第二章 荒地と断崖の町

第20話 必ずしも蔑称ではありません

 王都から東に馬車で二日ほど進んだ先に、断崖の多い乾燥地帯がある。


 なんでも昔はそれなりに緑が豊かだったものの、数百年前に放牧地として無節操に過剰な放牧を繰り返したせいでその周辺だけぽっかり不毛の大地になってしまったらしい。一度は人が寄り付かなくなった荒地だが、近年この周辺で上質な石材が採掘できることが判明してからは川沿いに人が集まり、今では土地改良をしつつ石の出荷で財を成す、それなりの規模の町が出来ている。


 そう、今回のオーク討伐依頼はその町――クリフィアからやってきた。


 草の生えない不毛の大地で砂塵をもうもうと立てながら進む騎道車の中で、王立外来危険種対策騎士団の面々は次なる戦いへ思いを馳せていた。




「え、故郷なんですか?」

「そうなんだよ、クリフィアは俺の故郷なんだ。特権階級になれる程ではないけれど、俺の家もそこそこの商人だったりするんだよ。尤もだからといって裕福な暮らしをしてたかというとそうでもないんだけど」

「へぇ……でも乾燥地帯だと作物があまり育たないんじゃないですか?」

「そうでもないさ。確かに他所の土地よりは過酷だけど、それなりに大きな川が近くにあるし。それにここ数年で結構土壌改良が進んだから収穫はそれなりにあるんだ」


 騎道車最上階にある訓練場で休憩しながら、俺は隣で一緒に鍛錬していたガーモン遊撃班長とクリフィアについての会話をしていた。


 ガーモン先輩は国内でも指折りの槍使いで、御前試合でも次鋒として参加していた腕利きだ。また、この騎士団の人間の中ではかなり常識人に寄った価値観と倫理観を持ち合わせている。

 そんなガーモン先輩の出身地が次の目的地とは素直に驚いた。


「いい土地だよ。王都に比べれば不便かもしれないけど、その分みんなが優しいんだ」


 そう言って微笑む先輩を見て、成程と納得する。

 ようするに、ガーモン先輩のような穏やかな人間が育つ程度には平和な場所なのだろう。心が豊かである土地は、時として物資だけが豊かである場所以上に住み良いものだ。田舎から王都に出てきたときは特にその事実を噛み締めた。

 でも、とガーモン先輩は不思議そうに首をかしげる。


「正直驚いたな……知り合いからの手紙じゃあの周辺にオークが現れたなんて話は聞いていないし、他の土地に比べると痩せてるのは確かだ。オーク好みの土地じゃない」

「オークが好む環境は高温多湿で食料が豊富な場所ですからね。幾ら環境適応能力が高いからって、よっぽどの理由がない限り自ら荒地には来ませんよね」

「ああ……オークが好むような家畜や獣は少ないし、森も狭くて川沿いにしかない。オーク好みの遮蔽物もあまりないし、日差しが強いから体毛の少ないオークには辛い筈だ」

「となれば、餌場を探して偶然見つけたから襲っているだけか……?」


 いくらオークが生命力旺盛でも、餌の少なく住みづらい土地に好き好んで居座りはしないだろう。通りすがりに田畑を襲って腹を満たせば三日と待たずに別の餌場を探して旅立つはずだ。

 しかし、それならば騎士団に討伐依頼が出た理由が分からない。

 ガーモン先輩もそれに気づいていたのだろう、俺の言葉に静かに首を振った。


「俺も詳しい事は聞いていないが、騎士団が駆り出された時点でその可能性は低い」

「ですね。俺たちの仕事はあくまで一定の土地に居ついたオークの殲滅ですから」


 はぐれオークの数匹や場所のはっきりしないオーク集団に一つ一つ対応している余裕はない。だから確実にコロニーがあると判断された時にしか騎士団は出動しない。

 逆を言えば、それでも首が回らなくなるほどオークはこの国で繁殖しているのだが……それはさて置こう。 

 

「ここで話してても始まらないか。現地に行って話を聞くしかないですね」

「一応自警団があるから犠牲は出ていないと思うが……どうも気が休まらないな。ヴァルナくん、少し手合わせに付き合ってくれ」


 故郷が無事か不安で仕方がないのか、気を紛らわすように木槍を掴んで立ち上がったガーモン先輩に、俺は苦笑した。気を紛らわすためにちゃんばらを使用など、存外この人も子供っぽい所がある。

 俺はその言葉に頷き、木刀を掴んで立ち上がった。


「手加減してくださいよ? 槍相手はキツイんですから」

「何を言うかと思えば……聖天騎士団長に勝った君に今更加減など必要あるものか! 腹立たしい程アッサリ勝つんだからね!」

「いや、だって騎士団の為に……どわぉッ!?」


 ボヒュッ!! と空気を裂いて俺の鼻先に木槍の横薙ぎが掠る。

 咄嗟に身を引いていなければ鼻がかなり愉快な形に変形するレベルの攻撃だった。

 振るった先輩の顔は、先ほどの穏やかな気配が一切感じられない圧倒的本気である。

 たらり、と冷や汗が頬をなぜる。


(わ……忘れてた! この人基本的にいい人だけど、武術に関しては滅茶苦茶負けず嫌いなんだったぁッ!!)


 断れば望みはあったのだ。断れば。

 しかし組織に属する人間は、先輩に対して後から出来ないとは言えないのだ。

 悲しく残酷な上下関係は、無情にも後輩から逃げ場を奪っていた。


 その後、俺は先輩の気が済むまで凄まじい槍の嵐を必死に掻い潜り続ける羽目に陥り、任務前から疲労困憊になるのであった。


 なお、任務前に怪我をさせる訳にはいかないと手加減しようとしたのに先輩は容赦なくその隙を突いてきた。一瞬ブチのめしたろうかと思った俺を責めないでほしい。

 誰かこの人に「本末転倒」という言葉を教えてほしい。切実に。




 ◇ ◆




 これは小話なのだが、騎士団は現場に到着してもすぐには外に出ない。


 まず、作戦立案に関わる人間――副団長、班長格、ノノカさん含む研究院の専門家がそれにあたる――だけが先行して降り、その地域の責任者から話を聞くのが慣例となっている。


 いくら騎士団とはいえ、余所者がいきなり大挙して押し寄せれば住民に不要な威圧感を与えるし、トラブルの元にもなる。故に責任ある人たちが実際に話を聞き、様子を見てから騎士を村に入れてよいかどうかなどを話し合う。


 ついでにその過程で村での常識や禁句などを可能な限り調べておかないと、後でやらかして気まずい感じになる。昔は団員がやらかしたせいで食料を売っててもらえなくなったという話まである辺り、根深い問題だ。


 しかし、今回の町ではどうやらそれは無用な用心だったらしい。

 何故か班長格と一緒に連れてこられた俺は、町の様子を見てそう判断した。


 既に町長の家に辿り着くより前から市民たちはわいのわいのと表通りに集まり、賑やかしくこちらを見物している。

 雰囲気は歓迎ムード。そしてその目線は、ガーモン先輩に注がれていた。

 そしてその印象は、町長の様子を見たことで確信に変わる。


「おお、来てくれたかガーモンくん! いや、今は騎士ガーモン殿と呼んだ方がいいのかな! 町の名士がこうして助けに来てくれるとは嬉しい限りだ!!」

「お久しぶりです、リッキー町長。ご健勝そうで何よりです。それと、殿付けはよしてください。他人行儀で寂しいじゃないですか」

「むっ、それもそうか? せっかく故郷に戻ってきたのだし、堅苦しいのはナシにしよう!」


 俺の目の前では、ガーモン先輩と妙にマッチョな町長が暑苦しい握手を交わしている。ここの出身だとは聞いていたが、ここまで親しい関係とは知らなかった。


(あ、でも先輩はこの国でも屈指の騎士として名が通っているもんな。見たところ大きい街でもないし、地元じゃ有名人か……)


 御前試合に選抜されるというのは、歴史に残る栄誉なのだ。


 かくいう俺も地元に戻れば有名人。

 ただし、皆のリアクションは出稼ぎから戻った若者が受けるあの無駄に過去を掘り返されて辱めを受ける感じになる。高齢化の進んだ村だから同世代の人間が出稼ぎやら引っ越しやらでほぼいないからだ。

 普通に尊敬してくれるのなんて近所の子供たちぐらいである。何だこの格差。


「弟は相変わらずですか?」

「ああ、勿論! むしろ御前試合の知らせが届いてからはもっとヒドく……もとい、元気になったよ!!」

「あー……失礼、リッキー町長。あとで騎士ガーモンと話をする時間はお作りしますので、そろそろ話を聞かせていただけませんか?」

「……ああっ、これは失礼! いや、この町は誰も彼もが親戚のようなものでしてな! つい話し込んでしまいました!」


 ローニー副団長の気遣わしげな声にリッキー町長もお恥ずかしい、と頭を下げた。

 かくして今回の王立外来危険種対策騎士団の仕事内容が詳細に知らされた。


「始まりはおよそ二週間ほど前。採石場の鉱員たちの目撃証言からでした」


 その採石場の近くには非常に高い岸壁が存在するのだが、その岸壁のごく小さな足場をオークが移動していたという。


 最初は見間違いか何かだろうと周囲は思った。

 それまでオークの目撃証言はなかったし、そもそも山に辿り着くにはそれなりに長い荒地を大移動しなければならない。だから当初はオークではない別の生物ではないかとさえ言われていた。

 しかし、念を押してと町長が自警団に頼んで崖の付近を調べてもらった結果、そこには確かにオークの移動している姿が見受けられた。


「それでも一度に確認されるオークの数はせいぜいが二、三匹。故に我々もはぐれの類かと思い、すぐに自警団に頼んで討伐してもらいました」

「自警団ですか。珍しいですね?」

「わが町には特権階級の人間がいないのでやむを得ないのですよ。特権階級がいれば直ぐにでも騎士を派遣してもらえますが、うちのような新興都市ではそうはいきませんから……」


 悲しそうに笑うリッキー町長の言葉の意味がピンと来なかったらしいノノカさんが俺の服の裾をくいっと引っ張った。


(ねぇヴァルナくん、どういう意味か分かる?)

(特権階級の助けを求める声と平民の助けを求める声では、議会や王宮への聞こえが違うってことです)


 特権階級は議会の参加権や王宮及びその直属組織に仕える権利があるので、どんな人物であれ特権階級の言葉は無視できない。しかし平民の声なら聞くも無視するもお上の勝手だ。


(こう言ってはなんですが、はぐれオークの二、三匹が見つかったぐらいで逐一騎士を派遣していたら議会が立ち行かないんです。恐らく請願を送っても偉い人の耳に届く前に秘書や役人が途中で握り潰してしまうでしょう。だからコネがないなら自分の手で守るしかない。その方法が自警団ってことです)

(えー……ギルド制にすればいいのに。ノノカの母国近くだと正規兵は金食い虫だからって、細かい所はギルド任せでしたよ?)

(それがそうはいかないんですよ。ま、詳しくは後程ってことで)


 彼女は海外の出身だから、その辺の事情は察しづらいものがあるのだろう。

 ノノカさんに説明している間にも町長の話は続く。


 弓矢などでオークを転落死させることに成功した自警団だが、一日と待たずまたオークが出現する。

 今度のオークは矢を警戒してさらに高い位置に居座り、人間に対して投石を行ってきた。

 当然、弓矢以上にリーチの長い武器を持たない自警団は撤退を余儀なくされる。

 とはいえ、はぐれなら数はあと数匹程度。岸壁を警戒していればオークは町までは辿り着けない。

 そう判断した自警団は、入れ替わり立ち代わりで24時間岸壁を監視し始めた。


 ところが、この目論見は大きく外れることになる。

 翌日の朝、町の川岸で干していた魚たちが、一尾も残らず盗まれていたのである。

 荒らされた痕跡から犯人は盗人ではなくオーク。自警団は呆気にとられた。

 これがオークの仕業なら、自分たちが見張っていたあの数匹のオークは何だったのだ、と。


「その後も畑や家畜などに被害が出て、我々はようやくオークがはぐれではなく群れだったと認識しました。これまでに自警団が討伐したオークの数は五体ですが、確認されたオークの数はその二倍以上です。被害も断続的に二週間も続いている」

「確かに、はぐれオークにしては数が多すぎます。自警団に仲間を殺されてもまだ町に襲撃を仕掛けている以上、群れで行動している可能性が極めて高い」

「どうでしょう。『豚狩り』の異名を持つあなた方騎士団に、是非とも討伐を依頼したいのです」


 真摯な目でローニー副団長に向かい合うリッキー町長。

 『豚狩り』は騎士団内では蔑称だが、平民たちにとっては忌々しいオークを駆逐する力の象徴だ。

 その事をよく理解している副団長は深く頷き、町長に手を差し伸べた。


「その依頼、我ら『豚狩り騎士団』が剣に誓って成し遂げて見せましょう」

「おお……!!」


 俺達の意地と誇りにかけて、この荒廃した土地を再生させるオアシスの未来を護る。

 その場の全員が、きっと副団長と同じ志を持って集っている。


 かくして、俺達の新たなる戦いの火蓋が切って落とされた。

 


 ……のはいいのだが、俺には一つ疑問があった。


(俺、結局なんで幹部会議に連れてこられてんの? ……まさか、来年度から副団長になるから経験積ませとけっていう団長ひげジジイの差し金か?)


 仮にそうだとしたら、最初からそうだと言っておいてほしいものだ、と俺は内心でごちた。

 後になって、その考えもまた実は団長に読まれていたという事実を知る由もなく。

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