第9話 無駄な知識は豊富です

 騎士は、勇敢さと同時に知性に裏打ちされた冷静さを持っているのが好ましい。

 ただ突撃して敵を打倒するだけの強さとはただの武力であり、それは人間的、組織的な強さとは違う。時には激しく、時には戦略的に、そして誇りのない戦いはしない。

 そこには雇われて戦うだけの兵士との決定的な格の違いが存在する。

 騎士とは、洗練されていてこその騎士なのだ。


 アホの俺は平民なりにかなり勉強して試験に挑んだが、出題された筆記問題の大半が聞いたこともない内容だったために「どちらにしようかな」で乗り切ったといういかにもアホのやりそうな経緯がある。

 あの年の平民枠五つの中で、おそらく俺が一番勉強のできない男だった。


 だいたい、騎士団に入るのに必要な学力は準国家役員級の難しさを誇る。

 その難易度の試験に士官適正年齢である弱冠十五歳で挑まなければいけないという時点でおかしいのだ。

 これほどの難易度の問題を解けるようになるには幼少から非常に高度な教育機関で学習しなければいけない為、この辺は親の財力がモノをいうのである。


 一応もう少し年齢を重ねてから試験に挑むことも出来るが、そちらは任用までに三年の月日と王都に一軒分の土地を買うほどの金が必要なので平民では無理だ。何度思い返しても俺が受かったのは奇跡である。


 しかし、奇跡で受かった俺は当然の如く勉強で苦労した。

 なにせ士官学校はたった一年で一般人を騎士に叩き上げるための殺人的過密スケジュールを誇る。

 休みは日曜日と国民の祝日のみで休暇期間はなし。病欠や忌引きは休みを削っての授業で埋め合わせる。全寮制で厳しい規則に雁字搦めだ。ここだけの話、俺の代では特権階級枠の入学者はこの生活に耐え切れずに三人ほど脱走し、代わりが補充されていたりする。


 そんな中で俺が出会った親友二人は、少ない自由時間を割いてよく俺に勉強を教えてくれたものだ。

 思えば辛い時はいつもあいつらと一緒だった。

 剣を教えてやり、その代わりに勉強を教えてもらい、たまの休みに城下町を案内してやり、食事の礼儀作法やマナーを教えてもらい……卒業する頃には、俺の脳の本棚はあの二人から貰ったもので一杯になっていた。


 但し、貰ったものは忘れられない激動の思い出も数多あるというか、それぞれタイプの違う天然である二人の起こした嵐に巻き込まれた分で貸し借りなしな気もする。その苦労もまた最終的になんだかんだで絆を深めてくれたけど。

 ついでに言うと、特権階級の超ボンボンだった二人が俺の俗世知識に若干毒されたことも否めない訳で……。


「ん~~~♪ やっぱりランプレドットの屋台は時計塔前のが一番だよねぇ~~♪ あむっ、むぐむぐ……はぁぁ、幸せぇ~~……」

「お前、相変わらずよく食うなぁ……いったい幾つ買い込んだんだ? 太っても知らないからなー」

「わたし太らないもーん♪ 太っても幸せ太りだからいいもーん♪」


 心底幸せそうに庶民の屋台料理をついばむ良家のお嬢様の姿に周囲は若干ザワついているが、当人は全く気にせず至福の時を過ごしている。あの超絶美人のツレのうらやまけしからんヤロウは誰だという殺気も少し混じっているが、いつもの事なので俺は気にしない。


 ちょっと目を離した隙に、セドナと俺の座るテーブルには屋台で買った食べ物が充満していた。

 海外の勢力が参入してすっかり激戦区となったこの王国の屋台は世界有数のバリエーションの豊富さを誇るらしく、彼女の手元にはモツ煮込みランプレドット、串カツ、東南風焼きそばパッタイ、ホットドッグ、ニシンの酢漬けハーリングサンドなど世界B級グルメグランプリのような光景が広がっている。


 セドナは、屋台料理が好きで好きでしょうがない子なのだ。

 事の発端は今から二年前。ほとんど城下町に来たことがない親友たちが屋台を物珍しそうに見ているのが気になって、俺が当時流行りだったモツ煮込みランプレドットを買い与えてみたときの事だった。


『ほれ、どうよ。安価ですぐ食べられる庶民の味方の味は?』

『……なんだ、この得も言われぬ刺激と安っぽさの中にある極めてシンプルな旨みは!? 生まれてこの方宮廷料理と献上品以外は口にしたことがないこの僕の心を揺るがすとは、恐るべし屋台……』

『………………………………』

『……あれ、セドナ? 口に合わなかったか?』

『む、そうなのか? 僕はいける味だと思ったが、彼女の家の好みではないのか――』


 と、こちらの反応が聞こえていないようにふらふらと歩き出したセドナは、屋台の前でピタリと足を止め――唐突に懐から札束を取り出した。


『……すいません屋台のおじさん、この屋台にあるランプレドットを全部買います。いやいっそ屋台をおじさんごと買います! だからもっと……もっとこの時代の激流の中から生まれ出でた一粒の宝石のように未来を照らす革命的かつ革新的な文明開化の味をこの世界に広めましょうっ!!』

『『あっれぇぇぇーーーーー!?』』


 ……あの屋台料理特有の香り、高級料理とはジャンルの違う大雑把な調味料が生み出す刺激、そしてその中にあって民に愛され続けるシンプルな旨み。箱入り娘のお嬢様は、この別次元から来訪した屋台料理という未知の刺激にすっかり虜になってしまっていた。


 もう一人の方も気に入りはしたが、セドナのそれはいっそ異常。

 彼女の屋台好きはこの国の全ての屋台の位置を記憶する程に凄まじい勢いで膨張した。

 今では彼女はペンネームを使って「王都の屋台(王国歴四百三年版)」というグルメ本を出版して世界のB級グルメたちを沸かせた超一級の屋台美食家である。

 特に理由はないけれど、なんとなく彼女を良くない道に誘ってしまった気がする。


「まぁ本人が幸せそうならいっか……?」

「串カツのこの衣のシャクッとした歯ごたえ、豚肉の繊維が千切れる感触と脂身から沁み出す甘みの強い脂……それらと絶妙なハーモニーを奏でる濃厚な甘辛ゴマダレが……はぅぅ……♪」

「口元にタレついてるぞ?」

「口についたタレやソースは幸せの証なの! 食べ終わってからすっと拭うのが礼儀だよ……!」

「ノリに任せて微妙に通っぽい言い方をするんじゃないよ。ほら顔出しなさい」


 良家のお嬢様にとって「口元を盛大に汚す」という食事マナー的NGもこの場では許される。

 その空気もまた、彼女がここを好む理由なのかもしれない。

 そんなことを考えながらナプキンで汚れた口元を強制的に拭うと、急に親に毛づくろいされる子猫のように言いなりになる。これはこれで満更でもないらしい。


 おのれ、可愛いじゃないか。彼女のパパ上が「娘に手ぇ出したら明日には魚の餌だよ?」とか言っちゃう子離れ出来ない系馬鹿親じゃなかったら真面目に結婚を検討していた所だ。


(逆にその微妙に手が出ない関係だからこそ友達になれているのかもしれんが……)


 セドナがこの友人限定で発揮する人懐っこい甘えっぷりを卒業する日は来るのだろうか。

 どっちにしろ、結婚願望どころか人生のどのタイミングで結婚すればいいのかさえ分からない俺としては有難い話である。……ローニー副団長の二の舞を避けるためにも。

 ――と、足元から「にゃあーう」と可愛らしい声が聞こえて、俺は適当につまんでいたフィッシュ&チップスへ伸ばした手を止める。


「猫……?」

「にゃあーう」


 そこにいたのは茶白の猫だった。

 毛並みはいいが首輪はしていない。

 人に慣れた野良猫だろう。

 足元にすり寄りながら甘え声で「ご飯ちょうだい」とねだっているようだ。

 しかし、残念ながら屋台食は全体的に塩分が多すぎて猫の食事には適さない。

 猫のことを考えるならあげない方がいいだろう。


「あ、その子最近この辺に居ついた子だよ」

「セドナ、お前知ってるのか?」

「これでも王都周辺の警邏が生業の『聖盾騎士団』だもん。町のことなら大体知ってるよ?」


 そう言いながら、セドナはフィッシュ&チップスの魚から器用に衣をはがして一かけらだけ千切り、テーブルから少し離れた場所へぽんと落とした。猫はそれを見るなり餌の方にしゅぱっと走っていく。

 もう俺の事はどうでもいいらしい。ちょっとだけ切ない気分になった。


「屋台エリアが大きくなってから野良猫が増え始めてるらしくてね? この辺はそんなにいないんだけど、路地裏じゃ違法に捨てた残飯や人の食べ粕なんかを狙って結構いるの。それで猫が増えちゃって、猫のお粗相とかも増えちゃって……王都清掃隊は大変なんだよ」

「そりゃまた。街の衛生はちゃんと保ててるのか?」

「今のところはね。でも餌が増えてからネズミの目撃例も増え始めてて……」

「なるほど、そいつはまずいな。餌が増えすぎて猫がネズミを積極的に捕まえなくなってきたか」


 元々猫というのはネズミや害虫が家に侵入してくるのを防ぐ目的で飼われ始めた動物だ。

 この猫のおかげで町は伝染病を媒介するネズミたちの繁栄を防いできたと言っても過言ではない。

 特定の生物を追い払うために、別の生物で対抗する。単純な理屈だ。


 しかしその理屈は、新たに持ち込んだ生物がより安易な餌の取り方を覚えたときに崩壊する。

 要するに、猫はネズミを捕まえるより人間のおこぼれをもらった方が楽だと判断し、ネズミを相手にしなくなっている可能性があるのだ。しかも人間の残飯は雑食のネズミにとっても美味しい栄養源。

 待っているのはネズミが増えても猫が仕事をしない負のスパイラルだ。


「残飯を減らしつつ野良猫への餌やりを禁止すれば猫はまたネズミ狩りに戻る。それが一番いいんだが……」

「にゃあーう」

「……またおねだりしてる」

「おねだりすれば誰かが餌をくれることを学習してるんだろうな」


 猫は可愛らしい見た目をしている。こんなのに足元をちょろちょろされながらおねだりされれば誰だって餌をやりたくなるだろう。餌をやるななどと言われたら、「それじゃあこの猫たちは何を食べていけばいいんだ」と逆上する人もいそうだ。野生生物ってのは人間が思ってる以上に逞しいんだから、餌が手に入らないとわかったら餌のある所に勝手に旅立つんだが。


「増え過ぎて目に見える問題になってからじゃ遅いんだよなぁ。オークみたいにさ」

「ヴァルナくん……」


 王国が手をこまねいているうちに国内全土に増殖、拡散していったオークたち。

 この猫たちも、手をこまねいていれば後々になって伝染病というリスクを運ぶかもしれない。

 ああ憎きオークども。一応ノノカの研究の成果としてオークの死骸を大地の肥やしに変えるシステムはあるが、それにしてももっと狩ったらいいことがあればいいのに。奴を多く狩っても臨時ボーナスが雀の涙ほど増えるだけである。


「……時にセドナ、知ってるか? 海外には一部猫を食べる文化もあるんだってよ。猫屋台とかあるみたいだぜ」

「猫屋台……屋台……はっ、駄目よ私!! そんな見境なく……でも牛や鳥はオーケーなんだし猫も……猫……屋台……猫ちゃ~ん、美味しいもの上げるからこっちにおいで~……!」

「タマエ料理長から調理方法は教えてもらったことがある。捕まえた後は任せろ……!」

「フギャッ!?」


 その時のセドナと俺の瞳には、底なしに深い人間の欲望が剥き出しになっていた。

 当然というかなんというか、猫は脱兎のごとく逃げ出した。


 ――後から聞いた話によると、あの日以来セドナを怖がった猫たちが屋台区画周辺から一気に姿を消し、猫問題は一端の終息を見せたという。以来、彼女は陰で「屋台の守護神」と呼ばれているとか、いないとか。

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