付け加える。


「ヴァルナの奴が班長を追いかけてみるって言ってたんで、後でアイツに聞いてみたら何か分かるかもしれませんねぇ」

「あいつも居ないのか……まぁヴァルナはいいか。参加しても物騒な事ばかり言うし。今回だって『崖を全力で駆けあがってオークの首を全部斬れば早くね?』とか言い出すに違いない」

「うわー言いそう! これだからオーク殺すマンは頭おかしいよな! しかもあいつならやりかねないのが更に嫌だわー。なぁ、カルメ君よう!」

「あ、あははは……流石の先輩もそこまで無茶は言わないんじゃないですかね……?」


 会議の隅っこで話を聞いていたカルメはそんな先輩のフリに苦笑いしながら、明後日の方向を向いて白々しい笑い声をあげていた。


(言ってた……あの人確かに『いざとなったら一人でクライミングやってみるか?』って言ってた……!!)


 もしも先輩がそのような暴挙に出たら果たして自分に止められるのだろうか、とカルメは戦慄する。ついでにその時は援護射撃しろとも言われた気がする。

 ヴァルナは確かに尊敬しているし頼りになる先輩だが、時々凄く頭がおかしい。それは騎士団全体が考えている、数少ないヴァルナに矯正して欲しい所だったりするのであった。



 ◇ ◆



 びゅるり、と体温を奪う砂混じりの風が足元を駆け抜ける。


(うっ……予想以上に冷えるな。上着を持ってくればよかったか?)


 日が沈み始める町に繰り出した俺をなぜる風は予想以上に冷たい。

 昼草木が少なく湿度が低い環境のせいで寒暖差が激しいのだろう。太陽の熱を日没と共に手放してしまうこの荒野は、砂漠のように昼は暑く夜は寒いのかもしれない。


 オーク出没のせいか、それとも町の文化なのか、既に町は人通りがほぼなく閑散としている。

 あちこちの街路灯は既にオイルランプの暖かな光で道を照らし、本格的に夜の闇を迎え入れる準備を終えようとしているようだ。


 さて、こんな時間にもなると部屋に帰るなり剣の鍛錬なりやる事は色々とあるのに、それをせずに俺が町に繰り出している理由は何か。ずばり、こんな時間にお出かけするガーモン先輩を追いかけているからだ。


(こんな時間帯に自慢の槍まで持っての外出とは、まさかオークと戦おうとしてる訳じゃないよな……)


 食事が終わると同時に槍を抱えて街に繰り出した先輩を見れば、追いかけたくもなる。

 あの人は生真面目な男なので、夜に騎道車の外に出ること自体がかなりのレアケースだ。

 昼間の弟の件もあるし、どうにもガーモン先輩はこの町の名を聞いてからというもの、らしくない行動が増えている気がする。


 実はガーモン先輩は弟を探しに出てから夕食の時間になるまで戻ってきていなかった。更には夕食ついでに経過報告が行われたために、俺はまだ弟について聞いていないのだ。

 ちなみになぜこっそり追いかけているのかと言うと……アッサリ謎が明かされたら面白く無いなぁという俺の個人的な願望で偵察っぽい動きをしているだけだ。深い意味はない。敢えて言うなら追跡しているという今の雰囲気を楽しみたいといった具合である。我ながらいい年こいて何をやっているんだか。


(にしても、先輩随分町の奥まで進むな……そろそろ採石場へ続く道に差し掛かるぞ?)


 自分の100メートルほど前をつかつかと進む先輩から剣呑な雰囲気は感じないが、それがかえって不気味でもある。住宅街を通り過ぎたことに疑問を抱きながら追跡を続けると、やがて先輩は町はずれの開けた空間に出た。

 どうやらそこは採石場の石を別の町に送る馬車の発着場らしい。

 時間帯のせいで人もいなければ馬車も倉庫の中に仕舞われ、いまはがらんどうだ。

 そのうら寂しい空間の中央に――その男はいた。


「……遅かったな、兄貴。槍は持ってきてるんだろーな?」

「勿論、お前と会うというのに持ってこない訳がないだろう?」

「けっ……」


 見覚えのあるその男は、背中から片刃の槍を引き抜き、派手にぶんぶんと回転させる。

 巧みな手さばきで砂埃を舞い上げる刃の切っ先をガーモン先輩に向けたその男――ナギは、闘志を剝き出しにした凶悪な表情で吠えた。


「抜きな!! この数年で俺様がどれだけ強くなったか、その身に受けて噛み締めやがれッ!!」

「ああ、存分に見せてもらおうか……この私にッ!!」


 弟の攻撃的な態度に応えるように槍を上段に構えたガーモン先輩から闘志が噴出した。

 二人の構えは同じ、噴き出す気迫もほぼ互角。二人の動いたタイミングと、槍同士が交差して激突音を響かせるまでもが、綺麗な鏡写しのように一致していた。


 しかし、その突然の闘い以上に俺が驚いたのは――。


(おいおい、訓練用じゃなくて本物の鉄の刃を使ってんぞッ!?)


 真剣を使った決闘の類は、御前試合のような非常に特殊な場でしか決して許されない。

 何故なら、真剣は何の拍子に人の肉体を裂き、貫くか分からない人殺しの道具だからだ。

 武術とはそもそも相手を殺めるまでの過程から極限まで無駄を省いた先に成立する代物であり、それをぶつけ合えばおのずと死のリスクは避けられない。故に本物の刃で戦うことには法律的な制約があるのだ。

 もちろん目の前のこれは立派な違法行為である。

 俺は焦って二人に走り寄って叫んだ。


「双方、そこまで!! いや、もう手遅れな気もするがとにかく待った!!」

「家庭の問題ですので口出し無用ッ!!」

「誰だか知らんが巻き添えで死にたくなけりゃ引っ込んでな! お呼びじゃないぜッ!!」

「…………………」


 そしてこの塩辛い対応である。

 二人ともこちらの顔すら見ずに槍をグイグイ相手に押し込んでいる。


 一歩間違えば――いや、既に見ようによっては法律違反である真剣の類を使った決闘をおっぱじめる二人の槍使いの常識外れの行動に、俺はしばし絶句せざるを得なかった。

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