第10話 たまには本気で戦います

 初めて本物のオークと相対したのは、確か騎士団に入って一週間程度経った頃だったか。

 あの時は巨大な樹木が密集する特殊な森で、騎士団はオークを燻して下に下ろすための薬草の煙、閉じ込め用のバリケード、堕ちると串刺しになる落とし穴などを駆使した殲滅戦を敢行しているときだった。


 当初、オークの巨体で木から木へ飛び移る事は想定されていなかった。あの巨体だし、身体構造はサルというより人と豚の中間だ。そんな生物が木から木へと飛び移って行動するという事例は報告されていなかったので、「そんなことある訳もない」と可能性そのものがすっ飛んでいたのだろう。


 だから、新人だからと後方支援に回されていた俺達新人の頭上からミシミシと木々が軋む音がしたとき、俺は一瞬何の音なのか分からなかった。


『――? なんだ今の、風で鳴る音じゃねえよな……』


 今も昔も酒を飲みながら新人の御守りをしていたロック先輩が怪訝そうな顔で背後にあった大きな木を見上げた、丁度その時だったか――奴が来たのは。


『まさか……新人!! 今すぐこっちに来いッ!!』

『は、はいッ!!』


 ロック先輩の鋭い声と共に掴まれた手に引かれ、幸いにもよく訓練された俺の体はすぐに対応した。

 対応したからこそ、ゾリリッ、と背筋を掠ったオークの棍棒の直撃を免れた。

 対応できなければ、頭をかち割られるという最悪の未来を迎えていたろう。

 一瞬遅れて、ズドンッッ!! という腹の底を叩くような振動が襲ってきた。


『んなッ……!?』

『野郎、本隊の動きを読んでやがったのか!?』


 ロック先輩が剣を抜いたのに気付き、慌ててその辺にいい加減に突き刺していた剣を抜いて背後に構えた俺が見たのは、巨大な異形。


『ブギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』

『……………オー、ク』


 森の隙間から漏れる月光に照らされる、醜く歪んだ顔面。陰影のせいでギラギラと光る凶悪な眼光としゃくれた顎から反り立った牙ばかりが強調され、手に持つ人ほどの大きさの棍棒がその威圧感を更に増大させる。

 遅れて、一つ、二つ、三つと木の上から枯葉と土を撒き散らして降りてくる異形達。


 俗に『兵士長』タイプと呼ばれる、オーク群体コロニー序列カースト二位が率いる、狩りおよび外敵迎撃の為に行動する群体内集団――俺達『王立外来危険種対策騎士団』が群れのボス以上に警戒すべき集団の奇襲は、口惜しいほど見事に成功していた。


『冗談だろオイ……よりにもよって何の用意もしてねぇ後方支援部隊を叩きに来やがった!!』

『構えー! 構えー! 槍でも棒でも何でもいい! とにかく構えろッ!!』

『後方支援側には敵は来ないんじゃなかったのか!? 先輩方は何をやってるんだ!?』

『おい、それよりここを突破されたら戦闘真っ最中の本陣に突撃かけられるぞ!?』

『つまり!?』

『ここで俺たちが迎撃しないと騎士団壊滅がありえるって意味だよバカッ!!』


 非戦闘専門の班と同期と、戦いを想定していなかった騎士たちの悲鳴や怒号が飛び交う中で、俺は自分の剣を構える手が微かに震えていることに気付いた。

 初めての実戦で、相手は人など容易に殺せる外国の魔物。

 味方の士気は低く、自陣を捨てることは許されない。

 おまけに奇襲のせいで陣形を整える暇もない。


 そんな状況で臆して、オークに殺される?


 ――そんなダサイ死に方は、絶対に嫌だ。


 俺は物語の騎士にはなれないかもしれないが、騎士になる為に死に物狂いになった日々だけは本物だ。剣を握れ騎士ヴァルナ。歯を食いしばって、ケツの穴絞めて、毎日繰り返した剣術訓練を思い出せ。

相手は斬ったら死ぬ生物か?もしそうなら、勝ち目は充分だ。


『……給料も貰ってねぇ内に、死ねるかよ』


 震える剣を両手でもう一度握りしめて、俺は大きく息を吸い、吐き、両足でしっかりと地面を踏みしめた。

こんな危機、テスト前の追い込みの最中に寝落ちした時に比べれば何でもない。

あれはもう目が覚めた瞬間に絶望が背筋を伝ったし。友達のおかげでギリギリセーフだったけど。


『来いやブタ公ッ!! 俺の命を狙ったツケを、手前の命で償って貰おうかぁぁーーーーッ!!』

『ギャャブォオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!』


 王立外来危険種対策騎士団とオークの二つの部隊が、煙が天高く上る巨木の森で激突した。





 ――という壮絶な思い出に比べると、御前試合程度なら割とどうにかなる気がしてくるものである。


 命が掛かってないなんて、その時点で温いことこの上ない。

 懐と名誉だけ気にして戦っていればいい他の騎士団が羨ましい限りだ。


「構え!」

「王立外来危険種対策騎士団、騎士ヴァルナ……」

「聖天騎士団、遊撃隊筆頭騎士……ヴァン・ド・ランツェー!」


 審判を務める王宮役員の号令に合わせて名乗りを上げる。

 この国では基本的に貴族以外は姓を持たないので、決して俺がテキトーな名乗りをしている訳ではない。


 御前試合は先鋒、次鋒、中堅、副将、主将の5人で結成され、メンバーは純粋に実力だけで選ばれるので騎士団長以外が主将になることもある。目の前の厳つい面構えの大男、ヴァンもまたそうだ。先輩方の涙ぐましい努力のおかげで中堅の俺が主将のヴァンに当たるという優位的な状況にあるし、一応去年にも勝っている筈なのでここで倒しておきたいものだ。


(それにしても聖天騎士団最強の男か……突撃槍が獲物とはなんとも間合いが測りにくい。唯でさえ剣で槍と戦うのは不利だと言われているものを……)


 御前試合で使う武器は必ず剣でなければいけない訳ではない。

 しかも、聖天騎士団は結成の理由や構成人員からして特殊なので、士官学校では教わらない聖天騎士団特有の流派を使ってくるのが厄介だ。

 さて、どう戦ったものか――俺が答えを出すのを待たずして、見届け人の声と共に旗が振り下ろされた。


「始めッ!!」


 瞬間、常人なら反応できないほど凄まじい速度でヴァンの槍が俺の腹へと飛来した。

 咄嗟に『二の型・水薙』で衝撃を抑えながら槍を受け流すが、槍そのものの重量も相まって衝撃を殺しきれずに横に逸れる。と、間髪入れずに横薙ぎの槍が襲った。


「ちぇぇいッ!!」

(対応が速いッ!)


 素早く体勢を低くして攻撃を掻い潜り、すぐさま背後にステップ。

 だが、その動きがヴァンに誘導されたものだと気付いた時には遅かった。


「我が連撃、一度ひとたび捉えられれば、逃げ出すことはまかりならぬッ!!」


 一瞬のうちに敵を串刺しする程に強烈な刺突と薙ぎ払いの連撃が流れるように襲い来る。相手が攻撃を躱した際にどう動き、それに対してどのような間合いの詰め方をすればより相手を追い詰めることが出来るのかを熟知した狡猾な連続攻撃だ。


 しかして、戦は生き物。思うように事が運ぶなどと思い上がれば、その代償は高くつく。

 大型の突撃槍はどうしても取り回しが遅くなるため、使い手は隙を晒さない為に最も無駄のない軌道を描く必要がある。それが自由度の高い剣との最大の違いであり、リーチと代償に捧げた欠点だ。


(突き、突き、踏み込みからの突き、薙ぎ払い、一度腰を引いて槍を構え直す……次は、突きか。攻め込むより間合いの支配を意識したと見せかけて……体のばねを効かせての振り抜き)

「ほう、流石は『首狩り』! 我が連撃を初見で凌ぐとは若くして御見事なり!! されどいつまで続くかな!? 以前は奇襲の一撃で敗れ去ったが今回はそうはいかん! ビギナーズラックは一回きりだ!」


 一つ一つの動きにある僅かな予備動作を、槍の切っ先をギリギリで捌きながら食い入るように観察する。相手にどのような動きが可能か、理想の間合いと危険な間合いはどこか、可不可の駆け引きに罠を潜ませるとしたらどこに置くか。


 戦いは腹を探り合う情報戦。剣術とはすべて心理的要素に付随するものでしかない。

 その事実に気付いた時、俺の剣術は教官を凌駕した。

 勢いだけの勝利は安定しない。腕力だけの勝利は長続きしない。

 だから見る。とにかく見る。

 見る隙を与えずに倒すのは、余裕がない時と相手を熟知しているときだけだ。


 数え始めればキリがない情報を可能な限り収集した上で反撃の要素を検証するが、ここで一つ重要なことがある。当たり前の話なのだが……思考に体が追いつかないというのは論外である。


「ぅおっ……!?」 


 この大事な時に、脚がもつれた。


「隙を晒したなッ!! そこだぁぁぁッ!!」


 致命的な隙に勝利を確信したヴァンが、熊をも一撃で射貫くであろう必殺の刺突を放った。

 嵐のような連撃を避け続ければ必ず体勢に無理が出て、無理を圧して回避し、回避によってさらに無理が出る。それを繰り返せば、必然的にいずれ綻ぶものだ。


 ――それが、意図的に晒された隙でないのであれば。


「晒されたのは、そちらの隙だ」


 大振りになったその瞬間こそが待ち望んだ隙。そしてここから状況をひっくり返せるのが『王立外来危険種対策騎士団』の粘り強さだ。こちとら毎度毎度足場の整備されていない自然環境の中で戦っているのだ。この程度で転ぶものか。

 片足を軸に半歩後ろに足を踏ん張り、一気に体を沈めて前へ飛ぶ。

 ここは槍の理想の間合いには近すぎて、そして剣の間合いとしては理想的だ。


「なっ……貴様ッ!?」

「フェイントだよ、驚いたかッ!?」


 完全に捉えたと思っていた一撃を躱されたヴァンの瞳が驚愕に見開かれる。

 普通の武術ではあまり想定されていないがゆえに、格式ばった武術では対応しづらいだろう。

 その点で格式も品性もない平民出身の俺は、思いついたことは何でもやれる。


「ッ!! 易々とやらせるかァァーーーッ!!」


 しかし、流石は騎士団最強に選出された古強者。若造の浅知恵に対応仕切れぬほど教本通りの動きはしていない。刺突を躱された瞬間には既に足を踏み変え、突撃槍が横薙ぎに振り抜かれていた。

 速いが、読めた。槍が振り抜かれた瞬間を見極めた俺は、静かに、極めて静かにその技を解き放った。


「二の型――水薙みずなぎ


 突撃槍の起動に寄り添うようにそっと剣を槍の腹に潜り込ませ――流水のように柔らかく、力を止めずに軌道だけをそっと受け流した。最初に受け流した苦し紛れの『水薙』とは違う。この奥義の本質はただ受け流すのみに非ず、その神髄は「崩し」にこそある。


「チェック、だ」


 至近距離で無理な体勢から放ったその一撃で体勢を崩しかけながらもなんとか踏ん張るヴァンに向け、俺は受け流しに掲げた剣をそのまま喉元に突き付けた。


「……ふ、ふふ。ああも見事に我が槍を受け流されるとは……俺も老いたか、それとも世代が変わる時なのか」

「――そこまで!! 勝者、騎士ヴァルナッ!!」


 瞬間、御前試合の観客席から一斉に歓声が上がる。

 ただし、歓声の大きさに関してはかなり偏りがあるのが露骨に伝わってくるが。


 王立外来危険種対策騎士団は言うまでもなく大盛り上がりだが、他のグループの反応はマチマチである。王宮や王族に連なる人間は某第二王子の影響で俺の活躍に盛り上がってくれるが、特権階級席で御前試合を純粋に楽しんでいる者はそうそう多くない。

 特に他所の騎士団は「平民出身の貧乏騎士がつけあがりおって」と内心業を煮やしているのだろう。ただし、それは顔には現さずに口では賛辞を送っているが。特権階級とはややこしい連中である。『聖盾騎士団』のくせに平気で豚狩り騎士団と一緒に俺を応援しているどっかの屋台好きを見習えばいいのに。……いや、あれはあれで大問題だけど。


「ヴァルナくぅ~~~ん!! カッコイイよぉぉ~~~~!!」

「さっすが騎士団最強の男!! このまま英雄ロードまっしぐら~~!!」

「次の御前試合乗り切ったら全騎士団撃破だぞ!! キバって行けよぉッ!!」


 あんな風に素直に喋れる国になれないのかと肩をすくめながら剣を収めると、対戦相手のヴァンが歩み寄ってくる。その顔には作った笑顔ではない素直な笑顔が浮かんでいた。

 差し出された手を取り、握手する。


「大人気だな、『首狩り』。今や平民の憧れはお主に集中しておるぞ?」

「そりゃぞっとしない話だな。騎士なんて実際にやったら幻滅ものだ。そういう夢は見せない方がいい」

「若いくせに枯れたことを言うな……もっと輝く夢を見せてやればいいではないか。自覚はなかろうが、お主も十分夢の中に生きておるよ」


 何を無責任なことを言っているんだこのオッサンは。『聖天騎士団』の人間は元々海外の貴族だった連中が多いので微妙にうちの国の特権階級とノリが違ってリアクションしづらい。そしてこの人の笑顔が急に悪い感じに変貌してきた。誰かに似ている気が――あ、ウチのひげジジイ団長が悪い事思いついた時の顔だ。


「――という訳で今度は逆玉の輿はどうだ? ウチの養子にならんか。この国だと平民と特権階級の境が曖昧な部分があるからな。養子に来れば一発だ! 差し当たってはウチの次女と婚姻をだな……ほら写真。可愛いだろ」

「ちょっ……可愛いのはいいけどこれまだ十歳いってなくないですか?」

「馬鹿、貴族の婚姻ってのは二十歳差とか普通にあるんだぞ。いけるいける」

「俺、同僚にロリコン呼ばわりされるのは嫌っすからね。大体アンタ俺の名声と実力を利用してよからぬこと企んでない? イヤだよ俺、あんたとルガー団長に挟まれるの」


 前門の狸、後門の狸。別名を袋のネズミともいう。

 さっきまであんなに騎士然としていたにも拘らず、騎士なんて一皮むいたら中身はこんなのばっかりだ。腹黒狸共よりオークの相手をしていた方が十倍は楽だ。精神的な意味で、だけど。


 こんな戦いは早く終わらせてオークの首を狩りに行きたい――たった一年少し前まではオークを前に震えていた俺は、心底そう思うのであった。

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