第23話 裏の裏は表です

 騎士と決闘は、いつの時代も切り離せない定めにある。


 ある時は仲間の為、ある時は祖国の誇りの為、そしてある時は自分自身の為に、一対一の真剣勝負に挑むは騎士の花道だ。御前試合も一種の決闘ではあるが、物語に登場するのはもっと馬鹿馬鹿しく、しかし当人にとっては譲れない極めて個人的な戦いが多い。


 命を懸けてでも譲れない想い。

 どこまでも愚かで、しかし誰よりも人間らしい熱き戦い。

 どうしても戦いでしか確かめられないもの。


 という訳で幼少期、アホの俺はそんな目に見えない物事に炎を燃やす騎士たちの姿に憧れた。しかしご存知の通り俺の故郷は穏やかな性格の人間だらけなので、ちょっと押せばすぐに引かれて勝負が成立しない。よって少年の熱い思いを受け止めてくれるのは地元剣道場のカカシだけという寂しい少年時代を送ったのである。


 まぁ、おかげで鬼のように強くなったと思えばこれはまだマシな思い出なのだが。


 大人になって初めて理解することもある。

 現在俺が目の前の決闘らしき何かに抱いている感情は、「お前ら何がしたいの?」というシンプルな一言のみである。


「ぐぅッ! 今のは腰の入った一撃だったぞ!」

「上から目線で講釈垂れんな!! どぅりゃあッ!!」

「むぅッ!! 嫌らしい間合いを突いてくるな! 今のは危なかったぞ!」

「そいつはお生憎様だな! 俺様の絶技はまだまだあるぜぇッ!!」

「楽しみだ! 無論、繰り出す暇があるのならだがな!!」


 高い位置から嵐のような猛追の刃を繰り出す弟のナギと、それをいなしながら的確に反撃を放って寄せ付けないガーモン先輩。演武のように矢継ぎ早に繰り出される長物の刃の応酬は凄まじく、迂闊に近づけば本当にお陀仏になりそうだ。


 しかし、俺は暫くして二人の動きがやけに手慣れている印象を覚えた。

 彼らは実の兄弟に刃を向けているという事実に何ら違和感を抱いていない。

 すなわち、この二人が刃を交えるのはこれが初めてではないということ。


(つまりアレか。これは闘牛祭りみたいに危ないけど常習化してるイベントな訳か?)


 二人とも実力は充分だし、勝手知ったる決闘相手なのだろう。

 だったら、一応監視はするが間違いは起こらないと思っていいだろう。


(しっかし先輩楽しそうだなぁ。もしかしなくても弟大好きなんじゃないの?)

「オラァッ!! セイセイセイセイッ!!」

「おおっ、前回は未完成だった多段突きまでマスターしたか! なら……これはどうだッ!」


 紙一重に見えるタイミングで槍を躱したガーモン先輩がかがみ、低い位置から横薙ぎの一撃をお見舞いする。ナギはそれを最小限のジャンプで避け、二人はすぐさま間合いを取った。

 やはりナギの実力はそんじょそこらのボンボン騎士より遥かに高いようだ。


(しかし解せないな。それほどの実力の持ち主が身内にいるのならあのタヌキ団長が黙っていない筈だ。二人のうちのどちらかが騎士団になることを拒否してるのか……?)


 ガーモン先輩はナギに笑顔を見せるが、当のナギは先輩と刃を交えれば交える程にしかめっ面に磨きがかかっていく。その表情の差が、二人の温度差を物語っているように思える。


「その余裕面が、気に入らねえんだよぉッ!! 一回ぐらい情けねぇ泣きっ面拝ませろや!!」

「それは出来ん。俺にも兄としての面目と言うものがあるのでな! どうしても見たくば実力でもぎ取って見せよッ!」

「その物言いが気に入らねぇと言ってんだッ!!」


 身内が騎士団であることは国民的な栄誉で、誇らしいことだ。

 なのに、ナギはどうも兄に対していい感情を持っていないらしい。

 疎ましさを存分に含ませた槍はしかし、まだガーモン先輩には届かない。


 先ほどから気になっていたが、ガーモン先輩は本気のようで本気ではないらしい。堅実に戦ってはいるが、常にナギの猛攻に対して鋭い反撃をせず少し待つように後手に回っている。

 ナギに好き放題やらせつつ、敢えて攻め手を緩めることで実力が均衡しているように見せかける――これは決闘でも訓練でもなく、ただの接待試合だ。


 やがて、疲れたのかナギが「やめだッ!」と叫んで踵を返し、それに合わせてガーモン先輩も槍を下ろし、嵐のような戦いは沈静化した。


「変なギャラリーも来るしクソ兄貴は相変わらずだしよぉ……って、お前昼間の変人騎士!!」

「こら、ナギ。人の顔を見るなり変人呼ばわりとは失礼ですよ。彼は私の部下で将来の幹部候補、ヴァルナくんです……って、うん? なんでヴァルナくんがここに?」

「気付いてなかったんかい……班長が挙動不審だと隊の士気にかかわるので様子を見に来たんですよ。副班長たちが地図とにらめっこしてましたし、あまり突飛な行動すると下が戸惑うんでせめて一声かけていきましょうや」

「ふむ、確かに少々軽率だったか……分かりました、一度戻らせていただきます。ナギ、聞いた通りなので俺はそろそろ行くよ」

「勝手にしろぃ、放浪兄貴」


 興味ありませんとばかりに口をへの字に曲げた弟の返答に、ガーモン先輩は嫌な顔一つせずに笑ってその場を後にしていった。あの人も後輩にナメられたときはかなり怖い顔が出来る人なのだが、弟のお世辞にもいいとは言えない態度に対する小言とかはないのだろうか。


「変な兄弟だな」

「変な騎士が言うかね……まぁいい。アンタ、兄貴の部下なんだってな。ちょっと面貸せや」


 兄が見えなくなるのを確認したナギが、肩に槍を引っ掛けたまま高圧的な態度で迫ってくる。俺よりも高めの身長から飛ばされる見下ろしの視線には、それだけで気弱な人は腰を抜かしてしまいそうな威圧感を放っている。

 が、そんなもんでビビってたら魑魅魍魎塗れの騎士団でやっていけない訳で。


「いいぞ。立ち話もなんだしどっか座って話せる所に行こうや。お前ん家とか行っていい?」

「てめーは俺のマブダチかッ!? よく今の流れからそんな馴れ馴れしい方向に話を進める気になったな!?」

「いいから早くしろよ。門限9時だからあと二時間くらいしか自由時間ないんだぞ?」

「知るかボケッ!! ああもう、うざってえ!! 分かった、俺ん家で話す! 茶菓子なんぞ期待するなよ!!」

「えっ……ご当地茶菓子とか楽しみにしてたのに……」

「騎士の癖に厚かましいッ!?」


 これは今知ったことだが、この男はガラが悪そうに見えてツッコミ気質らしい。




 ◇ ◆




 ナギの家は街はずれの一家族暮らせそうな民家だった。

 慣れた手つきで部屋の鍵を開けたナギは家に入り、外灯の光を頼りにランプに火をつけて部屋の中央の吊るしにぶら下げた。ゆらゆらと揺れるランプに照らされ、部屋の全容が露になる。


 必要最低限の家具、小物、釣り竿、サンドバックなどの手作り感あふれるトレーニング用具。

 まさに男の一人暮らし、といったそっけない部屋だった。


「外から見た限りではそれなりに大きい家だったが、一人暮らしなのか? 家族は?」

「両親とはちょっとな……。ここは俺と兄貴の家だ。十年くらい前はジイさんとバアさんと四人暮らしだったが、寿命で二人ともぽっくり逝っちまったよ。兄貴から聞いてないのか?」

「いやまったく。今になって思えば、あの人自分の家族の話とか全然してなかったなぁ」

「けっ、何考えてるかわかんねー兄貴だが、部下にも情報は与えてねえってか」


 うんざりしたように槍を壁に立てかけたナギは家のテーブルにどっかり座り込む。

 俺も合わせて椅子に座ると、ナギが口を開いた。


「アンタ、さっきの俺様と兄貴の勝負をどう思った」

「どうって……意味のない接待試合かな。正直あそこまで先輩が手を抜く意味が分からん」

「……本職から見てもそう見える訳かよ。ちっ、ナメやがって……!」


 どうやら本人にも手を抜かれている自覚はあったらしい。

 眉間に皺を寄せたナギは苛立たし気に床を蹴った。


「俺からも聞いていいか? なんで本物の刃であんな戦いをやってるんだ?」

「あ? なんで俺がてめぇなんぞにそんな話を聞かせなきゃならん?」


 ナギが挑発的な表情でふん、と鼻で笑う。

 なるほど、確かに。しかしここで素直に引き下がっても芸がない。少し釣ってみよう。


「そうか。まぁ別に後で先輩から聞けばいい話だからどうでもいいけど」

「……てめぇ本当に張り合いのねー男だな。騎士団ってのはどいつもこいつもそうなのか?」

「うちの騎士団は心臓に毛が生えてることで有名でね。挑発にも苦情にも臨機応変だ」

「お前と喋ってるとまるで暖簾に腕押してるみてぇで疲れる……」


 案の定、今度も挑発に失敗したナギはげんなりした表情でテーブルに突っ伏す。

 そして少しの時間を置いて、先程の質問にぽつぽつと返事を返し始めた。


「……最初は木の棒でやってたよ。段々エスカレートして本物を使うようになったんだ」

「どんな恐ろしいエスカレーター登ってんだよ。言っておくがアレ、都会でやったら決闘罪でしょっ引かれても文句言えねえからな?」

「知るか。本物でやろうって言ったら兄貴は二つ返事でいいよって返したんだよ。兄貴はいつだってそうだ。いつも俺の言う事に興味がないみたいにぞんざいに扱いやがる……」


 その言葉は、先ほどまでの安い挑発ではなく、腹の奥底に沈殿した重く冷たい思いの混じった言葉だった。そこで言葉は一度途切れ――やや間を置いて顔を上げたナギの顔には悪戯を思いついた悪ガキのように憎たらしい笑みが張り付いていた。


「これ以上聞きたいんなら俺と決闘して勝つんだな。お前の言う『決闘罪』……騎士が規律を破ることになる決闘でな。でないと俺はお前のことも認めんし、返事も返さん。兄貴に聞くなら聞いてもいいが、きっと俺の意見と兄貴の意見は食い違うぜ?」

「む、そう来たか……」


 意外と強かな男だ、と内心でちょっとだけ感心する。

 この男は、俺がナギという男に興味を持ち始めていることを知っている。先輩から聞き出せる情報もあるが、弟の言い分と二つを照らし合わせないと二人の人間関係は見えてこない。


 しかも、自警団の内心を探るというもう一つの目的を達するにはこの男の信頼を手に入れる事が一番の近道だ。ここで提案を避ければ、ナギはそれを理由にこちらに無視を決め込むか大騒ぎを起こして俺を追い返すだろう。そうなると騎士団にとってもよろしい事態ではない。


 その上での決闘の提案。

 騎士に自ら法律を破れと要求し、しかも法律を破らないなら情報は与えないと餌をちらつかせるとは巧みな戦法だ。国に仕える身として常に規範であらねばならないという大きな誇りを抱いた騎士は、こうなると諦めざるを得ない。


 ……が、詰めが甘い。


「よし、やろうか決闘。ルールは寸止め一本でいいか?」

「ってコラァァァァーーーッ!? いくらなんでもアッサリ法律破りすぎだろうがッ!?」


 目を剝いてツッコむナギだが、心臓に毛が生えていることで有名な俺達騎士団は乗れると踏んだ挑発にはここぞとばかりに乗って場をかき乱すのが得意技である。

 それに、法律についての抜け穴も用意してある。


「目撃者は俺とお前だけだ。二人とも黙ってりゃ違反は自然消滅するって寸法よ!」

「むぐぐぐぐ……ま、まぁいい!! 俺に勝てなきゃどっちにしろ続きはナシだかんなぁ!」


 こちらが剣を持っていることからリーチ的には自分が有利だと判断したのか、ナギはすぐに不敵な笑みを浮かべて立ち上がった。自らの勝利を信じて疑わない姿はある意味では無謀でもあるが、最初から及び腰では勝てる戦いも勝てなくなるものだ。その心意気やよし。


(……さて、ここで上流階級連中だと更に二つ三つとややこしい駆け引きが続くんだけど。ま、コイツなら大丈夫か)


 特に根拠はないが、俺には確信があった。

 先輩の弟だからという訳じゃないが、ナギはきっと悪い奴じゃない。



 ◇ ◆



 田舎の人間に対して都会の人々が抱く印象は、大別して二種類ある。


 それは「親切で優しい」という暖かさと、「余所者に対して排他的」という冷たさだ。

 特に騎士団など自らの生活圏からかけ離れた人間は、旅行者の類と違って日常に割り込んできた明確な異物だ。

 余所者が考えなしに行動し、土地を荒らす――ある意味それは抱いて当然な警戒心なのかもしれないし、事実として他所から来た人間はその土地の人々の暮らしを知らないから、意図せずに踏み込んでほしくない空間を荒らしてしまうことは大いにあり得る話だ。


 しかし、警戒心も行き過ぎると対話そのものを妨げてしまう。

 それが証拠に、決闘場代わりにと連れてこられた酒場に入った俺を出迎えたのは、不快感と警戒心を露にした屈強な男たちの集団だった。



「……団長、後ろのそれは?」


 口を開いたのはカウンターで酒を呷っていた男。

 頭半分に虎の爪のような剃り込みを入れた強面の男の腰には剣がある。

 目だけを動かして周囲を見ると他の面子も武器を近くに置いており、ほぼ例外なくこちらをねめつけている。招かれざる客は帰れと顔に書いてあった。


「団長なのかお前……ってことは、ここで飲んでるのは自警団だな」

「そういう事だ。にしても全然驚いてねぇなお前は……なんか慣れてきたよ」


 今更強面程度でビビる人間じゃない俺の暢気な反応に苦笑いしたナギは、親し気に剃り込みの男に声をかける。


「兄貴の部下らしいからちょいと腕を試してやろうと思ってな。ほら、開けてくれ」

「……まぁ、団長が言うなら」

「おい、そっち持て」

「ちっ、何で騎士なんぞの為に俺たちが……」


 俺に対する胡乱げな目線を外さず、男たちが自分の飲んでいた酒ごとテーブルを左右に引いていくと、半径五、六メートルほどの空間がぽっかり空く。どうやら彼らなりの決闘場らしい。

 喧嘩や腕比べによくやっているのか、酒場のマスターは気にした様子もなくグラスを磨いている。


 空間に満ちる痛いほどの敵意。

 ひそひそと囁かれる言葉の節々に、騎士団への不快感が滲み出ている。

洒落にならない空気になったら素直にトンズラした方がよさそうだ。

 ナギが決闘場所としてこちらに対し圧倒的にアウェイな空間に引きずり込んだのは果たして作戦なのだろうか。お気に入りの酒をオーダーするようにナギが手を挙げる。


「さてと………おい、長物と木刀!」

「はい、団長! いつものをピッカピカに磨いて用意しときました!」

「おら、騎士野郎はこいつでも使えや!!」


 カウンターの隅に置いてあったらしい訓練用の木の棒を持った男が恭しくナギにそれを渡し、代わりに槍を預かる。もう一人の男は木刀をこちらに投げてよこしたが、よく見ると柄に唾が吐きつけてあり悪臭がする。

 思わず顔を顰めると、男は醜い愉悦に顔を歪めた。


「へっ、木刀はそれ一本しかないから我慢するん……」

「代わりに剣の鞘使うから返すよ。態々持ってきてもらって悪いな」

「えっ」


 使いたくないものは使わなければいい。

 俺は木刀の切っ先側を掴み、唾が張り付いた柄を相手に向けて丁寧に返した。途端に男が後ずさり、顔から脂汗を流す。


「い、いや使えよ。せっかく用意したんだからよぉ」

「いやいや、逆に借りるのも悪いかなって。大丈夫、鞘の扱いには慣れてるし、ほらっ」

「うわっ! ちょ、取っ手をこっちに押し付けてくんなっ!! 分かった分かった、代わり持ってくるって!!」


 自分で吐きつけたであろう唾を触りたくないがために慎重に木刀を掴もうとする男だが、ついうっかり手の滑り続けている俺が木刀の柄をフラフラ彷徨わせているせいで左右に奇妙な回避行動を続けている。

 やがてあまりに低レベルな攻防に飽きれたナギが木刀を一本こちらに放り投げた。


「ええい、いつまでしょーもない嫌がらせの応酬してんだ! ほれ、こっち使え!!」

「お、サンキュ。んじゃ、こっちの木刀返すよ」

「いらねーよ! その辺に捨てとけ……うわぁああ!? 俺に引っ付けようとすんなぁッ!!」


 大慌てで木刀の刃部分を掴んで撤退した男は、周囲に非常に冷たい視線にさらされていることを気にも留めずに真剣そのものの顔でナギに迫る。


「団長! アイツ、唯者じゃねえですぜ!! お気をつけて!!」

「お前が只ならぬ馬鹿なんだよッ! まんまとペースに乗せられてんじゃねえッ!!」


 スッパァァァァァン!! と、男の頭をはたく軽快な音が酒場に響き渡った。

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