第19話 表は白くても裏は真っ黒です
結果を先延ばしすることも、結果を求めすぎることも、等しくリスクを負うものだ。
先延ばしにするといつの間にか刻限が訪れ、未達成という失態を晒す。
だからといって焦ってやろうとすれば、必ずどこかに粗が出る。
しかも、このような微妙な判断を要求される行動に限って後から他者にあれこれ批評されてしまう。
よく覚えているのが士官学校で教官にコキ使われた時の経験だ。
剣術訓練で使う木刀の出し入れは士官候補生がやらされる仕事なのだが、その日は俺の番だった。
たった二十人分とはいえ二十本の木剣が詰められた籠はかなり重く、それ自体が騎士としての訓練みたいなものだ。ちなみにその運搬時間はカリキュラム的にはかなりギリギリなのでほぼ確実に遅れて教官に怒られる仕組みになっている。
じゃあそこで怒られたのが思い出なのか、と問われればそうではない。
教官は確実に遅れることを期待していたのに、普通に間に合ったのだ。
体力だけは有り余っていた若かりし日の俺にとってそれは難しいことではなかった。
しかし、これに教官は顔を真っ赤にして怒った。
こっちからしたらなんで怒られなきゃいけないんだと思うが、それだけ自分の予想通りにいかなかったことに理不尽な怒りを覚える大人というのはいるものだ。そして怒りの矛先が見つからず探しに探しまくったであろう教官は、凄まじい剣幕で唾を飛ばしながら俺をこう怒鳴りつけた。
『今日は剣と盾を使った訓練をすると言っただろうッ!! 盾はどうした貴様ぁッ!!』
『えぇーーーッ!?』
もちろんそんな予定はない。すぐバレる大嘘である。
盾の使い方は習っているが、そもそも盾術を教えるのはその教官とは別の教官だった。その頃まだ純真な部分を残していた俺は訳も分からず唖然としたのを覚えている。
ちなみにその教官との悶着は二か月ほど続き、割と色んな思い出になった。
今はどこで何をしているのか知らないが、噂によると田舎に隠居したらしい。
原因は……アレだろうなぁ。
「どうしたんだい、ヴァル坊?」
「ン……いえ、この騎士団の上司は無茶は要求してくるけど理不尽は要求してこないのが救いだなぁ、などと考えたりしてました」
食堂で木の実クッキーをつまみながら黄昏ていると、休憩に入ったらしいタマエさんが目の前にいた。
お疲れ様です、と頭を下げると、気を使うなとばかりにぱたぱた手のひらを振る。
なお、お礼をしなかったらひどい目に遭うことはない。
ただ単に料理班の心証が悪くなり、対応が雑になり、雑に扱われていることが周知されて待遇が悪くなるだけだ。心象が悪いと損をするこの世の中で感謝の言葉は大切なのだ。感謝してもしなくても怒られることもあったりするが。
それはさておき、俺の思い出話にタマエさんは普通に乗ってくれた。
「まぁ、理不尽なことを要求するような上司には碌な奴がいないからね。そしてその手の碌でなしは得てして自分の言ってることが正しいと信じてると来たもんだ。それでもお役所仕事ならある程度部下の統率は取れるかもしれないけど、この騎士団でそれは無理だねぇ」
そう言って、タマエさんは優しげな笑顔を浮かべる。
この騎士団が纏う、元気だけが取り柄な空気――きっとタマエさんはそれが心地よいのだろう。
宮廷料理人を辞めてここに居ついているぐらいだから、それは間違いない。
「予算も仕事もギリギリの騎士団なんだ、リーダーが傍若無人じゃ上から下まで本当のロクデナシ集団になっちまう。そういう意味ではルガーの奴はよくこの騎士団を管理できてるよ」
「……言われてみればそうかもしれませんね。ウチの団員はみんなクセがありすぎますから、おカタい特権階級連中じゃ手綱を引けないでしょう」
「そういうことさね!」
仕事中に酒を飲む先輩、仕事中は寝ている先輩、後輩にたかる先輩……枚挙に暇がない個性の暴走は「大人の問題児」とか「成人児」とか様々な蔑称で呼ばれている。この騎士団も一部では幼稚園騎士団という屈辱的過ぎる名前をつけられたり……そんな連中の個性と取り柄を見出して、ギリギリ不満が爆発しない程度の待遇を与えるのは、並大抵の人事では勤まるまい。
そういう意味ではルガー団長という男は傑物なのだ。
「ただしあたしゃ、人間としてはあのヒゲ男は好かないがね」
「俺も好きではないですよ。悪巧みばっかりしてるし割と無茶な要求してきますし、たまに俺を巻き込みますからね」
あれは忘れもしない去年の年末の事。
突然ルガー団長が本部でゴロゴロ休んでいる俺に「ちょっと日帰り旅行いかない?」とか言い出した。その時点でちょくちょく団長の胡散臭さは知っていたが、御前試合優勝の労いだと言われれば悪い気はしないのでノコノコ着いて行ったあの日の俺は浅慮だったと言わざるを得ない。
いや、厳密にはいい思いをしなかった訳ではない。
行先は有名な避暑地で、食事も美味いし景観もいいしで仕事三昧の俺には新鮮な経験だった。
ただ、そこで一通り観光した後、団長は急に「礼服を買ってやる」と言い出した。
今にして思えばかなり不審な提案だったと言わざるを得ない。
しかし、まだ人を疑うことに慣れきっていない俺はあっさりその提案に頷いた。
その頃の俺は一応礼服を持っていたが、それは士官学校入学時に父から借りパクした超安物。騎士としては正装=鎧みたいなところがあるので果てしなく着る機会が少ないとはいえ、やっぱり俺も立派な服が欲しいという欲求はあったのだ。
俺と団長は町の特権階級向け服屋に赴き、「これカッコイイ」とか「これ似合いそう」とか普通に友達と買い物しに来たノリで礼服を選んだ。団長の凄いところはもう齢五十を過ぎたオッサンの癖に滅茶苦茶気安い所だ。もちろん締める所では団長の威厳を出すが、威厳を一通り示した後に「あーシリアス顔疲れるわぁ。もうやんねー」と言って周囲をズッコケさせるのが定番になっている。
そして馬子にも衣装とばかりにバシっとコーディネートが決まったところで、団長がニコニコしながら急にこう言い出したのだ。
『じゃ、そろそろ本当の仕事行っちゃう?』
『はい? ……これ休暇じゃなかったんですか?』
『うちの騎士団に休みはねえ! あるのは仕事のある業務時間と仕事のない業務時間だ!!』
『業務形態が歪すぎるッ!?』
そう、全てはあのひげジジイの策略だったのである。
許されるなら今からタイムスリップしてあっさり騙された俺の後頭部に一発蹴りを入れてやりたい。
「で、何やらされたんだい?」
「武器や装備の市場を独占してる商人がいるらしくてですねぇ、その商人より安く装備を
「はぁ? なぁんでまたヴァル坊がそんな話に付き合う必要があるんだい?」
「その商人、女性だったんすよ。しかも団長の事前のサーチによると若い男大好きだったみたいで、護衛扱いで後ろに控えてたら猛烈な熱視線を浴びました」
三十歳くらいだが、女の色香が凄い感じの美人だった。なお、帰り際に先に出た団長に扉を閉められて二人きりにされ、滅茶苦茶迫られた。
流石に旦那にはなれないと納得してもらったが、顔に口紅の跡が大量について団長に爆笑しながら「お楽しみだったろ? お楽しみだったんだろ?」と訊かれた際にはさすがにキレて股座を蹴り飛ばした。ネズミの断末魔みたいな切ない声で悲鳴を上げて悶えていた。ざまぁ。
「本当にざまぁないね」
「晩飯に高いステーキ奢らせてもう一回泣かせてやりました。どうやら礼服も含めてポケットマネーだったようです」
「それがいい。ヴァル坊を怒らせて一番困るのはあのひげジジイだからね。こちとら散々利用されてんだ。逆に利用できる時には散々利用しときな」
「はい、そりゃもう積極的にさせていただきます」
と、背後に気配を感じて振り返る。
するとそこには可愛い後輩ことカルメとキャリバンが真っ青な顔でこちらを見つめていた。
「先輩が怖い会話してる……!」
「先輩、闇の道を行く気なんですか……!?」
「いかねーよ。勝手に人をダークサイドに落とすんじゃねえ!」
「で、でもでも! 先輩たちがその、貴族に殺された姉の仇を取る為にヴァルナ先輩は騎士団に入ったって……!」
「俺に姉とかいねーから! 一人っ子だから! 近所で評判のやんちゃ坊主だったから!」
「お、俺は大切な人や故郷をオークに滅ぼされて復讐を誓ったって……」
「滅んでねぇから!! 割と王都に近くてオークなんか一回も出没したことねーから!! 一族郎党近所も含めてピンッピンしてるぞ!! というか二人で話が食い違ってる時点で自分がたばかられてる可能性に気付けッ!!」
俺の指摘に二人がハッ! と今気づいたような顔をしている。おバカ共め。
何故か背後でタマエさんがほっと息を漏らした気がするが気のせいだろう。
「どこの若者向け物語の悲劇のヒーローだっつーの。あの先輩共、暇を持て余して俺に勝手な設定を盛りすぎだろう……」
「いや、でも先輩も悪いっすよ。あんな鬼気迫る勢いでオークの首狩ってたら勘違いの一つや二つされますって」
「首狩ったら確実に死ぬだろ?それの何が悪いよ」
「えぇ……」
キャリバンが引いた。なんでや。
「カルメだってほら、矢で脳天一突きだろ。それと同じだ」
「えぇぇ……」
キャリバンがカルメからも引いた。カルメは涙目だ。なんでや。
「というかキャリバン、お前たまにファミリヤの鳥を使ってオークの目ん玉抉って貰ったりしてるだろ。俺からしたらそっちの方が数倍エグイぞ」
「ひえぇぇ……」
今度はカルメがキャリバンから引いた。謎のトライアングル完成である。
「……最近の若いのはどいつもこいつも物騒だねぇ」
タマエさんがため息をつきながらぼりぼりクッキーを齧ったが、その場の全員が否定できないのであった。いつの間にか若人たちも立派なオーク殺すマンに変貌しつつあるらしい。
翌日、一週間を費やしたオーク討伐は、はぐれオークを含めて完全に撲滅されたことが確認された。住民たちは俺達騎士団に涙を流して感謝しながら、オークによって奪われた生活に戻っていった。
仕事を終えて一度王都に帰還する騎道車に揺られながら、俺は思う。
あの山に再度オークが住み込む可能性は皆無ではない。
だが、少なくとも周辺の地域にオークの目撃証言がないのなら来る可能性は低いだろう。
俺たちのオーク討伐はあくまで対症療法、つまりその場しのぎでの駆除に過ぎない。
今も国内で繁殖したオーク達は島のあちこちを駆けまわり、様々な場所で被害を出し、民の生活を脅かしている。それに対抗する戦力は、この王立外来危険種対策騎士団しかないのが現状だ。
海外では手広く魔物を討伐するために民間の有志を募るギルド制を採用しているらしいが、集団で狩らねば確実性に欠けるオークを相手に民間人を投入するなど狂気の沙汰だ。事実として、海外の本ではこの手の亜人討伐がいかに多くの犠牲を出しているかを雄弁に物語っている。
では、このイタチごっこはいつまで続くのだろうか。
「ルガー団長はこの先の事をどう踏んでるのかね……」
そんな団長の事だから、今のままでいいなどとは考えていまい。
そういえば、俺はもうすぐ副団長に出世するらしい。
丁度いいからその機会に、一度その辺を聞いてみよう。
もしも団長の代で為せない計画があるのなら、俺もその片棒を担いで騎士団を導かねばならなくなるのだから。
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